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第4章 陰謀渦巻く王都 編

第 222 話 目撃者アイリ

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 朝陽を採り込む半地下牢の窓を、エルグレドはジッと見つめていた。茶色い さびが点々と浮く鉄格子に、明け方から動かずジッと留まっているヤモリがいる。陽の光を避けるように小さな羽虫が数匹、その鉄格子の隙間から牢内へ迷い込んで来ていた。だがヤモリはむやみに動かず、確実に捕食出来る羽虫が現れるのを待っている。
 一匹の羽虫がヤモリの留まる鉄格子に止まった。ヤモリから緊張が走るのをエルグレドは感じ取る。まるで喜びを表すように尻尾を振りながらも、ヤモリは静かに足を運び始めた。ヤモリは羽虫との距離を頭2つ分ほどにまで詰める。一時の間を置き……まるで伸ばしたゴムを解き放つようなスピードで、ヤモリは上体を一瞬の内に羽虫に向かって突き出し、すぐに元の位置へ上体を戻した。その口の中には、狙った獲物がしっかり咥え込まれている。

「お見事……」

 1時間近くも続いていたヤモリの朝食風景に、エルグレドは笑顔で賞賛を送る。ほどなく、牢に向かって人が来る気配を感じとり、扉に視線を向けた。

「エルグレド補佐官……朝食ですが……」

 朝食が載ったトレイを手に、すっかり顔見知りとなった番兵が扉を開き入って来る。しかし、その背後に続く同行者もいた。

「ようエルグレド! ゆっくり眠れたか?」

「おはようサレンキー。こんな早くから尋ねて来てくれるなんて、どうしたんです?一緒に朝食でも?」

 エルグレドは番兵からトレイを受けとり、笑顔で尋ねる。

「お一人ですか? マミヤさんは?」

「俺一人じゃ不満かよ? いいんだよ……アイツの心配はテメェがすることじゃねぇ!」

 サレンキーは乱暴に言い放つ。番兵は一旦室外に出ると規則に従い牢に鍵をかけた。

「お前に最後の自白チャンスをやろうと思ってな……」

「そうですか……」

 エルグレドはトレイを持ったまま、壁際の狭いベッドに腰を下ろす。

「自白と言われましてもね……公証記録とこれまでの証言以外、語るべき事実はありませんから……」

「……そうかよ……この大嘘つき野郎が……」

 涼し気な微笑を浮かべ食事をとり始めたエルグレドの横に、サレンキーは腰を下ろした。

「今夜……っていうか夕方だな! とうとうお前の化けの皮が剥がされるのもよ」

 エルグレドは構わず、ゆっくり食事を楽しんでいる。

「……結局お前が『怪しい』ってとこまでは突き止めたんだ。……でもよぉ……残念ながら『証拠』も『証言』も俺たちにゃ揃えられねぇと来た」

「『無いモノ』を証明することは不可能ですよ」

 サレンキーの独舌にエルグレドは意見を述べる。

「……ギルバート達に何をしやがった? ミゾベの野郎はテメェの仲間なのか?」

 エルグレドは最後のひとかけらのパンでスープボールを拭き、口に入れる。

「マミヤの見立てじゃ、ギルバート達は何らかの法術で記憶を飛ばされてるみてぇだとよ。お前がやったのかよ?……ミゾベの馬鹿をカガワアツキの試合に踏み込ませたのはお前の指示か? 答えろよ!」

「君の妄想に何と答えれば良いのか……ギルバート少尉らの件は知りませんよ。私は人の記憶を変えるような法術を使えませんから。それにミゾベさんの件も、彼との接触の機会は尋問室内だけでしたから……そんな指示をするタイミングはありませんでしたし、何よりも彼と私は共謀するような仲間ではありませんでしたから」

 サレンキーはジッとエルグレドの目を見ながら回答を聞いていたが、微笑み見つめ返すエルグレドの視線に不快そうな舌打ちをする。

「……分かんねぇなぁ……お前の言ってる事が『真実か虚偽か』なんてよ……やっぱマミヤの鑑定眼は凄いぜ……」

 そう言うと首を横に振りながら立ち上がった。

「確かに……彼女は真実を見抜く目をもっていますね……」

「……認めるのかよ? それを」

 エルグレドの同意に、サレンキーは静かに尋ね返した。

「ええ……もちろんです」

「……でも所詮は『人間の目で見た真偽鑑定』……何の証拠にもなりゃしない……って 、どうせたかを括ってんだろ? お前はよ」

 エルグレドは静かに微笑み、軽く首を横に振る。

「まあいいさ……テメェの涼し気な笑顔も、法廷じゃ引きつった笑いになるこったろうよ!」

「そうですか?……その余裕……やはり気になりますね?」

 サレンキーがいつもと違い、苛立ってもいなければ余裕を持つ様子に気付いていた。

「最高法院法廷が早まった理由……いい加減に教えてくれてもいいんじゃないですか? 君のその『余裕』と、何か関係があるんでしょう?」

 自分がエルグレドよりも優位に立っている状況を楽しむように、サレンキーはニヤニヤと顔を弛めている。

「はぁ? 教えねぇよ! とにかく、お前の嘘は法廷で見抜かれる! そうなりゃ、いくら王様でもお前を無罪には出来ねぇ。あとは評議会の手で、じっくり真実を暴き出されるんだよ! 楽しみにしてな!」

 満足そうに告げたサレンキーは番兵に牢の扉を開かせ、笑いながら出て行った。

「あの……補佐官? トレイを……」

 入れ替わりに入って来た番兵に、エルグレドは空のトレイを渡しながら声をかける。

「御馳走様。おいしくいただきました。ありがとうございました」

「あ……いえ……そんな……恐縮です」

「ところで……」

 エルグレドは優しく微笑みながら番兵に尋ねる。

「王城の貴賓室には、今夜どなたか泊まられるんですか?」

「え?」

「いえね……今日、私の法廷が終わった後、自由の身になれたら『嫌疑の代償』に貴賓室にでも泊まらせていただけたら嬉しいな、と思いまして」

 明らかな冗談だと分かる軽い口調で語ったエルグレドに、番兵も笑顔で答える。

「ああ! それは良いですねぇ。1週間以上もこんな部屋に寝泊まりさせられたんですから……あ、でも今夜は貴賓室は空いてませんから明日以降ですね」

「そうですか……それは残念!」

 番兵がトレイを持って部屋から出ると、エルグレドは真顔になって情報を整理する。

 サレンキーのあの様子からすると、魔法院評議会が何らかの手を回したってことですか……。証拠も証言も無く「嘘を法廷で見抜く」となれば……鑑定眼……。でも、マミヤさんの真偽鑑定眼がどんなに優れていても、証拠能力が認められていない人間の観察力に過ぎません……。となるとエルフ族?……いや……エルフ族がこの手の「茶番」に協力するはずは……

 エルグレドは首を横に振った。

 いえ……やはり考えられるのは、エルフ族の協力による「真偽鑑定」しかないですね。……となれば……かなり厄介なことになりそうですね。……貴賓室を使うほどの高位者……カミーラ高老大使?……それとも……


◇  ◇  ◇  ◇  ◇


「チロルさん!」

 ミラとスレヤーが先に退室した会食場で、篤樹は片付けを始めたチロルに声をかけた。

「はい? 何か御用ですか?」

 礼儀正しいチロルとはいえ、やはりミラが同室内に居る時よりも気を緩めた自然な笑顔で篤樹に応える。

「ゴメンね、お仕事してる時に……あのさ、アイリは今日お休みなの?」

「え? アイリですか? 出ていますよ。でも今日は共用部奉仕の担当なので……」

「共用部奉仕?」

「はい。それぞれの宮以外の王族共用施設の整えを……アイリに何か御用でしたか?」

「用って言うか……ほら、試合の後に怪我の治癒魔法をずっとやってくれてたからさ……おかげで、もう全然平気になったし……お礼を言いたいなって……」

 篤樹は完全回復を示すように、右腕を曲げ伸ばして見せる。

「あの日は遅くまで法術看護してくれてたみたいだし……昨日は俺も一日中ずっとダウンしてたからさ。本当は昨日の夜に見かけた時にお礼言いたかったんだけど……何か忙しいみたいで、声かけたのに気付いてもらえなくって。……今朝は会えるかなって思ってたんだけど……共用部って、アイリはどこの担当してんの?」

「そうですか……」

 チロルは含みの有る微笑を浮かべる。

「アツキさまからお礼を言われれば、彼女もきっと喜びますわ。共用部は……内庭周りや王城の2階と3階の執務階……あと謁見棟もですし……宝物庫もですから……」

 説明をしながらチロルは少々困った表情になる。篤樹はその表情から、アイリを捜し回るのは難しそうだと悟った。

「そっかぁ……」

「あ、でも共用部奉仕は午後早い時間までですから、夕刻からは通常の勤めに戻りますよ。……恐らく夕食の奉仕には付きますわ」

 残念そうに呟いた篤樹を気遣うように、チロルは急いで説明を加える。

「あ……じゃあ戻ったらでいいか。早くお礼したいのに……ま、仕事だから仕方ないね! ありがとう、チロルさん」

 篤樹はチロルに情報のお礼を言うと、会食場を後にした。チロルは礼儀正しく姿勢を正し、頭を下げて篤樹を見送る。

「……あのアイリがねぇ……ふぅん……」

 顔を上げて呟くと、ニヤけた自分の頬を軽く叩き、朝食の片付けを再開した。


―・―・―・―・―・―


「マズイよなぁ……」

 アイリはルメロフ王宮地下通路の法力光源石を磨きながら呟いている。普段は無心でテキパキ行える奉仕作業が、「あの夜」以来上手く出来ない。

『好きだよ……アツキ……』

 口に出した自分の声が、今も耳に残っている。振り払おうとすればするほど、その「声」は心の奥深くへ食い込んで行くようだ。

「ミラ様のお客人だぞ……伝説のチガセとか……住む世界が違うとか……大体アイツは旅人だろ? ずっとここに居るワケじゃないんだ……」

『でもミラ様のものでは無いんだし……同じ人間なんだ……。温かく柔らかで……力強い身体を持つ同じ人間……。住んでた世界が違ったって……今はこの世界に住んでるんだし……。いつかは旅も終わって、どこかに……どこに? 元の世界とやらに帰らないんだったら……一緒にここで暮らすことだって……』

「だぁかぁらぁ! もう! 違うんだって! そうじゃなくって……」

 自問自答で作業の手が鈍る度、アイリは頭を振り頬を叩き拭布を洗い直したりを繰り返し気持ちを静める。

 昨夜だって……アイツがオレの名前呼んでくれたのに……顔を見れなかった。……怒ってないかなぁ……マズかったよなぁ……

「ほらっ! アイリっ! 手を休めないで!」

 巡回に来た宮廷侍従長の高齢女性が、アイリの様子を見咎め声をかけて来た。アイリはすぐに立ち上がると謝罪の礼を示す。

「も、申し訳ございません!」

 再び法力光源石を磨くため踏み台に上ろうとしたアイリに、侍従長が厳しい口調で指示を出した。

「一ヶ所にどれだけの時間をかけるつもりですか! もう充分に光沢は出てますよ! 宝物庫へ行きなさい!」

「は、はいっ! すぐにまいります!」

 水桶と踏み台を両手に持つと、アイリは急いで宝物庫入口へ駆け込んだ。今日は月に1度の徹底清掃ということもあり、王宮と全ての王妃宮から数名ずつの侍女が奉仕へ出ている。

 宝物庫も開放され、中では先に3人の侍女が清掃を行っていた。当然のことながら、宝物庫入口には内部からの持ち出しを妨げるための監視法術が施されていた。

「……まいったなぁ……侍従長に名指しで叱られちまったよ……。評価下がっちゃうだろうなぁ……」

 溜息をつきながら未清掃箇所の目星をつけ宝物庫内を進む。他の侍女たちが入り口側から奥へ清掃を行っている様子を確認し、アイリは最奥から始めようと考えた。

 あれっ?

 いつもの特別清掃日にも閉ざされたままの「奥の宝物庫」扉が開かれているのを見つけ、アイリは不審に感じた。「奥」は管理職人が年に1度入る時にしか清掃は無いはずだが……アイリはそのまま、奥の宝物庫へのつなぎ通路に入って行く。

「……グラバ様! 有りましたぞ!」

 通路を抜ける前に、奥の間から誰かの声が聞こえた。普段声ではなく、声量を押し殺しながらも離れた者へ呼びかけるような声……アイリは「秘密の気配」を感じ取り歩みを止める。

 グラバ様?

 中にいる人の気配に注意しながら、そっと聞き耳を立てて様子を窺う。

「そ、そ、そう? よ、よかった……こ、これ、これで……も、もう、だ、大丈……大丈夫ね?」

 歴代王宮の武装具が立ち並ぶ飾り棚の隙間で、人が動く姿が見えた。アイリはそっと隙間に近づき確認する。従王妃グラバと、3人の従者の姿が見えた。

「はい。この短剣こそが、第17代エグデン国王シャムルめがグラディーの怨龍を退けし邪剣に間違いございません」

「この邪剣をもって生贄の血と命を捧げれば……我らが父祖の守りの力……あの偉大なる怨龍を解放することとなるでしょう」

 従者達の興奮した会話に、アイリは恐怖心を感じる。

「そ、それ、それが……わ、我が、我が身の、まも、守りね……よ、よかった……」

 もう半年以上グラバの肉声を聞いていなかったアイリは、すっかり変わり果てた従王妃の声に心が痛む。

 不安と恐れから……心を病んでしまわれたと聞いてたけど……

「ではすぐにでも型をとりまして……」

 グラバ達の会話がまだ続く中、アイリは静かに奥の間から退いていった。
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