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第3章 エルグレドの旅 編
第 133 話 2つのボタンと大賢者ミツキ
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フィルフェリーは 呆然と目を見開き、 洞の外を見つめていた。たった今、笑顔で自分を見つめていたタフカとハルミラルの姿が、そして、樹を取り囲んでいた妖精達の姿と歌声が 忽然と消えてしまった事にショックを受ける。しかし、これが「賢者の森への移動」だったのだとすぐに理解した。
「……彼らの助けで……『賢者の森』へと飛ばしてもらった……ってことかしら?」
独り言を呟きながら、恐る恐る洞の外に顔を出してみる。外の様子は……妖精達の森とは明らかに違っていた。森の中は森の中なのだが、先ほどまでの森とは育っている木々の種類が全く違う。エルフの自分が見たことも聞いた事も無いような木々だ。何より……もう夜を迎えようとしていた時間だったのに、この洞の外には太陽の明るい光が降り注いでいる。
「ここが……『賢者の森』?」
さっきまで妖精達と久し振りに人語での会話を行っていたせいか、フィルフェリーはついつい誰にともなく問いかけるように声を発してしまう。しかし、予期せぬ応答の声が返って来た。
「妖精達の歌声が聞こえたから来てみれば……これは珍しいお客さんだね。エルフかい?」
フィルフェリーは 慌てて洞の中に顔を引っ込める。
「だ……誰ですか! け……賢者さまですか!」
エグザルレイを 庇うように自分の後ろに隠し、フィルフェリーは洞の中から問いかけた。
「賢者さま?……ふぅん……って事は、何か僕に用事って事かな?」
足音が洞の入口に近付いて来る。
「……とにかくまずはそこから出てきてもらわないことには……ああ……やっぱりエルフか……いらっしゃい」
洞の開口部から顔を 覗かせたのは30歳位の男……見慣れない顔立ちだが、人間種のようだ。フィルフェリーは背後のエグザルレイにチラッと目をやる。
「おや? もう1人いるの?……ん? ちょっと!」
男は洞の中に横になっているエグザルレイの様子に気付くと、声の調子が変わった。
「早く出て! 奥の人も外に……早く!」
フィルフェリーは男の指示に従い、すぐにエグザルレイを抱え洞の外に出る。
「す……すみません! あの……」
男はフィルフェリーの手からエグザルレイを奪い取るように地面に横たえ、その横に 屈み、右手の人差し指を自分の唇に当ててフィルフェリーに「静かに!」とジェスチャーを送る。同時に左手をエグザルレイの頭部にかざし、腹部に向けてゆっくり動かしていく。左手を腹部まで移動した後エグザルレイから視線を外さず立ち上がると、今度は両手の平をかざし何かを 呟いていた。
「……なるほど……ね」
しばらくして「フッ……」と笑み、男はフィルフェリーに顔を向けた。
「あ……あの……」
「お客さんが来るのも珍しいが……まさか『エルフと人間の輸血』を 診れるとは……かなり珍しいな。事情を聞かせてくれるかな?……僕は 三月。杉野三月だ。君の名は?」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
三月が住んでる森に……エルグレドさんを送り込んだのが……妖精王タフカ?
篤樹は時間も空間も超えて結ばれていく自分の知り合いの名に驚きながら、エルグレドの話に聞き入っていた。
「……『賢者の森』に辿り着いたフィリーと私を迎え入れてくれたミツキさんから聞いた話はこうです。まず第一に、彼がアツキくんのようにこの世界に飛ばされて来たのは基幹暦に 換算すると900年頃……つまり、エルフと他種族……まあ人間ですけど……その『 異種族間婚姻』が正式に禁忌とされ、該当者達が迫害や差別を受けていた頃だったそうです」
「えっ! それって……」
篤樹は三月が飛ばされた時代が思っていた以上に昔であった事に驚いた。
「時代が……合いませんわね……」
レイラもこれまでのエルグレドの話と大きく開きのある時間差に首を傾げる。エルグレドは予想通りの反応を受けている一同に、口端を上げて説明を始めた。
「そうですね……。ミツキさんが『飛ばされて来た』時代と、私達が賢者の森でミツキさんと出会った時代の間には実に3500年程の開きがあります。……その時間の差が、ルエルフ村と関係してるんです」
「村と?」
エシャーの関心も高まる。
「ええ……ミツキさんは最初に飛ばされた時代にルエルフ……正確には人間とエルフの夫婦に助けられ、共に活動をされていたそうです。エルフや人間によって 虐げられている彼らを何とか自由にしたい、解放したいと願い戦っていたそうです。しかし、アツキくんと同じく彼も元々普通の人間……戦闘経験も訓練も受けていない少年に過ぎなかったわけです」
そりゃそうだ。三月は俺たちの中でも一番性格も 穏やかだったし……人と競い合ったりするのも苦手だった。……小さな時から習ってたフルートは吹奏楽部でも 重宝されてたけど、音楽を楽しめないからって個人のコンクールにさえ出なかった奴だ。……それなのに……「ルエルフ」の自由と権利を守るために戦ってたなんて……
「彼はこちらに来て10数年後、 不治の死の病に冒されました。ルエルフ達は彼をなんとか助けようと、自分達が持ち得る知恵・知識・財産を集めました。その中に……」
篤樹に視線を向けると、エルグレドは自分の腰に 括っている小袋に手を入れ何かを取り出した。
「ルエルフ達が集めた宝の中に『これ』が入っていたそうです」
エルグレドは自分の手をテーブルの上に 載せ、ゆっくり指を開き「それ」が皆に見えるように示した。
「あっ!」
篤樹は思わず声を上げ、自分の胸に手を当てる。
「まあっ!」
「それって……」
「あ! 渡橋の証し《あかし》だ!」
エルグレドの手の中に 納まっていたのは、篤樹が「渡橋の証し」として身に付けている「学生服のボタン」だった。篤樹は自分が首から下げているボタンを急いで取り出し確かめる。
「アツキくんの『モノ』では無いですよ……これは私がミツキさんから 託されたものです」
篤樹は椅子から立ち上がりエルグレドの近くに寄ると、自分の首から外した「渡橋の証し」をエルグレドの手の横に並べ置いた。
「……古び方は違うけど……確かに……アッキーのと一緒だなぁ……」
スレヤーも覗き込みながら呟いく。
「ええ。同じものです……ミツキさんもこの『ボタン』を見た時、死の病も忘れるくらいに驚いたそうですよ。ルエルフ達はただの珍しい 装飾品位にしか考えていなかったそうですが……。そして、これを手にした瞬間……ミツキさんは不思議な体験をしたそうです」
「不思議な……体験……ですか?」
篤樹は「渡橋の証し」を再び自分の首にかけ戻しながら尋ねた。
「ええ……それはまるで……ケパさんの 残思伝心のようなものだったみたいです。いや……それよりももっと強力だったのでしょう。ミツキさんの頭の中に様々な『情報』が次々に溢《あふ》れ、流れ込んで来たそうです。その時に……彼は英知を究めた『大賢者』になりました」
「 へ? 三月が……大賢者に……」
篤樹の呟きにエルグレドが頷く。
「このボタン……もってみますか? アツキくん」
「え?」
エルグレドが差し出す学生服のボタンを篤樹は改めて見た。かなり古ぼけてはいるが……普通の学ランボタンだ。
……でも……三月はこれで「大賢者」に……?
「アッキー、やってみてー!」
躊躇している篤樹の姿を見かね、エシャーが声をかける。レイラも楽しそうに笑みを浮かべ、篤樹に勧めた。
「面白そうね。やって御覧なさいよ」
「おう! アッキー。これでお前も法術士になれるかもだぜぇ!」
スレヤーも興味深々で見ている。
そうか……もしかするとこのボタンにも先生が何かの魔法を仕掛けてるのかも……よし!
篤樹は意を決し、テーブルの上にゆっくりと手の平を広げ置いた。エルグレドは楽しそうに微笑み、手にした「三月のボタン」を近付ける。
「では……どうぞ……」
篤樹の手の平の上でエルグレドはクルリと手の平を裏返し、ボタンを落とした。全員の視線が、篤樹の手に落ちた「三月のボタン」に向けられる。
「あ……えっと……」
受け取ったボタンをしばらく見つめた後、篤樹はエルグレドに目線を向け心配そうに口を開く。
「あの……これ……」
「どう? アッキー。賢者になった?」
エシャーが声をかける。レイラもスレヤーも篤樹の感想を期待の眼差しで待つ。しかし、エルグレドは納得したように微笑み頷くだけだった。
「やはり、何とも無いですか……」
そう言うと、エルグレドはソッと手を伸ばし篤樹の手からボタンをつまみ取る。
「……実は、何回か試してみたんですよ。眠っているアツキくんの手に 載せて」
「……え? えーっ!」
篤樹の驚く声に、エルグレドは 悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「すみません。どうしても 好奇心に打ち勝てず……そうですか……就寝時の無意識下で 握ってダメなら、意識をもって握れば何かが起きるかも……と少しは期待してたんですが……ダメでしたか」
「 酷いわねぇ……エル。眠ってるアッキーにそんな悪戯してただなんて……」
レイラが 呆れたように呟く。
「すみません……ずっと気になってたもので。でもこれでハッキリしました! このボタンに込められていた『モノ』は、チガセなら誰にでも伝わるというわけではなく、やはりミツキさんにだけ特別に意味のある『モノ』だったようですね」
エルグレドはそう言いながら、三月のボタンを小袋に戻した。
「あ……そのボタン……三月は……」
篤樹は「今後エルグレドと一緒に寝る時は気を付けよう!」と思いつつ、三月のボタンが何故いまエルグレドの手に在るのかが気になった。
「このボタンについては……また後ほど。……とにかく、ミツキさんはこのボタンを手にした時に『大賢者』となりました。つまり……様々な情報をこの『ボタン』から受け取り、自らの力に変えた『大法術士』になられたという事です。ただ……」
エルグレドは篤樹が再び席に座るのを確認し、話しを続ける。
「彼の『生きる時間』はあまり残されていませんでした。ですから彼は、大賢者・大法術士となったにもかかわらず、この世界でその力を発揮する事は出来なかったのです」
そうか……三月は『死の病』とやらに冒されてしまったから……
「そこで彼は与えられた『力』を元に、何か出来ないかと考えたそうです。ルエルフ達が幸せに暮らせる世界を築けないものかと……」
「ルエルフ達の……ために?」
エシャーの言葉にエルグレドは頷く。
「ええ。どのような原理かまでは私が聞いても理解できませんでしたが……彼はエルフの寿命と人間の寿命の差……生命力の差に注目したそうです。そしてエルフの生命力を基にして『時間を制御する方法』を思いつきました。単純に、エルフの1000年の寿命から900年をもらい、その時間をエネルギーとして外界から 隔絶された別の世界……ルエルフだけの村を 創れば……人間の寿命100年と同じ寿命となったエルフは、人間と共に同じ時を過ごせるのではないか、と。人間とエルフの間に生まれる子どもらは人間寿命ですし、そうなれば家族全員が同じ人間寿命を過ごせるのではないかと考えたのです」
「え? それじゃ……ルエルフ村は先生……湖神様ではなく、三月が創ったってこと……」
篤樹の質問にエルグレドは首を横に振った。
「そうではありませんでした。ミツキさんは原理と理論には確信があったそうですが……なかなか実現することが出来ませんでした。何せルエルフの……正確には人間と夫婦となって生きるエルフの『生命力』を材料にするという、とんでもない発想ですからね。術を試みる事さえ決断出来ず、悩んだそうです。死期も迫っている事を感じながら……それでも実行出来ずにいた……」
あの三月のことだ……誰かが幸せになるからといって、他の誰かにその代償を負わせるなんて「魔法」をやるのを 躊躇ったんだろうな……
「でも……ある時……ついにミツキさんは、その計画を共に戦うルエルフ達に相談したそうです。反応は……良くなかったそうです。失敗したらどうなってしまうのか、本当にそんな事が出来るのか、とね。でも……協力者達が現れました」
「協力者?」
レイラが尋ねる。
「はい。長引く迫害の中で、人間である夫や妻と死別したエルフ達が……自分達の子ども達のために少しでも迫害の無い世界をと……同じような悲しみの 連鎖が起こらないためにと……自分達の生命力……寿命を使って欲しいとミツキさんに願い出たんです。何より、彼らはミツキさんの死の病にも……何らかの好転が起こるのではないかと期待し、その身を差し出しました。そして……ついに彼は術の決行を決断しました」
「……彼らの助けで……『賢者の森』へと飛ばしてもらった……ってことかしら?」
独り言を呟きながら、恐る恐る洞の外に顔を出してみる。外の様子は……妖精達の森とは明らかに違っていた。森の中は森の中なのだが、先ほどまでの森とは育っている木々の種類が全く違う。エルフの自分が見たことも聞いた事も無いような木々だ。何より……もう夜を迎えようとしていた時間だったのに、この洞の外には太陽の明るい光が降り注いでいる。
「ここが……『賢者の森』?」
さっきまで妖精達と久し振りに人語での会話を行っていたせいか、フィルフェリーはついつい誰にともなく問いかけるように声を発してしまう。しかし、予期せぬ応答の声が返って来た。
「妖精達の歌声が聞こえたから来てみれば……これは珍しいお客さんだね。エルフかい?」
フィルフェリーは 慌てて洞の中に顔を引っ込める。
「だ……誰ですか! け……賢者さまですか!」
エグザルレイを 庇うように自分の後ろに隠し、フィルフェリーは洞の中から問いかけた。
「賢者さま?……ふぅん……って事は、何か僕に用事って事かな?」
足音が洞の入口に近付いて来る。
「……とにかくまずはそこから出てきてもらわないことには……ああ……やっぱりエルフか……いらっしゃい」
洞の開口部から顔を 覗かせたのは30歳位の男……見慣れない顔立ちだが、人間種のようだ。フィルフェリーは背後のエグザルレイにチラッと目をやる。
「おや? もう1人いるの?……ん? ちょっと!」
男は洞の中に横になっているエグザルレイの様子に気付くと、声の調子が変わった。
「早く出て! 奥の人も外に……早く!」
フィルフェリーは男の指示に従い、すぐにエグザルレイを抱え洞の外に出る。
「す……すみません! あの……」
男はフィルフェリーの手からエグザルレイを奪い取るように地面に横たえ、その横に 屈み、右手の人差し指を自分の唇に当ててフィルフェリーに「静かに!」とジェスチャーを送る。同時に左手をエグザルレイの頭部にかざし、腹部に向けてゆっくり動かしていく。左手を腹部まで移動した後エグザルレイから視線を外さず立ち上がると、今度は両手の平をかざし何かを 呟いていた。
「……なるほど……ね」
しばらくして「フッ……」と笑み、男はフィルフェリーに顔を向けた。
「あ……あの……」
「お客さんが来るのも珍しいが……まさか『エルフと人間の輸血』を 診れるとは……かなり珍しいな。事情を聞かせてくれるかな?……僕は 三月。杉野三月だ。君の名は?」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
三月が住んでる森に……エルグレドさんを送り込んだのが……妖精王タフカ?
篤樹は時間も空間も超えて結ばれていく自分の知り合いの名に驚きながら、エルグレドの話に聞き入っていた。
「……『賢者の森』に辿り着いたフィリーと私を迎え入れてくれたミツキさんから聞いた話はこうです。まず第一に、彼がアツキくんのようにこの世界に飛ばされて来たのは基幹暦に 換算すると900年頃……つまり、エルフと他種族……まあ人間ですけど……その『 異種族間婚姻』が正式に禁忌とされ、該当者達が迫害や差別を受けていた頃だったそうです」
「えっ! それって……」
篤樹は三月が飛ばされた時代が思っていた以上に昔であった事に驚いた。
「時代が……合いませんわね……」
レイラもこれまでのエルグレドの話と大きく開きのある時間差に首を傾げる。エルグレドは予想通りの反応を受けている一同に、口端を上げて説明を始めた。
「そうですね……。ミツキさんが『飛ばされて来た』時代と、私達が賢者の森でミツキさんと出会った時代の間には実に3500年程の開きがあります。……その時間の差が、ルエルフ村と関係してるんです」
「村と?」
エシャーの関心も高まる。
「ええ……ミツキさんは最初に飛ばされた時代にルエルフ……正確には人間とエルフの夫婦に助けられ、共に活動をされていたそうです。エルフや人間によって 虐げられている彼らを何とか自由にしたい、解放したいと願い戦っていたそうです。しかし、アツキくんと同じく彼も元々普通の人間……戦闘経験も訓練も受けていない少年に過ぎなかったわけです」
そりゃそうだ。三月は俺たちの中でも一番性格も 穏やかだったし……人と競い合ったりするのも苦手だった。……小さな時から習ってたフルートは吹奏楽部でも 重宝されてたけど、音楽を楽しめないからって個人のコンクールにさえ出なかった奴だ。……それなのに……「ルエルフ」の自由と権利を守るために戦ってたなんて……
「彼はこちらに来て10数年後、 不治の死の病に冒されました。ルエルフ達は彼をなんとか助けようと、自分達が持ち得る知恵・知識・財産を集めました。その中に……」
篤樹に視線を向けると、エルグレドは自分の腰に 括っている小袋に手を入れ何かを取り出した。
「ルエルフ達が集めた宝の中に『これ』が入っていたそうです」
エルグレドは自分の手をテーブルの上に 載せ、ゆっくり指を開き「それ」が皆に見えるように示した。
「あっ!」
篤樹は思わず声を上げ、自分の胸に手を当てる。
「まあっ!」
「それって……」
「あ! 渡橋の証し《あかし》だ!」
エルグレドの手の中に 納まっていたのは、篤樹が「渡橋の証し」として身に付けている「学生服のボタン」だった。篤樹は自分が首から下げているボタンを急いで取り出し確かめる。
「アツキくんの『モノ』では無いですよ……これは私がミツキさんから 託されたものです」
篤樹は椅子から立ち上がりエルグレドの近くに寄ると、自分の首から外した「渡橋の証し」をエルグレドの手の横に並べ置いた。
「……古び方は違うけど……確かに……アッキーのと一緒だなぁ……」
スレヤーも覗き込みながら呟いく。
「ええ。同じものです……ミツキさんもこの『ボタン』を見た時、死の病も忘れるくらいに驚いたそうですよ。ルエルフ達はただの珍しい 装飾品位にしか考えていなかったそうですが……。そして、これを手にした瞬間……ミツキさんは不思議な体験をしたそうです」
「不思議な……体験……ですか?」
篤樹は「渡橋の証し」を再び自分の首にかけ戻しながら尋ねた。
「ええ……それはまるで……ケパさんの 残思伝心のようなものだったみたいです。いや……それよりももっと強力だったのでしょう。ミツキさんの頭の中に様々な『情報』が次々に溢《あふ》れ、流れ込んで来たそうです。その時に……彼は英知を究めた『大賢者』になりました」
「 へ? 三月が……大賢者に……」
篤樹の呟きにエルグレドが頷く。
「このボタン……もってみますか? アツキくん」
「え?」
エルグレドが差し出す学生服のボタンを篤樹は改めて見た。かなり古ぼけてはいるが……普通の学ランボタンだ。
……でも……三月はこれで「大賢者」に……?
「アッキー、やってみてー!」
躊躇している篤樹の姿を見かね、エシャーが声をかける。レイラも楽しそうに笑みを浮かべ、篤樹に勧めた。
「面白そうね。やって御覧なさいよ」
「おう! アッキー。これでお前も法術士になれるかもだぜぇ!」
スレヤーも興味深々で見ている。
そうか……もしかするとこのボタンにも先生が何かの魔法を仕掛けてるのかも……よし!
篤樹は意を決し、テーブルの上にゆっくりと手の平を広げ置いた。エルグレドは楽しそうに微笑み、手にした「三月のボタン」を近付ける。
「では……どうぞ……」
篤樹の手の平の上でエルグレドはクルリと手の平を裏返し、ボタンを落とした。全員の視線が、篤樹の手に落ちた「三月のボタン」に向けられる。
「あ……えっと……」
受け取ったボタンをしばらく見つめた後、篤樹はエルグレドに目線を向け心配そうに口を開く。
「あの……これ……」
「どう? アッキー。賢者になった?」
エシャーが声をかける。レイラもスレヤーも篤樹の感想を期待の眼差しで待つ。しかし、エルグレドは納得したように微笑み頷くだけだった。
「やはり、何とも無いですか……」
そう言うと、エルグレドはソッと手を伸ばし篤樹の手からボタンをつまみ取る。
「……実は、何回か試してみたんですよ。眠っているアツキくんの手に 載せて」
「……え? えーっ!」
篤樹の驚く声に、エルグレドは 悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「すみません。どうしても 好奇心に打ち勝てず……そうですか……就寝時の無意識下で 握ってダメなら、意識をもって握れば何かが起きるかも……と少しは期待してたんですが……ダメでしたか」
「 酷いわねぇ……エル。眠ってるアッキーにそんな悪戯してただなんて……」
レイラが 呆れたように呟く。
「すみません……ずっと気になってたもので。でもこれでハッキリしました! このボタンに込められていた『モノ』は、チガセなら誰にでも伝わるというわけではなく、やはりミツキさんにだけ特別に意味のある『モノ』だったようですね」
エルグレドはそう言いながら、三月のボタンを小袋に戻した。
「あ……そのボタン……三月は……」
篤樹は「今後エルグレドと一緒に寝る時は気を付けよう!」と思いつつ、三月のボタンが何故いまエルグレドの手に在るのかが気になった。
「このボタンについては……また後ほど。……とにかく、ミツキさんはこのボタンを手にした時に『大賢者』となりました。つまり……様々な情報をこの『ボタン』から受け取り、自らの力に変えた『大法術士』になられたという事です。ただ……」
エルグレドは篤樹が再び席に座るのを確認し、話しを続ける。
「彼の『生きる時間』はあまり残されていませんでした。ですから彼は、大賢者・大法術士となったにもかかわらず、この世界でその力を発揮する事は出来なかったのです」
そうか……三月は『死の病』とやらに冒されてしまったから……
「そこで彼は与えられた『力』を元に、何か出来ないかと考えたそうです。ルエルフ達が幸せに暮らせる世界を築けないものかと……」
「ルエルフ達の……ために?」
エシャーの言葉にエルグレドは頷く。
「ええ。どのような原理かまでは私が聞いても理解できませんでしたが……彼はエルフの寿命と人間の寿命の差……生命力の差に注目したそうです。そしてエルフの生命力を基にして『時間を制御する方法』を思いつきました。単純に、エルフの1000年の寿命から900年をもらい、その時間をエネルギーとして外界から 隔絶された別の世界……ルエルフだけの村を 創れば……人間の寿命100年と同じ寿命となったエルフは、人間と共に同じ時を過ごせるのではないか、と。人間とエルフの間に生まれる子どもらは人間寿命ですし、そうなれば家族全員が同じ人間寿命を過ごせるのではないかと考えたのです」
「え? それじゃ……ルエルフ村は先生……湖神様ではなく、三月が創ったってこと……」
篤樹の質問にエルグレドは首を横に振った。
「そうではありませんでした。ミツキさんは原理と理論には確信があったそうですが……なかなか実現することが出来ませんでした。何せルエルフの……正確には人間と夫婦となって生きるエルフの『生命力』を材料にするという、とんでもない発想ですからね。術を試みる事さえ決断出来ず、悩んだそうです。死期も迫っている事を感じながら……それでも実行出来ずにいた……」
あの三月のことだ……誰かが幸せになるからといって、他の誰かにその代償を負わせるなんて「魔法」をやるのを 躊躇ったんだろうな……
「でも……ある時……ついにミツキさんは、その計画を共に戦うルエルフ達に相談したそうです。反応は……良くなかったそうです。失敗したらどうなってしまうのか、本当にそんな事が出来るのか、とね。でも……協力者達が現れました」
「協力者?」
レイラが尋ねる。
「はい。長引く迫害の中で、人間である夫や妻と死別したエルフ達が……自分達の子ども達のために少しでも迫害の無い世界をと……同じような悲しみの 連鎖が起こらないためにと……自分達の生命力……寿命を使って欲しいとミツキさんに願い出たんです。何より、彼らはミツキさんの死の病にも……何らかの好転が起こるのではないかと期待し、その身を差し出しました。そして……ついに彼は術の決行を決断しました」
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