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第3章 エルグレドの旅 編
第 131 話 2人の旅
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エグザルレイは規則的な呼吸を静かに続けている。頭部と胸部には法術薬を練り込んだ包帯が巻かれていた。
「そのエルフ兵士の助言が……たまたま 的を射たものだった……という事かのぉ……」
メノウはフィルフェリーから聞いた森の中での応急処置を聞き、首を傾げる。
「……作り話だと思っとったが……ホントにあるんじゃなぁ……」
「誰にでも……効くわけでは無いってことでしょ?」
ミルカが確認するようにメノウに 尋ねた。
「……同じ種族でも『血』を飲ませて命を分け合える事など有り得ん。ましてや種族の違う者同士なら……その血はむしろ毒にだって成り得る。実際に試した馬鹿者が過去にもおるが……何も起こらんかったか……死ぬかのどちらかじゃった。それが……まさか……なぁ」
メノウはエグザルレイに 治癒魔法を続けるフィルフェリーに目を向ける。
「『ルエルフの 邪法』か……ワシに言わせりゃ『愛の奇跡』だと思うがのぉ」
嬉しそうに 微笑むメノウの視線を感じたフィルフェリーは、エグザルレイが確実に一命を取りとめたという現実に少し余裕を持ち、笑みを浮かべ応じた。
「ごめんなさいね……メノウ婆……えっと……メノウさん。父が亡くなる以前の記憶は……本当に 曖昧になってて……」
「いやいや……構わんって。60年も前の事……あんたは変わっとらんが、ワシは見た通りの婆さんにもなっとるからのぉ……さて……」
メノウは真剣な表情に戻す。
「フィリー……エルは何とか死なずには済んどる。でもなぁ……ワシの 診立てじゃ……怒らんでくれよ?……エルはもう……死ぬまでこのままの姿じゃろう……」
「どういう事? 婆さん」
ミルカが聞き返す。フィルフェリーもグッと歯を食いしばったままメノウに目を向ける。
「……本当なら……ここに来るまでの間にエルは死んどったはずじゃ。……それを……エルフの血……フィリーの血を『分けられた命』として取り込んだおかげで、何とか死なずには済んだ……ただそれだけのこと」
メノウはフィルフェリーとミルカの視線を 避けるように、エグザルレイに視線を落とす。
「命は助かった……だが……死ぬまでこのまま……という診立てじゃ」
「そん……な……」
ミルカは自分の口に手を当て言葉を失い、みるみる内に目に涙が 溜まり 零れ落ちた。フィルフェリーはジッとメノウを見つめ尋ねる。
「……メノウさん……『信じられない作り話』でも『噂話』でも何でもいいわ。……何か……方法はないですか? エルが……目覚めるための……」
メノウは首を横に振りながら応えた。
「この状態で……ワシらに出来る事は……もう何も無い……」
フィルフェリーは視線をエグザルレイに向ける。
なんて……気持ち良さそうに眠ってるの……エル……
フィルフェリーの口元に優しい微笑が浮かぶ。ミルカはそんな彼女の思いに 応えられない弟の姿に、さらに悲しみを覚え口を開く。
「ねぇ! メノウ婆さん!……お願い……何か方法を思い出して……色んな事を知ってるじゃない? ね?」
メノウは困ったように目を閉じ何かを言おうとしたが、また首を振って黙ってしまった。しかしその 仕草をミルカは見逃さない。
「……何かあるんでしょ? 方法が。ねぇ! 話して!」
「前に……」
意を決したようにメノウの口が開いた。フィルフェリーとミルカの目がメノウに注がれる。
「前に……話したことが無かったかのぉ……アルビ大陸に住むという伝説の 賢者……ユーゴをも超える魔法術士の話を……」
「アルビ大陸の……」
「ユーゴを越える……魔法術士?」
メノウの口から思いもよらぬ地名と人物が飛び出したことに、2人は驚いて聞き返した。メノウは続ける。
「……このエグラシス大陸より大海を 隔てた西方の大陸アルビ……そこに住むと言われる伝説の賢者様は、魔法院の創設者ユーゴをも超える大魔法術士だという。人間でありながら……数百年以上……いや……神話の時代から生きているという話さえある方じゃ。……ワシらに出来る事は何も無いが……その方ならあるいは……」
3人はしばらく沈黙した。それぞれに思いを巡らせるが、最初に口を開いたのはミルカだった。
「…… 南端の……ゲショルの岬傍に、 獣人属の集落があるわ。彼らは海で漁も行うし……アルビに 漂流して戻って来た人もいたって聞いたわ」
「今は……ゲショル付近にも……エグデンの包囲軍がいるはずです」
フィルフェリーが呟く。しかし、その声は 落胆や諦めの声ではなく、作戦を考える戦士達のトーンだった。
「……戦士達はみな前線に出ておる。 護衛は付かず、男手もない。そもそも……アルビの賢者など……チガセ以上に 眉唾モノの噂話ぞ……」
メノウは 諭すように語ったが、フィルフェリーはもう心を固めている。
「……旅の準備の間……数日はここに泊まってね……フィリー」
ミルカも思いを固めていた。メノウは自分の発言が思わぬ無責任な希望を抱かせてしまったのではないかと 狼狽しながら、2人に声をかける。
「……何の確証もない噂話をしてしもうた……赦してくれ……何があろうと……」
「メノウさんの責任は何もありません。ありがとうございました」
フィルフェリーは笑顔で答えた。ここでこのままエルが 衰弱し、やがて死んでいくまでの時を共に過ごす事も道かも知れない。エグデンの作戦でグラディーが封じ込められるか、それとも戦争が長引く中で命を落とす日が来るのかも知れない。
でも……同じ「時を共に過ごす」のなら……目的をもった旅を2人で歩みたい……
「フィリー……」
ミルカが声をかける。
「……はい」
「エルを……よろしくね。目覚めたら伝えて……あんたが弟で本当に嬉しかった……って」
フィルフェリーはしっかりとミルカの目を見つめて 頷いた。
一週間後、状態が安定したエグザルレイを 搬送用の小型荷車に固定し、フィルフェリーはミルカの家から旅立っていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「お嬢さん……着いたで。あれがアルビだ……間違いない」
帆船を操る狼獣人属の船長がフィルフェリーに声をかけて来た。 甲板上では20人ほどの狼獣人属達がそれぞれに 操船の務めに駆け回っている。
「あれが……アルビ大陸……」
「本当に 辿り着けるなんてなぁ……」
船長の目にも涙が浮かぶ。
―・―・―・―・―・―
ゲショル岬近くの獣人属グラディー戦士達の集落に辿り着くまで、一週間近くがかかった。
エグザルレイは意識の戻らぬまま、食べ物も飲み物も口から受け付けられない状態が続く。フィルフェリーはメノウ婆さんから教わった「血分けの 管」をエグザルレイの腕に 挿しつなぎ、毎日2回、自分の腕から血を分け与え続けていた。
獣人属グラディー戦士達は初め、航路も分からないアルビ大陸に向けて船を出す事は無理だと断った。自分達の持つ船の大きさや強度を考えても、到底渡り切れる海ではないと長年の経験から理解していたし、何より、岬の沖にエグデン王国軍の大型の船を 度々見かけるようになっていたため、この戦時下に海に出る事自体が不可能だと判断していた。
しかし、フィルフェリーの献身的な 看護の姿と、諦めることなくアルビ渡航を願う訴えに、獣人属グラディー戦士達の心は動かされた。
ある朝、フィルフェリーは獣人属グラディー戦士達の歓声で目覚めた。2人が間借りしていた小屋の戸が開き、舌を出して息を整えながら1人の戦士が飛び込んで来た。
「お嬢ちゃん。 旦那を船に乗せな!……ちょっと準備を済ませたらすぐに出航だ!」
浜辺でフィルフェリーが見たものは、村の漁舟の数倍もある大きさの帆船……エグデン軍の船と、物資の入れ換えを行うために往復している小舟数艘……そして、浜辺に並べられている30人以上の死体……。村の戦士達だけでなくエグデン兵の死体も 丁寧に並べられていた。
フィルフェリーはその光景を 目の当たりにした時……この 惨状の原因が自分の願いのためであるのだと理解し、すぐに村長に謝罪した。
「顔をお上げお嬢ちゃん。気に病むな。ワシらはグラディーの戦士じゃ! 前線へはわずかしか送り出せぬが、この割り当て地を守る事がワシらの務め。遅かれ早かれ沖のエグデン船は沈めるつもりじゃった。でも、ただ沈めるのも 勿体無いしのぉ……」
そう言うとフィルフェリーの肩をポンポンと叩く。
「たまたま……時の巡り合せが良かっただけの事。もう一度言う。気に病みなさんな」
「でも……」
フィルフェリーは尚も 厚意の裏に積まれた多くの犠牲を思うと言葉が出ない。
「さて……おい! 小僧っ!」
村長は積荷の入れ換えを指示している狼獣人戦士に向かい声を掛けた。戦士は頭をぼりぼりとかきながら近寄って来る。
「……んだよ、じっちゃん。いい加減にその呼び方はやめろよなぁ……」
「うるさい! 爺ィにとって孫は死ぬまで『小僧』のままじゃ……それで? 荷は積んだのか?」
小僧呼ばわりされた戦士は舌打ちをしながらも応じる。
「エグデンの連中の荷の中に、食糧は充分あったからなぁ。水を少し多めに積み足して……もうすぐにでも出せるぜ」
「……ということじゃ、お嬢ちゃん。 鹵獲船の試し航行ってことで、コイツラはアルビ大陸へ行くそうじゃが……乗って行かれるかな?」
村長は微笑みながらフィルフェリーに問いかける。フィルフェリーは両手で顔を 覆って涙を流し、何度も何度も頷いた。
―・―・―・―・―・―
「ほんと、エグデンの連中……良い船を作ってやがるぜ……」
獣人属村の村長から「小僧」と呼ばれていた戦士は、船体の手すりをポンポンと叩きながらそう言うと、フィルフェリーに顔を向けた。
「……本当に……行くんだな?」
「ええ……」
フィルフェリーは、段々と近付いて来るアルビ大陸の島影をジッと見据えながら答える。
「あの大陸にゃ……人属は住んじゃいねぇって話だ。それどころか、何が住んでるのかさえ分かって無ぇところだ……それでも……あんな状態の旦那を連れて?」
獣人属戦士は船室に目を向けた。エグザルレイの意識はずっと変わらずのままだ。フィルフェリーからの「血分け」で 辛うじて最低限の栄養を補給しているだけの肉体はかなり 痩せ細っている。
「……たとえ……アルビの土となり木となろうとも……共に同じ時を……共に生きる者として……」
フィルフェリーの 穏やかで固い決意の言葉に、戦士はそれ以上の口出しはしなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
人の手によって切り 拓かれる事無く、太古の時代から自然のままに時が重ねられてきたアルビ大陸を、フィルフェリーはすっかり身が細って軽くなってしまったエグザルレイを抱えたまま 幾日も飛び、幾日も休んだ。
森の木々達も初めはこの「侵入者」に対して心を開く事が無かったが、いつの頃からか2人を支えるように実りを与え、雨風から守り、サーガや野獣を遠ざけてくれるようになっていた。
しかし森の木々達からも「アルビの賢者」に関する情報は全く得られないまま、何十日もが過ぎていった―――
「エル……今夜はここで休みましょう……」
アルビ大陸内陸に位置する小高い丘の森の中、フィルフェリーは 手馴れた動作でエグザルレイを横たえ「血分けの管」を準備すると、自分の腕に管をつなげて血分けを始めた。そのままエグザルレイの身を横にし寄り添う。
いつもと変わらない規則的な呼吸の音……心臓の 鼓動はとても穏やかだ……あなたの話し方そっくりね……あなたの声を……あなたの思いを……その唇から……また聞きたいなぁ……
フィルフェリーは静かに目を閉じた。人族とは比べられないほどの治癒力・回復力・生命力に満ちたエルフ族……しかし、日に2度の「血分け」を何十日もの間続けて来たフィルフェリーは、自分の身体が異常に弱って来ている事を感じていた。
私達の旅は……今夜終わるのかもね……明日かも知れない……でも……いつまでも……共に……
フィルフェリーはそのまま意識を失うように眠りに落ちていく。
「……あなた達……だぁれ?」
眠りの 淵に落ちかかったフィルフェリーを引き上げたのは、幼い少女の声だった。
「そのエルフ兵士の助言が……たまたま 的を射たものだった……という事かのぉ……」
メノウはフィルフェリーから聞いた森の中での応急処置を聞き、首を傾げる。
「……作り話だと思っとったが……ホントにあるんじゃなぁ……」
「誰にでも……効くわけでは無いってことでしょ?」
ミルカが確認するようにメノウに 尋ねた。
「……同じ種族でも『血』を飲ませて命を分け合える事など有り得ん。ましてや種族の違う者同士なら……その血はむしろ毒にだって成り得る。実際に試した馬鹿者が過去にもおるが……何も起こらんかったか……死ぬかのどちらかじゃった。それが……まさか……なぁ」
メノウはエグザルレイに 治癒魔法を続けるフィルフェリーに目を向ける。
「『ルエルフの 邪法』か……ワシに言わせりゃ『愛の奇跡』だと思うがのぉ」
嬉しそうに 微笑むメノウの視線を感じたフィルフェリーは、エグザルレイが確実に一命を取りとめたという現実に少し余裕を持ち、笑みを浮かべ応じた。
「ごめんなさいね……メノウ婆……えっと……メノウさん。父が亡くなる以前の記憶は……本当に 曖昧になってて……」
「いやいや……構わんって。60年も前の事……あんたは変わっとらんが、ワシは見た通りの婆さんにもなっとるからのぉ……さて……」
メノウは真剣な表情に戻す。
「フィリー……エルは何とか死なずには済んどる。でもなぁ……ワシの 診立てじゃ……怒らんでくれよ?……エルはもう……死ぬまでこのままの姿じゃろう……」
「どういう事? 婆さん」
ミルカが聞き返す。フィルフェリーもグッと歯を食いしばったままメノウに目を向ける。
「……本当なら……ここに来るまでの間にエルは死んどったはずじゃ。……それを……エルフの血……フィリーの血を『分けられた命』として取り込んだおかげで、何とか死なずには済んだ……ただそれだけのこと」
メノウはフィルフェリーとミルカの視線を 避けるように、エグザルレイに視線を落とす。
「命は助かった……だが……死ぬまでこのまま……という診立てじゃ」
「そん……な……」
ミルカは自分の口に手を当て言葉を失い、みるみる内に目に涙が 溜まり 零れ落ちた。フィルフェリーはジッとメノウを見つめ尋ねる。
「……メノウさん……『信じられない作り話』でも『噂話』でも何でもいいわ。……何か……方法はないですか? エルが……目覚めるための……」
メノウは首を横に振りながら応えた。
「この状態で……ワシらに出来る事は……もう何も無い……」
フィルフェリーは視線をエグザルレイに向ける。
なんて……気持ち良さそうに眠ってるの……エル……
フィルフェリーの口元に優しい微笑が浮かぶ。ミルカはそんな彼女の思いに 応えられない弟の姿に、さらに悲しみを覚え口を開く。
「ねぇ! メノウ婆さん!……お願い……何か方法を思い出して……色んな事を知ってるじゃない? ね?」
メノウは困ったように目を閉じ何かを言おうとしたが、また首を振って黙ってしまった。しかしその 仕草をミルカは見逃さない。
「……何かあるんでしょ? 方法が。ねぇ! 話して!」
「前に……」
意を決したようにメノウの口が開いた。フィルフェリーとミルカの目がメノウに注がれる。
「前に……話したことが無かったかのぉ……アルビ大陸に住むという伝説の 賢者……ユーゴをも超える魔法術士の話を……」
「アルビ大陸の……」
「ユーゴを越える……魔法術士?」
メノウの口から思いもよらぬ地名と人物が飛び出したことに、2人は驚いて聞き返した。メノウは続ける。
「……このエグラシス大陸より大海を 隔てた西方の大陸アルビ……そこに住むと言われる伝説の賢者様は、魔法院の創設者ユーゴをも超える大魔法術士だという。人間でありながら……数百年以上……いや……神話の時代から生きているという話さえある方じゃ。……ワシらに出来る事は何も無いが……その方ならあるいは……」
3人はしばらく沈黙した。それぞれに思いを巡らせるが、最初に口を開いたのはミルカだった。
「…… 南端の……ゲショルの岬傍に、 獣人属の集落があるわ。彼らは海で漁も行うし……アルビに 漂流して戻って来た人もいたって聞いたわ」
「今は……ゲショル付近にも……エグデンの包囲軍がいるはずです」
フィルフェリーが呟く。しかし、その声は 落胆や諦めの声ではなく、作戦を考える戦士達のトーンだった。
「……戦士達はみな前線に出ておる。 護衛は付かず、男手もない。そもそも……アルビの賢者など……チガセ以上に 眉唾モノの噂話ぞ……」
メノウは 諭すように語ったが、フィルフェリーはもう心を固めている。
「……旅の準備の間……数日はここに泊まってね……フィリー」
ミルカも思いを固めていた。メノウは自分の発言が思わぬ無責任な希望を抱かせてしまったのではないかと 狼狽しながら、2人に声をかける。
「……何の確証もない噂話をしてしもうた……赦してくれ……何があろうと……」
「メノウさんの責任は何もありません。ありがとうございました」
フィルフェリーは笑顔で答えた。ここでこのままエルが 衰弱し、やがて死んでいくまでの時を共に過ごす事も道かも知れない。エグデンの作戦でグラディーが封じ込められるか、それとも戦争が長引く中で命を落とす日が来るのかも知れない。
でも……同じ「時を共に過ごす」のなら……目的をもった旅を2人で歩みたい……
「フィリー……」
ミルカが声をかける。
「……はい」
「エルを……よろしくね。目覚めたら伝えて……あんたが弟で本当に嬉しかった……って」
フィルフェリーはしっかりとミルカの目を見つめて 頷いた。
一週間後、状態が安定したエグザルレイを 搬送用の小型荷車に固定し、フィルフェリーはミルカの家から旅立っていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「お嬢さん……着いたで。あれがアルビだ……間違いない」
帆船を操る狼獣人属の船長がフィルフェリーに声をかけて来た。 甲板上では20人ほどの狼獣人属達がそれぞれに 操船の務めに駆け回っている。
「あれが……アルビ大陸……」
「本当に 辿り着けるなんてなぁ……」
船長の目にも涙が浮かぶ。
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ゲショル岬近くの獣人属グラディー戦士達の集落に辿り着くまで、一週間近くがかかった。
エグザルレイは意識の戻らぬまま、食べ物も飲み物も口から受け付けられない状態が続く。フィルフェリーはメノウ婆さんから教わった「血分けの 管」をエグザルレイの腕に 挿しつなぎ、毎日2回、自分の腕から血を分け与え続けていた。
獣人属グラディー戦士達は初め、航路も分からないアルビ大陸に向けて船を出す事は無理だと断った。自分達の持つ船の大きさや強度を考えても、到底渡り切れる海ではないと長年の経験から理解していたし、何より、岬の沖にエグデン王国軍の大型の船を 度々見かけるようになっていたため、この戦時下に海に出る事自体が不可能だと判断していた。
しかし、フィルフェリーの献身的な 看護の姿と、諦めることなくアルビ渡航を願う訴えに、獣人属グラディー戦士達の心は動かされた。
ある朝、フィルフェリーは獣人属グラディー戦士達の歓声で目覚めた。2人が間借りしていた小屋の戸が開き、舌を出して息を整えながら1人の戦士が飛び込んで来た。
「お嬢ちゃん。 旦那を船に乗せな!……ちょっと準備を済ませたらすぐに出航だ!」
浜辺でフィルフェリーが見たものは、村の漁舟の数倍もある大きさの帆船……エグデン軍の船と、物資の入れ換えを行うために往復している小舟数艘……そして、浜辺に並べられている30人以上の死体……。村の戦士達だけでなくエグデン兵の死体も 丁寧に並べられていた。
フィルフェリーはその光景を 目の当たりにした時……この 惨状の原因が自分の願いのためであるのだと理解し、すぐに村長に謝罪した。
「顔をお上げお嬢ちゃん。気に病むな。ワシらはグラディーの戦士じゃ! 前線へはわずかしか送り出せぬが、この割り当て地を守る事がワシらの務め。遅かれ早かれ沖のエグデン船は沈めるつもりじゃった。でも、ただ沈めるのも 勿体無いしのぉ……」
そう言うとフィルフェリーの肩をポンポンと叩く。
「たまたま……時の巡り合せが良かっただけの事。もう一度言う。気に病みなさんな」
「でも……」
フィルフェリーは尚も 厚意の裏に積まれた多くの犠牲を思うと言葉が出ない。
「さて……おい! 小僧っ!」
村長は積荷の入れ換えを指示している狼獣人戦士に向かい声を掛けた。戦士は頭をぼりぼりとかきながら近寄って来る。
「……んだよ、じっちゃん。いい加減にその呼び方はやめろよなぁ……」
「うるさい! 爺ィにとって孫は死ぬまで『小僧』のままじゃ……それで? 荷は積んだのか?」
小僧呼ばわりされた戦士は舌打ちをしながらも応じる。
「エグデンの連中の荷の中に、食糧は充分あったからなぁ。水を少し多めに積み足して……もうすぐにでも出せるぜ」
「……ということじゃ、お嬢ちゃん。 鹵獲船の試し航行ってことで、コイツラはアルビ大陸へ行くそうじゃが……乗って行かれるかな?」
村長は微笑みながらフィルフェリーに問いかける。フィルフェリーは両手で顔を 覆って涙を流し、何度も何度も頷いた。
―・―・―・―・―・―
「ほんと、エグデンの連中……良い船を作ってやがるぜ……」
獣人属村の村長から「小僧」と呼ばれていた戦士は、船体の手すりをポンポンと叩きながらそう言うと、フィルフェリーに顔を向けた。
「……本当に……行くんだな?」
「ええ……」
フィルフェリーは、段々と近付いて来るアルビ大陸の島影をジッと見据えながら答える。
「あの大陸にゃ……人属は住んじゃいねぇって話だ。それどころか、何が住んでるのかさえ分かって無ぇところだ……それでも……あんな状態の旦那を連れて?」
獣人属戦士は船室に目を向けた。エグザルレイの意識はずっと変わらずのままだ。フィルフェリーからの「血分け」で 辛うじて最低限の栄養を補給しているだけの肉体はかなり 痩せ細っている。
「……たとえ……アルビの土となり木となろうとも……共に同じ時を……共に生きる者として……」
フィルフェリーの 穏やかで固い決意の言葉に、戦士はそれ以上の口出しはしなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
人の手によって切り 拓かれる事無く、太古の時代から自然のままに時が重ねられてきたアルビ大陸を、フィルフェリーはすっかり身が細って軽くなってしまったエグザルレイを抱えたまま 幾日も飛び、幾日も休んだ。
森の木々達も初めはこの「侵入者」に対して心を開く事が無かったが、いつの頃からか2人を支えるように実りを与え、雨風から守り、サーガや野獣を遠ざけてくれるようになっていた。
しかし森の木々達からも「アルビの賢者」に関する情報は全く得られないまま、何十日もが過ぎていった―――
「エル……今夜はここで休みましょう……」
アルビ大陸内陸に位置する小高い丘の森の中、フィルフェリーは 手馴れた動作でエグザルレイを横たえ「血分けの管」を準備すると、自分の腕に管をつなげて血分けを始めた。そのままエグザルレイの身を横にし寄り添う。
いつもと変わらない規則的な呼吸の音……心臓の 鼓動はとても穏やかだ……あなたの話し方そっくりね……あなたの声を……あなたの思いを……その唇から……また聞きたいなぁ……
フィルフェリーは静かに目を閉じた。人族とは比べられないほどの治癒力・回復力・生命力に満ちたエルフ族……しかし、日に2度の「血分け」を何十日もの間続けて来たフィルフェリーは、自分の身体が異常に弱って来ている事を感じていた。
私達の旅は……今夜終わるのかもね……明日かも知れない……でも……いつまでも……共に……
フィルフェリーはそのまま意識を失うように眠りに落ちていく。
「……あなた達……だぁれ?」
眠りの 淵に落ちかかったフィルフェリーを引き上げたのは、幼い少女の声だった。
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