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第2章 ミシュバットの妖精王 編

第 96 話 崩壊

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 ドォーン!

 頭上で、巨大な石が激しくぶつかるような音が聞こえ、衝撃に揺れる。妖精達と篤樹、遥は思わず頭に両手を乗せしゃがみ込んだ。石造りの天井が落ちてきたら、重ねた手の平なんかでは到底防げやしないと分かっていながらも、つい、とっさにそんな体勢をとってしまうのは本能かも知れない。
 天井からパラパラと落ちる小石と砂埃が収まると、篤樹は遥の手を取って立ち上がった。

「今のは……?」

「分からん……上で何か起こっとるみたいやな……」

「ハルさん……急ぎましょう……」

 モンマが壁を指さして提案する。篤樹と遥はその指し示す壁を見た。今の衝撃でヒビ割れが出来た壁石がいくつも有るのが分かる。衝撃は収まっているのに、その割れ目の石粒がポロポロと転がり落ちていた。

「……この天井の重みに耐え切れなくて……潰れそうなんだ……遥! 出口は?」

 篤樹は遥に情報を促す。

「ハルさん! どっちから出ます?」

 先に進み始めた妖精も声をかけてきた。

「裏からにしよ! 表は今のでダメになっとるかも知れん!」

 向かうべき道が定まった事で、先頭の妖精は駆け足になった。一団はその足について駆け出す。

 ……くそっ! コンパスはこっちの方が長いのに……なんて速さだよ!

 篤樹は先頭集団にやっとの思いでついて走りながら、妖精達の足の速さに驚いていた。

「この身体ならウチ、賀川にも100で勝てる自信あるぞ」

 必死に走る篤樹の横を、まるで軽く流しているような涼しい顔で並走する遥が声をかける。

 そんなの……ドーピング以上の反則だよ!

 言い返してやりたい気持ちをグッと堪え、篤樹は前方の妖精達の背中を追う。

 ガゴン……

 背後で何かが砕けるような音が響いた。

「急いでー!」

 その声に振り返る余裕も無い。後方集団から発せられる悲鳴のような妖精たちの叫び声が響く。

 ガン……ゴン! ゴゴゴ……

 地響きのような音が後ろから迫ってくる。通路全体が小刻みに揺れ、着地するたびに足の裏にわずかな高低差を篤樹は感じていた。

 クソッ! 走りづらい……

 篤樹は急ぎたい気持ち以上に、転んでしまう危険性を感じ速度を上げ切れない。

「キャッ!」

 先頭集団で走っていた女児妖精が転倒した。全速力で走る他の子たちはその子を踏みつけないように飛び越えて先へ行く。篤樹はさらに速度を落とし、倒れている妖精に手を差し伸べた。

「先に行って!」

 並走していた遥と追い抜いて行く後続集団の妖精たちに篤樹は声をかけた。倒れている妖精は立ち上がろうとしたがガクンと膝をつく。足を捻ってしまったようだ。背後からの崩落の音は砂埃と共に、もう、すぐ後ろまで迫って来ている。篤樹はその女児妖精をかばうようにしゃがみ、覆うように抱きしめた。

「ハルさん! 無理や! 走ってぇー」

 篤樹達の様子を確認しようと、速度を緩め振り返った遥の横を、後続から来た女児妖精が叫びながら追い抜いていく。

「賀川ーっ!」

 完全に立ち止まった遥の目の前に、土煙がぶつかって来た。巻き上げられた小石が風圧で飛ばされて来る。通路の天井崩落は遥の手前5mほどの所で収まっていた。

「賀……川……」

 遥は力なく呟くと、通路に積み重なった瓦礫に向かいゆっくりと近寄って行った。


◇  ◇  ◇  ◇  ◇


「今の音は!?」

 エシャーがレイラの腕にギュッとしがみ付いて訊ねる。

「危ねぇっ!」

 後ろにいたスレヤーが、レイラとエシャーを抱きかかえて数メートル前方へ走り抜けた。直後、今まで3人がいた路上に、左側に建っていた建物が崩れ落ちて来る。振動が連動し周囲の廃墟群のいくつかの建物が崩壊していく。
 数分間続いた廃墟群の連鎖崩壊により、周囲は薄茶色の分厚い砂埃に包まれた。崩落の振動が収まると、スレヤーは周囲の様子を確認しながらゆっくり身を起こす。スレヤーの大きな外套に包み抱かれていたレイラとエシャーも顔を出した。

「……誰かが……大暴れしちゃったようね。遺跡内はお静かにって、習っていないのかしら?」

 レイラは自分の外套の袖で口を覆いながら周囲の惨状に呆れ声を出す。

「……一応……終わったかな?」

 スレヤーは周囲を見渡し、連鎖崩壊の音が止まったのを確認する。

「あーあ、歩きにくくなっちゃったね……」

 エシャーは進路を塞いだ瓦礫の山を見ながら呟いた。しかし建物が崩れ落ちたおかげで、3ブロックほど先にある廃墟の王宮、市街最深部までを見通せるようになっていることに気付く。

「あ……誰かいるよ!」

 エシャーの声に反応し、レイラとスレヤーも瓦礫越しに見えている王宮跡に目を向けた。

「アツキか……?」

 スレヤーは目に入った人影を見て呟く。

「……違うわね……アッキーじゃないわ。……エルでもない……襲撃犯?」

「……じゃ、あれが……さっきの子たちを生み出した妖精の王様なの?」

 レイラの言葉にエシャーが訊ねる。

 ……あれが? あんなのが……

 エシャーは大きな瞳で、しっかりとその人影を捉えていた。薄黒く生気を失っている肌、死者のように光を失っている目、狂気に満ちた寒気のする微笑……。まるでガザルじゃない!


◇  ◇  ◇  ◇  ◇


「ククク……いつまで隠れてるつもりだイグナ王子?」

 タフカは目の前に積み上がっている石山に向かい声をかけた。

「助けてやろうか?」

 そう言うとタフカは両手を引き、両手の平を開いて勢いよく前方に突き出した。石山が弾け飛ぶ。中から、目に見えない球体に守られ右腕を真っ直ぐ構えているエルグレドの姿が出て来た。即座に青白い攻撃魔法の光がタフカに向かって一直線に放たれる。

「無駄だよ……」

 エルグレドの攻撃はタフカの残影を貫いただけだった。タフカはすでにエルグレドの背後に立っている。その右腕はエルグレドの身体を貫いていた。

「……ほう?」

 しかしエルグレドの身体も、ただの積み上げられた瓦礫に変わる。それを確認したタフカの左顔面に向かい、エルグレドの右拳が突き出された。タフカはその拳を左手で受け止めて握り掴む。

「さすが、文化法暦省……いや、エグラシス最強の法術士なんて呼ばれているだけの事はあるな……」

 エルグレドは握られている右拳越しにタフカを睨みつけながら応じる。

「……タフカ……自分が何をしたのか分かってるのか?……その身体……サーガ化が始まってるんだぞ!」

「知るか!」

 タフカは左手でエルグレドの右拳を掴んだまま、自分の右手を手刀に構えると、今度こそエルグレドの心臓を貫こうと突き出して来た。エルグレドは左手でタフカの右腕の手首を握って止める。

「ダンスでも踊るか? タフカ」

 エルグレドは全力でタフカの攻撃を抑えながらも笑顔で声をかけた。タフカもニヤッと笑う。

「1人で踊れ……」

 そう呟き、手首を握られている右手の手刀の先から緑色の攻撃魔法を った。エルグレドは不意に放たれた超近接攻撃魔法に弾き飛ばされる。
 何とか転倒を踏みとどまったエルグレドは、攻撃を受けた腹部を右手で押さえた。すぐに喉の奥から湧き上がる違和感を覚え、左手で口を押さえようとする。だが、留める事が出来ずに真赤な血が口から「ドバッ!」と吐き出された。

 胃か? 肝臓《かんぞう》か? とにかくマズイ……!

 エルグレドは左腕を真っ直ぐに伸ばして攻撃態勢を維持し、右手に法力を集めて治癒魔法をかける。

「させるかよ……」

 しかしタフカはエルグレドの処置を見逃さず、両手の指先から追撃の攻撃魔法を繰り出してきた。エルグレドは左腕の攻撃態勢を解いてタフカの攻撃からの逃避と防御に切り替え、右手での治療魔法に力を向ける。

 今のタフカに片手で敵うわけが無い……せめて止血だけでも……

「ちょこまかと……いつまで逃げ続ける気だ!」

 タフカは苛立ち声を荒げた。感情が高ぶり、呼吸が荒くなっている。エルグレドはタフカの攻撃を避けながら、その様子を冷静に観察していた。

 まだ完全にサーガ化はしていない……間に合うか……
 
「タフカ……お前は何を求めて『サーガの実』を食べた?」

 エルグレドはタフカからの攻撃を何とか左右にかわしつつ声をかける。

「全人類の抹消! 願うはただそれだけだ!」

 タフカは左右の手から攻撃を発し続けた。

……とりあえず血管は修復出来たか……片手じゃさすがに……

 エルグレドは腹部を押さえていた右手を離すと、しゃがみ込みながら石畳に法力を叩き付ける。石畳がめくれ上がり2mほどの高さの壁が組まれた。

「そんなもので抑えられるか!」

 タフカは両手を合わせると、赤い光の攻撃魔法を繰り出して来る。しかしその攻撃は壁に弾かれた。エルグレドは立ち上った砂埃と、タフカの攻撃が目くらましとなる合間を縫ってタフカの背後にすでに移動していた。
 両手をタフカの脊柱に沿って縦に並べ添えると、一瞬の内に拘束魔法を繰り出す。

 クッ! 少し弱いか……もってくれ……

「随分と……半端な縛りだな……イグナの王子さま……」

「その名で呼ぶなと言ってるだろ?……タフカ……すまない」

 エルグレドの言葉にタフカは舌打ちをする。

「詫びて……済む話じゃあるまい……貴様……ハルミラルを……どこへ……」

「……俺が見つけた時にはもう……ハルミラルは心と意識を奪われていたんだ。残っていたのは……身体だけだった……」

 タフカの右手の指がゆっくりと動いている。

 やはり今の法力量じゃ完全な拘束はできないか……

「身体……だけだと……ふざ……けるな……」

「ハルミラル達はミシュバの研究施設に囚われていたよ。法歴省の特別施設の中に。……心意が残っている妖精の身体は……一体も無かった」

「だ……から……お前は……実験を……」

 エルグレドは自分の法力値が急激に下がっていくのを感じた。しかし拘束魔法を連続で発し続けなければタフカを抑える事は出来ない。

 何か……手はないか……

「同じ施設に実験体でさらわれて来ていた人間がいた。……やつらの研究は……妖精の身体に人間の心意を転送し、妖精の力を自在に操る法術士を作り出すことだと分かった。……しかしそれが上手くいくはずもない。……王である君の『命令』を受けていないのだから……グボッ」

 エルグレドの口から血が溢れ出す。応急処置で済ませていた血管の修復箇所が耐え切れずに再び開いたようだ。しかし、エルグレドは拘束魔法を続ける。

「あの研究では……ハルミラルの身体も……捕えられている人間も……あのままではどちらも助けられないと分かった。しかし、どうしようもない……。彼女の身体だけでも君の元へと思っていた時……捕えられて来た人間の中に『チガセ』がいると分かった……」

「チ……ガセ……だと?……まさ……か……」

「その人間なら……『チガセ』なら、私の『血と力』を用いれば、やつらの考えている心意転移も出来るかも知れない……ハルミラルの身体と、チガセの心意を助けられるかも知れない……そう考えたんだ」

「フ……フフ……言い訳だ……。人間の……欲のために……俺を利用し…… 妖精達こどもたちの血肉を喰らった連中と……変わらない……人間など……」

 チッ! 無理か!

 エルグレドは放出していた拘束魔法を止めると同時に、足に法力を流し込み一気に後方へ飛び退く。タフカはエルグレドが解いた中途半端な拘束魔法を引きちぎるように両手を広げた。

「人間など全て、滅びてしまえー!」

 その声はまるで巨大なドラゴンの咆哮のように広場に響く。タフカの周囲5mほどの石畳が、伝わる振動で弾け飛ぶ。

 ……止められなかった……か……

 タフカの全身から発せられた咆哮の衝撃に吹き飛ばされたエルグレドは、石畳に叩きつけられようとする自分の身を守るために防御魔法を張る力さえ残っていない。……しかし、落下の衝撃を感じる事は無かった。

「よう! 大将。随分とお疲れのようで」

 地面に叩きつけられるよりも前に、エルグレドはスレヤーの腕の中にしっかりと抱き止められる。

「エル! 大丈夫?……あれが……襲撃犯?」

 エシャーがクリングを右手に握った攻撃姿勢のまま声をかけた。

……やっぱり……来ちゃいましたか……

 エルグレドは力なく微笑みながら、状況を伝える。

「彼は……妖精王の……タフカ。襲撃犯です……サーガ化しています……気を……」

「怪我人からの情報はとりあえずそこまでで良くてよ。回復につとめられて」

 微笑を浮かべるレイラの声に、エルグレドは視線を向けた。

「ずいぶん……遅かった……ですね……」

 搾り出すようなその声に、レイラは満足そうに肩眉を上げて応える。

「あら? 待ってた首は長くはなっていないようですわよ?……さ、もう黙って! スレイ、エルをお願い! エシャー!……かなり強いお相手よ!」

 咆哮の後、精神が崩壊したように両腕をダラリと下げて立ち尽くすタフカに向かい、エシャーとレイラは左右に分かれて駆け出した。
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