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第2章 ミシュバットの妖精王 編

第 72 話 勘違い

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「あー、さっぱりしましたわぁ!」

 レイラとエシャーは濡れた長い髪をバスタオルに包みまとめ、村長の家の広間に入って来た。

「村の湯はお肌に合われましたかな、賢者殿」

 村長が「絶対に満足されたでしょ?」と言わんばかりの笑顔で尋ねる。

「すっごく良い温泉だったぁ!」

 エシャーは両手で自分の頬をペタペタと触りながら答える。

「極上の泉質でしたわ。まさかあれほどの湯が湧いてるなんて……ガイドブックにも載っていなかったんですもの。驚きましたわ!」

 レイラはニコニコだ。先に入浴を終えていた男性陣も皆サッパリとした気分で広間にくつろいでいる。

「効能は1000年前から変わらず、傷にも万病にも良いとされています。法術士達の日々の修練を癒すのに欠かせぬ湯ですからねぇ。やたらと村外から浴びに来られても困りますので、村外には黙っておるんです……あ、もちろん御一行方は今後、いつでもお立ち寄り下さい」

「ええ! 是非!……明朝も使わせていただいてもよろしいかしら?」

 レイラの「本気」の要望に村長も嬉しそうに頷く。

「俺も明朝出発前にもう一度入ろうかなぁ? 傷の痛みも身体の疲れも全部吹き飛んだぜ!」

 スレヤーも便乗してくる。

「どうぞどうぞ。お召し物も明朝の湯浴が終わるまでには整えておきますので、存分におくつろぎ下さい」

「いや、ホントに……何から何までお世話になりまして申し訳ございません」

 エルグレドが改まって村長に礼を言う。

「何の何の! この程度のおもてなしでは足りない位の助力をいただきましたのに。おかげさまで村も守られまして、本当に皆様には礼を言っても言い尽くせぬ思いです」

 村長とエルグレドが互いにお礼重ねをしている姿を横目に、レイラとエシャーは広間の壁沿いに置かれている様々な置物を見て回る。

「ふうん……確かに法術士が集まる村だけあって、色々と面白いものがあるわねぇ」

「ねえ、レイラ、これってなんだろう?」

 エシャーが棚で見つけた何かを指差してレイラを呼ぶ。

「何かしら……武器? でもこれじゃあまりダメージは与えられませんわねぇ」

「なんの道具だろう? ねぇアッキー!」

 エシャーはソファーに座ってくつろいでいる篤樹に声をかけた。

「これ、なんだと思う?」

「ああ、そこにある物は大賢者ユーゴにまつわるものですよ。『ユーゴの軌跡』と呼ばれる、大切な村の宝です」

 村長がソファーに腰掛けたまま答える。

「かなり古いものですので、お手は触れないように……」

「え! なんで……」

 エシャーの問いに応じて展示棚へ歩み寄った篤樹は、村長の注意の声を聞き終えることもなく『それ』に手を伸ばしていた。エシャーが指し示した『それ』は……篤樹もよく知っている文房具……シャープペンシルだった!
 かなり古びた状態にはなっているが、篤樹はあまりにも見慣れた文房具を手に取らずにはいられなかった。しかし、思わずペン尻を「カチッ」と押してしまった力で、プラスチックで加工されていた部分がボロッと砕けてしまう。

「あっ!」

 エシャーが声を上げ、篤樹は急いでシャープペンシルを元の場所に戻したが……崩れて「粉」になったプラスチック部分はもうどうしようもない。

「ああ!……なんて事を!」

 村長が椅子から立ち上がり近づいて来る。エルグレドとスレヤーも棚の前に寄って来た。

「アツキ君! 何をやっているんですか!……村長、申し訳御座いません!」

「ああ……ユーゴの軌跡が……」

「おいアッキー! お前ぇもそそっかしいヤツだなぁ」

 にわかに騒がしくなった広間の中で、篤樹はみんなの声を遠くに感じながら棚に戻した大賢者ユーゴの『シャープペンシル』を凝視していた。

「……え……ねぇ! アッキーってば!」

 エシャーに揺さぶられ、篤樹はハッと視線を移す。

「エルグレドさん……これ……僕……知ってます! 持ってました……毎日……使ってました」

「え?」

 村の宝の突然の崩壊に動転し、慌てふためく村長の肩にエルグレドは手を置き、一緒に話を聞くように促す。

「すみません。アツキ君……もう一度、ちゃんと説明してもらえますか?」

「あ……えっと、これ……この『シャーペン』、僕も使ってました。全く同じ物では無いですけど……シャーペンは種類も多いし……え? っていうか、なんでここにシャーペンが? こんなにボロボロの……だけど……これ、僕知ってるんです! みんな使ってたんです!」

「ど、どうしたんですか、彼は?」

 村長は意味が分からない、というふうにエルグレドに尋ねる。エルグレドは篤樹の動揺と説明を聞き終えると、微笑みながら冷静な声で尋ねた。

「アツキ君。これは何に使う道具ですか?」

「え? あ、シャーペンですか?……勉強とか……絵を描いたり字を書いたり……」

「ではこれは筆の一種なのですね?」

「筆? いや、ちょっと違う……いや、そうなの……かなぁ? あ、鉛筆の代わりです!」

「エンピツ? 炭筆のようなものですか?」

 エルグレドは服の中から手帳を取り出し、挟んでいた細い棒を出した。その棒で手帳をなぞると黒い線が描かれる。

「あ……はい、それです! えっと……その『炭』みたいのが細くなってる芯が……あの、あれ見えます? そのペン先の小さな穴から少しずつ出て来るんです……カチカチッ! って後ろを押したら……。あ、本当の名前は『シャープペンシル』です。略して『シャーペン』って呼んでます……みんな」

「ここにある1000年前のユーゴの軌跡が、その『シャーペン』というものであると……彼はそう言ってるんですか? なんですかそれは! だいたい彼はどこの出身ですか?」

 村長は篤樹の名前は先ほど聞いたので知っているが、その素性は全く知らない。興味深く、というよりは不審な眼差しで篤樹を見ながらエルグレドに尋ねた。

「なるほど……ね。それで長老様がアツキ君に会わせろと言われたのかも知れませんね。大賢者ユーゴとアツキ君との間に何らかの関係があるのではないかと……」

「ユーゴ様と……彼が?」

 村長はまだ何の話か腑に落ちないという表情だったが……

「まあ……では、ボチボチ長老の所へ行きましょうか?」

 一同がワラワラと移動の支度を始める。村長は残念そうな顔で、棚に戻されたボロボロのシャープペンシルを最後まで眺めていた。


◇   ◇   ◇   ◇   ◇


 長老の家は村長の家と棟続きになっていた。

「……昼間にエルグレドさんとはお話ししましたが、長老は私の妻の祖母に当たりまして、齢も100を超えて久しいもので……」

 村長が歩きながら説明をする。100歳を超えるおばあさんって事か……

 篤樹は自分の「おばあちゃん」を思い出した。父方の実家には正月と夏休みに毎年のように帰省するが、母方の実家には数年に一度位しか顔を出していなかったように思う。

 遠方のため、家族5人での移動は旅費もバカにならないと言ってたけど……独り暮らしのおばあちゃん……こんな事になるなら、もっと会っておけばよかったなぁ……

「私達、さすがにこのままじゃ失礼なので、少し整えてから伺いますわ」

 途中、村長宅裏手の離れ部屋につながる廊下にレイラとエシャーは曲がって行った。

「え? 俺はこのままでマズくないですかい?」

 スレヤーは腕の傷に新しい包帯を巻いてはいるが、それ以外、上半身には何も着ない状態で湯上りガウンだけを羽織っていた。

「まあ、大丈夫でしょう。長老は色々な法術士を見てきましたし、半獣人にも慣れていますから」

「……? 俺ぁ人間だよ!」

 村長の心無い一言にスレヤーは思わず怒鳴る。

「あ、それは失礼しました! 私はてっきり……」

「毛深いだけだよ!」

 エルグレドは「クククッ…」と笑いを噛み殺す。確かに篤樹も温泉に入る時にビックリしたのを思い出す。スレヤーは胸板にも背中にも、髪の毛や眉毛と同じ赤茶色の毛が、かなりビッシリと生え揃っていた。
 特に背骨に沿うラインは「たてがみ」のように立派な長い毛並みだったので、思わず「スレヤーは実は半獣人かな?」と思ったほどだ。

「どうぞ、こちらです……申し訳ありませんが、履物はそこにお脱ぎになられてお入り下さい」

 篤樹は長老が住んでいる棟の扉が開かれると、目を見開いて驚いた。板張りの長い廊下があり、左手には日本庭園を思わせる中庭が作られている。右手には「ふすま」が10枚ほど並んでいる。
 長く会っていない母方のおばあちゃんの家を篤樹は思い出した。これほど広くは無いが、雰囲気が似ているのだ……間違いない。この建物は「日本の家」を知っている誰かが建てたんだ……

「こちらです」

 廊下を歩き、10枚ほど並ぶふすまの真ん中付近で村長は立ち止まる。

「長老! 例の旅の方々をお連れいたしました」

 その呼びかけに、すぐに中から応答があった。

「どうぞ。お入り下さい」

 女性の声だ。村長はその声を確認するとふすまを開く。

「……少々座り難い造りの部屋ですが、どうぞ気楽になさって下さい」

 村長は3人に声をかける。

 やっぱり……

 篤樹は部屋に入り確信が強まった。そこは「畳敷きの部屋」だったのだ。亮と高木さんの家にも「畳もどき」の部屋があったが、あれは形だけを真似した「草製四角マット」レベルだ。ここの畳は本物だ……座布団まである……

 通された部屋の奥には床の間も設けられており、掛け軸っぽいものも下げられている。しかし描かれているのは色鮮やかな洋風の絵画のようだ。
 よくよく室内を見ると、やはり何となく「外国映画で見るような和室っぽい部屋」という感じの違和感がある。

 床の間の前に置かれた椅子に腰かける女性―――綺麗な白髪を頭頂部で団子状にまとめた老婦人が微笑みながら一同を迎え入れた。

「どうぞ、こちらへ」

 室内を見回す3人に向け、長老が手招きをする。長老の前には座布団が5枚並べて置かれていた。3人は招かれるままに前に進んだが、エルグレドとスレヤーは何をどうすべきか分からず、座布団の上まで進み立ち止まる。篤樹は座布団から一歩後ろに立った。

「この度はお招きいただき……」

 エルグレドは座布団の上に立ったまま語り出したが、すぐに長老が声をかける。

「どうぞ、お座り下さい」

 着座を長老に勧められたエルグレドとスレヤーは、どう動くべきか困惑し顔を見合わせた。こんなエルグレドさんを見るの、初めてだ! 篤樹は自分だけが答えを知っているクイズを、他の人が分からずに考え込んでいるのを横で見て楽しむような気持ちになっていた。
 座り方に迷う2人を横目に、篤樹はスッと座布団の上に膝を下ろし正座する。それを見たエルグレドとスレヤーも真似をして膝を折るが、どうにもうまく座れず体勢を崩し倒れてしまう。その姿を見て長老はニッコリ微笑んだ。

「……村長、こちらの方々には座布団を下げて、そこの椅子をこちらへ」

 部屋の隅に置かれていた椅子が運ばれ、2枚の座布団が下げられる。エルグレドとスレヤーはようやく「普通に」座る事が出来て安心したようだ。

「……意地悪をしてスミマセンでした。では、あなたが『カガワアツキ』で間違いない、ということですね?」

 長老は、座布団の上にしっかり正座している篤樹に声をかけた。篤樹は長老の顔をジッと見つめる。

 誰だ? 一体? 見覚えない顔だなぁ……100歳超えてるって言うし……さすがに中学時代の面影は無いってことか?

「はい……で、あなたは?」

「え?」

 長老が驚いた表情になる。ん? あ! しまった! 篤樹は自分の思い込みが間違っていたことに慌てだす。

「あ、すみません! あの……てっきりまた……その……すみません!」

 広間で見たシャーペンと、この和室っぽい部屋から、勝手に「長老も亮や高木さんのように時間がズレて飛ばされた同級生の誰かではないか?」と篤樹は考えていた。しかし、予想は見事に外れていたようだ。

「私はこのリュシュシュ村第23代長老のリュネと申します」

 長老は椅子に座ったまま静かに頭を下げた。100歳をとうに過ぎている老婦人とは思えない、しっかりとした姿勢だ。エルグレドは篤樹の肩をトンと軽く叩いた。

「……御長老、連れのアツキが失礼な物言いをいたしまして申し訳ございませんでした。先ほど簡単ながらご説明させていただきましたように、彼は諸事情のある者で……」

「構いません」

 あ……やっぱりあの聞き返し方は失礼だよなぁ……篤樹は恥ずかしくなりうつむいてしまう。

「お顔を上げ、よく見せて下さいませ」

 長老は穏やかな口調ながら、厳しい『何か』を感じさせる声で篤樹に顔を上げるよう促す。……やっぱり怖いなぁ……篤樹は恐る恐る長老に顔を向けた。

「ふぅ……ん。ごめんなさいね。失礼な事をお願いしまして」

「あ、いえ、そんな……」

「御長老……」

 エルグレドが尋ねる。

「お約束通りアツキ君をお連れいたしました。なぜ『カガワアツキ』を連れて来るようにとおっしゃられたのか、そろそろお聞かせいただけますでしょうか?」

 長老はなんと説明しようかと少し迷う素振りを見せた。その時、廊下からレイラとエシャーの声が聞こえた。

「お通しして」

 ちょうど良い一呼吸を置けたように、長老は村長に指示を出す。ふすまが開かれ、エシャーとレイラは目の前の一種異様な光景に困惑する。村長は2人にも椅子を用意するようにと村長に指示を出した。

「あ、私はアッキーと同じクッションで……」

 しかしエシャーは座布団を要求し、レイラもそれに同調する。2人は篤樹の後ろに座布団を置き直すと、その上にペタンとお尻をついて座った。

「おもしろい造りの建物ですわねぇ……」

 レイラが長老に語りかける。

「これはこれは。賢者様をお通しするにはお恥ずかしい部屋で申し訳ございません」

「あら、そのような……」

「何せ、初代様より代々引き継いで来ました建物ですので趣を変えるのもはばかられまして……このように、おくつろぎ難いかと存じますが、何卒ご勘弁下さいませ」

「えー? 別に……良い雰囲気だと思うよぉ」

 エシャーは部屋の中をキョロキョロ見回しながら、ニコッと長老に微笑みかけた。

「まあまあ、そう言っていただけると先代方も喜ばれますでしょう。ありがとうございます」

「……御長老……これで私達の同行者は全員揃いました。先ほどの続きを。なぜ『カガワアツキ』にお会いしたいと申されたのか、その真意をお聞かせ下さい」

 エルグレドが痺れを切らしたように尋ねる。長老は目を閉じてうなずいた。

「分かりました……お話しいたしましょう……それは、このリュシュシュ村の初代長老が、かの大賢者ユーゴより賜った『予言』を確かめ、私共の使命を果たしたいと思ったからでございます」

「予言? 使命? なんじゃそりゃ」

 スレヤーが聞き返す。

「……初代は大賢者ユーゴ様よりこのような『予言』を賜ったのです。『世の終末の時がいずれの日にか来る。最後の者が尋ねくる時、この世界は終わりを迎える。終わりの時に訪れるその者の名は……カガワアツキ』と」

 その場にいた全員が、予想を超えた長老の言葉に声を失う。長老は構わずに話を続ける。

「……代々、長老となる者に口伝のみで申し送られて来た『予言』のお言葉でございます。この世界を終末へと導く者……さような者が本当に現れるのか、先代方も私も、心のどこかで疑いを抱きつつ、この口伝を日々心に覚え過ごしてまいりました。それゆえ……」

 長老は篤樹をジッと見る。その視線に篤樹は「殺気」を感じた。一瞬の内に仲間たちが篤樹の回りを囲み、防御態勢を取る。

「ふふっ……ご安心下さい。口伝と共に受けていた『終末へと導く者を抹殺する使命』は放棄いたしましたゆえ……先ほど、彼の『目』を見た時に……」

「……どういう事ですか? 御長老」

 エルグレドは右手を差し出す攻撃魔法体勢を崩さず、静かに尋ねた。

「……どうやら、代々の長老方も思い違いをしておったのだと気づいたのです。私達は『カガワアツキ』なるモノとは……世界を終末へ導く『サーガのような者』と勘違いしておりました……それゆえ、もしも予言の通りに<カガワアツキ>なる者が現れたならば、その者が世に災厄を招く前に即座にその命を絶つ事、それが我ら予言を受けし者の使命と信じておったのです……しかしどうやらそういう事ではなさそうですね……この者の眼にはそのような邪気を微塵も感じられません……長い長い間……私共はユーゴの予言を勘違いしていたようで御座います……」

 長老は完全に殺気の消えた優しい笑顔で篤樹を見つめた。

 おばあ……ちゃん? 

 篤樹はその笑顔に、祖母の優しい笑顔を重ね見た気がした。
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