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第1章 旅立ちの日 編
第 22 話 エシャー乱心!
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「あの、説明を!」
歯切れの悪い言葉で自己正当化する大人は信用出来ない、という嗅覚が篤樹の身にも付いて来た。
この所長さん、エシャーに何か「普通じゃないこと」をしたんだ!
「いや、昨夜遅くにね……2人が詰所からこちらに送られた来たんだが……移送のため、軍部の兵士から『 拘束魔法』をそれぞれが受けていたようなんだよ。軍部の拘束魔法は、凶悪な敵を封じる強力な束縛力だから……少しやりすぎじゃないかと私は思ったんだがね。とにかく……2人は所内別々の部屋にそれぞれ運び込まれたんだ」
軍部からの拘束?
篤樹はルロエとエシャーが「 酷い扱い」を受けたのだと 察しがつき、怒りが湧き起こる。
「なんでそんな……拘束なんてする必要、無いでしょ!」
「いや! だから……私も連行の時の様子は、後から聞いただけだから何も知らないんだよ! 私が命じたわけじゃなく、軍部が勝手にやったんだから……私だって 所に戻ってから、事情も分からずに対応して大変だったんだよ!」
所長は単なる 責任転嫁というより、本当に「面倒に巻き込まれた 被害者意識」で話を進める。
「彼女……エシャーさんとルロエ氏は一緒に連れて来られたとはいえ、そんな束縛状態だったからね……お互いの状況も分からず、話しも出来ないまま、ここで別々の部屋に連れて行かれ、軍部の監視下に置かれていたんだ。で、ちょうどその時に私は呼び出されて来たんだよ」
……だから拘束魔法も 監禁も、自分の責任ではない! という事を所長は強調するように、 時系列を説明する。
「状況を見て、兵士に『一体何事だ』と問いただすと『軍部の上からの命令』だと言うじゃないか。それで、町に 駐留している軍部の司令官……さっきのボロゾフ准将にすぐに問い合わせたら……まあ、彼も移動中だったんだが、とにかく、ルロエ氏はエルフ族から指名手配されていた逃亡者で、協議会から『 即時拘束の上で裁判所に移送し監禁せよ』との命令が出てると言うじゃないか。……そうなると私も『分かりました』と言うほかなくてね。ただ……」
所長はテーブル上の球体に映し出されているエシャーを見た。
「彼女のほうは 手違いでの移送だった、ってことはすぐに分かってね。軍部の兵士たちも事情がよく分からないまま、ただ 緊急の命令が下ってすぐ巡監詰所に行き、2人を連れて来てしまったわけだ。本当はルロエ氏だけで良かったのにね……それで、彼らも彼女の 扱いには困って……結局、私たちに丸投げだよ。詰所に返すワケにもいかないから、もう解放しておけってね。そこで私と職員は彼女が拘束されている部屋に行き、事情を説明し、明るくなるのを待ってから解放して上げようと思ってたんだ。そうしたら……」
所長は肩をすくめた。
「彼女は大変なことをしでかしてしまってね……」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……という事で、どうやら軍部の手違いで、君もこちらへ移送されて来たって事らしいんだが……」
所長は目の前にいる少女……拘束魔法をかけられ、まるで 彫刻か石像のように直立不動で固まり、動くことの出来ないエシャーに向かって事情を説明する。
「まあ、明るくなってから出て行けば良いから、今夜はこの部屋に泊まりなさい。後から 寝具を運んでくるから……良いかい?」
エシャーは 微動だにしない。強力な拘束魔法をかけられ動けないのだから当然だ。所長は困った顔で隣に立つ職員に話しかける。
「私の声は、ちゃんと聞こえてるんだよねぇ?」
「そのはずですが……何せ軍部の 法術士が扱う『拘束魔法』ですから、私には何とも……」
「まったく…… 法術兵はまだ来ないのか!」
所長はエシャーから目をそらし、 所在無げに室内をうろつき、扉を開けて廊下の様子を確認する。だが、廊下にはまだ人の来る気配は無い。ため息をつきながら所長は扉を閉める。
「何も、こんな少女にまで拘束魔法なんかかけなくても……なぁ?」
所長が職員に同意を求めた。
「はあ……まあ、連中は『力任せ』が仕事ですから……それに、法術使いによっては年齢に関係なく強力な攻撃魔法も用いますから……」
「そうは言ってもねぇ……この娘も父親も、そんな 凶悪な法術を使うようには見えないがなぁ……」
「はぁ……しかし、法術の 威力は術士の見た目では……」
コンコン!
扉をノックする音がした。
「どうぞ!」
所長が 嬉々とした声で応じる。扉が開かれ、細身で顔色の悪い兵士と、 対照的に大柄で、元気そうな兵士が部屋に入って来た。
「おお! 待っていたよ! さ、早く彼女の拘束魔法を解いてやってくれ!」
「……はい」
細身のほうの兵士が返事をし、大柄な兵士に顔を向ける。
「 兵長。解除を」
「はい!」
指示された兵士がエシャーの前に立つ。
「今から君の束縛を解くよ。ただ、長時間拘束からの解除なので、解除後はしばらく体調不良が起こるかも知れない。特に君のように 開眼状態で束縛された場合、 激しい目の痛みに襲われると思う。解除後はすぐに目薬をさし、しばらく目を閉じておくように。その他の体調不良時にも、すぐに近くの担当の者に申し出るように。それと……解除後に法術動作などの 不審な動きを見せたら、 即座に再拘束を行うのでそのつもりで。良いね?」
これは拘束魔法解除時の 定型告知だ。固まってるエシャーは当然返事も意思表示も出来ない。
エシャーの前に立つ兵士は右手を高く真上に、左手を真っ直ぐ下におろした。その両手を、大きな「円」を 描くようにゆっくり回す。
両手の位置がちょうど上下入れ替わった瞬間、エシャーはガクン! とよろめき、しゃがみ込んだ。
「だ、大丈夫かい!」
術を解いた兵士は 慌ててエシャーに近づき抱き起こすと、 傍の椅子に 腰掛けさせる。
「さあ、この目薬を……」
兵士は上着の右胸ポケットから小さな目薬を取り出し、エシャーの目に数滴落とした。
「良いかい? しばらく目を閉じたまま……」
「お父さんはどこ!」
エシャーは目を閉じたまま叫ぶ。
「落ち着きなさい! 君のお父さんは別の部屋に……」
所長が声をかける。細身の兵士は右手をまっすぐにエシャーに向けた。こちらはどうやら攻撃が専門の兵士のようだ。だが、その手を所長は押さえて首を振り、エシャーに語りかける。
「さっきも説明したように、ここは裁判所で、お父さんはエルフ協議会から裁判を受けることになったんだよ。君は……手違いで一緒に束縛されて連れて来られただけで、もう自由だ。分かったかい?」
「お父さんに会わせて!」
エシャーは、説得しようとする所長の声を打ち消すほどの大声で要求を繰り返す。
「お父さん! お父さん!」
「だから、ちょっと事情があって……」
「……アツキは? アッキーは? どこ!」
所長はキョトンとした目で職員を見た。職員は 脇に抱えていたバインダーの書類を急いでめくる。
「あ! 所長、この彼ですね。 一緒に 捕まっていたカガワアツキという……人間です。連れですね。巡監詰所にいます」
「アッキーは? お父さんは!」
エシャーの声が段々と 甲高くなる。
「だからね! 君! ここは裁判所で……」
所長は 苛立った声をエシャーに向け、説明を続けようとした。その時、エシャーの前に 屈んでいた兵長が「ドサッ!」と音を立てて倒れる。その口端には 泡が溢れ出し、白目をむいていた。
「このッ……」
所長の横にいた細身の兵士が、右手をエシャーに向け攻撃魔法態勢をとる。だが、法術を放つ間もなく兵士は後方に吹き飛ばされた。エシャーの右腕が攻撃魔法態勢をとっている。
「……な、なんて……ことを……」
部屋の扉を突き破り、廊下の壁にぶち当たってズルズル 崩れ落ちる兵士を、所長と職員は呆然と見つめる。所長はすぐに 視線をエシャーに戻し、抗議の声を上げようとした。しかし、エシャーの異様な様子に声を失う。
エシャーは椅子から立ち上がっていた。束縛されていた時と違い、自由に身体を動かしている。いや……ゆらゆらと全身を揺らしながら立っていた。
「眼……所長! あの眼ッ!」
悲鳴のように上がる職員の声につられ、所長もエシャーの「眼」に視線を向ける。その瞳は、所長がこれまでに出会ったことの無い色を帯びていた。白目の部分は真黄色、虹彩は燃えるように真赤で、 瞳孔は猫の目のように縦長に開き、どこまでも続く 洞窟の 闇へ誘う裂け目のようだ。
な、なんだ、あの目は!
所長は「自分の中に居る自分」が、その闇の洞窟に吸い込まれていくような 錯覚を覚える。まるで、拘束魔法をかけられたように体が 硬直し、「絶望的な死の恐怖」を覚えた。
「……キは……さん……かあさん」
耳から聞こえた少女の「声」を、所長は辛うじて聞き取る。その声に意識を向けるほどに、体の硬直が 緩むのを感じた。
「アッ……キー……お父……さん……お母さん……」
この声は……この娘の声か……
所長はエシャーの「眼」を凝視しないように、「口元」へ視線をずらす。
「アッキーはどこ?……お父さんは? お母さんはどこ!」
エシャーの叫び声が 響いている。所長は意識をハッキリ取り戻すと、ゆっくり後ずさった。
この 娘は危険だ! 逃げなければ!
ゆらゆらと体を 揺らし続けるエシャーは、どこを見ているのか分からない。どうやらまだ意識が 混濁し、視点が定まらないようだ。
今の内に……
所長はエシャーの「眼」を見ないように、しかし、その動きに注意を払いながら、扉が吹き飛ばされた部屋の入口までゆっくり移動する。
同行していた職員は床の上に膝立ちのまま、 放心状態になっていた。
と、とにかく、とにかく廊下へ……
所長は入口から一気に廊下へ駆け出し、大声で叫ぶ。
「誰かー! 来てくれー!」
深夜の裁判所に通常は誰もいない。しかし、今夜は軍部の兵士たちや、緊急に呼び出された職員たちがいる。誰か! 誰か来てくれ! 早く! 所長は祈るような気持ちで叫んだ!
「誰かー!」……ビュン!
廊下を走りながら叫ぶ所長の顔の横を「青白い光の球」が追い越し、廊下の少し先で 弾けた。光の球の破片が廊下の四方に飛び散り、何箇所かの壁に窪みを残す。所長は 慌てて、その場にしゃがみ込んだ。
「父さん……アッキー……お母さんは……?」
ユラユラと身体を揺らしながら「黄色と赤の光を放つ眼」の少女が近づいて来る。ああ! ダメだ! 殺される! 所長は近づいて来るエシャーに背を向け、頭を 抱えて廊下にしゃがみ込んだ。
歯切れの悪い言葉で自己正当化する大人は信用出来ない、という嗅覚が篤樹の身にも付いて来た。
この所長さん、エシャーに何か「普通じゃないこと」をしたんだ!
「いや、昨夜遅くにね……2人が詰所からこちらに送られた来たんだが……移送のため、軍部の兵士から『 拘束魔法』をそれぞれが受けていたようなんだよ。軍部の拘束魔法は、凶悪な敵を封じる強力な束縛力だから……少しやりすぎじゃないかと私は思ったんだがね。とにかく……2人は所内別々の部屋にそれぞれ運び込まれたんだ」
軍部からの拘束?
篤樹はルロエとエシャーが「 酷い扱い」を受けたのだと 察しがつき、怒りが湧き起こる。
「なんでそんな……拘束なんてする必要、無いでしょ!」
「いや! だから……私も連行の時の様子は、後から聞いただけだから何も知らないんだよ! 私が命じたわけじゃなく、軍部が勝手にやったんだから……私だって 所に戻ってから、事情も分からずに対応して大変だったんだよ!」
所長は単なる 責任転嫁というより、本当に「面倒に巻き込まれた 被害者意識」で話を進める。
「彼女……エシャーさんとルロエ氏は一緒に連れて来られたとはいえ、そんな束縛状態だったからね……お互いの状況も分からず、話しも出来ないまま、ここで別々の部屋に連れて行かれ、軍部の監視下に置かれていたんだ。で、ちょうどその時に私は呼び出されて来たんだよ」
……だから拘束魔法も 監禁も、自分の責任ではない! という事を所長は強調するように、 時系列を説明する。
「状況を見て、兵士に『一体何事だ』と問いただすと『軍部の上からの命令』だと言うじゃないか。それで、町に 駐留している軍部の司令官……さっきのボロゾフ准将にすぐに問い合わせたら……まあ、彼も移動中だったんだが、とにかく、ルロエ氏はエルフ族から指名手配されていた逃亡者で、協議会から『 即時拘束の上で裁判所に移送し監禁せよ』との命令が出てると言うじゃないか。……そうなると私も『分かりました』と言うほかなくてね。ただ……」
所長はテーブル上の球体に映し出されているエシャーを見た。
「彼女のほうは 手違いでの移送だった、ってことはすぐに分かってね。軍部の兵士たちも事情がよく分からないまま、ただ 緊急の命令が下ってすぐ巡監詰所に行き、2人を連れて来てしまったわけだ。本当はルロエ氏だけで良かったのにね……それで、彼らも彼女の 扱いには困って……結局、私たちに丸投げだよ。詰所に返すワケにもいかないから、もう解放しておけってね。そこで私と職員は彼女が拘束されている部屋に行き、事情を説明し、明るくなるのを待ってから解放して上げようと思ってたんだ。そうしたら……」
所長は肩をすくめた。
「彼女は大変なことをしでかしてしまってね……」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……という事で、どうやら軍部の手違いで、君もこちらへ移送されて来たって事らしいんだが……」
所長は目の前にいる少女……拘束魔法をかけられ、まるで 彫刻か石像のように直立不動で固まり、動くことの出来ないエシャーに向かって事情を説明する。
「まあ、明るくなってから出て行けば良いから、今夜はこの部屋に泊まりなさい。後から 寝具を運んでくるから……良いかい?」
エシャーは 微動だにしない。強力な拘束魔法をかけられ動けないのだから当然だ。所長は困った顔で隣に立つ職員に話しかける。
「私の声は、ちゃんと聞こえてるんだよねぇ?」
「そのはずですが……何せ軍部の 法術士が扱う『拘束魔法』ですから、私には何とも……」
「まったく…… 法術兵はまだ来ないのか!」
所長はエシャーから目をそらし、 所在無げに室内をうろつき、扉を開けて廊下の様子を確認する。だが、廊下にはまだ人の来る気配は無い。ため息をつきながら所長は扉を閉める。
「何も、こんな少女にまで拘束魔法なんかかけなくても……なぁ?」
所長が職員に同意を求めた。
「はあ……まあ、連中は『力任せ』が仕事ですから……それに、法術使いによっては年齢に関係なく強力な攻撃魔法も用いますから……」
「そうは言ってもねぇ……この娘も父親も、そんな 凶悪な法術を使うようには見えないがなぁ……」
「はぁ……しかし、法術の 威力は術士の見た目では……」
コンコン!
扉をノックする音がした。
「どうぞ!」
所長が 嬉々とした声で応じる。扉が開かれ、細身で顔色の悪い兵士と、 対照的に大柄で、元気そうな兵士が部屋に入って来た。
「おお! 待っていたよ! さ、早く彼女の拘束魔法を解いてやってくれ!」
「……はい」
細身のほうの兵士が返事をし、大柄な兵士に顔を向ける。
「 兵長。解除を」
「はい!」
指示された兵士がエシャーの前に立つ。
「今から君の束縛を解くよ。ただ、長時間拘束からの解除なので、解除後はしばらく体調不良が起こるかも知れない。特に君のように 開眼状態で束縛された場合、 激しい目の痛みに襲われると思う。解除後はすぐに目薬をさし、しばらく目を閉じておくように。その他の体調不良時にも、すぐに近くの担当の者に申し出るように。それと……解除後に法術動作などの 不審な動きを見せたら、 即座に再拘束を行うのでそのつもりで。良いね?」
これは拘束魔法解除時の 定型告知だ。固まってるエシャーは当然返事も意思表示も出来ない。
エシャーの前に立つ兵士は右手を高く真上に、左手を真っ直ぐ下におろした。その両手を、大きな「円」を 描くようにゆっくり回す。
両手の位置がちょうど上下入れ替わった瞬間、エシャーはガクン! とよろめき、しゃがみ込んだ。
「だ、大丈夫かい!」
術を解いた兵士は 慌ててエシャーに近づき抱き起こすと、 傍の椅子に 腰掛けさせる。
「さあ、この目薬を……」
兵士は上着の右胸ポケットから小さな目薬を取り出し、エシャーの目に数滴落とした。
「良いかい? しばらく目を閉じたまま……」
「お父さんはどこ!」
エシャーは目を閉じたまま叫ぶ。
「落ち着きなさい! 君のお父さんは別の部屋に……」
所長が声をかける。細身の兵士は右手をまっすぐにエシャーに向けた。こちらはどうやら攻撃が専門の兵士のようだ。だが、その手を所長は押さえて首を振り、エシャーに語りかける。
「さっきも説明したように、ここは裁判所で、お父さんはエルフ協議会から裁判を受けることになったんだよ。君は……手違いで一緒に束縛されて連れて来られただけで、もう自由だ。分かったかい?」
「お父さんに会わせて!」
エシャーは、説得しようとする所長の声を打ち消すほどの大声で要求を繰り返す。
「お父さん! お父さん!」
「だから、ちょっと事情があって……」
「……アツキは? アッキーは? どこ!」
所長はキョトンとした目で職員を見た。職員は 脇に抱えていたバインダーの書類を急いでめくる。
「あ! 所長、この彼ですね。 一緒に 捕まっていたカガワアツキという……人間です。連れですね。巡監詰所にいます」
「アッキーは? お父さんは!」
エシャーの声が段々と 甲高くなる。
「だからね! 君! ここは裁判所で……」
所長は 苛立った声をエシャーに向け、説明を続けようとした。その時、エシャーの前に 屈んでいた兵長が「ドサッ!」と音を立てて倒れる。その口端には 泡が溢れ出し、白目をむいていた。
「このッ……」
所長の横にいた細身の兵士が、右手をエシャーに向け攻撃魔法態勢をとる。だが、法術を放つ間もなく兵士は後方に吹き飛ばされた。エシャーの右腕が攻撃魔法態勢をとっている。
「……な、なんて……ことを……」
部屋の扉を突き破り、廊下の壁にぶち当たってズルズル 崩れ落ちる兵士を、所長と職員は呆然と見つめる。所長はすぐに 視線をエシャーに戻し、抗議の声を上げようとした。しかし、エシャーの異様な様子に声を失う。
エシャーは椅子から立ち上がっていた。束縛されていた時と違い、自由に身体を動かしている。いや……ゆらゆらと全身を揺らしながら立っていた。
「眼……所長! あの眼ッ!」
悲鳴のように上がる職員の声につられ、所長もエシャーの「眼」に視線を向ける。その瞳は、所長がこれまでに出会ったことの無い色を帯びていた。白目の部分は真黄色、虹彩は燃えるように真赤で、 瞳孔は猫の目のように縦長に開き、どこまでも続く 洞窟の 闇へ誘う裂け目のようだ。
な、なんだ、あの目は!
所長は「自分の中に居る自分」が、その闇の洞窟に吸い込まれていくような 錯覚を覚える。まるで、拘束魔法をかけられたように体が 硬直し、「絶望的な死の恐怖」を覚えた。
「……キは……さん……かあさん」
耳から聞こえた少女の「声」を、所長は辛うじて聞き取る。その声に意識を向けるほどに、体の硬直が 緩むのを感じた。
「アッ……キー……お父……さん……お母さん……」
この声は……この娘の声か……
所長はエシャーの「眼」を凝視しないように、「口元」へ視線をずらす。
「アッキーはどこ?……お父さんは? お母さんはどこ!」
エシャーの叫び声が 響いている。所長は意識をハッキリ取り戻すと、ゆっくり後ずさった。
この 娘は危険だ! 逃げなければ!
ゆらゆらと体を 揺らし続けるエシャーは、どこを見ているのか分からない。どうやらまだ意識が 混濁し、視点が定まらないようだ。
今の内に……
所長はエシャーの「眼」を見ないように、しかし、その動きに注意を払いながら、扉が吹き飛ばされた部屋の入口までゆっくり移動する。
同行していた職員は床の上に膝立ちのまま、 放心状態になっていた。
と、とにかく、とにかく廊下へ……
所長は入口から一気に廊下へ駆け出し、大声で叫ぶ。
「誰かー! 来てくれー!」
深夜の裁判所に通常は誰もいない。しかし、今夜は軍部の兵士たちや、緊急に呼び出された職員たちがいる。誰か! 誰か来てくれ! 早く! 所長は祈るような気持ちで叫んだ!
「誰かー!」……ビュン!
廊下を走りながら叫ぶ所長の顔の横を「青白い光の球」が追い越し、廊下の少し先で 弾けた。光の球の破片が廊下の四方に飛び散り、何箇所かの壁に窪みを残す。所長は 慌てて、その場にしゃがみ込んだ。
「父さん……アッキー……お母さんは……?」
ユラユラと身体を揺らしながら「黄色と赤の光を放つ眼」の少女が近づいて来る。ああ! ダメだ! 殺される! 所長は近づいて来るエシャーに背を向け、頭を 抱えて廊下にしゃがみ込んだ。
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