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乗り越えるべき壁
皇帝の血を継ぎし者 ※No Side※【後編】
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……流石、「彼の人生最大の不幸は2番目に生まれてきたことである」とまで言われる第二王子、と言うべきか。
アルットゥリは流暢に交渉内容を説明するシーウェルトを見ながら、複雑な心情に陥っていた。国王を目の前にしても臆することなく自分の意見を発し、言葉巧みに説得しようと試みているその姿は、アルットゥリには無かったものである。
アルットゥリは「役割」に準ずることに精一杯で、我を出すことなんてしたことが無かった。我を出すと「役割」から逸脱するのではないかと怖くて、ずっと自分以外の何かで自分の行動を正当化しようとしていた。そこに自分の意思なんてものはない。ただ冷淡に「役割」という型にはめていくだけの中身の無い行為であった。
……そう言った所が、自分が皇帝になる上で圧倒的に足りない部分なのだろう。
アルットゥリはつくづく自分の無能さに呆れ返った。今までの努力が何の意味も成さなかったという喪失感と、今まで感じていた窮屈さは気の所為ではなかったという安堵が一気に押し寄せ、アルットゥリの心をぐちゃぐちゃにする。
「……魔法陣研究は我が国の生命線だ。それを一部とは言え帝国に委ねるだけの利点があるのか?」
深い思案に沈んでいたアルットゥリだが、ベイエル国王の声にハッと我に返った。顔を上げるとベイエル国王とシーウェルトが真剣な眼差しでやり取りを続けていた。シーウェルトによる説明が終われば、自分の出番がやって来る。そう思うと胃酸が逆流してくるかのような緊張が、アルットゥリの全身を駆け巡った。
……焦るな自分。落ち着け。
アルットゥリは極力周りにバレないように深呼吸をした。脳裏には、ここに来るまでの馬車の中で交わしたシーウェルトとの会話が思い浮かばれる。
____そう。君はただ、皇帝の言葉を復唱すれば良い。出来る限り皇帝のように威厳を見せて、絶対服従をせざるを得ない状況であるかのように錯覚させるんだ。皇族伝承の帝王学とやらで人心掌握術を学んできた君なら、簡単なことであろう?
それが、この場でアルットゥリに課せられている「役割」であった。
……全く、簡単に言いやがって。
アルットゥリはシーウェルトの無茶ぶりに内心悪態をついた。皇帝の器に足りない自分では皇帝のような振る舞いは不可能であると、アルットゥリは自覚している。アルットゥリにとって皇帝は、憧れの存在であると同時に、いつまで経っても越えられなかった壁である。「役割」に倣って我武者羅だった頃でさえそうであったのに、すっかり意気消沈している今では余計に、遥か遠い目標である。
……まあでも、今の僕は「与えられた役割を全うする」ということにしか能が無いから、せめてその役割を精一杯果たすだけだ。
そう決意したアルットゥリはちらりとシーウェルトの方を見る。馬車の中で真っ直ぐ自分に注がれた視線には、確かに「信頼」というものが感じられた。
____君のこれまでの努力を、私は信頼しているぞ。
快活な笑みでそう言われた時は「僕のことをよく知らないくせに何いけしゃあしゃあと」と思ったアルットゥリであったが、今はその信頼が自分の心を軽くする。一方的に「役割」を押し付けて来るのではなく、アルットゥリの為人を理解した上で任せてくれている。それの心強さたるや、今までにない安心感をアルットゥリは抱いていた。
……友情というものは……友というものは、こういうものなのかもしれないな。
初めて出来た友達。そんな彼がくれた信頼に全力で応えたい。シーウェルトの頭の中には、既にその考えしか残ってなかった。
「……して、アルットゥリ皇子。これまでのシーウェルトの話は全て誠であるか?」
そう国王に呼びかけられたアルットゥリは、頭に偉大なる皇帝の姿を浮かべながら、ゆったりとした動作で顎に手を添えた。アルットゥリに髭は生えてないが、それは皇帝がよくする仕草である。そして皇帝特有のいたずらっ子のような笑みを浮かべ、地面に伸し掛るような低い声ではっきりとこう言うのであった。
「ええ、帝国としてはシーウェルト王子の提案を呑み、研究協定を結ぶ代わりに不可侵条約を結ぶことに同意済みです。……まあ、王国に和平の気がない、もしくは国力をつけて帝国を裏切るつもりであるなら、こちらとしても全力で潰すだけですが」
* * *
……これが大陸最大の帝国を治める皇帝の息子の威厳か。
アルットゥリの隣に立っていたシーウェルトは、ちらりとアルットゥリを見て内心冷や汗をかいた。馬車の中で話していた時の黒猫のような可愛らしい彼は今、そこにはいない。柔らかく丁寧な口調であるはずなのに、有無を言わせない迫力がその場にいた全員に伸し掛る。これぞ大陸の覇者、強さを以て他国を侵略した皇帝の血筋が為せる技か。
何より末恐ろしいのが、ここまでの威厳があるアルットゥリですら、帝国では二番手三番手である、ということである。これほどまで場を支配出来る人間、ベイエル王国であったら例え第十王子であったとしても手放しで国王になれると言っても過言ではない。そんな彼が「劣っている」と評される帝国の実情に、シーウェルトは鳥肌が立った。
しかしシーウェルトはそれと同時に、今までに感じたことのないような高揚感を覚えずにはいられなかった。視線をアルットゥリに向けるシーウェルトの視界の奥には、メインデルトがいる。自信過剰で帝国を見下していたメインデルトが、現実を突きつけられて呆然とする姿は何とも滑稽である。どうしようもなく馬鹿で鈍感で単純な人ではあるが、さすがにアルットゥリの出す威圧感には恐れおののくしか出来ないようだ。
対してシーウェルト自身は真横でアルットゥリの威圧を受けても平然と振る舞える。正直な所気を抜くと膝が震えて立っていられなくなるかもしれないが、帝国で皇帝を浴びたシーウェルトにとって、平常を取り付くろうことには問題がなかったのだ。
……これは、意外とすぐに事が動き出すかもしれない。
シーウェルトは内心ほくそ笑んだ。「王太子には第一王子が」という慣習が深く根付いているベイエル王室であるが、その変革の時は近いのかもしれない。それはシーウェルトにとって、悲願である。
…….それに、面白い観察対象が出来た。
シーウェルトは再び焦点をアルットゥリに戻す。黒猫のようで、どこか未成熟な人なのに、為政者の素質を十分に持ち合わせている。彼から学べることは多いだろう。何より、彼の生体がとても興味深い。是非ともまだ知らぬ彼の他の側面も見てみたいものだ。シーウェルトの知的好奇心は、今までにないほどに刺激されていた。
「……そうだな。ここで帝国といがみ合っても国に何の利益にもならない。王国の未来のためにも、魔方陣学の研究は急を要する。シーウェルトの案を採用しよう」
「……!ありがとうございます」
いち早く威圧感から逃れた国王は、有無を言わせぬ声色で決定を下した。シーウェルトはハッと思案から浮上し、国王へ最上級の礼をする。その場で国王の決定に異を唱える者はいなかった。国王の決定は絶対であるというのは勿論のこと、アルットゥリの威圧に気圧されて言葉も出ないのである。
この決定が王国の命運を分ける重大な出来事になることを、今はまだ誰も知らない。
* * *
国王のこの決定は後の世で三つの重大な意味を持つと評価されている。
一つが、魔導師人口の減少により国力が右肩下がりだった王国が持ち直し、これまでにない発展と繁栄を築く第一歩であったということ。
二つ目が、これまで友好条約を結びつつも「仮想敵国」という帝国との、本質的な和解の契機であったということ。
そして、「第一王子が王太子となり、やがて国王となる」という慣習が崩れる起爆剤になったということ。
何かが変わる、歴史的瞬間。
後世にも語り継がれる重大な出来事ではあるが、案外当事者たちはそのことに無自覚なのであった。
アルットゥリは流暢に交渉内容を説明するシーウェルトを見ながら、複雑な心情に陥っていた。国王を目の前にしても臆することなく自分の意見を発し、言葉巧みに説得しようと試みているその姿は、アルットゥリには無かったものである。
アルットゥリは「役割」に準ずることに精一杯で、我を出すことなんてしたことが無かった。我を出すと「役割」から逸脱するのではないかと怖くて、ずっと自分以外の何かで自分の行動を正当化しようとしていた。そこに自分の意思なんてものはない。ただ冷淡に「役割」という型にはめていくだけの中身の無い行為であった。
……そう言った所が、自分が皇帝になる上で圧倒的に足りない部分なのだろう。
アルットゥリはつくづく自分の無能さに呆れ返った。今までの努力が何の意味も成さなかったという喪失感と、今まで感じていた窮屈さは気の所為ではなかったという安堵が一気に押し寄せ、アルットゥリの心をぐちゃぐちゃにする。
「……魔法陣研究は我が国の生命線だ。それを一部とは言え帝国に委ねるだけの利点があるのか?」
深い思案に沈んでいたアルットゥリだが、ベイエル国王の声にハッと我に返った。顔を上げるとベイエル国王とシーウェルトが真剣な眼差しでやり取りを続けていた。シーウェルトによる説明が終われば、自分の出番がやって来る。そう思うと胃酸が逆流してくるかのような緊張が、アルットゥリの全身を駆け巡った。
……焦るな自分。落ち着け。
アルットゥリは極力周りにバレないように深呼吸をした。脳裏には、ここに来るまでの馬車の中で交わしたシーウェルトとの会話が思い浮かばれる。
____そう。君はただ、皇帝の言葉を復唱すれば良い。出来る限り皇帝のように威厳を見せて、絶対服従をせざるを得ない状況であるかのように錯覚させるんだ。皇族伝承の帝王学とやらで人心掌握術を学んできた君なら、簡単なことであろう?
それが、この場でアルットゥリに課せられている「役割」であった。
……全く、簡単に言いやがって。
アルットゥリはシーウェルトの無茶ぶりに内心悪態をついた。皇帝の器に足りない自分では皇帝のような振る舞いは不可能であると、アルットゥリは自覚している。アルットゥリにとって皇帝は、憧れの存在であると同時に、いつまで経っても越えられなかった壁である。「役割」に倣って我武者羅だった頃でさえそうであったのに、すっかり意気消沈している今では余計に、遥か遠い目標である。
……まあでも、今の僕は「与えられた役割を全うする」ということにしか能が無いから、せめてその役割を精一杯果たすだけだ。
そう決意したアルットゥリはちらりとシーウェルトの方を見る。馬車の中で真っ直ぐ自分に注がれた視線には、確かに「信頼」というものが感じられた。
____君のこれまでの努力を、私は信頼しているぞ。
快活な笑みでそう言われた時は「僕のことをよく知らないくせに何いけしゃあしゃあと」と思ったアルットゥリであったが、今はその信頼が自分の心を軽くする。一方的に「役割」を押し付けて来るのではなく、アルットゥリの為人を理解した上で任せてくれている。それの心強さたるや、今までにない安心感をアルットゥリは抱いていた。
……友情というものは……友というものは、こういうものなのかもしれないな。
初めて出来た友達。そんな彼がくれた信頼に全力で応えたい。シーウェルトの頭の中には、既にその考えしか残ってなかった。
「……して、アルットゥリ皇子。これまでのシーウェルトの話は全て誠であるか?」
そう国王に呼びかけられたアルットゥリは、頭に偉大なる皇帝の姿を浮かべながら、ゆったりとした動作で顎に手を添えた。アルットゥリに髭は生えてないが、それは皇帝がよくする仕草である。そして皇帝特有のいたずらっ子のような笑みを浮かべ、地面に伸し掛るような低い声ではっきりとこう言うのであった。
「ええ、帝国としてはシーウェルト王子の提案を呑み、研究協定を結ぶ代わりに不可侵条約を結ぶことに同意済みです。……まあ、王国に和平の気がない、もしくは国力をつけて帝国を裏切るつもりであるなら、こちらとしても全力で潰すだけですが」
* * *
……これが大陸最大の帝国を治める皇帝の息子の威厳か。
アルットゥリの隣に立っていたシーウェルトは、ちらりとアルットゥリを見て内心冷や汗をかいた。馬車の中で話していた時の黒猫のような可愛らしい彼は今、そこにはいない。柔らかく丁寧な口調であるはずなのに、有無を言わせない迫力がその場にいた全員に伸し掛る。これぞ大陸の覇者、強さを以て他国を侵略した皇帝の血筋が為せる技か。
何より末恐ろしいのが、ここまでの威厳があるアルットゥリですら、帝国では二番手三番手である、ということである。これほどまで場を支配出来る人間、ベイエル王国であったら例え第十王子であったとしても手放しで国王になれると言っても過言ではない。そんな彼が「劣っている」と評される帝国の実情に、シーウェルトは鳥肌が立った。
しかしシーウェルトはそれと同時に、今までに感じたことのないような高揚感を覚えずにはいられなかった。視線をアルットゥリに向けるシーウェルトの視界の奥には、メインデルトがいる。自信過剰で帝国を見下していたメインデルトが、現実を突きつけられて呆然とする姿は何とも滑稽である。どうしようもなく馬鹿で鈍感で単純な人ではあるが、さすがにアルットゥリの出す威圧感には恐れおののくしか出来ないようだ。
対してシーウェルト自身は真横でアルットゥリの威圧を受けても平然と振る舞える。正直な所気を抜くと膝が震えて立っていられなくなるかもしれないが、帝国で皇帝を浴びたシーウェルトにとって、平常を取り付くろうことには問題がなかったのだ。
……これは、意外とすぐに事が動き出すかもしれない。
シーウェルトは内心ほくそ笑んだ。「王太子には第一王子が」という慣習が深く根付いているベイエル王室であるが、その変革の時は近いのかもしれない。それはシーウェルトにとって、悲願である。
…….それに、面白い観察対象が出来た。
シーウェルトは再び焦点をアルットゥリに戻す。黒猫のようで、どこか未成熟な人なのに、為政者の素質を十分に持ち合わせている。彼から学べることは多いだろう。何より、彼の生体がとても興味深い。是非ともまだ知らぬ彼の他の側面も見てみたいものだ。シーウェルトの知的好奇心は、今までにないほどに刺激されていた。
「……そうだな。ここで帝国といがみ合っても国に何の利益にもならない。王国の未来のためにも、魔方陣学の研究は急を要する。シーウェルトの案を採用しよう」
「……!ありがとうございます」
いち早く威圧感から逃れた国王は、有無を言わせぬ声色で決定を下した。シーウェルトはハッと思案から浮上し、国王へ最上級の礼をする。その場で国王の決定に異を唱える者はいなかった。国王の決定は絶対であるというのは勿論のこと、アルットゥリの威圧に気圧されて言葉も出ないのである。
この決定が王国の命運を分ける重大な出来事になることを、今はまだ誰も知らない。
* * *
国王のこの決定は後の世で三つの重大な意味を持つと評価されている。
一つが、魔導師人口の減少により国力が右肩下がりだった王国が持ち直し、これまでにない発展と繁栄を築く第一歩であったということ。
二つ目が、これまで友好条約を結びつつも「仮想敵国」という帝国との、本質的な和解の契機であったということ。
そして、「第一王子が王太子となり、やがて国王となる」という慣習が崩れる起爆剤になったということ。
何かが変わる、歴史的瞬間。
後世にも語り継がれる重大な出来事ではあるが、案外当事者たちはそのことに無自覚なのであった。
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