上 下
11 / 33

10話 ゲテモノ、ナマモノ、キワモノ?

しおりを挟む
(早くホームルーム終わってくれないかな。なんでこういう時って先生の話は長くなるんだろう)

 僕は担任の話を聞き流しながら、時計の針を見つめていた。長針は、本来終える時間から五分も過ぎていることを指し示していた。

(五分も過ぎてるよ。これで売り切れてたらどうしてくれるんだよ。っと、言いたいところだけどアレが早々に売り切れるはずもないか)

 改めて、この後買おうとしている物のことを考えたら、売り切れるなんてことはまずなかった。

「マル、そんなにそわそわしてどうしたんだよ? トイレでも行きたいのか?」

 後ろの席から小声が聞こえてきた。どうやら、僕は気づかぬうちにそわそわしていたらしい。

「違うよ。早く終わらないかなっと思ってるだけだよ」

 僕は先生にバレないように一瞬だけ振り返って、小声で話した。

「それならいいけど。……あれ? そういや、あのゲロまずジュースの新作が出るのって今日だっけ?」

 後ろの席に座っているヒロキ君が思い出したように尋ねてきた。

「そうだよ」

「あー、なるほど。それでそわそわしているのか。……マル、改めて聞きたいんだけど味覚音痴じゃないよな?」

「それはないよ。ただ好奇心で飲んでいるだけだよ」

「好奇心でよく飲めるなぁ。あんなにまずいのに。そんなんで飲めるやつなんて、マルしかいないんじゃ……いや、アイツらがいたか」

 そう言ったあと、ヒロキ君はなにやら呪怨めいたことを呟き初めてしまった。きっと、ヒロキ君が口にしていたアイツら――ゲーム四天王とのことを思い出しているのだろう。

 ヒロキ君は、ガイ君たちゲーム四天王とは幼馴染でよく遊んだりしている。いや、振り回されていると言ったほうがいいのだろうか。とにかく、彼はガイ君たちとよくいるのだ。

「アイツら……あんなまずいもん飲ませやがって……」

 後ろから恨みが籠った声が聞こえてきた。どうやら、ガイ君たちに無理やりジュースを飲まされたことがあるらしい。

(何というかご愁傷様。ごく稀にある当たりだったら良かったのにね)

 僕がよく飲んでいるメーカーは、基本まずいものばかりだけど極稀に当りと呼ぶにふさわしいものが存在する。最近だと、たこ焼き味のジュースで、これが結構いけるのだ。

「紅ショウガが固形とか……」

(そうそう、紅ショウガがいいアクセントになってたんだよね。あれ? もしかしてヒロキ君が飲んだのって、たこ焼き味?)

「何ぶつぶつ言ってるのよ?」

 突如、僕の後ろの方から女の子の声が聞こえてきた。

「え? あれ? ゆう子? なんでここに?」

 今度は、ヒロキ君のとぼけた声が聞こえてきた。

「何でって、ホームルームが終わったからに決まってるでしょ」

 呆れたような女の子の台詞を聞いて、僕は意識を教壇へと向けた。そこには既に担任の姿はなく、他のクラスメイトたちは帰り支度を始めていた。たこ焼き味について考えている間に、ホームルームはいつの間にか終わっていたようだ。

「あれ? 本当だ。いつの間に……」

「まだ寝ぼけてるの?」

「いや、寝ぼけているわけじゃなく、たこ焼きジュースのことを思い出して……」

「ああ、前に言っていたあれね。相当まずかったんだよね?」

 僕は、その言葉を聞いた瞬間に思わず振り向いて反応してしまった。

「えっ!? あんなに美味しいのに?」

「マル……お前やっぱり味覚音痴なんじゃ……」

「ほら、好き嫌いは人それぞれだし……ね」

 ヒロキ君が引きつった顔で僕を見つめてきた。その横では、隣のクラスの女の子が動揺した顔をしながらもフォローを入れてくれた。確か、『秋雨あきさめゆう子』さんといって、ヒロキ君やガイ君たちと幼馴染の子だったはず。フォローを入れてくれた彼女に感謝しつつ、すかさず僕自身からも弁明を入れる。

「あ、あのメーカーにしては美味しいほうだよって言おうとしたんだよ」

「あれで美味しいほうなのか? やっぱりマルは……」

「まずい中ではって意味だよ」

「まずい中では……ね。本当に?」

「うん、本当だよ。最近飲んで物凄くまずいと思った『みたらし抹茶味』より何倍もましだよ」

「なにそれ。そんな物まであるのね」

「何か聞いただけで嫌な予感しかしないんだけど」

「その予感は正しいよ。あれは飲み物と呼べないし……。ドロドロとしててなかなか飲めないし、飲めたら飲めたで強烈な渋みに襲われるんだから」

「そ、そんなのまであるのか。俺はある意味で助かっていたのか」

「聞いただけで絶対に飲もうとは思えない代物ね」

「何の話をしてるんだ?」

 僕らが話しているうちに、ガイ君を含めた他のクラスの四天王まで集まってきた。幼馴染同士で何か約束でもしているのだろうか。

「いや、マルの好きなジュースの話をって、お前ら随分汗だくになってるな」

「どうせ、待っている間暇だからって運動でもしてたんでしょ」

「よく分かったな。流石、ゆう子だ」

「で、今回は誰が勝ったわけ?」

「もちろん、俺だぞ!」

 ガイ君が秋雨さんの問いに対して満面の笑みで答えた。その後ろでは三人が悔しそうな顔をしていた。

(四人とも汗まみれになってるけど、疲れている様子はないし一体何で勝負してたんだろう)

「腕立て伏せ……いや腹筋勝負か」

 汗まみれの彼らを見据えながらヒロキ君がものの見事に言い当ててしまった。流石、幼馴染なだけはあった。

「よく分かるね」

 僕は感心しながら言った。

「付き合いは長いからね」

「そうね」

 二人はため息交じりに答えた。

「で、マルの好きなジュースってどれのことだ?」

「ああ、あの際物ばかり出しているメーカーのことだよ。今日その新作が出るらしくてさ」

「ちょっと」

 秋雨さんが肘でヒロキ君の言動を止めた。だが、時すでに遅く。

「お、マルが飲んでるあのまずいジュースの新作が出るのか。これは飲んでみるしかないな」

 汗まみれの四人はハイテンションではしゃぎだしてしまった。そんな中で、ヒロキ君はしまったと言わんばかりに頭を抱え込んだ。

「マル、今回出る味はどんなのなんだ?」

「レッドアイinスルメイカってやつだよ。」

「レッドアイ? 聞いたことないぞ」

 ガイ君は首を捻りながら言った。

「トマトジュースとビールを入れたお酒らしいよ。今回はそのアルコールが入っていないやつなんだよ」

「へぇー、大人の味ってやつなのか。面白そうだな」

 汗まみれの四人は次々に期待の声を上げていった。

「いや、絶対違うと思うぞ」

「スルメ入ってる時点でおかしいでしょ」

 ヒロキ君と秋雨さんが顔を引きつりながら言った。

(うん、僕もそう思う)

 心の中で相槌を打っていると廊下の方から声が聞こえてくる。

「くそ、既に逃げられたか」

 声がした方を見ると、そこには佐々木君の幼馴染であるコウキ君の姿があった。どうやら、佐々木君を探しているようだが既に逃げられたあとらしい。そんな彼だが、僕と目が会うや否やこちらへと歩み寄ってきた。

「なぁ、マル。このあと暇だったりしないか?」

「え? 一応このあと予定があるんだけど」

「うっ、そう……なのか……」

 基本的に元気な彼だが、何故か今はやたらと暗くなっていた。心配になったので付け加える。

「あ、でも予定といってもジュースを買いに行くってだけだから、暇といえば暇だよ」

「そ、そうなのか。ならさ、悪いんだけど歯医者に行くのついてきてくれないか? あ、もちろんジュースを買った後で構わないからさ」

「別にその位なら構わないけど。でも、歯医者に付き添いなんている?」

「あ、いや、その歯医者出るって噂があるんだよ」

「出るって幽霊とか?」

「そう、まさにそれだよ。何でも昔の野戦病院跡地に建てられた場所でさ、その時の霊が出るって噂があるんだよ。いつもは母さんについてきてもらってるんだけどさ。今日に限って、親戚の手伝いに行ってていないんだよ」

 僕は普段からそういった所は極力避けているのだが、彼に何かあっては申し訳ないので同行することに決めた。

「そうなんだ。僕でよければついていくよ」

「ついてきてくれるのか! 一時はどうなることかと思ったけど助かったぁ」

「おもしろそうだな。俺らもついて行っていいか?」

 汗だく四人組が目を輝かせながら詰め寄ってくる。

「あんたたちは、ヒロキの家で勉強会するんでしょ!」

 物凄い剣幕で、秋雨さんが四人組を睨むと一瞬動きが止まったものの、一人だけ再度動こうとするものがいた。

「少しの間だけだからさ」

「……」

 秋雨さんは、彼の背後へと一瞬の間に回り込み、襟を掴んで有無を言わさずに引きずっていく。

「マールー。明日、どんなだったか話を聞かせてくれー」

 四天王のリーダー格でもある苑珠えんじゅ君は、引きずられながらも大きな声で言ってきた。

「ハハハ、さて、俺らも行くわ。マル、じゃあなー」

 ヒロキ君の言葉を皮切りにして、残りの面々も秋雨さんたちのあとを追っていった。僕は、コウキ君と顔を見合わせる。

「なんだか、騒がしい奴らだったな」

「そうだね。それじゃ、僕らもそろそろ行こっか」

「ああ」

 僕らもそれぞれの目的の為に教室を後にする。


 ◇


 僕は歯医者の待合室でジュースのパッケージを眺めながら、コウキ君が終わるのを待ち続けていた。

(まだ終わらないのかな。早くこの未知なる味を体験したいんだけど)

 僕は待ち遠しく思いながらも、パッケージを別の面にしてみた。すると、そこにはデフォルメされたイカが描かれていた。

(イカがお酒を飲みながら踊ってる。これお酒じゃないのになぁ)

 内容物を確認しながらツッコミを入れていると、一瞬だけ部屋の電気が消えた後に再び照明が灯った。だが、その光は消える前とは打って変わって、明かりと呼ぶにはとても頼りない物になっていた。

(この感じ。コウキ君が言っていた幽霊の仕業かな)

 僕はため息をつきながらも、辺りを確認する。待合室の来客者は、僕を除いて初めからいなかったが、今までいたはずの受付の人の姿はどこにも見受けられなかった。

 巻き込まれたのは僕だけか。それともコウキ君もだろうか。僕は神経を研ぎ澄ませながらも、コウキ君がいるであろう診察室へと向かっていく。

「おやおや、これは酷い。直ちに手術をするしかないな」

 扉の向こう側から医者と思わしき男の声が聞こえてきた。だが、その声はどこかこの世のものとは思えないものだった。間違いなくこの中に元凶がいるな。そう思い、覚悟を決めながらそっと中を確認する。

 中では二人の人間が顔に布を被された状態で横になっており、その内の一人の腕を医者が掴んでいるところだった。

(掴まれているのは……コウキ君じゃないな。僕らの他に人なんていたっけ?)

 靴箱を思い返してみるが、やはり僕らの他に靴など置いてはいなかった。当時の霊のモノなのだろうか。そう思い特に気にしないことにした。

「トイレはここかな? あれ? ここじゃなかった。あ、コウキ君、キミのお母さんがちょっと来てくれるって呼んでたよ」

 ワザとらしく声を出しながら、中へと入った。だが、コウキ君と思わしき人物は微動だにしなかった。

(これは眠らされているのかな。だとしたらまずいなぁ。このタイプってやたらと攻撃的なんだよね。見えなりふりはこの状況では通用しないし……。仕方ない。帰り道は大体の検討はついてるし、コウキ君を担いで素早く逃げるかな)

 やることは決まったので、素早く行動に移そうとすると医者の霊が声をかけてくる。

「なんだね、キミは? ふむ、キミもだいぶ良くないな。この人たちが終わるまで待っていなさい。そのあとはキミもじっくり診てあげますから」

 そう言って医者は再度、掴んでいた人へと向き直った。そして、どこから取り出したのか分からないノコギリで、掴んでいた腕を切り始めた。だが、その腕からは血が出ることはなかった。切られているのが、霊だからなのかと思ったが、そうではないとすぐに気づくことが出来た。

 それは、何故か。答えは簡単だ。聞き覚えのある息遣いが、腕を切り落とされている人物の布の下から聞こえてきたからだ。

「よし、次は隣の子の番だ」

 医者はそう言ったが、僕はコウキ君を連れて逃げることをやめていた。見捨てたわけでも諦めたわけでもない。ただ動く必要がなくなっていたからだ。

「ハァハァ、先生まだ終わってませんよお。次、注射をお願いします」

 切り落とされた左腕をもとの場所へと押し当てながら、今まで診察台に横たわっていた人物が起き上がり始めた。

「なっ!」

 医者は驚きの声を上げたが、僕は動じることはなかった。それはヘンタイさんだと分かっていたからだ。

「そうそう、どうせならこれを着てお注射ですよーって言って下さい」

 ヘンタイさんは、いつの間にか手に持っていたナース服を医者の霊へと押し当て始めた。そのナース服のスカート部分はとても短い物になっていた。コスプレ用の物なんだろうか。

 僕はおっさんのミニなど見たくはないので、寝ているコウキ君を背負い部屋を後にした。扉が閉まる寸前には、医者の霊がこの世のものとは思えない叫び声を上げていた。

「んー、あれ? なんで俺、マルに背負われてるんだ?」

 部屋を出たことによって、霊の呪縛から解放されたコウキ君が目を覚ました。

「アハハ、コウキ君。終わるや否や寝ちゃったんだよ。お陰で僕が診察室から運ぶ羽目になったんだよ」

「そ、そうだったのか。なんかすまないな」

 コウキ君は、照れながら僕の背中から降りた。と、その時受付の人の呼ぶ声が聞こえてきた。

「白池さん、いらっしゃいますか?」

「あ、会計をしないと」

 そう言ってコウキ君は受付へと急ぎ足で向かっていった。受付の人が言うには僕らはいつの間にか姿を消してしまっていたらしい。また、不可思議な現象が起きたのではと思いながらも再度呼びかけてみたとのこと。

 そのことを聞いたコウキ君に、僕は問い詰められてしまったが適当にはぐらかしておいた。知らないなら知らないほうがいいこともあるからね。

「さてさて、今回のはどんな味かな」

 僕は歯医者から出るや否や、即座に紙パックの封を開けてストローを差し込んだ。

「うへ、そんなの飲むのかよ。やたらとイカの臭いがすごいんだけど、それ本当に飲み物なのか?」

 すごい顔で僕のことを見てくるコウキ君をスルーし、口の中へ液体を流し込む。口の中は、苦みとトマトの味に包み込まれていく。そして、イカの旨味成分と思わしきものが広がっていき――。

「うーん、これが大人の味なんだね」

「大人の味って絶対違うだろ。それでうまかったのか? それともまずかったのか?」

「気になるなら飲んでみる?」

 僕は、コウキ君に紙パックを差し出した。コウキ君は戸惑いながらも受け取ろうとした。だが、コウキ君が手を伸ばし始めた次の瞬間、僕らのすぐ近くから大きな声が聞こえてきた。

「まっず! 何てものを飲ませてくれるんだ!!」

 声はヒロキ君によるものだった。どうやら、彼らも寄り道をしていた上に、このゲテモノジュースを飲んでいたようだ。

「俺はやめとくわ」

 コウキ君は、真実を知ってしまったことによって伸ばしていた手を引っ込めてしまった。

「私はいいって言ってるでしょー!」

 少し離れた所にいたはずの苑珠君が凄まじい勢いで僕らの前へと吹き飛んできた。その瞬間、僕は秋雨さんを怒らせないようにしようと固く決意した。

「お、おう、マル。こ、こんなところにいたのか。そ、そうか、ここが、あの歯医者だったんだな」

 苑珠君が蹴られたばかりのお腹を押さえながら、声をかけてきた。背中とかも地面に打ち付けられていたけどそちらは問題ないのだろうか。

「そうだけど……苑珠君大丈夫なの?」

「マル、気にしなくていいぞー。いつものことだから」

 ヒロキ君が、青ざめた顔をしながらも満面の笑みで言った。

「そうなんだ」

 僕は、彼もヘンタイさんと同類なのではと一瞬思いながらも、流石にそれはないかと思い直した。そんな彼は次の瞬間には、何事もなかったように目を輝かせていた。やっぱり、同類なのかもしれない。

「それで、どうだったんだ? 幽霊は出たのか?」

「幽霊なんていなかったよ」

「そうなのかー。いたら面白かったんだけどなぁ」

「そうかな?」

「いやいや、そんなのいてほしくないんだけど」

 コウキ君が、ふっと後ろの歯医者を見た後に答えた。その瞬間僕の耳には、誰かが助けを呼ぶ声が聞こえた気がした。だけど、そのことには一切関与せずに僕らはしばらくの間、その場で話し続けた。
しおりを挟む

処理中です...