生贄王は神様の腕の中

ひづき

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 終わりの見えない、障害物が何一つない空間。走っても走っても景色は変わらず、ずっと同じ場所にいるかのよう。絶望に心はどんどん重くなる。息は上がって、鼓動は早くなり、足が鈍る。少しでも止まってしまったら、もう二度と動き出せないという予感だけで何とか走っている。そんなアジェルの行く先を、突然左右から現れた8本の腕が遮った。

「ひ───ッ」

「捕まえたよ、アジェル」

 8本の腕全てが、美丈夫の両肩から4本ずつ生えており、その全てがアジェルの身体に巻き付く。本当に人間ではないのだと、恐怖に呼吸すら忘れる。

「あぁ、ごめんごめん。驚かせちゃったね」

 なんてことは無いかのように、多かった腕が瞬時に消え失せて、まるで只人のような姿をとる。その様がますます異形の存在なのだという実感を植え付けて、アジェルはガタガタと震えた。心臓は死に急ぐかのように喧しく、呼吸は浅いまま意味もなく繰り返されるばかり。

「ぅ、ぁ、ぁ、」

 二度目の口付けは涙の味がした。泣いているのが誰なのか、自覚のないままアジェルは身を委ねる。そこに熱は生まれない。生贄として喰われる恐怖に神経が支配されている。

「ふふ、まずは美味しく料理しなきゃ、ね」





「ぅ、ふぐ…ッ」

 粘度のある液体を纏った透明なゼリー状の何かが、アジェルの穴という穴を塞ぎ、蠢く。口も、両耳の穴も、尿道も、肛門も、全て。両鼻だけ塞がれないのは窒息死されたら困るからだろう。じゅぽじゅぽと音を立てながら、複数の透明な物体が前後に動きつつ、隙あらば容積を増していく。苦痛を和らげる為なのか、穴に入る為の順番待ちの暇潰しなのか、アジェルの乳首に吸い付くものや、陰嚢を包み込みグニグニ動くもの、両脇を舐めるかのように擦り上げるものまでいる。

 身に纏っていた麻で編まれた衣服は既に無惨な残骸と化し、恐怖は興奮を煽る燃料となって、痛みすら快楽に成り代わる。

 穴という穴が気持ちいい。人体の入ってはいけない内臓まで撫でられているのに気持ちいい。お尻の奥、ぐぽぐぽと空気を潰す音がお腹から聞こえてくる場所が気持ちいい。陰茎の裏側のしこりを撫でられると気持ちいい。口が塞がれているせいで思うように声が出ないのも、頭がぼーっとして気持ちいい。

 肌という肌が気持ちいい。撫でられた後に外気に触れると気持ちいい。乳首は転がされても吸われても気持ちいい。へそをクチュクチュ愛でられるのも気持ちいい。足の指の間をぬぽぬぽ出入りされるのも気持ちいい。背中に吸い付かれるのも気持ちいい。お尻を揉むように締め付けられるのも気持ちいい。陰茎と肛門の間にある柔らかな場所を吸われるのも堪らない。

 びくん、びくん。喘ぐことも、身を捩ることもできず、されるがまま。脳が焼き切れるほどの快楽に身体を痙攣させる。

「随分と美味しそうになったものだ。まだ予定時刻の半分しか経過していないというのに」

 しばし存在を消していた美丈夫の声がするのと同時に、撫で回すような視線を覚えて絶句する。はしたなく両脚を開いて身悶える様を見られている。麻痺しかけていた五感が蘇り、ゾワゾワと耐え難い羞恥に全身が細かい痙攣を繰り返して。

「ぅっぐ、ん、んん、ん!!」

 過ぎた快楽への恐怖に泣け叫んで許しを請いたいのに、塞がれた口からは意味のある単語など出てこない。このまま嬲られ続けたら、脳みそが破裂しそうだ。バカになって、知能のない獣に成り下がってしまう。なにより、こんな時間がまだ続くなんて絶望でしかない。

 助けて。

 許して。

 目で訴えることしかできないまま、止まない刺激に肌は、筋肉は、神経は、ただただ痙攣するばかり。

「きっと壊れた方が楽だよ」

 美丈夫は慈悲に満ちた笑みを浮かべる。嫌だと、咄嗟にアジェルは首を左右に振り乱した。

 おやおや、と嘆息し、美丈夫が手を打ち鳴らすと透明な物体達は最初から何もなかったかのように消失し、支えを失ったアジェルの身体が床に崩れ落ちる。ようやく栓が抜けた陰茎からは、崩れ落ちた衝撃に耐え切れず、様々な液体が放出される。その惨めさを嘆く力もなく、アジェルな虚ろな目で必死に荒い呼吸を繰り返した。穴という穴、特に肛門は塞がることを忘れ、内側の柔らかな粘膜を晒したまま外気に震えるばかり。

「疲れたのはわかるが、眠らないでくれ」

 おーい、と声をかけられるが、指一本動かせない。瞼の重みに耐えられない。





 見たこともない純白の、想像したこともない柔らかさの寝床で目を覚ましたアジェルは、未だ自身が夢から覚めていないことを知る。昨夜ボロボロになって朽ち果てたはずの衣類が何事も無かったかのように身を包んでいるのが不思議で仕方ない。

「はい、朝ごはん」

 美丈夫がアジェルの目の前に置いた、朱塗りのお膳。それはとても見覚えのあるものだ。国で毎朝毎晩巫女が神殿に供える神の為の膳である。国の主食はキビやアワであり、貴重な赤米は神への膳にしか盛られない。神の食べ残しを片付けるという意味合いで、神から下げた膳を最高位の神官でもある王が食す。

「あの、…ご主人様」

 神様と呼ぶのは躊躇われて、生贄の自分から見たら彼は主人だろうと思い、そう呼んだのだが、美丈夫は酷く驚いたようで目を見開いた。

「………、どちらかと言うと旦那様って呼ばれたいかな」

 生贄というより家人になった気分でアジェルは頷く。

「承知しました、旦那様」

「ふふ、なんだか擽ったいね」

 振り返っても白い空間には旦那様とアジェルの2人しかいない。彼の孤独を見たようで、心臓がぎゅっと縮む思いがした。

「旦那様は召し上がらないのですか?」

「食べたよ。この身が食すのは物体に含まれている〝気〟であって、物体そのものではないんだ」


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