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22 狂気
しおりを挟む城内の空気はどこか寒々しい。一部の者にしか異変は伝わっていないはずだが、それでも雰囲気というものは伝播するものなのだろう。
「長男とその婚約者?───本物か確認できたか?」
王弟の問いかけに、息を切らしつつ急いで来た兵士は頭を下げたまま答える。
「アリネリア嬢が、兄と呼ぶのを確認しました」
「ふむ………、まぁいいだろう。通してやれ」
ソリュートとその婚約者の一行が国境を越えた記録があり、加えて養女とはいえ伯爵家の人間が認めているのだから間違いはないだろうと王弟は判断した。
王弟の指示を受けた兵士は短く返事をして走り去る。かの姫君は苛烈な人物で、追い詰められた兵士はさぞ辛い思いをしているに違いないと、その場にいたウィルとゼルトファンは思わず同情する。
〝ウェスティール王子〟が伯爵家に滞在したことで、婚約者の座を狙っていた者達は追い詰められている。例え日の目を見ない王子でも、王家との繋がりという意味では価値がある。そのため、伯爵家に対し何かを仕掛けてくる恐れがあった。それを危惧し、伯爵家を守るよう、事前に命じていたのは意外にも王弟だ。
後継に〝ウェスティール王子〟を推す国王の手下と、学のない〝ウェスティール王子〟を後継にして傀儡にしたいと望んでいた者達は動かないだろうとウィルは踏んでいる。王弟も同様の考えらしい。
国王が倒れたという情報は隠しているつもりでも水面下で出回っているはず。国王がいなければ、王弟の後ろ盾を得ているゼルトファンに〝ウェスティール王子〟が後継者争いで勝てないことは一目瞭然。今頃保身のために派閥の鞍替えをすべく慌ただしく動いているに違いない。
王弟は「ジェノール伯爵家に手を出す気は全くない」と語った。ジェノール伯爵家の伯爵夫人は、王弟の実父の正妻の娘───異母姉。もちろん、当の伯爵夫人は知らないだろう、と切なささえ滲ませて彼は話す。
「亡き母───王太后は、愛した男の、その正妻のことは恨んでいなかった。正妻もまた政略で望まぬ結婚させられた自身と同じ立場だと考えていたらしい。王太后が一晩だけでも心から愛した男と結ばれたいと望んだ時、協力してくれたのも他でもない正妻だったそうだ。王太后は正妻と、その子供たちを守って欲しいと願った。だから、私は異母姉の嫁ぎ先であるジェノール伯爵家を影から守る」
ゼルトファンが望むから〝ウェスティール王子〟を殺さない。
王太后が望んだから伯爵家を害させない。
王太后が望んだからゼルトファンを王位につけて、新たな血で王家を塗り替える。
「貴方自身の願いはどこにあるんですか」
一通り話───それこそ知らなくて良かったような王太后による王家の血筋への復讐とかゼルトファンの出生の秘密とか───を聞かされたウィルは、椅子の肘掛に肩肘を置き、頬杖をつくという態度の悪さで、嘲笑を浮かべ、問いかける。不遜に見せかけて、実は身体が辛いだけなのだが。
幼少期からウェスティールとして王太后に虐げられてきたウィルと、王太后を絶対とする王弟は睨み合う。
「君に必要なのは、ゼルトファンの慈悲に感謝することだ」
「兄上は!既にお身体を壊し、余命幾ばくもない!僕は兄上に恨まれこそすれ、感謝などされる覚えなどない!」
立ち上がり、怒りに声を張り上げるゼルトファンにウィルは目を丸くする。ウィルの記憶にあるゼルトファンは常にヒトの顔色を窺い、流されるだけ。いつも何かを言いたそうにウィルを見ては、結局何も言えずに俯いてしまう子供だった。
ウィル───ウェスティールは汚らわしい存在なのだと王太后から言い聞かされてきたはずなのに、ゼルトファンの目に侮蔑が浮かぶことは無い。
「………反抗期かい?」
嫌味などではなく、王弟もまた本気で驚いたらしい。的外れな疑問を投げかけている。反抗期…、いや、違うだろ、とウィルは頭痛を覚えた。
王弟は狂っている人間だ。彼の価値観は亡き王太后の願いを基盤に割り振られている。ゼルトファンでさえその一部に過ぎない。彼には彼という主軸が存在しないため、基本的に悩むということをしない。イチかゼロの二択という視野の狭さであり、結果話が通じない。
たかが一部に過ぎないゼルトファンの怒りでは、王弟を揺るがすことなど出来ない。
「ゼルトファン、お前、あの男に似なくて良かったな」
「兄上、それは慰めでしょうか?」
「うん…」
「そうですか…」
ウィルとゼルトファンとまともに会話するのは、実はこれが初めてだ。ウィルが王太后に何をされてきたか何も知らないかと思っていたが、今回話を聞く限り、全て知っていたらしい。彼は彼なりに苦悩してきたのだろう。苦悩したところで話の通じない王太后に、話の通じない王弟では、何を言っても無駄なのだと悟るのは当然の結果だったのだ。ウィルはそんなゼルトファンに心から同情した。
「これから私は国王を殺すから、君たちに立ち会って欲しいんだ」
ちょっと木に登ってみせるから見てて、くらいの軽さで、王弟はとんでもないことをサラッと告げる。
「嫌です」
「僕も嫌です。何故それが必要なんですか」
「念願叶う記念すべき日だからさ」
当然だろう、と王弟は無邪気に笑う。
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