アネモネの花

藤間留彦

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陽川花火編

第二話 変化⑤

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「じゃあ次、飯行くか」
「え? ポップコーン食べたのに?」
「飯は別だろ。歩いてるうちに腹減るって」

 そう言って商業施設を出ると、直ぐ近くにあったファストフード店に入った。この距離では何も消費されていない。
 花火はハンバーガーが二段になっているものとフライドポテトのLサイズ、そしてまたコーラを頼んだ。

「一温は? ハンバーガー一個くらい入るだろ」
「……ハンバーガーとウーロン茶Sサイズ、お願いします」

 食べないのも変だと思い、一番大きさの小さいものを選ぶ。しかし、二つ頼んでも二百円強しかしないのには驚いた。

「お前ほんと飯食わねえよな」
「そういう君は食べ過ぎだと思うよ」

 ポップコーンも相当な量があったはずだが、八割ほどを十分くらいで食べてしまったし、大食いの上に早食いだ。

「でも、最近無理矢理食べさせてっからかな。ちょっと顔色良くなったんじゃねぇか?」
「……そう?」

 特に顔色が悪いという認識はなかったが、他人から見るとそうなのだろう。ただ、昼のお弁当は、花火が作ったおかずの味が気になって、つい多めに食べてしまっているのは確かだった。

「ああ、最初会った時死んだ魚みたいな眼ぇしてたし」

 それは人に形容するにはあまりに酷くないか。黙ってハンバーガーを食べ始めると、「怒った」と花火が笑う。表情に変化はないはずだけれど、怒っているように見えたのだろうか。

「あとは笑ってくれたらなぁ」

 その台詞に、胸の辺りに違和感を覚えた。食べ過ぎで胃が痛い訳ではないと思うけれど、理由は良く分からない。

「てか、勉強好きってわけじゃないなら、何でやんの?」
「何でって……医者になるには医学部に入らないといけないから」

 勉強をし始めたきっかけは、両親が喜ぶからだ。医者になることも、二人が望んでいることだったから。

「医者かあ。小さい頃からの夢?」
「そういうのは無いよ。母さんが、僕の学力なら医者になれるからって」

 いつの間にかハンバーガーを食べ終わっていた花火は、フライドポテトを摘んでいる。聞いておきながら興味が無いのか、「ふーん」と薄い反応だった。

「俺は卒業したら親父の会社に入る」

 トラックには「陽川造園」と書いてあった。「庭師?」と訊くと、「そう!」と嬉しそうに答える。

「本当は高校も行かずに働きたかったんだけどさ。親父が高校は行っとけってうるせえから」

 高校に行っていても喧嘩ばかりで勉強はあまり真面目にやっていないようだが、同年代の多くの子供がそうであるように、花火のお父さんは高校生活を経験させたかったのだろう。子供想いの、良い父親だと思う。少し羨ましいとも。

「でも高校入って良かったかもなって最近思った。学校行くの、今結構楽しい」

 笑うと特徴的な犬歯が見える。花火の豊かな表情は、好ましいものだと思う。自分には、乏しいものを多く持っているからなのか、それ以外に何かあるのかは分からないけれど。

 昼食を食べ終わって、ファストフード店を後にする。「その辺フラフラするか」と歩き出した花火の後を追おうとした瞬間、駅の方へ向かう集団が目の前を横切って危うくぶつかりそうになる。通り過ぎた後、見ると花火は横断歩道を渡った向こうを歩いていた。

「花火……!」

 僕が居ないことに気付いていない様子だった。慌てて追い駆け、花火の腕を掴んだ。
 その瞬間、手に痛みが走った。何が起きたのか分からなかった。

「……あ……」

 手を叩かれたのだと分かったのは、呆然とする僕を見て、花火が顔を強張らせているのに気付いた時だった。

「すまん、つい……」

 普段よく不良に絡まれているからなのか、反射的にやってしまったのだろう。花火は僕の手を、まるで壊れ物に触れるように優しく触れた。

「痛いか……?」
「ううん、平気」

 痛いとか苦しいとか、最近はそういう感覚が鈍くなっているので、それほど痛くはないが、肌が白いせいで赤くなっているのが目立っている。

「……ごめん」

 僕の手の痛みなど、どうということはない。それ以上に花火が辛そうで、酷く後悔している様子に、胸がずきんと痛んだ。

「図書館……戻ろっか。少しくらい勉強しないとだろ」

 踵を返し歩き出す花火に、僕は掛ける言葉も浮かばず斜め後ろをついていく。まだ、太陽は傾き始めた頃だった。
 会話もないまま図書館の前に着く。「じゃあ、俺の家こっちだから」と去っていくのを、僕は見送る。このままでいいのかと自問自答し、言葉を思いつく前に声を発していた。

「痛くないから……! 本当に、大丈夫だから」

 振り返った花火は、満面の笑みを浮かべて、しかし今にも消え入りそうな弱々しい姿で「ありがとな!」と手を挙げた。

 ――ああ、どうして。同じ過ちを繰り返すのだろう。

 胸が、息ができないほどに痛い。僕は、この痛みをよく知っている。

 勘違いだ、気のせいだ。そう思い込まなければ、僕はまた迷惑を掛けてしまう。そしてそんなことは絶対に許されない。

 ――観月先生に惹かれた時と、同じだなんて。

 図書館に戻り、ロッカーから携帯電話を取り出す。着信もメールもない。僕はまた学習室に戻ったが、ボックス席は埋まっていたので、長机の端の方の席に座った。
 呼吸を整える。そして、呪いを掛けた。「自分を許すな。君は残りの人生を独りで歩むのだ」と。

 何も恐れることはない。何も無い一日が、一日ずつ積み重なっていくだけだ。淡々とその一日をこなせば良いだけ。

 ざわめく風の音が止んで、何も音が聞こえなくなる。僕はトートバッグから問題集と筆記用具を取り出した。十四時四十八分。時間を確認して、午前中の続きのページから始めた。
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