ヤクザのせいで結婚できない!

山吹

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80. 救いの手とか赤いワンピースとか

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 頭の中が真っ白になった。
 お医者さんは信じられないものでも見るかのようにまじまじとあたしを見ている。

「君、なんで……」
「ジーノ?」

 不機嫌そうな美少女の声がお医者さんの言葉をかき消した。

「いつまでそんなところに突っ立ってるの? アケトラが風邪ひいちゃうじゃない」

 美少女の言葉に、勝手に顔が歪む。
 最悪だ。きっと今すぐにでもお医者さんは、あたしがここにいることを美少女に告げるだろう。美少女は怒り狂いそうだ。
 朱虎は、あたしを見てどんな顔をするんだろう。
 すうっと全身が冷たくなった。
 叱られるならまだいい。呆れられるならましだ。
 冷たい目で見られて、「何しに来たんですか? 俺とはもう関係ないのに」って言われたらどうしよう。
 怖い。

「――ああ、いや。ちょっと野暮用を思い出してね」

 あたしはハッと顔を上げた。
 お医者さんはクローゼットの横に立っていた。こちらに背を向けているからどんな顔をしているのかはわからないけど、穏やかな口調だ。
 後ろ手に回された手がひらひらっと振られた。

「はあ? 何か忘れ物?」
「うん、そんなとこだな。いやあ、僕としたことが」

 のんびりした口調と裏腹に、大きな手がしきりに空きっぱなしのドアへ向かって振られている。

 今のうちに、早く、出ろ。

 あたしはようやく手の意味に気づいて、慌てて部屋を転がり出た。お医者さんの体が盾になって、美少女から見咎められはしなかったようだった。

「僕のことは気にせずごゆっくり」
「ちょっと、ジーノ――……」

 壁に貼り付いて息をついていると、お医者さんが部屋から出てきた。穏やかな微笑みはドアを閉めたとたんに掻き消え、あたしを見下ろす。

「あのっ、あたし――」
「しっ」

 お医者さんは短く言うと、あたしの腕をつかんだ。そのまま急ぎ足で歩き始める。

「ちょっ、ちょっと……!? う、わわっ」

 朱虎と同じくらい大きな男の人がほとんど走るようなスピードに、まともに追いつけるわけがない。思わず悲鳴を上げたけど、お医者さんは足も手も全く緩めなかった。有無を言わさない勢いであたしを半ば引きずるようにしていくつかの角を曲がり、突き当りの部屋のドアを開ける。

「僕の部屋だ。とにかく入って」

 部屋に引きずり込まれたあたしは、唖然として辺りを見回した。
 中は他の部屋より広々としていて、薄く消毒液の香りがした。テーブルには分厚い本が積まれ、白衣が椅子に掛けられている。大きな窓からは青い海が良く見えていた。

「まったく、君とはいつも思いがけないところで会うな」

 振り向くと、お医者さんはドアを閉めたところだった。
 こちらを振り返ると苦笑を浮かべる。

「君がうずくまってるのを見た時、真剣に目か頭がおかしくなったのかと思ったよ。どうやってここへ来たんだい、志麻ちゃん?」

 あたしは小首をかしげるお医者さんを見つめた。
 やっぱりだ。この人からは、まともな人間の雰囲気しか感じない。
 朱虎やさっきのタテガミ金髪や――あの美少女みたいな、ピリッと張りつめた威圧する空気は、全然纏ってない。どう見ても一般人に見える。
 それとも、そんな剣呑な気配は完全に隠してしまえるような人なんだろうか。
 分からない。もっとちゃんと見極めないと、と思うけど、今までの展開でそうでなくても頭はパニック状態だ。
 あたしは知らず知らずのうちに頭を押さえた。さっきからひどい頭痛がする。
 駄目だ。もっとしっかりしなきゃ。
 お医者さんは、「ここは僕の部屋」だって言ってた。
この船の中に自分の部屋があるってことは、やっはりお医者さんはマフィアの関係者なんだ。
 そんな相手と部屋に二人きりで、おまけに外へ通じるドアはふさがれている。
 今更のように鳥肌が立った。

「志麻ちゃん? 顔色が悪いけど……」
「来ないで!」

 お医者さんがこちらに向かって踏み出したのを見て、あたしは思わず叫んだ。
 じり、と後じさると、腰がテーブルにぶつかる。手に触れた分厚い本を掴んで、盾みたいに構えた。

「それ以上近寄って来たら、ぶん殴るからねっ!」
「うわ、それで殴られたらヤバイ。落ち着いて」
「こんなの落ち着けるわけないじゃない! こんなとこに引っ張り込んで、いったい何のつもりなの?」

 お医者さんは少し驚いたような顔であたしを見た。微笑みが掻き消え、紺色の瞳がふっと陰る。
 ドキリとした瞬間、お医者さんが瞬いた。

「……今は君の味方のつもりだよ」

 肩をすくめたお医者さんからは、陰は跡形もなく消え去っていた。

「ここへ連れてきたのは、他の奴らに見つかるとまずいと思ったから。ここはとりあえずセーフティゾーンだ、一応ね」

 あたしは穏やかな微笑みを浮かべて話すお医者さんの顔を見つめていた。
 あの陰がかかった紺色の瞳は、昔見たことがある。うちに来たばかりの朱虎にそっくりだ。
 この人はやっぱり、朱虎にどこか似ている。

「……ところで」

 お医者さんが、ふとあたしの胸元を指さした。

「派手に破れてるけど、それってファッション?」
「へっ? ファッションって……」
「色々見えてるよ」
「んなっ」

 服がどういう状態だったか思い出したあたしは、慌ててぎゅっと本を抱きしめて隠
した。

「見ないでよ、エッチ!」
「いや見るでしょ男は。どうしたのそれ?」
「タテガミみたいな金髪のデカい男に破られたの!」

 お医者さんの眉がキュッとしかめられた。

「金髪? そいつ、もしかして、赤い目をしてた?」
「……してたけど」
「なるほど。……無事でよかった」
「えっ」
「服だけで済んで良かったって言ったんだよ。彼に絡まれたんなら、服だけで済むなんて奇跡だ」

 お医者さんはクローゼットを開けた。引っ張り出したのは綺麗にラッピングされた平たい箱だ。印刷されているロゴは若い女の子向けの、そこそこいいお値段がする人気ブランドのものだった。
 お医者さんはためらいなくラッピングを引きはがすと、箱を開けた。
 中に入っていたのは赤い花柄が鮮やかなワンピースだった。出たばかりの新作で、あたしもショーウィンドウ越しに見たことがある。

「とりあえず、これ」

 お医者さんはワンピースを無造作に差し出した。

「……へっ?」
「だから、着替えだよ。そこのドアの向こうでどうぞ」

 あたしはぎょっとして本を取り落としそうになった。

「えっ、でも、そんな」
「この部屋にある女物の服はこれだけなんだ。遠慮せず」

 あたふたしているうちに手品みたいに本を引き抜かれて、代わりにワンピースを抱えさせられる。

「やっ、でも、あのっ」
「そのままでも僕は全然いいんだけどね。非常にセクシーだと思うし」
「何言ってるんですか!?」
「冗談だって」

 ニコッと微笑まれて、なんとなく毒気を抜かれてしまった。
 ヤバい、タラシだこの人。うすうすわかってたけど。

「あ、ここで着替えてくれてもいいよ。何なら手伝おうか?」

 あたしはお医者さんをじろっと睨むと、示された奥の部屋に入ってドアを思いっきり閉めた。
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