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第二部 第六章 告白

告白2

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 その日の晩からおやすみ、おはようのキスの際の玄奘の日課が増えた。

 以前なら挨拶をしてキスを交わすだけだったのが、
「おやすみ、大好きな悟空」、「おはよう、悟空。今日も好きだよ」と、恥ずかしい愛の言葉を挟んでくるようになった。

 言いながら時々頭も撫でてくる。その優しい手つきに深い親愛の情を感じられないほど、悟空も鈍くはない。玄奘の美しい顔と声で愛を囁かれば、悟空の心も浮き立ってしまう。まだ交際していないのに心は恋人気分になってしまう。
 
 できればやめてもらえないか、と遠回しに頼んだのだが、
「悟空に好きになってもらえれば、私たちはつきあえるのだろう?それなら私は最善を尽くすのみだ」と玄奘はしれっと言った。

 一度心を決めてしまえばこんなに度胸が据わった人だったのか、と悟空は改めて驚く。






「というわけで、磁路。おれの精神が持ちそうにねえ」

 ここは会社の会議室である。一人で抱えきれない悟空は、磁路に洗いざらい状況を説明した。

 本来なら二人で飲みに行って相談したいくらいだが、玄奘の夕飯作りがある悟空は同棲以来、飲みに行くことはほとんどやめてしまっている。放っておけば仏教オタクの玄奘は夕飯も摂らずに夜更かしをして仏教研究に打ちこんでしまうため、推しの健康第一を優先する悟空は玄奘の生活リズムを整えることを至上命題にしているのだ。

「大聖殿も好きだと言ってしまえばいいだけの話ではないか」

「そんな単純な話でもねえだろ」

「私には大聖殿がもったいぶって返事を先延ばしにしておるだけのように見えるが」 

「いいか?おれは玄奘から行為を望まれれば断れねえ。でも、つきあうとなれば話は別だ。同じグループで活動してるし、もしつきあって別れたら気まずくなる。グループでの仕事はできなくなるかもしれねえだろ」

「一生別れない覚悟でつきあえばいい」

「おれは別れねえよ」

 悟空はむきになって言った。

「でも、玄奘は……玄奘の一生をおれに縛りつけておくことなんてできねえだろ?おれはさ、今までつきあってもすぐに振られてきてんだよ。玄奘だってすぐに幻滅するかもしれねえ」

 ふう、とため息をついて、磁路は言った。

「それで?私をここに呼んだのは惚気話をするためではなかろう?」

「いっそのこと別々に住むしかない、と思ってる。少なくともおれの気持ちに結論が出るまでの間は」

「大聖殿に仮住まいを用意することは簡単だ。しかし玄奘は告白した直後に、大聖殿が同棲をやめると言い出せばどう思うだろうかな」

「……他に手がねえだろ。一緒にいれば我慢できなくなる」

 磁路は何かを諦めたような悟空の瞳に焦った。叱りすぎたかもしれぬと今になって心配になってきた磁路は、子どもに教え諭すようにゆっくりと言った。

「いいか、お主たちに足りぬのは話し合いだ。報告連絡相談のホウレンソウが足らんのだ。腹の中を割って話せと何度も言っておるだろう?きっと話し合えばおのずと結論は出ようぞ」

 悟空は目を逸らしてから言った。

「……怖えんだよ」

「何が?」

「だって玄奘はおれしか知らねえんだよ。キスも、それ以上のことも。恋人ごっこっていう雰囲気に流されて、好きかもしれないって思い込んでるだけに決まってる。つきあった後で後悔しても遅せんだ。おれは一度つきあっちまったらもう手放してなんかやれないから。もっと他を見た方がいい。おれなんかよりも玄奘に相応しいやつがいるに決まってる」
 

 苦しそうな顔で吐き捨てるように言う悟空に、磁路は掛け値無しの真実を告げた。

「玄奘のことは前世の頃から知っておるが、彼の伴侶となれるべき者は、私の知っておる限り一人しかおらんがのう」

 悟空は唇を噛んだ。人よりも鋭い犬歯が覗く。

「わかったような口、聞きやがって。もうお前には頼まねえよ」

 悟空は会議室の扉をばたんと開けて駆け出していった。残された磁路は腕を組んで唸った。

「ふぅむ……」








 一時的な別居を磁路に消極的に反対された悟空は、玄奘に次善の策を提案をした。

「しばらく別々に寝ませんか?」と。

 玄奘は少し寂しそうな顔をしたが、健気に頷いた。そのまま自分の部屋に戻ろうとする玄奘の後ろ姿が切なくて、悟空は思わず呼びとめる。

「あの、……おやすみのキスだけ、しませんか?」

「そうだな」

 ほくほくとした顔で玄奘は近づき、二人は唇を合わせた。いつものくせで、舌まで入れそうになってしまい、慌てて唇を離す。

 玄奘はいたずらっぽく笑った。

「もっとしてくれてもいいのに」

「だめです。おれが止まらなくなるから」

「悟空は最近いつも申し訳なさそうな顔をしている。私がそんな顔にさせているとすれば、心苦しい。好きだ、と伝えない方が良かっただろうか」

「そんなわけないです!……すいません。玄奘のせいではなくて、ただのおれの意気地のなさが原因です」

「謝らなくていい。今まで悟空は私が望むことをすべて叶えてきてくれた。今度は私が悟空の望むことを叶える番だ。時間が欲しいとそなたがいうのなら、私はいくらでも待つよ」

 玄奘の口ぶりは雄々しい。そのまま玄奘は悟空の顎に手をかけ、颯爽と唇を重ねてから言った。

「ただ正直に言えば、早く私のものになればいいのに、と思っている」

 背筋をピンと伸ばして去っていく玄奘からは凛とした香りがした。リビングに飾ってあるアロマオイルの香りが服についていたのかもしれない。

 悟空の心臓は高鳴る。急激に玄奘の男前レベルが上がっている気がする。動揺のあまり、悟空は震える手で自室のドアを閉めた。 


 
 


 玄奘のことを考えすぎてほとんど眠れなかったせいだろうか。翌日、悟空は熱を出した。めったに病気をしないので、身体が熱に慣れていない。高熱ではないのに頭がぼうっとして、身体がベッドに押し付けられているかのように動かせない。 

 仕事の迎えにきた磁路は悟空の部屋の中にどかどかと入ってきた。赤い顔でふうふう息を吐く悟空を見て、磁路は言った。

「大聖殿は今日は休みとしよう」

 八戒と悟浄も遠慮なく悟空の部屋の中に入ってくる。

「玄奘に迫られて知恵熱出ちゃったんだろ?兄貴、見かけによらずウブいんだよなあ」

「さくっと結論を出せばいいのに、ぐすぐずと思い悩むなど面倒な男じゃ」

 二人は当然の如く、玄奘が告白してきたことも知っているらしい。玄奘がまた相談でもしたのだろう。

 玄奘だけは自分の家だというのに、遠慮しいしい悟空の部屋に入ってきた。横になっている悟空に近寄ろうかやめておくか逡巡したあと、そろそろとそばに寄ってきた。

「悟空……」

 まるで死にそうな恋人を見つめるかのような悲痛の眼差しに、悟空は思わず吹き出した。

「大丈夫です、少し熱が出ただけですから」

「……なにかしてほしいことはないか?」

「大丈夫です」

 見つめ合う二人の間が徐々に近くなっていく。二人を割くように、磁路がぱんぱんと手を叩いて宣言した。

「大聖殿は療養するとして、他の三人は新曲発表の打ちあわせとスタジオ練習に行くぞ。ほら、玉竜から預かってきた、生で歌う時の楽譜じゃ。2つのパートを担当する者は音源に合わせて、途中で適宜パートを入れ替えて歌うことになる。大聖殿も確認だけしておくように。なんと言ってもメインボーカルなのだからな」

 渡された楽譜を一瞥した八戒は
「パート交換えぐぅ。こんなん頭こんがらがるから、パート固定してくれた方が歌いやすいのにな」とぼやいた。

「2つのパートの見せ場を両方歌えると思えば、かなり良策と考えるが」と悟浄が提案すると
「そうかもなっ。俺のカッコいいところたくさんみせられるな」と八戒は単純に納得した。 

 玄奘は磁路にすがりつくように
「わ、私は悟空の看病を」と申し出た。

 しかし、
「ならんならん。軽い風邪じゃ。玄奘がここにいたところでなんの役にもたたん。飲料とレトルト粥を枕元に置いておくゆえ、大聖殿は自分でなんとかせい」と、磁路は言い放つ。後ろ髪を引かれるように何度も振り返る玄奘を追い立てるようにして、磁路はメンバーを連れて出て行った。

 一人になった悟空は天井を見つめる。

 玄奘はおれにとって最初は手に届かない推しだった。それもパソコンの画面の向こうにいるVtuberのKonzenだった。玄奘の美しい声にまず惹かれ、たまたま配信ミスで映ってしまった顔に釘付けになった。こんなに麗しい人間がいるのかと信じられなかった。

 玄奘が語る仏教の教えはご都合主義的に聞こえるときもあったが、好きなものを生き生きと語る玄奘がかわいかったのでスパチャをしまくった。推しと重課金者、光り輝く者とそれを称える者、その関係で満足していた。

 しかし、ひょんなことから生身の玄奘と知り合い、ヤクザに誘拐されたのを助けたことが縁で、Journey to the Westというアカペラグループを共に結成しデビューすることになり、一緒の部屋に住むようになった。

 玄奘は悟空と知り合うまで何事もなく生きてきたのが不思議なほど、よく言えば無垢、悪く言えば何もできない赤ちゃんだった。悟空はそんな玄奘のことを放っておけず、三度の飯や掃除洗濯などの身の回りの世話を焼き、寄ってくる悪どい者たちを追い払い、ずっと傍についていた。

 紅害嗣の自己中心的な片思いを妨害するため恋人のふりをすることになったが、恋人のふりという言い訳でたくさんキスをしてきた。今ではキスをしない方が不自然に感じるくらいに。そして、キス以上のことも……。

 玄奘はいつも誠実で気高い。そして美しい。

 抱きしめた腕の中で喘ぎながら身体をふるわせる玄奘のことは自分以外の誰にも見せたくない。玄奘が他の誰かとそういうことをするなど考えたくもない。

 玄奘のことが好きかと聞かれればもちろん、好きに決まっている。

 しかし、恋人かぁ……である。推しの恋人として、自分がその責任と重圧に値する男であるのか。 

 悟空は重たい瞼を閉じて、しばしの眠りに落ちた。
 
 
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