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第37話 怪物の相手なら、このおれが専門だ

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「きゃあっ!?」

 男はいきなり美幸の横っ面を殴りつけた。

「なにをする!?」

 さらに拳を振るおうとする男を、背後から羽交い締めにする。

 まさかいきなり暴力を振るうとは思わなかったから反応が遅れてしまった。

「離せゴラァア! 美幸、なにしてたんだてめえぇえ!」

 喚いて暴れる様子は、まるで獣だ。

「フィリアさん! 行ってくれ!」

 おれが指示すると、フィリアは頷いて美幸を連れて逃げていってくれる。

「待てコラァ! 美幸、わかってんのか! 逃げたらどうなるか、わかってんだよなあ!?」

 男が追いかけようとするが、重心を落として阻止する。

「やめろ、人違いだ! あの人は美幸って人じゃない!」

「うるせえ! ありゃあ美幸だ!」

「暗いから見間違え――うぐっ!?」

 躊躇なく放たれた肘打ちを受け、拘束を緩めてしまう。

 男はこちらを振り向いて、おれの胸ぐらをつかみ上げた。

「てめえ動画のやつだろ! あの動画に美幸を出してたろ!」

「違うと言ってる!」

「ぼかしたところでオレにはわかんだよ! オレの女なんだからよお!」

 咄嗟の嘘も、理性のない獣には通用しないらしい。

「てめえ、さては美幸と寝やがったな!? くそ売女がッ!」

「だから知らない! 奥さんを侮辱するのはよせ!」

「嫁だって知ってんじゃねえかよ! 美幸に聞いたんだろうが!」

「その指輪を見れば、誰だってわかる!」

 男の左薬指には指輪がある。美幸の夫なのだろう。少なくとも書類上は。

 美幸が指輪外していた理由が、よくわかる。

「寝取ったつもりでいい気になってんじゃねえ! 美幸はな、殴りながらヤッてんときに一番ヨガんだよ! すぐ取り返して、慰謝料ふんだくってやるからな!」

 瞬間、おれには男が、おぞましいべつの生き物に見えた。人間以外のなにかに。

 嫌悪と怒りの衝動が走る。咄嗟に腕を捻り、足を払って地面に叩きつける。

「ぐ、あっ! てめえ、ただじゃおかねえ!」

 気づけばおれは剣を抜きかけていた。無意識にトドメを刺そうとしていたのだ。

 怪物には当然の反応だったが、一応はこいつも人間だ。殺したら、おれも獣になってしまう。全力で理性を働かせて、剣を収める。

 男が立ち上がる前に、おれは闇に紛れた。

「くそが! どこ行きゃあがった! 出てこい! 美幸! 美幸ぃい!」

 異常な遠吠えを眺めつつ、おれは気配を消して退散する。

 メッセージアプリでフィリアに連絡。

『今どこ?』

『わたくしたちの家に。末柄様も一緒です』

 いい判断だ。

 あの男のことだ。すでに美幸の家を割り出しているかもしれない。美幸をひとりで帰していたら餌食になっていたかもしれない。

 おれは追ってくる者がいないことを確認しつつ、家に戻った。

 美幸は恐怖に震えていた。殴られた痕を、フィリアに手当してもらっている。

「ごめんなさい……。家の人にまで迷惑かけちゃって……」

 同居人の幼女――華子婆さんの孫の晶子は、不安そうに美幸を見つめている。華子婆さんが、そっと隣室へ連れて行ってくれた。

「すぐ……出ていくから。これ以上、迷惑かけないから」

「いけません、末柄様。さっきの方が、きっと探しております」

「でも子供……子供を迎えに行かないと……! あの人、目ざといから、きっと見つけて、あの子に酷いことをするわ……」

「お子様がいらっしゃったのですね……。一条様、これは一刻を争います。すぐ一緒に!」

「いや、おれたちは顔を見られてる。出くわしたりしたら、また面倒だ」

「ですが……!」

「だから顔を見られてない人に助けてもらおう」

 おれはミリアムに連絡を取り、グリフィン素材の提供をネタに、協力を仰いだ。

 紗夜なら快く引き受けてくれただろうが、彼女も動画に出演してもらっている。あの男に見つかったら、尾行されてここまで来てしまう可能性もあった。

 託児所にはミリアムのスマホ越しに美幸が話して、子供を預けてもらった。やがてミリアムが連れてきてくれる。美幸の子供は、3歳の女児だった。

「えぇと~、とりあえず言われたとおりにしたけど……これ、詳しく聞いたら、アタシも巻き込まれちゃうやつだよね? 退散していい?」

「ありがとう、ミリアムさん。そうしてくれ。充分助かったよ。はい、報酬」

「ん~、ありがとう。でもこれももらいすぎだから、また今度にお釣りを~……って思ったけど、また損しそうだからやめとくね~」

 そうしてミリアムは帰っていった。

 美幸は娘を抱きしめる。娘のほうは、事態が飲み込めずキョトンとしていた。

 娘を寝かしつけたあと、美幸はとつとつと語ってくれた。

「あの人……私の夫なの……」

 おれはもう知っていたから驚かないが、フィリアは信じられないといった表情を浮かべた。

「あのような方が、末柄様の……? その……失礼かもしれませんが、相応ふさわしい方とは思えません」

「そうでしょう?」

 美幸はそう儚げに笑うと、視線を深く落とした。

「最初はね、ちょっとした悩みとか、困り事とかに、すぐ興味を持ってくれて……どんどん踏み込んでなんでも解決してくれてたの。尽くしてくれてるんだなって思って……私、ときめいていたの」

 おれとは違うタイプだ。

 この前、美幸がおれの距離感を心地よいと言ってくれたのは、あの男との比較だったのだろうか。

「だから、まだお互いよく知らないうちから付き合い始めちゃって……。好きあってれば、詳しく知らなくてもいいからって……。本当、バカだよね。焦らず、もっとじっくり知っていくべきだったのに」

「焦るとろくなことにならないと、仰っていましたね……」

 フィリアも思い出すように言う。美幸は頷いた。

「ええ、知ったときには手遅れ。異常なほど干渉してきて、気に入らないことがあれば、何度も何度も殴って……。それがほとんど毎日……」

「先ほどのような暴力を、毎日……?」

「暴力だけなら……私だけならまだよかったのに……。あのケダモノは、娘にまで悪戯しようとして……!」

 フィリアは絶句した。おれも拳を握りしめる。

 やつの言動から、暴力以上のことしていたのは察していたが、そこまでとは……。

「だからここまで逃げてきたのに……私……」

 流れ落ちた美幸の涙に、決意を固める。

 おれはモンスタースレイヤーだ。

 もはや人間じゃない怪物モンスターの相手なら、このおれが専門だ。
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