三原色の世界で

リコピン

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第四章

4-5

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「エドワードが?シンシアも一緒だと?」

お披露目会から数日後、先触れ無しの訪いに、ロベルトが渋い声をあげる。取り次いだ執事も、常識外れのそれをーただ相手が相手なだけにー無下に追い返すわけにもいかなかったのだろう、顔に困惑を浮かべている。

不快を浮かべた顔で、エドワードが私と膝の上のアベルを見た。その目がどうする?と聞いてくるので、ニコリと笑う。

「いいわ。会いましょう。」

「しかし…」

先日のお披露目会でエドワードに掴まってしまったことはロベルトに伝えてある。そのせいで、ロベルトの態度は消極的なんだろうけど、

「シンシア様も一緒のお話って言うのが何なのか、気になるから、聞いてみたいの。」

「…アベルに関してじゃないのか?」

「うん、まあ、多分、そうだとは思うけど。」

彼らの用など他に思いつかない。ただ、エドワードがシンシアを伴ったということは、彼らも「話し合い」をし、その結論が出たということだろう。彼らがどういう結論を出したのか、最低限、それは確かめておきたい。それに、

「前回、断って、また来たってことは、ここで追い返してもまた来るんじゃない?」

「…」

「また私一人の時に来られるよりは、ロベルトが居てくれる時の方がいいでしょう?」

「それは、そうだが…」

それでも案じてくれるロベルトに、だから、笑って見せる。

「返り討ちにしてやりましょうよ。…二度と、ふざけたことが言えないように。」







中庭の望めるサンルームに席を移し、エドワードとシンシアを迎えた。「大人の話」に巻き込むつもりはないので、アベルは侍女に連れられて中庭で遊んでいる。その姿が見えているだろう二人は、けれど、特に何かを口にすることもなく席に着き、お茶を供した侍女が下がったところで、シンシアが口を開いた。

「ロベルト、イリーゼさん、今日は突然の訪問でごめんなさい。本当なら、」

「いや、前置きはいい。謝罪は受け入れる。いいから、さっさと用件を言ってくれ。」

まともな挨拶もなしに切って返したロベルトに一瞬鼻白んだシンシアだったが、直ぐに気を取り直したらしく、笑顔を浮かべた。

「エドから、全てを聞いたわ。」

「全て?」

「ええ。アベルはエドの子、イリーゼさんがエドとの婚姻中に出来た子だという話を。」

その言葉だけでは、エドワードが本当にを語ったかどうかまではわからない。それでも、どうやらアベルの出自については事実を伝えたらしいと知って、目の前の笑顔を凝視する。

(…それを、受け入れたの?)

取り乱しもせず、朗らかとさえ言えるシンシアの様子に、うすら寒いものを覚えた。

「…それで、これは提案、いいえ、ロベルトとイリーゼさんへのお願い、なんだけど…。…酷いことを言う、とは思わないでね?これも、アベルのためだから。」

言って、シンシアの笑顔が苦笑に変わる。

「…アベルを、公爵家の養子にもらえないかしら?」

「断る。」

ロベルトの端的な拒絶。当然と言えるそれにも、シンシアは困ったように笑って、

「ロベルト、よく考えて欲しいの。稀色はとても貴重で、アベルは赤の一族全員にとって大切な子よ?…一伯爵家で守り切れるような存在ではないわ。」

「君に言われるまでもなく、アベルは大切な子だ。俺とイリーゼのな。…君に案じてもらう必要はない。」

「…お願い、ロベルト。私、アベルを我が子としてきっと大切にする。この子の…」

言って、シンシアの手がそのお腹へと添えられた。

「お兄ちゃんになって欲しいと思うわ。子どもの内から一緒に育てば、きっと仲良くなれる。小さい頃の私達三人みたいに、ね?」

「…」

「将来、公爵家という重責を背負って立つこの子が独りになってしまわないよう、アベルに側にいてあげて欲しいの。アベルだって、実の父親の元で育つ方が良いに決まっているわ。エドなら、アベルの養育に最高の環境を用意できる。」

「…シンシア、君は、何を言っている…?」

不機嫌を盛大に晒すロベルトだが、私も、彼女が何を言っているのか理解したくない。笑むだけのシンシアに、ロベルトが大きく嘆息して、

「…そもそも、イリーゼは子どもが出来なかったことを原因に婚姻無効にされたんだ。アベルがエドワードの子であるはずがないだろう。」

「そうね。それは、確かにエドの間違い、過ちだったと思う。」

「…間違い?」

「ええ。子どもが出来ないからと言って、妻を切り捨てていいことにはならないわ、決して。」

「…」

「…今更かもしれないけれど、エドの過去の過ちについては、妻としてイリーゼさんにお詫びするわ。」

そう言っていきなり頭を下げたシンシアに、もはや怒りもわかない。ただただ、見たくもない謝罪パフォーマンスを強要される苦痛に耐えれば、隣から怒りを押し殺した声―

「…間違いだった?」

「ええ、私はそう思っているわ。」

「そうか。では、その間違いとやらを正すために、君はエドワードと別れるつもりがあるんだな?」

「え?」

「そうだろう?君たちの主張によれば、アベルはエドワードとイリーゼの子だ。実の両親の元で育つほうがんだろう?」

「っ!?そ、れは、私、そんなつもりじゃ。」

途端、焦りを見せ始めたシンシアに、ではどういうつもりなのかと問い詰めたくなったが、

「私のお腹にもエドワードの子がいるのよ!?あなたは、この子に与えられる権利を奪うと言うの?」

「酷い」とロベルトをなじるシンシアは、自分の言葉の矛盾に気づかないのだろうか。

(…バカ、なのかな?)

口にするのは憚れるその言葉を、必死に言わないようにしているのに―

「…私はただ、アベルを、実の子を、エドに返してほしくて。」

「返す?」

聞き咎めて、堪え切れずに口を挟んだ。ふざけた言葉に、これ以上無いほど神経を逆なでされて―

「アベルは、モノではありません。私達の大切な子ども。何の関わりもない他人が、なんの権利があって、」

「でも、それはあなたが子どものことをエドに隠していたからでしょう?」

「隠してなどいません。最初から言っているじゃないですか、アベルは私とロベルトの子だと。」

「そんなはずが無い、というのは、お互いにわかっているわよね?エドに、アベルの産まれ月も聞いたの。どう考えても、アベルはエドとの婚姻中に出来た子だわ。」

睨み合う視線は一瞬のこと、フゥと嘆息したシンシアが、

「…困ったわ。これじゃ、堂々巡りね。」

言葉通り、困って見せる顔を、分かりやすく引き締め直して―

「…イリーゼさん、私は、アベルのことはここだけの話にしたいと思っていたの。エドも、それを望んでいるし。」

「だけど」と言葉を繋ぐシンシアは、その瞳に険しさを乗せ、

「養子を承諾してもらえないのなら、場を裁判所に移してでも、エドの実子としてアベルの親権を争うわ。」

「…なに、を…」

「本当は私だって裁判なんてしたくないのよ?だけど、髪の色や産み月を考えれば、アベルがエドの子であるということは疑いの余地も無いし、それは裁判でも簡単に証明される。」

バカな、という言葉はすんでで飲み込んだ。驚きに、エドワードに視線を走らせるが、男は無表情に黙ったまま。

「イリーゼさん…、イリーゼさんだって、ことを公にしての醜聞なんて望まないでしょう?お義父とう様やお祖父じい様にも、きっとお辛い思いをさせてしまうでしょうし。…あなたも、身内にそんな思いはさせたくないわよね?」

(…それは、脅しのつもり?)

薄く笑う女の、隠しきれない勝者の確信を見て、もう尽きたと思っていたものが溢れ出す。怒りほどの熱はなく、ただもっと、根源的で原始的な。目の前の女を、ただ叩き潰したいという―

「ハッ」ともれた嘲笑も、戻らない口角も、どう考えても悪役のそれ。自重、すべきとわかっていても、

(でも、たまにはいいでしょう…?)

これも物語のスパイス、そう思って欲しい。だから―

「…シンシア様、お忘れでしょうか?」

「何をかしら?」

「先ほどご自分が謝罪されたではありませんか。…私とエドワード様の婚姻は無効になっている、という話です。」

「それが何か?未だ謝罪が足りないというなら、」

「婚姻無効というのは、婚姻の事実そのものが抹消されるということです。ですから、私とエドワード様は、今この時までずっと赤の他人でしかないんです。」

「…だから、それが、何?」

ここまで言ってわからないシンシアに、嘲りの笑みが深まる。

「もし、アベルがエドワード様の子だと判断されたら、アベルは婚外子になる、というのはお分かりですよね?もちろん?」

「!?」

両親のいる伯爵子息を養子に迎えるのとはわけが違う。実子であっても、未婚の公爵令息と伯爵令嬢の間に生まれた庶子。この国、この世界では、得られる権利も、守られる法も変わってくる。

「庶子の親権、養育の義務が、母親にあるのはご存じですか?」

「!」

(それでも、もし、その養育権まで争うと言うなら…)

「…ねぇ、シンシア様?シンシア様には、覚悟がおありですか?」

「覚、悟…?」

「アベルの伯爵継嗣としての立場を奪おうというのですから、ソルフェリノの全て、爵位も財産も全て、アベルのものとしてもかまわないという覚悟です。」

「!?」

「養育に最高の環境とやらが具体的に何を言われているのかはわかりませんが、それで裁判所は納得してくれるでしょうか?」

一度、婚姻無効が成立した公爵家の実子問題。それもその子は稀色。公爵家が望んだとしても、相応の待遇を用意しない限り、養育権は得られない。公爵家の都合のために稀色の子を飼い殺すなど、認められるはずがないのだ。だから少なくとも、公爵家の待遇にはクロイツァー伯爵家を越えるものが求められるが、

(クロイツァー家の資産は増加傾向、いずれ公爵家を越えるのは間違いない…)

爵位で劣るとしても、結局、アベルが継がない爵位に意味はない。それこそ、アベルを継嗣として迎える覚悟でもなければ―

「…シンシア様のお腹の子は男の子でしょうか?女の子でしょうか?」

「あ…」

「でも、どちらにしろ、シンシア様の子に与えられる権利の全て、アベルにお譲り下さる。その、覚悟がおありなんですね?」

「…」

黙ってしまったシンシアに、盛大に留飲を下げた。

恐らく、エドワード、というよりも公爵家の立場としては、稀色の子アベルを得られるならば、アベルを公爵家の継嗣とすることも辞さないだろう。だけど、目の前で青い顔をする女、シンシアにその覚悟は無い。この先、自身が何人の子を成そうと、その子らに何も与えられない未来を受け入れる覚悟など―

(…その程度の覚悟も無しに、人を脅そうとするな。)

心中、毒づいて、沈黙の中、エドワードと視線を合わせる。

裁判などと言い出したのは、恐らくシンシアの独断。エドワードが醜聞にまみれてまで勝てる見込みのない争いをするとは思えない。そもそも、実子と認められる可能性は殆どない。

(…万が一認められたとしても、アベルをソルフェリノに渡すつもりなんてないけれど。)

だから、そう、ここは少しだけ優しい気持ちになって、

「…ああ、でも、安心して下さい、シンシア様。」

「…」

シンシア様を慰めなくては―

黙り、俯く彼女を気にせず続ける。

「今までのお話は全て杞憂。根本が間違っているんです。」

ソロリと上げられた緑の瞳に微笑んだ。

「こちらも、お忘れですか?…私とロベルトの関係を。シンシア様には随分とお叱りを受けましたので、当然、覚えておいでですよね?」

「っ!?」

小さく息をのむ反応に嬉しくなる。

(良かった、覚えていてくれて。)

「確か、私とロベルトは不貞を、エドワード様との婚姻中から関係を持っていたんですものね?」

「!」

「ええ、だから、どうかご安心下さい。産み月どうのというお話は全くの杞憂ですから。…アベルは、ロベルトの子です。」

言い切った言葉に、蒼白になったシンシアの重ねた手が震えだす。

(否定は、しないでね。)

あなたが言ったのだ―

あの日、エドワードを信じると。それを否定すると言うのなら、エドワードへの信を疑うということ。

(そしたら今度は、ねぇ、シンシア様?)

アベルを自身の子だと主張する、エドワードのその言葉も信じるには値しないんじゃない―?

だから、どうか、心安らかになる道を―

「…シンシア様?妊娠中の精神的な負担は母体に良くないそうです。どうぞ、ご自宅にて心穏やかにお過ごしください。」

立ち上がろうとしないシンシア、彼女の隣の男に退室を促して、

「それから、エドワード様。」

色のない瞳。ああ、私はこの顔を見たかったんだと、チラリと脳裏をかすめたけれど、それも笑い捨て、

「エドワード様には、『ジョースター博士の育児百科』を熟読することをお勧め致しますわ。…エドワード様が、良き父親になれますよう。」




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