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第四章
4-2
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「お祖父様、後れてごめんなさい。私が少し、体調を崩してしまって。」
食事会が始まって暫く、聞き覚えのある声とともに食堂に入ってきたのは、本日は欠席かと思い始めていたシンシア。彼女の隣にはエドワード、背後には公爵夫妻が連れだっている。以前会ったときと変わらないシンシアの姿、自然と、その髪の長さに視線が引き寄せられる。
物怖じすることなく老公に近寄ったシンシアが、身内らしい気安さで挨拶の言葉を並べる。それに続く公爵夫妻とエドワードから向けられた、一瞬だけ、不審な視線。
(私達が、ここに座るのがおかしい?)
今までに、どんな場であれ、老公がロベルトを傍に置くことはなかった。奇異に映ったであろう席次に、けれど、彼らは特に何を言うでもなく、直ぐに興味を失なった視線は離れていく。そのまま対面に座る彼らの、その背後に視線を流した。
テラスへ続く掃き出し窓から見える中庭の奥、屋敷の家人に連れられて散歩するアベルの姿。特別待遇で老公の隣で食事をとらせて貰っていたアベルだったが、物珍しいのか落ち着きがなく、食事には早々に飽きて歩き回り始めてしまった。見かねた侍女達により、中庭へと連れ出してもらい、今はご機嫌で中庭を探検して回っている。おかげでこちらは、ゆっくりと食事を楽しむことができていたのだが-
「お祖父様、私、ご報告があるんです。」
「ふむ。報告か。」
「はい。きっと、喜んで頂けると思いますよ?」
対面の席、瞳を輝かせたシンシアが言葉をため、おまけに、皆の注目を集めるように、周囲に視線を送ってからー
「私、妊娠しました。」
「…ほお。」
シンシアの言葉に、僅かに手元が狂う。どうやらショックを感じているらしい自分に、自分で驚く。
(…今さら…?)
アベルを授かって、本当に幸せで、毎日が忙しく満たされている。そこには嘘も誤魔化しもない。ソルフェリノの次代を産むことに拘っていた自分はもういない。なのに、何故?と考えて、老公に語るシンシアの横顔を見つめる。
子を授かった喜びを懸命に語る、輝きと誇らしさと。
(ああ、そうか…)
この衝撃は、彼女の無神経さに対する「怒り」だ。
子が出来なかったこと、それゆえに婚姻無効になった私の前で、誇らしげに子の存在を語る彼女に対する怒り。
事実はともかく、公にはそうなのだからー
「…イリーゼ?」
左隣からかけられた、こちらを案じる声。それだけで、張りつめた気持ちが一気に緩む。「大丈夫だ」と笑って返して、目の前の会話を聞くともなしに聞いていた。
終始、弾んだ声で一方的に語るシンシアの話に、笑顔で相づちを打つ老公。エドワードも公爵夫妻も、彼女を止める様子はない。
(…マタニティハイ?ってやつなのかも。)
普段の彼女をそれほど知るわけではないが、これは明らかにマナー違反なのでは?と思うほど、饒舌に語り続けている。
「乳母には、大陸出身の方を雇おうと思ってるんです。」
「ほぉ?」
「これからの時代、国内だけでなく、海外へも目を向けないと。語学だけではなく、その内面、文化にも触れて欲しいと思っているんです。」
瞳を輝かせ、周囲の同意を得られるように見回して、
「本やおもちゃでは、そういう肝心なことが学べませんから。小さい内から、他国の方と接する環境を整えてあげるのが、私達、親の義務だと思っています。」
独自の育児論を語るシンシアに頷いたのは、周囲の女性陣の何人かだけ、どう反応すべきか迷う者が大半な雰囲気の中、老公が徐に口を開いた。
「…子、と言えばだが。…ロベルト達にも、」
老公が、意味ありげな視線をこちらに向けてくる。その眼差しが悪戯に輝き、
「…ふむ、だが、まあ、直接会ってからが良いかもしれんな。」
(…この方も、イイ性格をしてる。)
私の復讐心を知るはずもない。けれど、ロベルトとエドワードの確執まで知らぬわけではないだろう。私達の婚姻無効の理由だって知っているはず。なのに、ここでその発言をし、あまつさえ、面白がっているのだからー
「ところで、ロベルト。お前達、滞在先は?」
「…マイアースです。」
「ふむ。ならば、ここに移ってくれば良い。」
「!?」
こちらも、突然の提案に驚いたが、それ以上にエドワードと公爵夫妻が驚いているのが視界に映る。
「部屋は十分に余っている。遠慮はいらん。」
「それは、有り難いお話ではありますが…」
ロベルトが、こちらにうかがう視線を向ける。確かに、王都に来る前に話していた「広くて安全な中庭」が、ここにはある。アベルを遊ばせるのに丁度良く、人手も多いおかげで、手を貸してもらえるという利点もある。そこまで考えて、ロベルトに小さく頷いた。
「…お言葉に甘えても、よろしいのですか?」
「ああ、当然だ。私も、お前達がいれば賑やかで良い。」
向けられる優しさは罪悪感によるものなのか。抱えた蟠りが多すぎて、まだ、素直に全てを受け止めることはできないけれど、老公は老公なりに、失なった時間を償おうとしてくれているのかもしれない。それは、私達の嘘と欺瞞の上に築かれようとしているものではあるけれど、そこに幸福が生まれればいいと、そう願えるくらいには、私は自分が利己的だという自覚がある。
だから、
「…父上、何を考えているのですか?ロベルトをこの屋敷に招くとは?」
不審を言葉にしたかつての義父が、それを良しとしないのなら、抗うまで。
ソルフェリノの当代として、自分の父親が耄碌したとでも言わんばかりの公爵の態度は不快ではあるが、彼らには彼らなりの言い分がある。今は老公の物であるこのタウンハウスも、元は、代々のソルフェリノ公が隠居後にその家族と住むために用意されたもの。直系でもない、既に傍系の伯爵位を継いでいるロベルトを招くということが何を意味するか。
「…この屋敷は私のものだ。私が好きにすることに、何の問題がある?」
「何故、急にそんなことを言い出したのですか。…ロベルトが何か…?」
「違う。私の我儘だ。」
老公の視線が、中庭へと向く。手に何かの花を握りしめたアベルが、空いた方の手を引かれ、ヨタヨタとこちらへ向かってくる姿が目に入る。
「…失礼。」
同じものを見ていたのだろう、隣で、ロベルトが立ち上がった。そのまま、テラスへと向かう背を眺める。中庭へと続く窓を開け放ち、腰を落として腕を広げたロベルトの向こう、小さな身体は隠れてしまって見えないけれど、抱き上げた瞬間に肩越しにチラリと覗いた紅紫、
(気づいた…?)
一人、緊張して鼓動が速くなる。
けれど、目の前の人達は背後を振り向かない。ロベルトがそこで何をしていようと、見る価値もない、関係ないということを分かりやすく示そうとして。
抱き上げたアベルを片腕に、ロベルトが踵を返して戻ってくる。父親の腕の中で、手にした一輪を揺らして笑っているアベル。
(…可愛いー)
そんな場合ではないのにー
今が、この時が、かつて、何よりも渇望していた瞬間だった。エドワードがアベルを認識する瞬間、私を切り捨てた彼が、自分の失なったものを知り、絶望し、そして、心から悔いる。その姿を、高みから見下ろして嘲笑ってやる、そのはずだったのにー
「…この子だよ。お前達にも会わせたかった、ロベルトの子だ。」
老公の言葉に、四対の視線がロベルトの腕の中へと向けられる。
「っ!?」
弾かれたように立ち上がったのは、公爵。弾みで倒れた椅子が派手な音を立てる。けれど、それを気にする者はいない。
「馬鹿なっ!?」
「なんてことっ…」
公爵夫妻の叫びとは裏腹に、一言も発せずに、食い入るようにアベルを見つめるエドワード。怖いくらいの眼差しで睨みつける。その視線がゆっくりとこちらに向けられて、
当惑か怒りか憎悪かー
激しい視線に込められた思いはなんだろう。気づいたのだろうか、その可能性に。たどり着いたのだろうか、その真実に。だとしても、
あなたの子ではない―
視線を正面から受け止める。
感じるはずの暗い愉悦は湧いてこない。あるのは、沸々とした闘争心だけ。「何?」「文句がある?」「何か言いたいことが?」、言葉にはせず、受け止める視線に込めた思いも、「まま、まま」と自分を呼ぶ声に、あっという間に霧散して、声の主を振り返った。
手に持った花を手渡そうとするから、受け取ってみれば、直ぐに返せと迫る。たわいもないやり取りに、老公の視線を感じて顔を向けた。
「…見ての通りだ。アベルは稀色の子、一族の至宝だ。」
「…」
「私の死後、この屋敷はロベルトに譲る。そのつもりでいろ。」
言いたいことを飲み込んだ公爵と、彼に良く似た瞳の男の視線が、いつまでも、ロベルトの腕の中の息子へと向けられていた。
食事会が始まって暫く、聞き覚えのある声とともに食堂に入ってきたのは、本日は欠席かと思い始めていたシンシア。彼女の隣にはエドワード、背後には公爵夫妻が連れだっている。以前会ったときと変わらないシンシアの姿、自然と、その髪の長さに視線が引き寄せられる。
物怖じすることなく老公に近寄ったシンシアが、身内らしい気安さで挨拶の言葉を並べる。それに続く公爵夫妻とエドワードから向けられた、一瞬だけ、不審な視線。
(私達が、ここに座るのがおかしい?)
今までに、どんな場であれ、老公がロベルトを傍に置くことはなかった。奇異に映ったであろう席次に、けれど、彼らは特に何を言うでもなく、直ぐに興味を失なった視線は離れていく。そのまま対面に座る彼らの、その背後に視線を流した。
テラスへ続く掃き出し窓から見える中庭の奥、屋敷の家人に連れられて散歩するアベルの姿。特別待遇で老公の隣で食事をとらせて貰っていたアベルだったが、物珍しいのか落ち着きがなく、食事には早々に飽きて歩き回り始めてしまった。見かねた侍女達により、中庭へと連れ出してもらい、今はご機嫌で中庭を探検して回っている。おかげでこちらは、ゆっくりと食事を楽しむことができていたのだが-
「お祖父様、私、ご報告があるんです。」
「ふむ。報告か。」
「はい。きっと、喜んで頂けると思いますよ?」
対面の席、瞳を輝かせたシンシアが言葉をため、おまけに、皆の注目を集めるように、周囲に視線を送ってからー
「私、妊娠しました。」
「…ほお。」
シンシアの言葉に、僅かに手元が狂う。どうやらショックを感じているらしい自分に、自分で驚く。
(…今さら…?)
アベルを授かって、本当に幸せで、毎日が忙しく満たされている。そこには嘘も誤魔化しもない。ソルフェリノの次代を産むことに拘っていた自分はもういない。なのに、何故?と考えて、老公に語るシンシアの横顔を見つめる。
子を授かった喜びを懸命に語る、輝きと誇らしさと。
(ああ、そうか…)
この衝撃は、彼女の無神経さに対する「怒り」だ。
子が出来なかったこと、それゆえに婚姻無効になった私の前で、誇らしげに子の存在を語る彼女に対する怒り。
事実はともかく、公にはそうなのだからー
「…イリーゼ?」
左隣からかけられた、こちらを案じる声。それだけで、張りつめた気持ちが一気に緩む。「大丈夫だ」と笑って返して、目の前の会話を聞くともなしに聞いていた。
終始、弾んだ声で一方的に語るシンシアの話に、笑顔で相づちを打つ老公。エドワードも公爵夫妻も、彼女を止める様子はない。
(…マタニティハイ?ってやつなのかも。)
普段の彼女をそれほど知るわけではないが、これは明らかにマナー違反なのでは?と思うほど、饒舌に語り続けている。
「乳母には、大陸出身の方を雇おうと思ってるんです。」
「ほぉ?」
「これからの時代、国内だけでなく、海外へも目を向けないと。語学だけではなく、その内面、文化にも触れて欲しいと思っているんです。」
瞳を輝かせ、周囲の同意を得られるように見回して、
「本やおもちゃでは、そういう肝心なことが学べませんから。小さい内から、他国の方と接する環境を整えてあげるのが、私達、親の義務だと思っています。」
独自の育児論を語るシンシアに頷いたのは、周囲の女性陣の何人かだけ、どう反応すべきか迷う者が大半な雰囲気の中、老公が徐に口を開いた。
「…子、と言えばだが。…ロベルト達にも、」
老公が、意味ありげな視線をこちらに向けてくる。その眼差しが悪戯に輝き、
「…ふむ、だが、まあ、直接会ってからが良いかもしれんな。」
(…この方も、イイ性格をしてる。)
私の復讐心を知るはずもない。けれど、ロベルトとエドワードの確執まで知らぬわけではないだろう。私達の婚姻無効の理由だって知っているはず。なのに、ここでその発言をし、あまつさえ、面白がっているのだからー
「ところで、ロベルト。お前達、滞在先は?」
「…マイアースです。」
「ふむ。ならば、ここに移ってくれば良い。」
「!?」
こちらも、突然の提案に驚いたが、それ以上にエドワードと公爵夫妻が驚いているのが視界に映る。
「部屋は十分に余っている。遠慮はいらん。」
「それは、有り難いお話ではありますが…」
ロベルトが、こちらにうかがう視線を向ける。確かに、王都に来る前に話していた「広くて安全な中庭」が、ここにはある。アベルを遊ばせるのに丁度良く、人手も多いおかげで、手を貸してもらえるという利点もある。そこまで考えて、ロベルトに小さく頷いた。
「…お言葉に甘えても、よろしいのですか?」
「ああ、当然だ。私も、お前達がいれば賑やかで良い。」
向けられる優しさは罪悪感によるものなのか。抱えた蟠りが多すぎて、まだ、素直に全てを受け止めることはできないけれど、老公は老公なりに、失なった時間を償おうとしてくれているのかもしれない。それは、私達の嘘と欺瞞の上に築かれようとしているものではあるけれど、そこに幸福が生まれればいいと、そう願えるくらいには、私は自分が利己的だという自覚がある。
だから、
「…父上、何を考えているのですか?ロベルトをこの屋敷に招くとは?」
不審を言葉にしたかつての義父が、それを良しとしないのなら、抗うまで。
ソルフェリノの当代として、自分の父親が耄碌したとでも言わんばかりの公爵の態度は不快ではあるが、彼らには彼らなりの言い分がある。今は老公の物であるこのタウンハウスも、元は、代々のソルフェリノ公が隠居後にその家族と住むために用意されたもの。直系でもない、既に傍系の伯爵位を継いでいるロベルトを招くということが何を意味するか。
「…この屋敷は私のものだ。私が好きにすることに、何の問題がある?」
「何故、急にそんなことを言い出したのですか。…ロベルトが何か…?」
「違う。私の我儘だ。」
老公の視線が、中庭へと向く。手に何かの花を握りしめたアベルが、空いた方の手を引かれ、ヨタヨタとこちらへ向かってくる姿が目に入る。
「…失礼。」
同じものを見ていたのだろう、隣で、ロベルトが立ち上がった。そのまま、テラスへと向かう背を眺める。中庭へと続く窓を開け放ち、腰を落として腕を広げたロベルトの向こう、小さな身体は隠れてしまって見えないけれど、抱き上げた瞬間に肩越しにチラリと覗いた紅紫、
(気づいた…?)
一人、緊張して鼓動が速くなる。
けれど、目の前の人達は背後を振り向かない。ロベルトがそこで何をしていようと、見る価値もない、関係ないということを分かりやすく示そうとして。
抱き上げたアベルを片腕に、ロベルトが踵を返して戻ってくる。父親の腕の中で、手にした一輪を揺らして笑っているアベル。
(…可愛いー)
そんな場合ではないのにー
今が、この時が、かつて、何よりも渇望していた瞬間だった。エドワードがアベルを認識する瞬間、私を切り捨てた彼が、自分の失なったものを知り、絶望し、そして、心から悔いる。その姿を、高みから見下ろして嘲笑ってやる、そのはずだったのにー
「…この子だよ。お前達にも会わせたかった、ロベルトの子だ。」
老公の言葉に、四対の視線がロベルトの腕の中へと向けられる。
「っ!?」
弾かれたように立ち上がったのは、公爵。弾みで倒れた椅子が派手な音を立てる。けれど、それを気にする者はいない。
「馬鹿なっ!?」
「なんてことっ…」
公爵夫妻の叫びとは裏腹に、一言も発せずに、食い入るようにアベルを見つめるエドワード。怖いくらいの眼差しで睨みつける。その視線がゆっくりとこちらに向けられて、
当惑か怒りか憎悪かー
激しい視線に込められた思いはなんだろう。気づいたのだろうか、その可能性に。たどり着いたのだろうか、その真実に。だとしても、
あなたの子ではない―
視線を正面から受け止める。
感じるはずの暗い愉悦は湧いてこない。あるのは、沸々とした闘争心だけ。「何?」「文句がある?」「何か言いたいことが?」、言葉にはせず、受け止める視線に込めた思いも、「まま、まま」と自分を呼ぶ声に、あっという間に霧散して、声の主を振り返った。
手に持った花を手渡そうとするから、受け取ってみれば、直ぐに返せと迫る。たわいもないやり取りに、老公の視線を感じて顔を向けた。
「…見ての通りだ。アベルは稀色の子、一族の至宝だ。」
「…」
「私の死後、この屋敷はロベルトに譲る。そのつもりでいろ。」
言いたいことを飲み込んだ公爵と、彼に良く似た瞳の男の視線が、いつまでも、ロベルトの腕の中の息子へと向けられていた。
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