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思い出に至る全ての道-鍵を守護する者⑧下-
契約の果て
しおりを挟む薄暗い開かれた空間。その広間に新見は一人佇んでいた。
「──以上が、私が調べた結果になります」
彼女よりも幾分高い位置に座する者に向かって、これまでの調査結果を報告する。だが目線を上げることはしない。上げたとしても御簾のようなもので隔たれており先方の顔は見えないからだ。
『……この力が全て、あの娘の中にあったということか?』
しばらくして、珍しく唖然といった口振りの声色が響いてきた。彼が驚くのも当然だ。
「えぇ。とは言ってもあの子の体調が万全ではなかったので逆を言えばそれが全てではありませんが」
と、事を仕掛けた新見が補足する。この補足こそが重要だった。
現状でも少女の力を目の当たりにして驚いている。しかし今追加申告した通り、あの少女の体調は万全ではなかった。仮にもし一般の健康状態であったとしたら恐らくはこれ以上の収穫があったのだろうと考えられる。それにあの戦闘の中で少年たちと交戦していた宿り魔にも僅かに彼女から奪った力を使わせたのだ。その消耗を微塵も感じさせない程の力が現時点で残っているということになる。
『はっ、──……全く凄まじいな』
感嘆、といった具合に男が苦笑した。普段は滅多に動揺しない男だ。だが少女の力を実際に目にして「これは」と思うところがあったらしい。実際それは間近で見ていた新見も感じるところではあった。
実験、と称して少女の周りの人間に手を出し彼女の力の引き上げを図ったのは事実だ。しかしこれが己の予想の範疇を超えてきた。だから不思議で仕方なかったのだ。守護者でありながら所有者という運命を担うことになった一人の少女。果たしてその力は何に起因するものなのか、と。ただそれだけが気がかりだった。
『不思議な力か──その原因は究明出来たのか』
男が徐に新見に問いかける。彼女は無言で考えていた事を一度止め、彼の質問に答えるべく頭の中から適当な情報を引き出した。
「原因、と言えるほどではありませんが守護者の力は大きく関わっているでしょう。あの子は誰よりも『守りたい』という気持ちが強いでしょうし」
『守りたい、──ね』
そう言うと、今度は呆れの感情を滲ませ男が息を吐いた。彼には縁遠いものだろう。だからこそ理解しかねるという反応になるのは頷ける。
「所有者であることはあまり関係がないのかも知れません。”所有者”という者に守る力、戦う力がないのでしたら尚更」
『ならばこの力はどう説明する? 守護者だけのものではないのだろう』
続け様に飛んでくる問いに新見は一度口を噤む。無論彼の言う通りだ。守護者の力だけでは説明がつかない。それ程、彼女の中に眠っていた力が大きすぎるのだ。男はそのことを追及している。
「……────」
尚も無言のまま、新見は目を細める。彼女の記憶に触れた時のことを思い浮かべながら。
少女の記憶の断片。これまでのあらゆる思い出がフィルムのコマのように映し出された。小さな身体に抱えたままの、彼女の秘密。そしてあの──。
『────新見』
不意に名をなぞられてハッと意識を呼び戻す。何か応じなければと口を開こうとした時。
『──お前は一体、何を見た』
まるで考えていることを把握されているかのようだと感じ、思わず声を詰まらせる。しかし、とこちらにも切り返す言葉は用意してあった。
「お生憎ですが、それは契約内容に含まれておりません」
目を瞑りながら男の圧に怯むことなく答えた。そう、元々自分がここに立っているのは彼との契約のためなのだ。その報告でここにいる。ただそれだけなのだ。
「貴方との契約は『あの少女の力がどれ程のものなのか測り、それを目に見える形で提示する』こと。お時間を頂戴した分はそれ相応のものを提示できたかと思いますが──いかがでしょう」
契約時に自分から申し出た、遂行のための猶予期間。それは少女の中に眠る、未知の力の底上げに使った。彼女の『大切な人を守りたい』と言う想いを利用して。少年らの邪魔はあったが最終的には彼女自身が痺れを切らしたのだ。やはり守られているだけの少女ではなかった。このタイミングも申し分なかったと言える。
すると回答が気に入らなかったのか、不服そうな雰囲気を滲ませ更に圧力の増す声が響いてきた。
『無理矢理吐かせてやってもいいが──』
「ご冗談を」
新見はクスクスと笑い声を漏らす。そう出てくるのは想定内だ。全くの想定通りで可笑しくなってしまった。恐らくはこの態度も彼にとって神経を逆撫ですることだ。しかしこちらには絶対の自信がある。
「今の貴方では、私に害を為すことは不可能ですわ」
だから契約を交わしたのだ。可哀想なこの男のために少し手助けをしてやろうと。その見返りで自分の知識欲が満たされるのならばと。
自分に戦う力はないが、己を守るための技術は他者の追随を赦さない。それは自負している。例え自分の目上で座する男に対してであっても。
「私の結界術を甘く見てもらっては困ります」
ニコリと軽い笑みを零す。これは牽制などではない。事実を述べているだけだ。現状自分に手出しできる人間など皆無だ。今後そうも言えなくなるだろうが。
御簾越しから長く深い溜め息が漏れ聞こえる。
『……本当にお前は食えない女だな』
「お褒めの言葉と受け取っておきますわ」
元々他人から指図されることを良しとしていない。他人の都合で己の行動を縛られたくはないのだ。その為に土台作りはしてきた。今の立場を確立出来ているのは己のこれまでの行動が築き上げたものだ。何人たりとも干渉させはしない。
「それでは、私はこれで失礼させて頂きます。また何か面白そうな事がありましたらお呼びください」
結びの言葉を用い、男の前から退席するため新見は一度形式的に頭を垂れる。
今回の件に関する知識欲は満たされた。それも後悔するくらいには。無論それは伝えるつもりはない。
先ほどの会話からこれ以上の追及は難しいと感じ取ったのか、男は無言のままだ。
身体を捻り空間から立ち去ろうという間際、ようやく後方から声が響いてきた。
『──お前はこの先どう動くつもりだ』
さしずめこれが最後の問いと言ったところか、と考え足を留める。
彼にとって自分などは脅威ではないはずだ。なぜなら攻撃の手を持たないのだから。しかし恐らく彼が気にしているのはそのことではない。
「どう、とは?」
一度振り向いて念の為伺いを立てる。男が訊ねている内容と自分が考えている答えに齟齬が生じていないかの確認だ。
『こちらの邪魔をするつもりか』
「──いいえ?」
やはり、と思っていた通りの答えが返ってきたことに笑みを溢し即座に否定した。彼が恐れている──否、懸念しているのは自分の結界術の話だろうと。予想通りだった。しかし邪魔をするつもりなどは毛頭ない。なぜなら自分には関係のないことなのだから。
「貴方が何を為そうとも、私には関わりのないことですから」
鍵がどうだろうと知ったことではない。たとえ世界がどうなろうともその時はその時だ。
『関わりない、ね』
「えぇ。ですからどうぞ貴方のお好きなように」
鼻で嗤う声が聞こえた。当然だ。この男は世界を左右する鍵を狙っている。そしてその鍵を手にして何か重大な事を起こそうとしているのだから。
しかし、それ故に面白いとは思う。退屈な日常が崩れるならばそれこそ見てみたいものだ。
新見は今度こそ場を立ち去るための言葉を投げかけ、静かに暗闇へ身を消した。
静寂が空間に流れる。男は一人、いつもの椅子に腰掛けながら口元を手で覆った。
(無論脅威ではない。だが厄介な女だ)
味方であれば心強い。しかし向こうに回られ手助けでもされれば厄介極まりないのは目に見えている。だが彼女の言葉通りだろう。彼女はあくまで中立──誰にも指図は受けない立場だ。動かすには相応の理由が要る。今回はそれがあった。それまでだ。
薄目のまま虚空を見つめる。あの少女に関して。
(家庭環境、ね)
以前水唯から「家庭環境に難あり」との報告を受けている。それに関して一部心当たりがないわけでも無い。しかし詳しくは知り得ない。それに知ったところでどうでも良いことだ。
(可哀想にな)
ただ何も知らず巻き込まれ。幸せに送るべきだった彼女の人生を考えると哀れみを覚える。鍵の所有者というだけで、鍵の守護者というだけで。周囲を取り巻く環境は様相を変える。全く可笑しなことだ。それを本人が気付いていないなど。知らされていないなど。哀れでしかない。
男は一度手のひらを見つめた。新見から報告を受けたあの少女の力を己に流し込んで。
(これは使える)
むしろちょうど良い。この器を支える為には必要な力だ。一石二鳥とはまさにこのことか。
新見だけが知り得た情報を聞き出せなかったのは腑に落ちないが、こちらにとって力の起因など然程気にすることでもない。重要なのは。
「力を何に使うか、如何に使うか──か」
聖女が良く口にしていた言葉だ。それがこちらに巡ってくるのも可笑しな話だと思える。
何に使おうとも、如何に使おうとも誰にも干渉されることでは無い。何を説かれようとも己の意志は変わらない。
あの少女は確かに鍵を持つものとしての力量はある。だが鍵の所有者としての実力は無い。ならばやはり答えはとうに出ている。
鍵を手中に収める。そしてその鍵を行使する。それだけだ。
◇
新見は男の前を去った後、暗闇の廊下を歩いていた。空気が冷たく、頬を横切る風もひんやりとしている。
考えるのは、先程途中で遮られてしまったあの少女の記憶についてだ。
(いいえ、あれは記憶では無いわ)
強い力の起因を探る為、彼女の記憶の深奥に潜ろうとした際。まるでそれを赦さないとでもいうかのように何者かに阻まれた。あの少女が守護者として戦う姿に似通っていたが恐らくあれは彼女自身では無い。だとしたら誰なのか。
(守護霊とでも言うのかしらね)
ふとそう考えてしまったことに自嘲気味に息を吐く。だがそうでなければ説明がつかないのも事実だ。
「……──」
こうして己だけで考えていても答えが出ようはずがない。やはり今一度あの少女とは話をするべきか。向こうから出向いてくれれば良いのだが如何せん自分がしたことを考えるとそう上手くはいかないかもしれない、と落胆し肩を落とす。
「──いつまでそこから見ているつもり?」
徐に声を発した。先程から自分を監視するような気配が鬱陶しくなったためだ。立ち止まってその人物が現れるのを見遣る。
「私に言いたいことがあるんじゃないのかしら? それとも聞きたいことかしら」
目の前に現れた人物に問いを投げかける。険しい顔をしてこちらを睨み付ける様を一瞥し、溜め息を吐いた。全くどうしてこうも面倒なことに巻き込まれなくてはならないのか、と。今回はただあの男の命令で動いただけだ。それなのに己の利に対して報酬が見合っていないのではないかと不満も述べたくなる。
するとようやくそれまで黙って佇んでいた人物が身体を動かした。次の行動が手に取るように読めたため思わず可笑しくなって笑みを零す。
「無理よ」
言いながら自身を守るために結界を施した。予想を裏切ることなく、その人物は自分に攻撃を仕掛けてきた。しかし結界を前にそれは意味を為さない。誰であろうともこの結界を破ることは不可能だ。否、あるいは自分が結界術を教えたあの少年を除けば。
「あなたごときが、私に傷をつけられるわけないでしょう?」
己が弟子、とも言えるあの少年ならば時間をかければ結界を解くことが出来るかもしれない。しかし、と目の前の人物に目を向ける。
「──あなたは水唯よりも遥かに弱いのだから」
水唯の容貌によく似た少年。だが彼こそ恐るるに足りない。力を上手くコントロールすら出来ない未熟な者だ。この少年のことはよく知らない。普段はあの男の傍に控えているだけの人物だ。威勢だけは良いらしい。だがそれ故に哀れだとも感じる。己の力ではどうすることも出来ないのだから。
「まずは、お兄ちゃんに勝ってから私に挑むことね」
そう言うと口惜しげに顔を歪ませた。単に実力が足りていないのは否めない。だが持ち得るものは他者に劣らないはずだ。あの少女と同じでただ使い方がわかっていないだけなのだ。その点に於いて彼女と似ていると感じる。弱く、繊細なところが。彼女とはまるで関わりもないのに。
「あの子なら元気でやってたわよ。ここにいた時とは比べ物にならないくらい明るくね」
見たまま、ありのままの水唯の様子を口にする。自分も驚いたのだ。まさか水唯があれだけ感情豊かになるなど思いもしなかった。それは偏にあの少女の存在所以だろう。「守りたい」と自ら願った少女だ。こちらを裏切ってまであの少女の力になりたいと。それまで無感情だった水唯が声を荒げる程に、少女は彼に影響を与えたのだと言える。
目の前の少年はギリっと奥歯を噛み締める。まるで幼い子どものようだ。その様にフッと息を吐く。
「あなたも会ってみるといいわ、あの子に。そしたら裏切った水唯の気持ちがわかるかもしれないわよ?」
「──戯言を……!」
ようやく声を発したかと思えば負け惜しみのような言葉が飛び出した。思わずクスクスと笑い声が漏れる。
「本心よ。まぁ、一度会わなければ分からないこともあると言うことを伝えておくわ。それじゃあせいぜい頑張ることね」
実際に関わってみなければ分からないことはこの世の中多分にある。外聞だけでは判断出来ないことも己の目で確かめてみればすぐに解決することもあるのだ。そういう意味での助言を行ったつもりだが果たして考えの未熟なあの少年に伝わるかどうかは定かではない。
全くもって愚かだと思う。知識欲がないと言うことは。知りたいと求めなければ、世界はただ濃紺なままだ。面白みに欠ける。そんな世の中つまらないことこの上ない。
────『迎えに……来てくれる人なんて、いませんから』
少女が放ったあの台詞が不意に脳裏に過ぎる。あの時あの少女はどんな気持ちでそう言ったのか。記憶を覗いた今だから分かる。弱々しくそう呟いていた彼女の顔が蘇るようだ。
ハァ、と大仰に溜め息を吐く。
可哀想、という言葉は恐らく彼女にとって失礼だろう。だがそれ以外に相応しい単語も見当たらない。
守護者としても所有者としても責任を負わされ。己の中にある蟠りを抱えながら。
「月代さん──あなたは果たして生きることを望むのかしら」
望むのだとしたら、どうして。何のために生きるのか。
契約は果たしたはずなのにまだ彼女の顔が浮かばれる。
スッキリとしない感情が尚も自分を責め立てているようだった。
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