孤狼に愛の花束を

柚子季杏

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孤狼に愛の花束を (40)

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 仄暗く粘ついた視線にさらされて、全身にブワッと鳥肌が立つ。同時に帽子とズボンの中で、耳と尻尾が飛び出したのを感じた。
(この人、何か、おかしいよ)
 オレを見ているはずなのに、淀んだ瞳はオレ自身ではない歪んだモノを見ているようだった。その不気味な視線と、彼の内側から溢れ出してくる狂気にも似たオーラに怖さを感じる。
「契約を切られたら、彼の作品で儲ける予定も、彼を私のものにする計画も頓挫してしまう。一刻も早く彼の傍から離れなさい。役不足も甚だしい、君じゃ彼を幸せになんて出来ません。彼を幸せに出来るのは私だけだ。出会った時からそう決めていたんですよ」
 オレが言葉を発することも出来ずにいるのをどう取ったのか、豊川はくすくすと笑いながら、とんでもないことを言い出した。

 銀さんがコイツの正体は狐だって言っていたけど、本当だろうか?
 オレの知ってる狐属性の連中はこんなにナルシストではないし、こんなに気持ち悪くもない。
「ホテルで、銀さんの薔薇を見たよ。あんなのは銀さんの作品じゃない。あれじゃ銀さんが怒るのも当たり前だ……銀さんがオレのどこを買ってくれてるのかは分かんないけど、オレは銀さんの作品も銀さんも好きだから、あの人を悲しませるようなことはしない」
 漂うオーラに押し潰されそうだったけれど、ここで怯んじゃいけないと思った。
 幸い耳も尻尾も隠したままだから、逆毛が立った状態でも豊川からは見えないはずだと、震えそうになりながらも自分の考えをハッキリ口に出す。
 その途端に、今の今までどこか違う空間を見ているようだった豊川の瞳の奥に、揺らめく焔が昇った気がした。
「……ガキが、知ったような口を利くんじゃない! 金を稼ぐ為には打算も必要なんだ。理想だけで生きていけるほど、世の中は甘くない」
「っ、でも、でもっ、銀さんの作品を好きだって言ってくれる人もいる!」
 あの雑貨屋の店長のように、会ったことの無い新郎新婦のように。分かる人は、見てくれている人はちゃんといる。
「困った坊やだ。君さえいなくなってくれれば、彼も考え直して私の所へ戻ってくるでしょうに……こんなに優しく言ってあげても、分からないのですか?」
「そんなの頷けるわけないだろ! 銀さんがオレと一緒にって言ってくれたんだ! オレにとっても夢なんだから、あんたの言いなりになんて絶対にならない!」
「……君は、犬か? なるほど、どうりで安っぽい臭いがすると思った。弱い犬ほど良く吠えるって諺があったことを思い出しましたよ」
「なっ!」
 馬鹿にされているということくらい、さすがのオレにも分かる。
 そりゃあオレは小さいかもしれないし、弱いかもしれないけれど……だけど、誰にも負けないものがひとつだけある。
 それは、オレの頑固さだ!
「何を言われてもオレから離れる気は無いから! 銀さんとお仕事続けたいなら、アンタもちゃんと謝って、ちゃんと話すればいいじゃないか!」
「彼の性格でそう簡単にいくと思いますか? あなたが去ってくれるのが一番手っ取り早い。どうです、一緒にドライブでもしませんか?」
 口元だけで微笑みながら、車のキーを翳した豊川が一歩、こちらへと歩を進めた。チラリと視線を廻らせれば、鳥居の逆側、道から外れた場所にセダンタイプの黒い車が停まっているのが目に入った。

 豊川がこちらに歩を進める毎に一歩ずつ後退りながら、頭の中で銀さんがまだいるだろう小屋までの距離を計算してみる。
(駄目だ。平坦な道じゃ、多分あっという間に追い着かれる)
 大声を上げれば銀さんの耳に届くだろうか。でもそれじゃ、銀さんが来る前に、あの車へと連れ込まれてしまうに違いない。
「私は君のようなガキはタイプじゃないですけど、世の中には色んな輩がいますしね。君を抱きたいというヤツもいるでしょう。映像に納めて売れば、それなりの儲けにはなりそうだ。彼も傷物になったあなたには興味を失くすでしょうし」
「ふざけるな! 絶対にお断りだっ」
 狂ってるとしか思えない言葉を発する豊川を目掛けて、足元の細かい砂混じりの砂利を思い切り蹴り上げる。
 小さな飛礫と一緒に舞い上がった粉塵はどストライクに豊川の顔に降りかかった。
「う、ッ! 待ちなさい!」
「待てって言われて待つ馬鹿はいないよっ」

 砂埃に豊川が怯んだ隙に、オレは一気に森へ向かって駆け出した。さっき小屋を出て来る前に銀さんから言われた言葉を思い出したからだ。

『万が一何かあったら、森の中に逃げろ。境界さえ越えれば変化を解いても良い。身の安全を確保したら、空に向けて懐中電灯を点滅させるんだ、いいな?』

 境界と言っても、目に見える線が引いてあるわけじゃない。
 感覚で感じるしかないそれを、獣人としては悔しいけれど出来損ないの部類に入るオレに分かるとは思えなかったけれど、銀さんの言葉を信じてただひたすら森の中を走り続ける。
 時折手に持っていた懐中電灯を、空を目掛けて点滅させながら、もつれそうになる足を必死に動かし続けた。
(暗くて足元までは良く見えなかったけど、スーツを着てたってことは、きっと革靴を履いてるはずだよね?)
 普段通り銀さんの家にいたことになっているオレの恰好は、当然ながら普段着だ。
 本当だったら折角街に行くんだから、ちょっとはオシャレしたいなっても思ったけど、動き易さ重視で選んだ服とスニーカーが、こんなところで役に立つなんて思わなかった。

「はぁ、は……キッツ……もう、しつこいよっ」
 一生懸命走り続けて、大分森の奥の方まで進んだ気がする。それでも後ろから追い駆けてくる気配は途切れないままだ。
(このままじゃ追い着かれる)
 この間銀さんと一緒に森の中を歩いたおかげで、何となくではあるけれど、森の中の様子は分かっている。多分これまでこの森に入ったことの無い豊川よりも、土地勘はある。
 歩幅を考えれば既に追い着かれていそうなものなのに、聞こえる足音から考えると、少しずつ距離が開いている気がした。
(隠れるなら今しかないよな……って、ここ……)
 どこをどう走って来たかなんて覚えていないけれど、生い茂る樹木の間を駆け続けるうちに、ふっと目の前が開けた。
「はぁ、はぁ……ここ、銀さんの……」
 オレの目の前に突如現れた広い空間。そう、銀さんが連れて来てくれた、お母さんの眠る木がある場所だった。
「ここ、境界の中って、銀さんが言ってた……」
 いつの間にこんなに遠くまで走ってきていたのか。
 くたくたになりながらも、躊躇いを捨ててその場で人型を解いたオレは、懐中電灯だけを銜えて木の根元へと向かった。
(自分が小さいことに感謝する日が来るなんて、考えてもいなかったよ)
 この間銀さんに連れて来てもらった時に見付けた、あの大きな木の根元に空いている小さな空洞を思い出したのだ。犬の姿に戻れば、オレ一人なら何とか潜り込めるはずだった。
(あった!)
 思っていた以上に小さな空間への入口は、それでも何とか身体を潜り込ませることは出来る。
(銀さん……銀さんのお母さん……お願いっ、助けて!)
 穴の大きさから考えれば、オレより大きな獣はもちろん、人間なんて入れるはずはない狭いスペース。その中でもぎりぎり奥へと身体を寄せて丸まる。
 きゅっと丸まりながら、心の中では何度も何度も銀さんの名前を呼んでいた。
 キスだって、銀さんがしてくれたあれが初めてだったのに……あんなヤツに捕まって、知らないヤツラに良いようになんてされたくない。考えただけで吐き気がする。
(オレ、銀さんじゃなきゃヤダ。銀さんが好きなんだ……銀さん、助けて)
 小さく小さく身を縮め、隠れていた時間はどの程度だったのだろうか。
 ザッ、ザッっと土を踏む音が、オレの隠れる木の方へと近付いて来るのが分かった。


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