13 / 48
孤狼に愛の花束を (13)
しおりを挟む作業に戻った俺を、小太郎は前述の言葉通り邪魔をしないようにと気遣いながら、小屋の中を大人しく観察して回っていた。
棚に無造作に置いてある、売り物にはならない器。壁際に置かれた作業道具。材料となる胎土や釉……そして、なぜか彼が気に入ったらしい年代物の薪ストーブ。
時折俺の了承を得ながらストーブに薪をくべ、薪の爆ぜる様子を見る度に嬉しそうに顔を綻ばせていた。
暫らくの間、そうして興味深げに俺の作業や小屋の中を眺めていた小太郎が、辺りが夕焼けに包まれる頃に腰を上げた。
「銀さん、オレ今日はそろそろ帰る」
「……ああ、そうだな」
小屋の壁に掛けられた時計を見上げれば、時刻も既に16時を回っていた。冬場は日が落ち始めれば、暗くなるまでは一瞬だ。
トンネルを抜けて獣人界へと戻る小太郎にとっては、これでもギリギリまで粘っていたということなのだろう。残念そうな口調で帰ると口にした小太郎の顔は、口調を裏切らないしょんぼりとした表情をしていた。
「これにでも入れて行け」
「ありがとう! 今日小さい鞄で来たからどうしようかと思ってたんだ」
不器用にパッキン材が巻かれた数個の器を前に眉を寄せている小太郎に、隅の方に投げてあった布袋をくれてやる。街で買い物をした際に、キャンペーンだか何だかで貰ったエコバッグとかいう物だ。
「銀さんこれ新しいけど、使っちゃって良いの?」
「貰いものだし俺は使わないからな」
「ありがと……って、これ……あれ?」
「何だ?」
「……ううん、ありがたく使わせてもらうね」
ビニールの袋に入ったままだった布袋を取り出した小太郎が、首を傾げながら器を中へと入れていくのを、俺は黙って見守った。
薪ストーブで暖められていた室内を一歩出れば、吹き付ける冬の風にふるりと背が粟立つ。
「うっわ、寒い! ……じゃあ銀さん、また週末に来るから! 今日はありがと!」
再びコートを着込み、マフラーを巻き付けた小太郎が小走りでトンネルへと向かいながら、笑顔で手を振って寄越す。
小さくなって行く背中から目を逸らすことも出来ずに、俺は扉に寄り掛かったまま、遠くなる小太郎の姿を目で追っていた。
「――はぁ」
何度も何度も振り返りながらトンネルの中へと消えて行った小太郎。
なぜ俺は、彼を追い返すことも出来なければ、もう来るなとも言わなかったのだろうか。溜息がひとつ、口から零れ落ちる。
こんなに長い時間同じ空間に他人と共にいるなんて、爺さんの生きていた頃以来だ。
母屋に泊めた時には別の部屋にいたから、他人と一緒に過ごしているという意識も薄かったのだけれど、今日はずっとこの小屋の中で二人で過ごしていたのだ。
「……まあ確かに、邪魔はされなかったがな」
小太郎が傍にいたことで、取り立てて集中力を欠いたわけでもなかった。存在自体は煩いほどに感じるのに、そこにいるのが邪魔だとは思わなかったのだ。
「不思議なヤツだ」
こんな無愛想な俺に懐いて、また来ると言って帰って行く。同じ台詞を耳にするのも、これで三度目だ。多分本当に、アイツはまた来るつもりでいるのだろう。
次第に紫の色が濃くなって来た空を見つめて言葉を紡げば、吐き出す息が白く空気に溶けていく。本格的に雪が降り出すのも近そうだ。
「週末……」
何のためにここに来たいと言うのかは分からなかったけれど、嫌だとも感じていない自分自身のことも不思議だった。
嫌などころか、たっぷりの砂糖とミルクを入れてコーヒーを啜っていた小太郎を思い出し、ココアも置いておこうかと思っている自分がいる。そんな自分自身の心の変化に、この時の俺はまだ、気付いてはいなかった。
「そういえば今日は、耳も尻尾も見なかったな」
結界を越えたら人型のままでいろと言ったのは俺なのに、あの小さな三角耳が見られなかったことが、ほんの少し残念な気がしていた。
◇◆◇
日暮れが迫る道を、銀さんに見送られての帰り道、緩む頬を引き締めるのが大変だ。
いつもなら昼間でも暗いトンネルの中を一人で潜り抜けるのは怖いのに、今日は全然怖さを感じることも無い。
「へへ……約束しちゃったもんね」
銀さんからもらった器の入った袋はちょっと重いけど、この重さがさっきまでの時間を証明してくれている気がして嬉しい。
玄関先で何度名前を呼んでも銀さんの気配は感じられなくて、本当は途方に暮れていた。
帰った方が良いのかなって思いながら、それでももう少し待てば会えるかもしれない。そんな期待が捨て切れずに辺りを何度かウロウロとしてみた。だけど目に付くような場所では探す姿は見付からなくて、どうしようかとしゃがみ込んだところに、銀さんの声が降って来たのだ。
『また来たのか』
そんなぶっきら棒な呆れた声でも、オレの声に気付いて来てくれたんだと思ったら嬉しくて。少し困ったような表情でさえ、会えた嬉しさに変わってしまった。
追い返されるかもしれないとも思っていたし、本当はちょっぴり怖かったけど……作業場の中にまで入れてくれて、温かなコーヒーをご馳走してくれて。
「今日は良い日だった、うんっ! でも銀さんは、ゴローちゃんに会いたかったのかな……ま、いっか」
難しいことは考えない、これに限る。銀さんが誰に会いたいかなんて関係ないんだ。オレが、銀さんに会いたいんだもん。
多少は無理矢理だったかもしれないけれど、今度はちゃんと遊びに行くことも了承してもらえた。それが何よりも嬉しかった。
ひと言ひと言が切り捨てるような言葉でも、そこに隠れた優しさが見えるから。
今日だって作業をしながら、オレの質問にもちゃんと答えてくれた。陶芸なんて間近で見たことは無いから、今日銀さんがやっていた土をふるいに掛ける作業も、オレには何をやっているのかさっぱり分からなくて。
「うるさいって怒られるかと思ったけど――へへ、やっぱ銀さん優しいや」
もらった作品は売り物にはならないと言っていたけれど、その辺の店で見掛ける物よりも、オレは好きだと思った。シンプルで飾り気は無いのに、ほんのり温かみを感じられる。
「帰ったらシローちゃんにホットミルク作ってもらおうっと」
欲張って兄弟の人数分貰ってきた器。
銀さんに教えてもらった言葉によると、カフェオレボウルっていうらしい。持ち手は付いていない、シンプルな半球のカップ。
両手で持てばしっとり手の平に馴染む気がして、ひと目で気に入った。
「……オレが作ったらぐちゃぐちゃになりそう」
銀さんと過ごした時間を思い返しながら歩く家までの道程はあっという間で。また週末になればあの不思議と落ち着く空間に、銀さんの傍にいられるのだと思うと、肌を刺すような寒ささえ苦には感じなかった。
「よぉし……オレも、頑張ろう」
トンネルを潜って獣人界へと戻ってからは、さすがに疲れて半変化の状態に戻っていたけれど、今日はあっち側にいる間、一度も耳と尻尾は出さなかった。
時間にすれば半日にも満たない時間だけれど、オレにとっては大きな進歩だ。
兄貴達に街へ連れて行ってもらう時は、いつも車で行くから気楽なものだった。念の為に帽子を被って、ぶかぶかのパンツとダボっとしたシャツを着て、万が一耳や尻尾が出ても誤魔化しが利くようにと気を付けてはいる。だけど完全な人型でいる時間は本当に短い間だけだった。それだけでも結構疲れて大変だったんだ、オレにとっては。
だから今日のオレの頑張りは、自分的には自慢出来るくらいのレベル。少しずつでも人型でいられる時間を増やしていければ、オレが一人で街へ行くことも出来るようになるはず。
「ただいまあ!」
気合を入れ直しながら玄関の扉を開けるオレの心の中は、既に次の週末へと向かっていた。
◇◆◇
小太郎が『また来る』と約束を取り付けて行った日から数日。気付けば約束の週末がやって来ていた。
「……週末っていうのも、また随分アバウトだな」
朝の日課である結界の見回りと爺さんへの墓参りを済ませて、今にも降り出しそうな灰色の空を見上げて独りごちる。
季節は晩秋から冬へと移行し、気の早い動物達の中には巣篭もりの準備を始めているやつらもいるようだった。
「そろそろ湯も沸いたか?」
見回りに出る前に立ち寄った作業小屋、小太郎が気に入っていた薪ストーブの上に、これもかなり年季の入っているヤカンを置いて来た。
先日買出しに街へ出掛けた時に買って来たバゲットを脇に乗せて焼き、夏に作った木苺のジャムを乗せる。沸いた湯でコーヒーを淹れれば、今日の朝食の準備も完了だ。
悴む手を上着のポケットに突っ込んで歩きながら、小太郎の言葉を真に受けて、ココアの他に紅茶まで作業小屋に用意してしまった自分に苦笑する。
「今日は手びねり品に手を付けるか……」
来るのか来ないのかも分からない小太郎のことを考えていても仕方がないと、今日の作業を頭に思い浮かべながら簡単な朝食を済ませた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
47
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる