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孤狼に愛の花束を (12)
しおりを挟む「――ここだ」
「え? ここ?」
窯の隣に立てられた質素で古い木造の建物。掘っ立て小屋に毛が生えたような物置小屋のような建物を、躊躇無く指し示した俺の視線を追う小太郎の瞳が、大きく見開かれた。
唖然としている小太郎はそのままに、扉を開けて中へと入る。多少の躊躇いを見せていた小太郎も、小さな声で『お邪魔します』と呟きながら、恐る恐る中へと足を踏み入れた。
「わっ、あったかい! 生き返る!」
「……ここにはコーヒーしか無いが、お前も飲むか?」
「うんっ!」
古びた建物の外観に戸惑いを見せていた小太郎が、俺には眩しいくらいの笑顔を浮かべて駆け寄ってくる。
物珍し気にきょろきょろと室内を見回していた小太郎の瞳が、とある場所に止まった途端に輝きを増した。
「あ、このストーブ! 家の中にあったのと一緒だね」
「ああ……母屋の方は滅多に使わないがな」
「ええっ、そうなの? 勿体無い!」
「掃除が面倒なんだよ――ほら」
「ありがと」
ミルクと砂糖は勝手に入れろと、カフェオレボウルに淹れたコーヒーを差し出す。
両手でしっかりと受け取った小太郎が、言われた通りにミルクと砂糖をたっぷりとコーヒーに溶かしながら、しきりに『勿体無い』を連発するのが面白い。
薪ストーブなんて面倒な物なのに、日常で使う身になってみないと、大変さも分からないのだろう。
「……ねえ銀さん」
「何だ? その辺に適当に座っておけ」
「うん……って、そうじゃなくて」
「だから、何だと聞いているだろう?」
半土間のような作りになっている作業小屋の端に腰を下ろした小太郎が、零さないように丁寧に器を脇に置き、着込んでいたコート類を脱いでいく。視線が部屋の中をうろついた後で、脇に置いた器へと注がれた。
「このカップ、銀さんが作ったの?」
「――ああ」
自分の分の器を手に、先ほどまで作業をしていた場所へと戻った俺は、意外な質問を口にした小太郎を思わずマジマジと見てしまった。
まさかそんな問いが掛けられるとは思っていなかった。
「すっげえ……銀さんすごい! オレもこういうの欲しいなあ」
「……欲しいなら好きなだけ持って行け。その辺の棚に乗せてある」
「えっ嘘、良いの? マジで? オレ本当に貰って行っちゃうよ?」
先ほどの飲みかけの冷めたコーヒーを啜りながら、視線を小太郎の背後にある棚へと向けてやる。
軽く釉を用いただけの、絵付けも何もしていないシンプルな代物だ。売り物としては余り需要も無いそれらは、気晴らしと窯慣らしのために試し焼きした物だった。
「この間の飯の礼だ」
『美味かった』と言葉を添えて、そんな物で良いならと告げた俺に、小太郎は酷く驚いた顔をする。その顔が、言葉の意味を正確に捉えた瞬間にふにゃりと緩んだ。
「へへ、良かった。銀さん食べてくれたんだね」
「捨てるのも悪いからな」
「シローちゃん、絶対喜ぶよ! えっと、じゃあ何個か貰って行っても良いかな?」
「好きなだけ持って行けと言っただろう。何度も同じことを言わせるな」
「銀さん、ありがとっ!」
本当に調子が狂う。他人に興味を覚えたことなどこれまで無かったというのに、くるくると絶え間無く変わっていく小太郎の表情に、ついつい目を奪われてしまう。
たまに街へと出た時に会う人間に対しても、同じ獣人としての気配を感じる相手にしても、俺にはどれも同じ顔に見えていた。
というよりも、一個人として認識してしまうことを避けて生きてきた。独りで生きていくと決めていた俺にとって、他人に振り回されてしまうことは余り好ましいことでは無いからだ。
「銀さん、こんなに貰って行っても大丈夫? 一応、兄弟の数分だけにしたんだけど……」
「そこに転がってるパッキン材で包んでおけ。そのまま持って歩いたら割れる」
「うんっ」
深入りすべきじゃないと分かっているのに、なぜ俺は小太郎を追い返せないのだろう。それどころか、こんな場所にまで通して飲み物を差し出し、土産までくれてやろうとしているのだから不思議だ。
自分で自分の行動が分からないなんて、これまでの生活の中では考えられないことだ。
「ねえ銀さん……オレさ、たまに遊びに来ても良いかな?」
「遊びに?」
「あっ、仕事の邪魔はしないよ! 絶対しないから……駄目?」
俺の顔色を窺うように、器を抱えながら小太郎がそっと視線を合わせて来る。
耳 が出ていないのが残念なくらいだ。見えていればきっと、あの三角の耳が、今はぺたりと垂れているに違いない。
「……俺は構ってはやらないぞ」
「っうん! うん、平気! 邪魔になんないように、オレも隅っこで好きなことさせてもらうから!」
「好きなこと?」
「うんっ」
断られると思っていたのだろう。俺の口にした答えに、見えないはずの尻尾が盛大に振られている様が見える気がした。
「……取りあえず、座ったらどうだ? 落として割られそうだ」
「あ――」
「好きなこと」と勢い込んで言う小太郎の、積み重ねた器を両腕で抱えながらの興奮した表情に対して、呆れた眼差しを向けてやる。
自分が器を抱えたままだったことを忘れていたのか、俺の視線を受けた小太郎の頬が恥ずかしそうに薄っすらと色付いた。
(白いな――)
普通は種が犬ならば、外に出て行動的に動くような気もするのだが。小太郎の肌は日焼けの経験が無いんじゃないか思うほど、透き通って見えた。
もっとも、日に焼けたせいなのかもともとが地黒なのか、冬になっても肌が白くなることの無い俺なんかと比較しているせいもあるのだろうけれど。
「オレね、小さい頃から大好きな絵本があってさ」
ようやく器を下ろして座った小太郎が、不器用な手付きでパッキン材を切りながら語り始める。ひとつ包む分を切り分けては、淹れてやったコーヒーを美味そうに啜る。黒から茶色へと色を変えた甘そうなコーヒー。見た目も幼く感じるが、どうやら味覚も同様らしい。
「お話も大好きで、一字一句覚えてるくらいなんだけど……絵が、とっても綺麗なんだ。そのイラスト描いた人にずっと憧れててさ、いつかサイン会とかあったら行ってみたいなあ……って言っても、今のままじゃ一人で街になんていけないんだけどね」
少し悲しそうな微笑を浮かべながら、小太郎が遠くを見るようにして語る。言っている意味は良く分からなかったが、過保護な双子の兄のことを思えば、コイツにも色々と思うところがあるのかもしれない。
「絵?」
「うん……オレもいつか、あんな風に絵本のイラスト描いたりしたいなっていうのが、オレの夢なんだ」
へへ、と笑う小太郎の表情は、やはり少し寂し気で。俺を見付けて駆け寄ってくる時の笑顔とはまるで違う表情が、何だか気に入らない。
「やりたいならやればいい」
「そう簡単にはいかないよぉ、オレのレベルじゃまだまだお金なんて稼げないもん」
放って置けばいいものを、そうと分かっていながら声をかけてしまう。そして小太郎が面食らった顔をしながらも、俺の言葉に首を振る姿を見て安堵する。
「そういうものか」
「そういうものだよ! 銀さんってばオレより絶対年上のくせに、そういうの疎い人?」
「疎い? まあ、そうかもしれないな――絵本なんてものは、そういえば俺は一度も見たことが無いな」
「うそでしょっ?」
「嘘を吐いても仕方が無いだろう」
「だって、小さい頃も? 読んだこと無いの?」
「無いな」
一度も、というには語弊があるのかもしれない。記憶にも薄っすらと残っているかいないかほどの大昔、母に抱かれて読み聞かせられたことがあったような気もする。
森で狼として暮らすようになって、両親を失い爺さんに拾われた。
家族もいない爺さんが、子供の俺を文字通りの子供として扱った記憶は殆ど無い。勿論、絵本などという代物を買ってもらった覚えも無い。その代わりに独りで生きて行くための知恵と術は、厳しく叩き込まれた。俺としてもそれだけで十分だったのだが、小太郎には違ったらしい。
「じゃあ! じゃあ今度来る時に持って来る! すっごく綺麗なんだ!」
瞳を輝かせる小太郎の様子に、先ほどのような寂し気な顔を見せられるよりはずっと良いと、そんな柄にも無いことを思っていた。
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