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番外編
夜更けの散歩は死の谷へ
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翌朝、まだシンとした空気の中ロウソクの灯りの中で何とか着替えを済ませて部屋を出る。
こんな時間にウロウロしていたら咎められるのではとヒヤヒヤしたが誰にも出会うことなく中庭へとやって来た。
どこで待てとも言われていないけどあの人ならどこにいようと現れるだろうし。
外はヒンヤリと寒く目の前は暗い上に霞んでいて自分の鼻先すら見えない。
帝国は過ごしやすい気候な割りに夜は冷え込み霧に満ちていることが多く到着したばかりの頃はその寒暖差と怪しげな景色にゾッとしていた。
豪華な1人部屋は暖かく過ごしやすいが必要以上に関わらないと言わんばかりの使用人たちはいつも姿が見えず世界にひとりぼっちになったような気がしたものだ。
他の同行者たちは皆短い滞在期間を有効に使おうと慌ただしくしているらしくあまり姿を見ないし。
「まぁ、もう慣れたけど。」
ポツリと呟いた時、ゆっくりと近づいてくる灯りと人の気配を感じた。
「おはようございます。」
居場所を知らせるためにも心持ち大きめの声を出す。
しかし、ゆるやかに滲み出るように現れた姿は想像していた人物ではなかった。
「おはようハフス嬢。迎えにきたよ。」
当たり前のように向けられる笑顔に一瞬見入ってしまってそんな自分に呆れて顔に熱が集まってくる。
「わざわざありがとうございます…殿下。」
「殿下は堅苦しいな。ソーマでいいよ。」
一国の皇子を呼び捨てにできるわけがないのに当たり前のようにそんなことを言ってくる。
まぁちょっと前の私だったら躊躇なく呼び捨てにしていただろうけど…
「では、ソーマ様と…」
苦肉の策でそう提案すると、ソーマ皇子は何故か驚いたように目を見開いてからニカっとまさに太陽のように明るく笑顔を浮かべた。
「いいね。では参りましょうか、ロベリア・ハフス嬢。」
そう言って片腕を差し出す。
私はそっとその太い腕に手をかけながら
「どうぞロベリアとお呼びください。」
と、なんだか覇気のない声を出してしまった。
こんな肌寒く濃い霧の中でも彼の笑顔は間近で見るにはまぶしすぎる。
なんだか居心地の悪さを感じている私とは違いソーマ皇子は小さく鼻歌を歌いながらスイスイと私をエスコートして中庭の開けた場所まで連れて行ってくれた。
彼が掲げる明かりがキラキラとしたものを照らし出したと思ったら、そこにアロイス様がいて私たちに向かって大きく何回か手を振ってくる。
すると急に視界がぐるりと反転したような感覚に陥り、後ろに倒れそうになった。
アッと思った時にはがっしりとした手が背中を支えていて驚いて見上げるとまたあの笑顔がさっきより近くにある。
「大丈夫か?アロイス殿は少し強引だからな。」
私は慌てて体勢を整えてお礼を言うが、それを遮るように声がかけられる。
「少し早めに着いたからまだ日の出まで時間があるね、見てみなよロベリア嬢。すごい景色だろう?」
私はソーマ皇子から急いで離れると辺りを見回した。
先ほどから感じていたことだが、すごい熱気だ。
そして、普通の令嬢なら即、気絶するであろう光景が広がっている。
辺りは煤だらけで真っ黒。風が強く吹く崖っぷちには霧ではなく煙がもうもうと崖下から上がり、その先端で嬉しそうにアロイス様が下を手で指し示していて、その顔は鮮やかな朱色の光に照らされている。
私は恐る恐るアロイス様の隣に立ち下を覗き込んだ。
痛いほど熱い熱気が顔を直撃し、目を開けていられない。吹き上がる熱気と風が私の髪を舞い上がらせる。
慌てて防御魔法をかけ、少し慣れてからゆっくりと目を開くと、赤々と燃える谷底が目に入った。
まるで、火山を上から覗き込んでいるようだが、炎の感覚がまるで違う。
爆破するような力強さではなくひたすらに長く燃え続けることを楽しんでいるかのようなまるでダンスを踊っているような炎の大群がそこにはあった。
じっと暖炉の炎に見入るようにしばらくその場から動けない。
「ここは…一体…」
ようやくそう言葉にすると、アロイス様とソーマ皇子がいつの間にか私を挟むように隣に立っていた。
「炎の谷、バラの雫と呼ばれる希少な宝石が産出される場所だよ。死の谷とも呼ばれてるけどね。」
バラの雫…聞いたことがある。
まるで血を固めたような鮮やかな赤色のその石は研磨するにも高い技術が必要で、小さなかけらだとしても驚くような高値がつくと言われている。
『この地は父上が私に下賜してくださった。バラの雫を狙う輩が多いからな。あれは副産物でしかないというのに。
ここは精霊たちの領域だ。不用意に近づいては命を落とす。今は我々が厳しく見張っている。』
なんとかソーマ皇子の言葉を理解し終えた時アロイス様がこちらに顔を向けてきた。
「君なら感じとれるんじゃない?ロベリア嬢。この地に溢れる力をさ。」
彼の言葉に私は即座に頷いていた。
突然連れてこられた瞬間から感じていたことだ。
熱い熱風に負けない位強く感じられる炎の力。精霊たちの活気溢れるこの谷はまるで炎の精霊たちの小さな村みたいだ。
彼らが笑い、怒り、悲しみ、楽しんでいるのがこの谷の空気全体から感じられる。
谷間をずっと覗き込んでいた体制から姿勢を立て直し、防御魔法を外す。隣に立っていた二人も示し合わせたように離れていく。
そうするとますます彼らの力と声のようなものがワッと押し寄せてくる。
《見せて見せて、あなたも私たちの仲間に加わろうよ》
誘いかけてくるそれが身体中を駆け巡り胸が高鳴る。
瞳を閉じて、すっと息を吸い込みあふれ出しそうな胸の高まりを絡めるように呪文を紡ぐ。
体からたくさんの魔力が抜け出すとともに、この地に溢れる魔力が入れ替わるように入ってくる。
それは全く不快ではなく、まるで綺麗な空気に体が満たされるような。自分の部屋で思う存分くつろいでいるようなひどく満たされた気持ちになる。
そうかと思うと今まで感じたことがないような、足先から頭のてっぺんまで暖かく心地よい魔力に満たされて、今ならものすごく大きな魔法もやすやすと扱うことができそうな力に満ち溢れた気持ちになった。
大きく息を吐いてゆっくりと目を開ける。
ちょうど太陽が昇り始め辺りは薔薇色に包まれている。あまりに美しい風景に涙が溢れてきた。
今までこんなにも自分を受け入れてくれる場所があっただろうか…
こんなにも満たされた気持ちになれるところがあっただろうか…
呆然と炎の力に酔いしれていた私の肩にトンと手が置かれて、アロイス様が唐突に現実に引き戻してきた。
「はい、そこまでね。
このまま彼らの中に溶け込んじゃうんじゃないかと思ったよ。まぁ君ほどの魔力持ちなら自我を保つことはできるだろうけど、初めてのことだしあまり長く彼らとつながるのも危ないからね。」
ハッとして振り返ると少し離れた場所からソーマ皇子がジッとこちらを見つめていた。
笑顔ではない真剣な眼差しにドキッとして落ち着かない気持ちになる。
相変わらずの熱風に髪を流されながら、それでも何故か視線を逸らすことはできなかった。
こんな時間にウロウロしていたら咎められるのではとヒヤヒヤしたが誰にも出会うことなく中庭へとやって来た。
どこで待てとも言われていないけどあの人ならどこにいようと現れるだろうし。
外はヒンヤリと寒く目の前は暗い上に霞んでいて自分の鼻先すら見えない。
帝国は過ごしやすい気候な割りに夜は冷え込み霧に満ちていることが多く到着したばかりの頃はその寒暖差と怪しげな景色にゾッとしていた。
豪華な1人部屋は暖かく過ごしやすいが必要以上に関わらないと言わんばかりの使用人たちはいつも姿が見えず世界にひとりぼっちになったような気がしたものだ。
他の同行者たちは皆短い滞在期間を有効に使おうと慌ただしくしているらしくあまり姿を見ないし。
「まぁ、もう慣れたけど。」
ポツリと呟いた時、ゆっくりと近づいてくる灯りと人の気配を感じた。
「おはようございます。」
居場所を知らせるためにも心持ち大きめの声を出す。
しかし、ゆるやかに滲み出るように現れた姿は想像していた人物ではなかった。
「おはようハフス嬢。迎えにきたよ。」
当たり前のように向けられる笑顔に一瞬見入ってしまってそんな自分に呆れて顔に熱が集まってくる。
「わざわざありがとうございます…殿下。」
「殿下は堅苦しいな。ソーマでいいよ。」
一国の皇子を呼び捨てにできるわけがないのに当たり前のようにそんなことを言ってくる。
まぁちょっと前の私だったら躊躇なく呼び捨てにしていただろうけど…
「では、ソーマ様と…」
苦肉の策でそう提案すると、ソーマ皇子は何故か驚いたように目を見開いてからニカっとまさに太陽のように明るく笑顔を浮かべた。
「いいね。では参りましょうか、ロベリア・ハフス嬢。」
そう言って片腕を差し出す。
私はそっとその太い腕に手をかけながら
「どうぞロベリアとお呼びください。」
と、なんだか覇気のない声を出してしまった。
こんな肌寒く濃い霧の中でも彼の笑顔は間近で見るにはまぶしすぎる。
なんだか居心地の悪さを感じている私とは違いソーマ皇子は小さく鼻歌を歌いながらスイスイと私をエスコートして中庭の開けた場所まで連れて行ってくれた。
彼が掲げる明かりがキラキラとしたものを照らし出したと思ったら、そこにアロイス様がいて私たちに向かって大きく何回か手を振ってくる。
すると急に視界がぐるりと反転したような感覚に陥り、後ろに倒れそうになった。
アッと思った時にはがっしりとした手が背中を支えていて驚いて見上げるとまたあの笑顔がさっきより近くにある。
「大丈夫か?アロイス殿は少し強引だからな。」
私は慌てて体勢を整えてお礼を言うが、それを遮るように声がかけられる。
「少し早めに着いたからまだ日の出まで時間があるね、見てみなよロベリア嬢。すごい景色だろう?」
私はソーマ皇子から急いで離れると辺りを見回した。
先ほどから感じていたことだが、すごい熱気だ。
そして、普通の令嬢なら即、気絶するであろう光景が広がっている。
辺りは煤だらけで真っ黒。風が強く吹く崖っぷちには霧ではなく煙がもうもうと崖下から上がり、その先端で嬉しそうにアロイス様が下を手で指し示していて、その顔は鮮やかな朱色の光に照らされている。
私は恐る恐るアロイス様の隣に立ち下を覗き込んだ。
痛いほど熱い熱気が顔を直撃し、目を開けていられない。吹き上がる熱気と風が私の髪を舞い上がらせる。
慌てて防御魔法をかけ、少し慣れてからゆっくりと目を開くと、赤々と燃える谷底が目に入った。
まるで、火山を上から覗き込んでいるようだが、炎の感覚がまるで違う。
爆破するような力強さではなくひたすらに長く燃え続けることを楽しんでいるかのようなまるでダンスを踊っているような炎の大群がそこにはあった。
じっと暖炉の炎に見入るようにしばらくその場から動けない。
「ここは…一体…」
ようやくそう言葉にすると、アロイス様とソーマ皇子がいつの間にか私を挟むように隣に立っていた。
「炎の谷、バラの雫と呼ばれる希少な宝石が産出される場所だよ。死の谷とも呼ばれてるけどね。」
バラの雫…聞いたことがある。
まるで血を固めたような鮮やかな赤色のその石は研磨するにも高い技術が必要で、小さなかけらだとしても驚くような高値がつくと言われている。
『この地は父上が私に下賜してくださった。バラの雫を狙う輩が多いからな。あれは副産物でしかないというのに。
ここは精霊たちの領域だ。不用意に近づいては命を落とす。今は我々が厳しく見張っている。』
なんとかソーマ皇子の言葉を理解し終えた時アロイス様がこちらに顔を向けてきた。
「君なら感じとれるんじゃない?ロベリア嬢。この地に溢れる力をさ。」
彼の言葉に私は即座に頷いていた。
突然連れてこられた瞬間から感じていたことだ。
熱い熱風に負けない位強く感じられる炎の力。精霊たちの活気溢れるこの谷はまるで炎の精霊たちの小さな村みたいだ。
彼らが笑い、怒り、悲しみ、楽しんでいるのがこの谷の空気全体から感じられる。
谷間をずっと覗き込んでいた体制から姿勢を立て直し、防御魔法を外す。隣に立っていた二人も示し合わせたように離れていく。
そうするとますます彼らの力と声のようなものがワッと押し寄せてくる。
《見せて見せて、あなたも私たちの仲間に加わろうよ》
誘いかけてくるそれが身体中を駆け巡り胸が高鳴る。
瞳を閉じて、すっと息を吸い込みあふれ出しそうな胸の高まりを絡めるように呪文を紡ぐ。
体からたくさんの魔力が抜け出すとともに、この地に溢れる魔力が入れ替わるように入ってくる。
それは全く不快ではなく、まるで綺麗な空気に体が満たされるような。自分の部屋で思う存分くつろいでいるようなひどく満たされた気持ちになる。
そうかと思うと今まで感じたことがないような、足先から頭のてっぺんまで暖かく心地よい魔力に満たされて、今ならものすごく大きな魔法もやすやすと扱うことができそうな力に満ち溢れた気持ちになった。
大きく息を吐いてゆっくりと目を開ける。
ちょうど太陽が昇り始め辺りは薔薇色に包まれている。あまりに美しい風景に涙が溢れてきた。
今までこんなにも自分を受け入れてくれる場所があっただろうか…
こんなにも満たされた気持ちになれるところがあっただろうか…
呆然と炎の力に酔いしれていた私の肩にトンと手が置かれて、アロイス様が唐突に現実に引き戻してきた。
「はい、そこまでね。
このまま彼らの中に溶け込んじゃうんじゃないかと思ったよ。まぁ君ほどの魔力持ちなら自我を保つことはできるだろうけど、初めてのことだしあまり長く彼らとつながるのも危ないからね。」
ハッとして振り返ると少し離れた場所からソーマ皇子がジッとこちらを見つめていた。
笑顔ではない真剣な眼差しにドキッとして落ち着かない気持ちになる。
相変わらずの熱風に髪を流されながら、それでも何故か視線を逸らすことはできなかった。
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