無冠の皇帝

有喜多亜里

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【02】マクスウェルの悪魔たち(上)

20 推理しました

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「また妙なことを調べさせているな」

 端末のディスプレイを眺めながら、アーウィンは薄く笑った。

「今度は何だ?」

 どうせまたドレイク関係のメールを〝検閲〟しているのだろう。呆れつつもヴォルフが訊ねるとアーウィンは一言答えた。

「指紋鑑定」
「は?」

 わけがわからなかった。
 こういう場合、アーウィンに問い返すよりも自分で直接見てしまったほうが早い。ヴォルフはソファから立ち上がると、アーウィンの背後からディスプレイを覗きこんだ。

「転属願に付着していた指紋……こんなものを調べさせて、いったいどうする気だ?」
「さあな。どうするつもりかはわからんが、とにかく、この転属願は本人の意志に反して総務に提出されたものだったのだろう。あの変態はその〝犯人〟を知りたかった」
「こいつらがそうなのか?」
「あくまで〝容疑者〟だ。〝犯人〟は別にいるかもしれない」
「今度はこれをもとに取り調べでもするのか?」
「いや、自分でそこまではしないだろう。それならこの結果をそのままダーナに送りつけてしまったほうが早い。どうやらダーナ大佐隊内部の問題らしいからな」
「……ダーナはこういうの、ものすごく嫌いそうだな」
「ああ、嫌う。おそらく、徹底追及して〝犯人〟を除隊に追いこむだろう」
「じゃあ、それまで〝犯人〟はわからないか」
「それはあの変態がどのような対応をとるかによるな」
「対応って……ダーナに知らせるんじゃないのか?」
「あえて避けるかもしれん。あの男は一刻も早く、ダーナ大佐隊のゴタゴタを収束させたいと思っている。そのために、アルスターたちにも、とりあえず馬鹿どもを引き取らせた。それでも、まだダーナ大佐隊には馬鹿が数多く残っている。ダーナになるべく負担のかからない方法をとろうとするのではないか、あの変態は」
「メールは二回しか直接送ったことがないが、ドレイクはずいぶんダーナに気を遣ってるな」
「それだけ今は右翼が不安なのだろう。左翼も決して盤石ではないが、この際、後回しにしている」
「盤石じゃない? アルスターなのにか?」
「元ウェーバー大佐隊だけならともかく、元マクスウェル大佐隊の馬鹿も抱えこまされたからな。だが、アルスターならどうにかするだろう。ダーナなら決してとらない手段を使ってでも」
「そういやアーウィン。配置図はいつ送信するんだ? もう作ってはあるんだろ?」
「あるが、私も待っている」

 アーウィンは笑って頬杖をつく。

「あと一人、〝運命の出逢い〟というやつを」

 * * *

 イルホンの端末に送られてきた情報部の調査結果を、ドレイクはディスプレイ上では見ずにプリントアウトさせ、自分の手元に持ってこさせた。
 ちなみに、こんなことを情報部にすぐに調べてもらえるのは、ドレイクが〝採用試験〟のときにこっそり培ったコネの賜物である。コネとはこうやって作るものなのかとイルホンはドレイクを見て学んだ。

「さすがに情報部はすげえよな。『連合』の艦隊の位置からプリンタの種類まで把握してやがる」

 調査結果を見ながら、感心したようにドレイクが言う。パラパラめくっているようにしか見えないが、あれでだいたいの内容は頭に入っているのだろう。早く結果を教えてほしいと目で訴えているセイルに、ドレイクはにたりと笑った。

「これをこのまま見せてもいいけど、時間がもったいないから、結果だけかいつまんで言うよ。指紋は全部で六人分検出された。そのうち二人は総務の人間だったから除外。実質、次の四人が〝容疑者〟だ。一、ヴァッサゴ中佐(元マクスウェル大佐隊所属第三班班長)。二、エリゴール中佐(元マクスウェル大佐隊所属第四班班長)。三、ムルムス中佐(元マクスウェル大佐隊所属第九班班長)。四、アグレアス少佐(元マクスウェル大佐隊所属第三班第一号副長)。……なかなかショッキングな結果だね」

 セイルは確かにショックは受けていたようだったが、先ほどドレイクにフォルカスのことを当てこすられたときほど動揺はしていないようにイルホンには見えた。心当たりはないでもないと言っていたから、その心当たりどおりだったのかもしれない。

「でも、指紋が検出されたからといって、この四人全員が関与しているとも言いきれない。たとえば、まだ何も記入されてない転属願に何らかの理由をつけて触らせれば、それで指紋はつけられる。それに、イルホンくんみたいに、手袋をして転属願に触れた人間だっていたかもしれないしね。情報部もそう考えたのか、こちらが頼んでもいないのに、筆跡鑑定までしてくれた。その結果、百パーセントに近い確率でヴァッサゴ中佐――三班長だそうだ。……六班長。君、ほんとはこの転属願のコピーを見た時点で、もうわかってたんじゃないのかい? だからつい〝自分が犯人だったら他人に書かせる〟なんて口を滑らせた。つまり、君は三班長が実行犯だとわかってはいたが、犯人は別にいると確信していた。……違う?」
「大佐の前では、どんな嘘をついても見抜かれてしまいそうですね」

 セイルは苦笑いして、膝の上で両手を組んだ。

「確かに、筆跡で三班長だとはわかりました。しかし、彼はこんなことを思いつける人間ではないように自分には思えたのです。今回は大佐が早急に回収してくださったので難を逃れましたが、通常でしたら、このような転属願は却下されて、ダーナ大佐のところに送られていたでしょう。何しろ、転属希望理由が〝ダーナ大佐が大嫌いだから〟ですから」
「ははは、目的は却下されることだからね。それがいちばん却下されやすい理由だと思ったんだろ。〝ドレイク大佐隊にはフォルカスがいるから〟とかじゃなかっただけよかったじゃない。俺だったらそう書くけど」
「た、大佐……」
「まあ、それはともかく、あの転属願を書いたのが三班長であることはほぼ間違いない。でも、他に四班長、九班長の指紋までついてる。たぶん、アグレアス少佐は総務に転属願を提出するようお使いを頼まれただけだろうから、これだとまるで三人の班長が共謀して、偽の転属願を提出したように思える。が、本当にそうだとしたら、実にお粗末な〝策略〟だ。
 たとえば、犯人の思惑どおり、あの転属願が却下されて、ダーナ大佐のところに送られていたとしよう。当然、君はダーナ大佐に尋問されることになるだろうが、指紋を調べるまでもなく、筆跡で三班長が書いたのだとすぐにバレる。もしかしたら、三班長は君に転属願を書くよう頼まれたと言い張るかもしれないが、もし君が本気で転属されたいと思ってるなら、わざわざ三班長に代筆させたりせずに、自分でまともな転属願を書いて、ダーナ大佐に断ってから総務に提出するだろう? そもそもだ。こんなことをして、あの三人の班長にいったい何のメリットがある? 自分で自分の首を絞めるようなもんだろう? きっと三班長は、他の二人の班長も〝道連れ〟にしていくだろうからね。
 だから、俺はこう推測する。この三人は、心の中では疑問に思いつつも従わざるをえない人物に命じられて、君の転属願を作成し、総務に提出した。最初から却下されるとわかっていたから、三班長は堂々と自分で字を書き、他の三人もベタベタと指紋をつけた。……却下前提なら安心して偽の転属願を提出できるケース。一つくらいしか思いつかないだろう? 偽の転属願を提出するよう命じた人物のところに、その転属願が送り返されてくるケースだ」

 セイルとイルホンは愕然として呟いた。

「……まさか」
「今のところ、俺にはそれくらいしか思いつけないな。人事に却下される前に、俺に〝横取り〟されることも、もしかしたら想定の範囲内だったかもしれない。うちが総務にコネ持ってること、整備の三人採用したときに、完全にバレちゃっただろうしねえ。それでも、その命令者にはかまわなかった。重要なのは提出した結果じゃない。命令どおり提出したという報告だった」

 ここでドレイクはニヤッと笑い、コーヒーを一口飲んだ。

「いくら〝上官命令〟とはいえ、同僚を陥れるような転属願を提出できる部下なんて、俺なら願い下げだがね。ダーナ大佐はどうかな?」

 * * *

「そんな……ダーナ大佐がどうして……」

 驚きのあまり、セイルはそれ以上言葉を続けられないようだった。

「まあ、これもあくまで俺の推測だがね。ダーナ大佐はその三人の班長を試したんじゃないのかな」
「試す?」
「今日の演習で〝生き残った〟のは君と七班長だけだったんだろう? で、ダーナ大佐に呼び出されたのは、君と七班長だけだった」
「そんなことまで……」
「そうだよね。あいつ、ダーナ大佐隊の誰とコネ持ってんのかな。〝秘密〟って言って教えてくんないんだよね」

 ドレイクはそう愚痴ってから、本題に戻った。

「ここからは俺の想像だ。ダーナ大佐は君と七班長以外の班長たちには、基地に帰った後、どこかの部屋――ミーティング室あたりかね――に集合するよう命じた。彼らは君たち二人だけがいっこうに姿を現さないことから、たぶんダーナ大佐のところにいると勘づいて、納得すると同時に嫉妬と憤りを覚えただろう。演習には君たち二人だけで勝てたわけじゃない。乱暴に言えば、自分たちを犠牲にして勝ったようなもんだからね。
 それを見透かしたように、ダーナ大佐がその部屋に電話をかけて、彼らに君の転属願を作成して総務に提出するよう命じる。これには彼らも困惑しただろう。俺もダーナ大佐がどう言い訳したのかわからんが、そんなものを勝手に出されたと知った君がどう反応するか知りたいから、とでも言ったのかね。
 ここで彼らがそんな命令には従えませんと反発すれば、俺的には〝合格〟なんだが、彼らは七班長よりも君に激しく嫉妬している。〝上官命令〟は絶対だからと内心喜んで、却下確実な転属願を作成し、部下を使って総務に提出させ、鼻高々でダーナ大佐に報告した。〝ダーナ大佐殿、ご命令どおり、総務に六班長の転属願を提出いたしました〟」
「……三班長たちはいったいどうなるんでしょうか……」

 消え入りそうなセイルの声を聞いて、イルホンは意表を突かれた。
 彼はダーナや同僚たちに怒るより先に、同僚たちの行く末を憂えているのだった。

「ダーナ大佐が自分への忠誠心の有無を知りたかっただけなら何も問題はないがね。あの男がそんなことのために、わざわざこんな面倒なことをすると思うかい? 初日から〝整列〟一つで仕分けしちゃった男だよ? たぶん、三人は確実に班長ではなくなるだろう。〝元マクスウェル大佐隊〟からも排除される。運がよければ〝ダーナ大佐隊〟に置いてもらえるかもしれないが、ダーナ大佐の性格からするとそれも難しそうだな。最悪、除隊になるかもしれない」
「何も、こんな方法をとらなくても……」
「そうだな。でも、そこまでしなかったら、彼らの本性はわからなかったかもしれない。きっと彼らは、君ではなく七班長の転属願であっても、命じられたとおりに作成・提出していたと思うが、ダーナ大佐があえて君にしたのは、本当に君の反応を知りたかったからじゃないのかな」
「反応?」
「さっき想像で言ったとおり、勝手にうちへの転属願を提出されたと知った君が、その後、どういう対応をとるか。いろいろ選択肢はあるが、君はどれにする? 被害者は君だ。うちは君の判断に従おう」
「自分の判断……ですか」
「たとえば、君がうちからあの転属願のことを知らされなかったことにしてほしいと言ったとしよう。うちはあれを情報部から回収して、そのまま総務の人事に戻す。人事はそれをダーナ大佐の思惑どおりはじいて、ダーナ大佐のところに送るだろう。ダーナ大佐はその転属願の存在を握り潰すこともできるが、たぶんそうはしないだろうな。まず、君を呼び出してあの転属願について訊ねる。そのとき君が、それは自分が書いたものではありません、自分に転属の意志はありませんと否定すれば、今度は〝実行犯〟の三班長が引っ立てられる。そこで三班長が、書いたのは確かに自分だが、それはダーナ大佐に命じられたからです、自分の他にも四班長、九班長が同じ命令を受けました、なんて弁明をしてみても、ダーナ大佐にそんな命令をした覚えはないとしらばっくれられたらそれまでだ。してもいない命令をしたとでっちあげたと、三班長ばかりか四班長、九班長も処罰されるだろうな」
「……自分はもともと、その転属願を回収するために、こちらにお伺いいたしました」

 淡々とセイルは言った。

「それとも、やはり総務の窓口を通さなければ、回収は不可能でしょうか?」
「大丈夫だよ、たぶん。〝本人に確認しましたところ、あれは何者かの悪戯で提出されたものだということがわかりましたので、本人に手渡して処分させることにしました〟とでも総務に連絡入れとけば。ねえ、イルホンくん?」
「そうですね。大佐ならもう、何でもありですから」
「さあ、どうする? 今すぐ回収したいなら、またイルホンくんに情報部までひとっ走りしてもらわなけりゃならない。早く決めてくれないかな」
「え?」
「ふっ……うちのドックに比べたら、総務や情報部なんて、目と鼻の先ですよ」

 イルホンはヤケで強がったが、もし本当にもう一度行けと言われたら、今度は迷わず移動車を使おうと心に決めていた。

「ところで六班長。君、ここに来るとき、その回収した転属願をどうするつもりでいたの?」
「それは……たぶん、悪質な悪戯だろうと思ったので、燃やして処分してしまおうと……」
「誰がしそうかはもう見当ついてたね? でも、まさかダーナ大佐が張本人だとは思ってもみなかった。まあ、これはあくまで俺推測だけど。それでも、その転属願をなかったことにして、このままダーナ大佐隊――いや、元マクスウェル大佐隊に居続けられるの?」

 一瞬、セイルは目を見張ったが、苦く笑ってうつむいた。

「自分には、他に居場所はありませんから……」
「七班長が心配かい? それとも、パラディン大佐に〝ダーナ大佐をよろしく頼む〟と言われたから?」

 そう言われたとたん、セイルは弾かれたように顔を上げた。

「どうしてそれを?」
「パラディン大佐とはメル友だから。……うん、確かにパラディン大佐なら君に言いそうだ。君、人に頼まれたら、嫌とは言えないタイプだろ」
「そ、そんなことは……」
「ちなみに、フォルカスは人に頼られるのが大好きだ。そして、頼みもしないのに守られるのが大嫌いだ」
「……え?」
「な? だから相性悪かったって言ったろ?」

 ドレイクは哀れむようにセイルを見つめる。

「あくまで俺推測だけど、七班長とはタイプ真逆だろ」

 驚くのを通りこして、セイルはぽかんとしていた。

「君、無意識のうちに、七班長と同じようにフォルカスと接しようとしてなかったかい? そこが君の〝敗因〟の一つだよ。まあ、マクスウェル大佐隊が噂どおりのところだったんなら、君の庇護なしにフォルカスが嫌々ながらも勤続できたとは思わないがね」
「……フォルカスがそう言ったんですか?」
「いや。面接のときにはマクスウェル大佐隊の文句はさんざん言ってたけど、君のことにはまったく触れなかったね。きっと、あいつの中では君は〝マクスウェル大佐隊〟の一部になっちまってたんじゃないかな」
「そうですか……」

 ダーナが張本人(あくまでドレイク推測)と知らされたときよりも、明らかに今のほうがセイルは深く落ちこんでいた。そんなセイルにドレイクは同情したような眼差しを向けていたが、ふと思いついたようにこう訊ねた。

「六班長。参考までに訊くけど、君、班長になる前は何してた?」

 いったい何の参考にするのだろうと不審そうな顔はしたが、訊かれたことにはセイルは答えた。

「操縦士をしていました」

 その一言を聞いて、イルホンは思わず固まった。

(まさか、そんな……フォルカスさんがあんなに嫌ってるのに、いくら何でも……)

 自分の悪い予感を何とか打ち消そうと努力しているイルホンをよそに、さらにドレイクは質問を重ねていく。

「でも、操縦士しなくなってから、もうずいぶん経ってるでしょ?」
「ええ、まあ。ですが、今日の演習では操縦士をしていました。隊の半分がいなくなってしまったので、人員がギリギリで仕方なく」
「演習では、六班長のは〝生き残った〟の?」
「運よく何とか。班としては二十隻のうち八隻も失いましたが」
「ふーん、そう」

 急にニヤニヤしだしたドレイクを見て、イルホンの悪い予感は確信に変わった。
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