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【02】マクスウェルの悪魔たち(上)
19 六班長は走ります
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「大佐。殿下から配置図、いっこうに送られてきませんね」
ソファに寝っ転がっているドレイクに、イルホンは自分の端末を眺めながら声をかけた。
今日一日だけで、何度メールをチェックしたかわからない。
横になっていただけで寝てはいなかったらしく、ドレイクはすぐにこう返してきた。
「まあ、うちにだけ送ってないわけじゃないだろうけど。困るよねえ、この仕事サボられちゃうと」
「いや、サボってるわけでもないと思いますが」
大佐じゃあるまいし、という言葉をイルホンはすんでのところで呑みこんだ。
今のドレイクは隊員たちに対して大まかにしか訓練の指示はしていない。ドックに足を運ばない日さえある。だが、そんなドレイクの対応が逆に隊員たちの危機感をあおっているのか、彼らは自主的に訓練を重ね、確実に熟達している。
はたして、それがドレイクの狙いなのか、ただ単に面倒なだけなのかは、イルホンにも謎である。しかし、副官の立場としては前者であってほしい。
「でも、殿下がどんな配置をしてくるか、大佐はもうわかってるんじゃないんですか?」
「いやー、今回ばかりはわからないよ。確実なのは、〈フラガ〉の有人護衛艦は、コールタン大佐とパラディン大佐の計二〇〇隻だってことくらい」
「両翼の有人砲撃艦も、各二〇〇隻というのは確実なんじゃないですか?」
「それならとっくの昔に送られてるはずだと思うんだけど。何かを待ってるのかね、殿下は」
「待ってる?」
「殿下は一度決めたことを覆したりはしないでしょ」
「それはまあ、確かに。なら、いったい何を?」
「それがわかったら、俺、配置図作れちゃうじゃん。……あー、マシムクラスの操縦士がもう一人いてくれたらなー。いつでも出撃OKなのに」
「難しいご注文ですね。あれだけの〈ワイバーン〉マニアの操縦士はなかなか……」
「いや、別に〈ワイバーン〉マニアじゃなくてもいいんだけど。理屈じゃなく感覚で軍艦を動かせる操縦士が欲しい」
「やはり、〈新型〉や〈旧型〉を無人艦らしく見せるためですか?」
「ま、そういうこと。ギブスンが操縦嫌がってるっていうのはさ、どうやったってマシムにはかなわないって、間近で見ててよくわかってるからだよ。スミスは大人だから、マシムみたいに操縦するのは無理だって、最初から割りきってる。……うーん。最悪、俺が〈新型〉操縦するか、〈ワイバーン〉操縦するかだな」
「えっ!」
「操縦するなら〈新型〉かな。旗艦落とすのは〈旧型〉か〈ワイバーン〉に任せて、最初から右翼の無人艦群の中に逃げこんじまえば、命だけは助かる」
「でも、いつだったか殿下に、もう〈ワイバーン〉にしか乗らないとか砲撃はしないとか言ってませんでした?」
「〈新型〉を操縦しているということで、どうかご容赦を」
「もし本当にそうされるんでしたら、事前に殿下にお知らせしておかないと。〈新型〉を撮影しそこねたと恨まれそうな気がします」
「何で撮影? 俺の稚拙な操縦技術を嘲笑うため?」
「そうじゃなくて……ドレイクマニアだから……」
「へ?」
――本当にこの人はわかってないんだろうか。それともしらばっくれてるだけなんだろうか。
イルホンがドレイクの謎の一つにまた悩みはじめたとき、だしぬけに卓上電話機が鳴り出した。
「うおう! ここでそれが鳴ってるの、初めて聞いたっ!」
驚いた声は上げたものの、ドレイクはソファから体は起こさなかった。
「俺もそんなに聞いたことないですよ。かけてくるのは、だいたい総務……」
言いかけて電話機のパネルを見ると、まさしく自分の古巣の総務部だった。
(何か……嫌な予感が……)
そう思いながらも、受話器を取って耳に当てる。
「はい……え?」
送話口を押さえたイルホンは、ばっとソファに目を巡らせた。
「た、大佐! そ、総務からなんですけど!」
「何? まだあの整備三人組の転属願、提出してないことについて?」
「いえ、転属願は転属願なんですけど、あの三人のじゃなくて!」
イルホンのただならぬ様子に、ようやくドレイクはソファから起き上がった。
「どうしましょうか……まさかの人の転属願、うちあてに来ちゃいました……」
イルホンは顔を引きつらせて笑うしかなかった。
* * *
いったいどこから全力疾走してきたのか、自動ドアが開いたとき、その男は肩で息をしていた。
しかし、目の前にドレイクが立っていることに気がつくと、あの元ウェーバー大佐隊の班長たちとまったく遜色のない見事な敬礼をしてみせた。
「お初にお目にかかります! 自分はダーナ大佐隊所属のセイル中佐であります! このたびは大変なご迷惑を……!」
「あーいいからいいから。とにかくそこのソファにお座んなさい。……イルホンくーん。俺専用と普通濃度のコーヒー、一つずつお願ーい」
「いえ! 自分は転属願の回収に伺っただけですので、どうぞおかまいなく!」
「ああ、ごめんねー。勝手に総務から持ち出しちゃって。これから何か予定ある?」
「特にありませんが、しかし!」
「それなら、うちでちょっと一服してかない? いや、君とは一度直接会って、話をしてみたいと思ってたからさ。こう言ったら何だけど、ちょうどよかった」
「はあ……」
――どっちなんだろう……
コーヒーを淹れながら、イルホンは考えつづけていた。
――フォルカスさんが美形なことに気づけなかったくらいだから、俺の感覚のほうがおかしいんだろうか……
セイル中佐――旧肩書〝マクスウェル大佐隊所属第六班班長〟は、ドレイクに押しきられるような形でソファに腰は下ろしたが、ひたすら低姿勢で濃茶色の頭を下げている。
本当に、彼があの〝六班長〟だろうか。イルホンには、すごく男前で真面目そうな人間に見える。身長も高くて、ドレイクと同じくらいあった。
――でも、フォルカスさんはあんなに嫌ってたし、キメイスさんもあの整備三人組も〝六班長〟がこんなに男前だとは言わなかったし……もしかしてこの人、あの〝六班長〟とは別人?
イルホンは二人分のコーヒーを置く間にセイルをチラ見したが、思いつめた様子の彼はそれにはまったく気づかなかった。
「あの……ドレイク大佐殿……」
セイルが言いにくそうに話を切り出す。
「信じていただけないかもしれませんが……自分は本当に転属願は出していないんです」
「うん、信じるよ」
あっさりドレイクはうなずいた。
「君は転属願を出すどころか、書いてさえいないだろ。誰かの悪戯。もしくは陰謀。……心当たりは?」
セイルは眉をひそめ、青い瞳を伏せる。
「ないわけでもないですが、確証はありません」
「だろうね。だから、確証が持てるかもしれないと思って、今、鑑識……じゃなかった、情報部にその転属願を調べてもらってる」
「え?」
「指紋だよ」
自分の両手を広げて、ドレイクはにやりと笑った。
「もしかしたら、その転属願に〝犯人〟の指紋が残されてるかもしれない。ここの人間は全員指紋登録されてるから、もし〝犯人〟がここの人間なら、誰だか突き止められるはずだ。ちなみに、その転属願のコピーがこれ」
ドレイクは自分の脇に伏せて置いてあった紙――偽の転属願のコピーをセイルに手渡した。セイルは軽く礼を述べた後、真剣な表情でそれに目を通した。
「どう? 筆跡とか、見覚えある?」
「いえ……しかし、もし私が犯人でしたら、自分では書かずに他人に書かせます」
「なるほど。でも、こんなものをどんな理由をつけて他人に書かせるの?」
セイルは虚を突かれたように顔を上げ、にこにこ笑っているドレイクを見つめた。
「セイル中佐……うーん、呼びにくいから〝六班長〟でいい? 演習から帰ってきたらこんなことになってて災難だったね」
「どうしてそれを……」
「君の携帯番号は、昨日まで君の班にいたグインから訊いた。君が〝六班長〟だったことも、今日、演習が予定されてたことも彼から聞いてる」
「ああ、グインからでしたか」
自分が納得できる理由を聞けて、セイルはほっとしたように表情をゆるませた。
「ご連絡いただいた内容のほうに気をとられて、なぜ自分の携帯番号をご存じなのかまで頭が回りませんでした」
「そりゃ驚くよねえ。自分の知らない間に自分の名前で転属願出されてたら。あれは本人じゃなくても提出できる書類だから、総務も機械的に受理しちゃうそうだよ。うちの副官のイルホンくんが総務出身じゃなかったら、ダーナ大佐のところまで回っちゃってたかもしれない」
セイルは執務机にいるイルホンを見てからドレイクに視線を戻し、再び深々と頭を垂れた。
「本当に! ありがとうございました!」
「いえいえ。とりあえず、冷めないうちにコーヒーどうぞ。もう少ししたら〝結果〟もわかるかもしれない」
「はあ……それでは、お言葉に甘えまして、いただきます」
生真面目に答えて、コーヒーに口をつける。
(ちゃ、ちゃんとした人だ……こんなにもちゃんとした人なのに、フォルカスさんはどうして……)
イルホンは、今度はフォルカスの価値観に対して疑問を抱いた。
「今日の演習で、元マクスウェル大佐隊はダーナ大佐隊に勝ったそうだね。おめでとう……と言っては失礼か。〝勝てて当然〟だ」
「それはグインからの情報ではないでしょう」
コーヒーホルダーを持ったまま、セイルは苦笑する。バラードと同年代くらいに見えたが、見栄えは格段にセイルのほうが上だとイルホンは容赦なく思った。
「同じ艦隊内のことだから……とカッコつけたいところだが、実はうちの隊にはダーナ大佐隊にコネを持ってる奴がいてね。そいつに訊いたら、ダーナ大佐隊内のことはたいていすぐにわかるんだ。つまり――元マクスウェル大佐隊のことも」
「そうでしたか。……元ウェーバー大佐隊の班長のどなたかですか?」
それを聞いて、ドレイクは嬉しそうににやにやした。
「さすが六班長。こちらの状況も把握済みだね。うちが整備の人員補充を考えてたことも知ってた?」
その瞬間。
セイルは噴き出しかけて、あわてて横を向いた。
(ああ……やっぱりこの人、あの〝六班長〟なんだ……)
イルホンは安堵感よりも、なぜか失望感を覚えた。
「六班長。転属願にサインありがとう。ちなみに、どうして今回、俺がそんな面倒くさいことさせたかわかる?」
一方、自分もコーヒーを飲みはじめたドレイクは、格好のおもちゃを見つけたとばかりに、よりいっそうにやにやする。
「い、いえ……どうしてでしょう?」
明らかに怯えているセイルに、ドレイクは笑いながら止めを刺した。
「二ヶ月前、自分が世話になった班長にさえ挨拶せずにここに来た男がいたからだよ」
もしもこのとき、セイルがコーヒーを口に含んでいたら、今度こそ確実に噴き出していただろう。自分でもそれを予期していたのか、セイルはすでにコーヒーをローテーブルの上に置いていた。
「君にはほんとにすまないことしたね。当然挨拶はしてきたとばかり思いこんでた。つい最近、そのことを知ってね。わざとじゃないから、そこは許して」
「いえ、大佐が謝られる必要はありません」
粛然とセイルは答える。
「当然そうするだろうと、納得はしていました……」
――納得はしたけど、落ちこまずにはいられなかったんですね……
ドレイクと一緒にあれほど〝六班長〟を笑っていたイルホンだったが、ドレイクにいじられている彼を見て、今はすっかり同情的になっていた。
「ということは、そうされても仕方がないようなことを、君はあいつにしていたの?」
「いえ、自分は普通に上官として接してきたつもりでいます。しかし、あいつには自分のやることなすこと、すべて癇に障っていたようで……」
――いや、六班長。〝普通に〟上官として接していなかったから、フォルカスさんの〝癇に障っていた〟のでは?
そこはさすがにイルホンも同意しかねた。
「ああ、そう。それじゃもうどうしようもなかったね。相性が悪かった」
「相性?」
「そう、相性。あいつにはもう、マクスウェル大佐隊内の空気そのものが嫌で嫌でしょうがなかった。そんな中でいくら大事にされててもね、焼け石に水だよ。本当にあいつのことを思うんなら、どんな手を使ってでも、あいつの希望する隊か部署に転属させてやればよかった。……どうしても、できなかったのかい?」
セイルは痛みに耐えるように顔を歪めて黙っていた。その様子を見ると、彼自身、そのことをわかっていながら、フォルカスを手放すことができなかったように思える。
この護衛艦隊の最高権力者である〝殿下〟を後ろ盾に持つドレイクでなければ、フォルカスをマクスウェル大佐隊から転属させることは永遠に不可能だったかもしれない。
「……今は、ドレイク大佐に大変感謝しています」
絞り出すようにセイルは言った。〝今は〟ということは、それ以前は感謝していなかったのだろう。
「あいつが出ていった後のマクスウェル大佐隊は、最悪な状態でしたから」
「今は少しはましになったかい」
「かなり。ダーナ大佐の指揮下に入れましたので」
「ああ……派手に〝解体〟したよねえ。あの男じゃなかったら、許されない所業だ」
「確かに……自分は、他の隊が転属希望者を全員受け入れるとは、夢にも思いませんでした」
「うちは君の班の三人しか受け入れなかったけどね」
一瞬、セイルは表情をこわばらせたが、深く頭を下げた。
「……ありがとうございました」
「こちらこそ。君の人選はビンゴだ。消去法でもあの三人を選び出したのは、俺じゃなくてフォルカスだからね」
ドレイクがにっこり笑ったとき、イルホンの端末がメールの着信を音で知らせた。
ソファに寝っ転がっているドレイクに、イルホンは自分の端末を眺めながら声をかけた。
今日一日だけで、何度メールをチェックしたかわからない。
横になっていただけで寝てはいなかったらしく、ドレイクはすぐにこう返してきた。
「まあ、うちにだけ送ってないわけじゃないだろうけど。困るよねえ、この仕事サボられちゃうと」
「いや、サボってるわけでもないと思いますが」
大佐じゃあるまいし、という言葉をイルホンはすんでのところで呑みこんだ。
今のドレイクは隊員たちに対して大まかにしか訓練の指示はしていない。ドックに足を運ばない日さえある。だが、そんなドレイクの対応が逆に隊員たちの危機感をあおっているのか、彼らは自主的に訓練を重ね、確実に熟達している。
はたして、それがドレイクの狙いなのか、ただ単に面倒なだけなのかは、イルホンにも謎である。しかし、副官の立場としては前者であってほしい。
「でも、殿下がどんな配置をしてくるか、大佐はもうわかってるんじゃないんですか?」
「いやー、今回ばかりはわからないよ。確実なのは、〈フラガ〉の有人護衛艦は、コールタン大佐とパラディン大佐の計二〇〇隻だってことくらい」
「両翼の有人砲撃艦も、各二〇〇隻というのは確実なんじゃないですか?」
「それならとっくの昔に送られてるはずだと思うんだけど。何かを待ってるのかね、殿下は」
「待ってる?」
「殿下は一度決めたことを覆したりはしないでしょ」
「それはまあ、確かに。なら、いったい何を?」
「それがわかったら、俺、配置図作れちゃうじゃん。……あー、マシムクラスの操縦士がもう一人いてくれたらなー。いつでも出撃OKなのに」
「難しいご注文ですね。あれだけの〈ワイバーン〉マニアの操縦士はなかなか……」
「いや、別に〈ワイバーン〉マニアじゃなくてもいいんだけど。理屈じゃなく感覚で軍艦を動かせる操縦士が欲しい」
「やはり、〈新型〉や〈旧型〉を無人艦らしく見せるためですか?」
「ま、そういうこと。ギブスンが操縦嫌がってるっていうのはさ、どうやったってマシムにはかなわないって、間近で見ててよくわかってるからだよ。スミスは大人だから、マシムみたいに操縦するのは無理だって、最初から割りきってる。……うーん。最悪、俺が〈新型〉操縦するか、〈ワイバーン〉操縦するかだな」
「えっ!」
「操縦するなら〈新型〉かな。旗艦落とすのは〈旧型〉か〈ワイバーン〉に任せて、最初から右翼の無人艦群の中に逃げこんじまえば、命だけは助かる」
「でも、いつだったか殿下に、もう〈ワイバーン〉にしか乗らないとか砲撃はしないとか言ってませんでした?」
「〈新型〉を操縦しているということで、どうかご容赦を」
「もし本当にそうされるんでしたら、事前に殿下にお知らせしておかないと。〈新型〉を撮影しそこねたと恨まれそうな気がします」
「何で撮影? 俺の稚拙な操縦技術を嘲笑うため?」
「そうじゃなくて……ドレイクマニアだから……」
「へ?」
――本当にこの人はわかってないんだろうか。それともしらばっくれてるだけなんだろうか。
イルホンがドレイクの謎の一つにまた悩みはじめたとき、だしぬけに卓上電話機が鳴り出した。
「うおう! ここでそれが鳴ってるの、初めて聞いたっ!」
驚いた声は上げたものの、ドレイクはソファから体は起こさなかった。
「俺もそんなに聞いたことないですよ。かけてくるのは、だいたい総務……」
言いかけて電話機のパネルを見ると、まさしく自分の古巣の総務部だった。
(何か……嫌な予感が……)
そう思いながらも、受話器を取って耳に当てる。
「はい……え?」
送話口を押さえたイルホンは、ばっとソファに目を巡らせた。
「た、大佐! そ、総務からなんですけど!」
「何? まだあの整備三人組の転属願、提出してないことについて?」
「いえ、転属願は転属願なんですけど、あの三人のじゃなくて!」
イルホンのただならぬ様子に、ようやくドレイクはソファから起き上がった。
「どうしましょうか……まさかの人の転属願、うちあてに来ちゃいました……」
イルホンは顔を引きつらせて笑うしかなかった。
* * *
いったいどこから全力疾走してきたのか、自動ドアが開いたとき、その男は肩で息をしていた。
しかし、目の前にドレイクが立っていることに気がつくと、あの元ウェーバー大佐隊の班長たちとまったく遜色のない見事な敬礼をしてみせた。
「お初にお目にかかります! 自分はダーナ大佐隊所属のセイル中佐であります! このたびは大変なご迷惑を……!」
「あーいいからいいから。とにかくそこのソファにお座んなさい。……イルホンくーん。俺専用と普通濃度のコーヒー、一つずつお願ーい」
「いえ! 自分は転属願の回収に伺っただけですので、どうぞおかまいなく!」
「ああ、ごめんねー。勝手に総務から持ち出しちゃって。これから何か予定ある?」
「特にありませんが、しかし!」
「それなら、うちでちょっと一服してかない? いや、君とは一度直接会って、話をしてみたいと思ってたからさ。こう言ったら何だけど、ちょうどよかった」
「はあ……」
――どっちなんだろう……
コーヒーを淹れながら、イルホンは考えつづけていた。
――フォルカスさんが美形なことに気づけなかったくらいだから、俺の感覚のほうがおかしいんだろうか……
セイル中佐――旧肩書〝マクスウェル大佐隊所属第六班班長〟は、ドレイクに押しきられるような形でソファに腰は下ろしたが、ひたすら低姿勢で濃茶色の頭を下げている。
本当に、彼があの〝六班長〟だろうか。イルホンには、すごく男前で真面目そうな人間に見える。身長も高くて、ドレイクと同じくらいあった。
――でも、フォルカスさんはあんなに嫌ってたし、キメイスさんもあの整備三人組も〝六班長〟がこんなに男前だとは言わなかったし……もしかしてこの人、あの〝六班長〟とは別人?
イルホンは二人分のコーヒーを置く間にセイルをチラ見したが、思いつめた様子の彼はそれにはまったく気づかなかった。
「あの……ドレイク大佐殿……」
セイルが言いにくそうに話を切り出す。
「信じていただけないかもしれませんが……自分は本当に転属願は出していないんです」
「うん、信じるよ」
あっさりドレイクはうなずいた。
「君は転属願を出すどころか、書いてさえいないだろ。誰かの悪戯。もしくは陰謀。……心当たりは?」
セイルは眉をひそめ、青い瞳を伏せる。
「ないわけでもないですが、確証はありません」
「だろうね。だから、確証が持てるかもしれないと思って、今、鑑識……じゃなかった、情報部にその転属願を調べてもらってる」
「え?」
「指紋だよ」
自分の両手を広げて、ドレイクはにやりと笑った。
「もしかしたら、その転属願に〝犯人〟の指紋が残されてるかもしれない。ここの人間は全員指紋登録されてるから、もし〝犯人〟がここの人間なら、誰だか突き止められるはずだ。ちなみに、その転属願のコピーがこれ」
ドレイクは自分の脇に伏せて置いてあった紙――偽の転属願のコピーをセイルに手渡した。セイルは軽く礼を述べた後、真剣な表情でそれに目を通した。
「どう? 筆跡とか、見覚えある?」
「いえ……しかし、もし私が犯人でしたら、自分では書かずに他人に書かせます」
「なるほど。でも、こんなものをどんな理由をつけて他人に書かせるの?」
セイルは虚を突かれたように顔を上げ、にこにこ笑っているドレイクを見つめた。
「セイル中佐……うーん、呼びにくいから〝六班長〟でいい? 演習から帰ってきたらこんなことになってて災難だったね」
「どうしてそれを……」
「君の携帯番号は、昨日まで君の班にいたグインから訊いた。君が〝六班長〟だったことも、今日、演習が予定されてたことも彼から聞いてる」
「ああ、グインからでしたか」
自分が納得できる理由を聞けて、セイルはほっとしたように表情をゆるませた。
「ご連絡いただいた内容のほうに気をとられて、なぜ自分の携帯番号をご存じなのかまで頭が回りませんでした」
「そりゃ驚くよねえ。自分の知らない間に自分の名前で転属願出されてたら。あれは本人じゃなくても提出できる書類だから、総務も機械的に受理しちゃうそうだよ。うちの副官のイルホンくんが総務出身じゃなかったら、ダーナ大佐のところまで回っちゃってたかもしれない」
セイルは執務机にいるイルホンを見てからドレイクに視線を戻し、再び深々と頭を垂れた。
「本当に! ありがとうございました!」
「いえいえ。とりあえず、冷めないうちにコーヒーどうぞ。もう少ししたら〝結果〟もわかるかもしれない」
「はあ……それでは、お言葉に甘えまして、いただきます」
生真面目に答えて、コーヒーに口をつける。
(ちゃ、ちゃんとした人だ……こんなにもちゃんとした人なのに、フォルカスさんはどうして……)
イルホンは、今度はフォルカスの価値観に対して疑問を抱いた。
「今日の演習で、元マクスウェル大佐隊はダーナ大佐隊に勝ったそうだね。おめでとう……と言っては失礼か。〝勝てて当然〟だ」
「それはグインからの情報ではないでしょう」
コーヒーホルダーを持ったまま、セイルは苦笑する。バラードと同年代くらいに見えたが、見栄えは格段にセイルのほうが上だとイルホンは容赦なく思った。
「同じ艦隊内のことだから……とカッコつけたいところだが、実はうちの隊にはダーナ大佐隊にコネを持ってる奴がいてね。そいつに訊いたら、ダーナ大佐隊内のことはたいていすぐにわかるんだ。つまり――元マクスウェル大佐隊のことも」
「そうでしたか。……元ウェーバー大佐隊の班長のどなたかですか?」
それを聞いて、ドレイクは嬉しそうににやにやした。
「さすが六班長。こちらの状況も把握済みだね。うちが整備の人員補充を考えてたことも知ってた?」
その瞬間。
セイルは噴き出しかけて、あわてて横を向いた。
(ああ……やっぱりこの人、あの〝六班長〟なんだ……)
イルホンは安堵感よりも、なぜか失望感を覚えた。
「六班長。転属願にサインありがとう。ちなみに、どうして今回、俺がそんな面倒くさいことさせたかわかる?」
一方、自分もコーヒーを飲みはじめたドレイクは、格好のおもちゃを見つけたとばかりに、よりいっそうにやにやする。
「い、いえ……どうしてでしょう?」
明らかに怯えているセイルに、ドレイクは笑いながら止めを刺した。
「二ヶ月前、自分が世話になった班長にさえ挨拶せずにここに来た男がいたからだよ」
もしもこのとき、セイルがコーヒーを口に含んでいたら、今度こそ確実に噴き出していただろう。自分でもそれを予期していたのか、セイルはすでにコーヒーをローテーブルの上に置いていた。
「君にはほんとにすまないことしたね。当然挨拶はしてきたとばかり思いこんでた。つい最近、そのことを知ってね。わざとじゃないから、そこは許して」
「いえ、大佐が謝られる必要はありません」
粛然とセイルは答える。
「当然そうするだろうと、納得はしていました……」
――納得はしたけど、落ちこまずにはいられなかったんですね……
ドレイクと一緒にあれほど〝六班長〟を笑っていたイルホンだったが、ドレイクにいじられている彼を見て、今はすっかり同情的になっていた。
「ということは、そうされても仕方がないようなことを、君はあいつにしていたの?」
「いえ、自分は普通に上官として接してきたつもりでいます。しかし、あいつには自分のやることなすこと、すべて癇に障っていたようで……」
――いや、六班長。〝普通に〟上官として接していなかったから、フォルカスさんの〝癇に障っていた〟のでは?
そこはさすがにイルホンも同意しかねた。
「ああ、そう。それじゃもうどうしようもなかったね。相性が悪かった」
「相性?」
「そう、相性。あいつにはもう、マクスウェル大佐隊内の空気そのものが嫌で嫌でしょうがなかった。そんな中でいくら大事にされててもね、焼け石に水だよ。本当にあいつのことを思うんなら、どんな手を使ってでも、あいつの希望する隊か部署に転属させてやればよかった。……どうしても、できなかったのかい?」
セイルは痛みに耐えるように顔を歪めて黙っていた。その様子を見ると、彼自身、そのことをわかっていながら、フォルカスを手放すことができなかったように思える。
この護衛艦隊の最高権力者である〝殿下〟を後ろ盾に持つドレイクでなければ、フォルカスをマクスウェル大佐隊から転属させることは永遠に不可能だったかもしれない。
「……今は、ドレイク大佐に大変感謝しています」
絞り出すようにセイルは言った。〝今は〟ということは、それ以前は感謝していなかったのだろう。
「あいつが出ていった後のマクスウェル大佐隊は、最悪な状態でしたから」
「今は少しはましになったかい」
「かなり。ダーナ大佐の指揮下に入れましたので」
「ああ……派手に〝解体〟したよねえ。あの男じゃなかったら、許されない所業だ」
「確かに……自分は、他の隊が転属希望者を全員受け入れるとは、夢にも思いませんでした」
「うちは君の班の三人しか受け入れなかったけどね」
一瞬、セイルは表情をこわばらせたが、深く頭を下げた。
「……ありがとうございました」
「こちらこそ。君の人選はビンゴだ。消去法でもあの三人を選び出したのは、俺じゃなくてフォルカスだからね」
ドレイクがにっこり笑ったとき、イルホンの端末がメールの着信を音で知らせた。
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