無冠の皇帝

有喜多亜里

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【02】マクスウェルの悪魔たち(上)

21 七班長にバレました

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 午後五時。
 ちょうどセイルがドレイクの執務室に到着した頃、自班のドックで待機していたヴァッサゴ、エリゴール、ムルムスの元に、辞令を添付したメールがダーナから送信されていた。
 辞令には、明日からダーナ大佐隊で勤務すること――ただし、部下は元マクスウェル大佐隊に残していくこと――が簡潔明瞭に書かれていた。
 驚愕した三人の班長たちは、互いに連絡をとりあい、ひとまずミーティング室に再集合した。

「ダーナ大佐隊で部下なしで勤務って……俺たち、何させられるんだよ?」

 ヴァッサゴは青い顔をして、瞳の色と同じ黒い頭を抱えこんだ。

「さあな。思いつくところでは、あの馬鹿ども三〇〇人のお守りかな。……ああ、もうあいつらを馬鹿呼ばわりはできなくなったな。俺たちも晴れてその馬鹿の仲間入りだ」

 何となくそうなるのではないかと予測していたエリゴールは、すでに落ち着きを取り戻していた。
 しかし、ムルムスにとっては青天の霹靂であったらしく、三人の中で最も動揺していた。

「何かの間違いだろ? 俺たちの班は全滅したが、隊としては勝った! ダーナ大佐のわけのわからない命令にも従った! それなのに、何でダーナ大佐隊に〝栄転〟させられなきゃならないんだ?」
「ヴァラクにそう進言されたから……だけじゃねえだろうな」

 我知らず、エリゴールの顔に苦笑いが浮かぶ。

「ようするに、ダーナ大佐俺たちを気に入らなかったってことだろ」

 ――ヴァラクは班長を減らすためだけでなく、演習で勝つために自分たちを見捨てた。
 そう気づいたときから、エリゴールは班長としての矜恃も失ってしまった。
 ヴァラクにとっては、自分も自分が馬鹿にしてきたヴァッサゴも〝同じ〟だったのだ。

「気に入らなかった?」

 すっかり冷静さを失っているムルムスは、エリゴールに八つ当たりしはじめた。

「まともな〝大佐〟だと思ってたのに、ダーナ大佐までマクスウェルと同じことをするのか?」
「まともでもまともじゃなくても、しょせん最後は〝好き嫌い〟だ」

 そっけなく、エリゴールは切り返す。

「不服なら、今すぐダーナ大佐に電話したらどうだ? もしかしたら、執務室にいるかもしれない」
「そ、それは……」

 一転して、ムルムスは弱腰になった。

「初日にあんな切り方をしたダーナ大佐が、俺たちの言うことに耳を貸すとは思えない……」
「だからって、ここでワーワー喚いてても、何の解決にもならねえだろ。俺はそれより、ダーナ大佐のあの命令が今になって気になりだしてる。〝上官命令〟だからってそのまま従っちまったが、あれはほんとは逆らうのが〝正解〟だったんじゃねえかな」
「正解?」

 他の二人が怪訝そうに繰り返したとき、いきなりミーティング室の自動ドアが開いた。
 三人があせって入口に目をやると、そこに立っていたのは元七班長――実は現在は〝七班長〟――ヴァラクだった。

「おまえらだけか?」

 三人の顔を見るなり、ヴァラクはそう訊ねてきた。
 自分たちを〝栄転〟へと追いやった憎い張本人であるはずなのに、三人はこれまでの習性から素直にうなずいてしまった。

「そうか。……いったいどこ行っちまったのかな。携帯も切ってやがるし」
「……セイルを捜してるのか?」

 単純な引き算(五-三-一=一)とこれまでの経験からエリゴールが問い返すと、ヴァラクははっと気づいたような顔をした。

「もしかして、居場所知ってるか?」

 三人は心の中で同じ答えを返す。

(おまえがわからなかったら、俺たちにわかるわけないだろ)

 誰もあえて触れないようにしているが、ヴァラクは元六班長――実は現在は〝六班長〟――セイルの所在がつかめなくなると、なぜか精神的に不安定になるのだった。
 そのことはセイルも承知しているはずだが、自分の班員に何の伝言もせず(ヴァラクなら、ここに来る前にすでに確認しているはずだ)、携帯電話の電源まで切っているとは、確かに〝非常事態〟である。

「いや、知らないが……」

 代表してエリゴールが答えると、ヴァラクは露骨にがっかりした様子を見せた。

「だよな。……あと、どこ捜したらいいんだ……」

 うわごとのように呟きながら、ヴァラクはふらふらとミーティング室を出ていこうとした。
 だが、そのときムルムスが覚悟を決めたように椅子から立ち上がった。

「待てよ! ……辞令の件、知ってるよな?」

 ヴァラクはゆっくりと振り返って、顔を紅潮させているムルムスを見た。

「辞令? おまえのか?」
「今さらとぼけるな!」

 自分たちがそれぞれプリントアウトしてきた辞令をかき集めて、ムルムスはテーブルの上に叩きつける。

「あんたがダーナ大佐に焚きつけたんだろ! 何が気に入らなくて俺たち三人、ダーナ大佐隊に飛ばしたいんだ!」
「三人?」

 訝しげに眉をひそめたヴァラクは、三人分の辞令を手にとって目を通し、テーブルに投げ捨てた。

「ムルムス」

 冷然とした声だった。その声を聞いた瞬間、ムルムスの怒りは一気に冷め、激しい怯えへと変わった。

「おまえ……演習のこと抜きにして、今日、何かしでかしたな?」

 これにはムルムスだけでなく、他の二人もぎくりとした。それに気づいて一瞥はしたが、ヴァラクはムルムスに視線を集中させた。

「これを見せられたから、もうぶっちゃけちまうが、ダーナ大佐が確約したのはヴァッサゴとエリゴールをダーナ大佐隊に飛ばすことだけだ。おまえのことは俺は聞いてねえ」
「え……」

 拍子抜けしたムルムスと入れ違うように、今度はヴァッサゴが逆上して立ち上がる。

「どうして俺とエリゴールが! 俺らはおまえの言うとおり……!」
「やめろよ、ヴァッサゴ。見苦しい」

 エリゴールは脇から彼をいさめた。

「おまえが飛ばされるのは、言っちゃ悪いが妥当だよ。俺の場合は……馬鹿プラスおまえが俺を大嫌いだからだろ、ヴァラク」
「顔には出さないようにしてたつもりなんだが、やっぱり隠しきれないもんだな」

 ヴァラクはにやりとして、一人だけ椅子に座っているエリゴールを見下ろした。

「〝大佐〟に〝進言〟されて切られる部下の気持ち、今回でちょっとだけわかっただろ。一応おまえら、班長のままだから、今度は馬鹿三〇〇人の躾、よろしく頼む。うまくすれば、ダーナ大佐隊の班長に成り上がれるかもだ」
「やっぱりな。……〝整列〟できるようになるまでどれくらいかかるかな」
「それまでに退役してくれりゃ、お互い世話ないけどな」
「じゃあ……俺はいったい……?」

 非難の矛先を失ってしまったムルムスは、まだ呆然としつづけている。

「だから、おまえに関しちゃ俺は何も知らねえよ。少なくとも、俺は進言しちゃいねえ」
「だったら、セイル……」

 ヴァラクは最後までムルムスに言わせなかった。
 賢いようで、やっぱりこいつも馬鹿だった。
 エリゴールだけでなく、ヴァッサゴですら、ムルムスに蔑みの目を向けていた。

「俺の悪口ならいくらでも聞き流してやるがな……セイルの悪口だけは、何があっても許さねえ」

 ムルムスの胸倉を右手でつかんだまま、ヴァラクは低く罵った。

「セイルは俺やおまえらとは違う。他人を陥れるような真似は絶対にしねえ。だいたい、おまえらが今生きてられるのは誰のおかげだと思ってやがる。セイルがおまえらを死なせないでくれと俺に頭を下げたからだ。そうじゃなかったらおまえらみたいなクズ、今日みたいに何の指示もしないでそのまま見殺しにしてやった。結局、俺の指示がなくても全滅しなかったのは、セイルの班だけだったじゃねえかよ。……ムルムス。班は全滅させても、おまえのことは俺は買ってたんだけどな。今はそんな自分がこっぱずかしくてたまんねえよ」

 ヴァラクは腕力は人並みだ。身長もムルムスのほうがある。しかし、ムルムスはまるで死刑判決を受けたかのように蒼白な顔をして震えていた。

 ――ヴァラクの指示に従えば、必ず生還できる。

 マクスウェル大佐隊において、それはもはや信仰に近かった。
 実際、馬鹿正直にマクスウェルの命令に従った者は死に、ヴァラクの裏の指示に従った者は生き残った。ゆえに、ヴァラクの指示を受けられないということは、彼に死ねと宣告されたも同然だった。
 それでも、今日の演習は別として、これまでの彼は滅多にそういうことはしなかった。〝大嫌い〟なエリゴールにさえ、指示はしていたのである。
 滅多にない例外。その対象となっていたのは、ヴァラクの前でセイルを中傷した者だった。
 そのことはマクスウェル大佐隊の班長なら誰でも知っている。ムルムスはうかつにも、マクスウェル大佐隊最大の禁忌を犯してしまったのだった。
 彼はもうヴァラクのいる元マクスウェル大佐隊には戻れない。戻れば〝戦死〟が待っている。

「さすがダーナ大佐。俺よりよっぽど人を見る目がある。こっちはすっかり自信喪失だ。……なーんて言いたいところだが。おまえ――いや、おまえら。俺とセイルがいない間に、いったい何でダーナ大佐に試された?」

 セイルはどうやってこんな男を手なずけたのだろう。
 セイルがいたから、かろうじてこの男はにいた。だが、もしそのセイルがこの隊からいなくなったら?

(どうする? あくまで〝上官命令〟に従いつづけたほうがいいのか? それとも、この男にバラしちまったほうがいいのか?)

 三人の班長たちが必死で頭を巡らせていると、ヴァラクの胸ポケットで携帯電話が鳴り出した。着信音で誰なのかすぐにわかったらしく、ヴァラクは突き飛ばすようにしてムルムスから手を放し、あわてて携帯電話を取り出した。

「やっと電源入れやがったか。今、どこにいる?」

 セリフとほっとしたような表情からすると、かけてきたのは間違いなくセイルだろう。

「……何でまたそんなところに。……ああ? 今からか? どうかな。まだいるかな。……わかった。俺が確認して、折り返し連絡する」

 ヴァラクは携帯電話を切ると、まだ答えを出せずにいる同僚たちを見渡した。

「もう何も俺に言わなくていい。いや、この先一生、何一つ言うな」

 ――バレたか。
 エリゴールは苦く笑った。セイルがヴァラクに言ったのは、〝自分の現在地〟と〝ダーナ大佐に今から会いたい〟の二点くらいだっただろう。しかし、それだけでもうこの男にはわかってしまった。自分たちがいったい何をしでかしたかを。

「さっさと荷物まとめてここから出ていけ。二度とここに足を踏み入れるな。おまえらの部下は、おまえらよりまともな班長に面倒見させる」
「な……俺たちはただ、命令に従っただけで……!」

 ムルムスはそう叫びかけたが、ヴァラクに睨みつけられて、ぴたっと口を閉じた。

「エリゴール。残念なことに、おまえらの中でいちばんましなのはおまえだ」

 ムルムスの凍てついた青い目を見すえながら、いかにも不本意そうにヴァラクは言った。

「馬鹿三〇〇人より先にムルムスを〝調教〟してやれ。この男は無駄吠えが多すぎる」

 エリゴールは両腕を組んで、かすかに笑った。

「もう、おまえの耳には届かない」
「ダーナ大佐隊の皆様の耳に入ったら大変だろ? おまえらも、かの方も」
「……わかった。しばらく口にガムテープでも貼りつけとく」
「剥がすときが楽しそうだ」

 ヴァラクは愉快そうに笑うと、今度こそミーティング室を出ていった。
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