無冠の皇帝

有喜多亜里

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【01】連合から来た男

14 時短に挑戦しました

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 ドレイクの隊にも作戦説明できる部屋はある。だが、彼はいつも軍艦のブリッジ内で、作戦説明その他もろもろを済ませていた。
 今のところ、乗艦はこの新型の砲撃艦一隻しかなく、ドレイクを含めて九人しかいない隊なので、そのほうが合理的なのだ。

「そもそもだ。三〇〇〇対三〇〇〇の戦いじゃない。三〇〇〇対二〇〇〇の戦いだ。俺たちゃ三〇〇〇隻で二〇〇〇隻を潰せばいい。最後は〈フラガ〉がいっぺんに一〇〇〇隻を片づけてくれる」

 砲撃担当のシートにだらしなくもたれかかったまま、ドレイクは言った。最近、彼は〈フラガラック〉と言うのが面倒になったらしく、執務室やこの軍艦の中では〈フラガ〉と呼んでいる。
 そんな怠惰な上官の部下たちは、ブリッジの床の思い思いの場所に、思い思いの格好で座っていた。いい勝負である。イルホンはズボンを汚したくなかったので、いちばん左端のシートにこっそり座っていた。

「んが、これはあくまで机上論。うちは〈フラガ〉を絶対死守せにゃならんから、その護衛に五〇〇隻ほど回してる。引き算すると二五〇〇隻。つまり、今までこの艦隊は、二五〇〇隻で二〇〇〇隻を潰してたことになる。そして、この二五〇〇隻のうち二二〇〇隻が無人艦だ」
「たった五〇〇隻しか上回っていないんですか……」

 ティプトリーが女顔を曇らせてこわごわと呟く。

「それでもこの艦隊は〝全艦殲滅〟しつづけてきた。それだけ、ここの無人艦が優秀で強力だってことなんだろうな。でも、戦えば毎回一〇〇〇隻以上が失われる。攻撃担当の無人艦の半分が〝戦死〟してる計算だ」
「そもそも、護衛五〇〇隻って多くないですか?」

 不満そうにギブスンが言いつのる。

「もうちょっと減らしてもいいと思うんですけど」
「確かにねえ。護衛してるっていうより、護衛されてるような感じだよねえ。たぶん、殿下は次回には編制を変えてくると思うが、今回はいつもどおりで、敵艦艇数が二〇〇〇隻を切ったら無人艦を引き上げると言ってる。しかも、戦闘時間のタイムリミットつき。……悪魔だよねー」

 ドレイクは陽気に笑ったが、部下たちは誰も笑えなかった。

「ということは……一〇〇〇隻を有人艦だけで潰さないといけないってことですよね? でも、攻撃担当の有人艦って三〇〇隻……」
「悪魔だ……本当に悪魔だ……」
「でもさ」

 と、ドレイクはそれこそ悪魔のようにニヤッとした。

「俺、思ったんだけど、引き上げた無人艦を、殿下はどうすると思う?」
「どうするって……そりゃ〈フラガ〉のそばに……」
「でも、〈フラガ〉にはすでに五〇〇隻の護衛がいるんだぜ。仮に攻撃担当の無人艦が一〇〇〇隻生き残ったとして、それを全部引き上げさせたら、〈フラガ〉の周囲、大渋滞にならない?」
「確かに……言われてみれば……」
「まあ、どうするつもりなのかは、殿下に直接訊いちゃうのがいちばん手っ取り早いんだけど、たぶん、それも含めての〝試験〟なんだろうしねえ。とにかく、俺たちは無人砲撃艦をうまく利用して敵旗艦を落とし、必ず生きて帰る。戦闘時間の短縮については、今回はあまり気にするな。俺たち一隻だけで戦ってるわけじゃない。俺たちは俺たちのできることをすればいい」
「無人砲撃艦をうまく利用するっていうのは?」
「利用できるものは何でも利用しなきゃもったいないでしょ。見方によっては俺たちは最初から無人艦に護衛されてるようなもんだ。有人艦よりよっぽど頼りになるぞ」
「それはまあ……そうですね」
「んじゃあ、今から具体的な作戦説明に入りまーす。質問があったら最後にまとめて言うように。それから今回の作戦に必要な訓練に入るからねー」
「イエッサー」

 ――いつも思うけど、学校みたいだな。
 半ば呆れつつも、書記担当イルホンは、ドレイクいわく〝手軽・安全・確実〟なノートと鉛筆を用意した。

 * * *

 ドレイクの砲撃艦の配置について、異議を唱えてきた〝大佐〟は一人もいなかった。彼らはたぶん、アーウィンがドレイクに〝処罰〟を与えたと解釈して、溜飲を下げたことだろう。
 はたして、アーウィンはそこまで計算して今回の配置を決めたのか。
 戦闘に関しては、アーウィンはほとんど独断で決定してしまうので、ヴォルフにその意図はわからなかったが、今度はドレイクが何をしでかしてくれるのか、彼がとても楽しみにしていることは明らかだった。

(気の毒に……いいおもちゃにされてるな)

 戦闘開始直前だというのに、機嫌のいいアーウィン――例によって、ヴォルフとキャル以外にはわかりにくい――の傍らで、ヴォルフはドレイクに同情した。底の知れない男ではあるが、人を無駄死にさせたくないという信念は本物のようだ。そこもまた、アーウィンが気に入っている理由の一つなのかもしれない。

「なあ、アーウィン。もし今回、目標戦闘時間をオーバーしたら、いったいどうするつもりなんだ?」

 艦長席のアーウィンに訊ねると、彼は今初めて気がついたというような顔をした。

「ふむ。そういえば、その場合はどうするかは決めていなかったな。それは実際にオーバーしてから考えることにしよう。それまで各自自由に想像させておく」

 ――わざとだな。
 ヴォルフには単に意地が悪いとしか思えないが、これも戦略のうちなのだろうか。

「なら、目標達成できた場合には? できて当たり前のことだから、何もなしか?」
「それもまた達成できたらだ」

 アーウィンはかすかに笑った。

「一応、用意はさせてあるのだがな」

 何をとヴォルフが問おうとしたとき、定位置に立っていたキャルが口を開いた。

「マスター。始めます」
「ああ。二〇〇〇隻を切るまでは、いつもどおりに」
「承知しました」

 キャルがそう答えたと同時に、いつもどおりに無人突撃艦が動きはじめた。

 * * *

 今回、ドレイクは隊員全員を乗艦させた。
 シートは艦長席を入れて六席しかないので、イルホンと隊員二人は簡易椅子に座ることになった。が、無人突撃艦が動きはじめると、急にドレイクは立ち上がり、艦長席を離れた。

「スミスくん」

 この隊でいちばん年長の男の名をドレイクは呼んだ。
 簡易椅子に座っていた黒髪の男――スミスは、あわてて立ち上がった。

「な、何ですか、大佐」
「君、俺の代わりにここに座ってて」

 そう言って、艦長席を指さす。

「え、何で俺が……」
「本来、俺は立って指示する派なのよ。君はそこでモニタリングしててちょうだい。それから、シェルドンくんはフォルカスくん、イルホンくんはキメイスくんのお手伝い」
「は、はい!」

 イルホンたちも急いで立ち上がり、ドレイクの指示に従ったが、艦長席に手をついて立っている彼を見て、イルホンは思った。

(大佐……戦闘モードだ)

 おそらく、ブリッジにいる全員がそう感じとったに違いない。普段の彼とはまるで違う、張りつめた雰囲気。

「いいか。打ちあわせどおり、訓練どおりにやればいい」

 スクリーンを凝視しながら、自分に言い聞かせるようにドレイクは言った。

「マーキングした砲撃艦のケツだけずっと追っかけてろ。絶対に遅れるな。二〇〇〇隻を切るまでは、敵の攻撃は周りの無人艦が体を張って防いでくれる」
「……イエッサー」

 操縦士のマシムが緊張した声で答える。それを聞いて、ドレイクはふっと表情をゆるめた。

「大丈夫。おまえならやれる。だから今日、おまえはそこに座ってるんだ」

 無人突撃艦群が出払って、ついに無人砲撃艦群が動きはじめた。スクリーンの中で赤くマーキングされている、あの無人砲撃艦も。

「生きて帰って初給料もらうぜ。給料出たら全員におごる」
「イエッサー!」

 マシムは絶叫して、操縦桿を動かした。

 * * *

 戦闘が始まって以降、アーウィンは艦長席のモニタで、無人砲撃艦群の中にたった一隻だけ交じっている有人砲撃艦しか見ていなかった。

(なんてわかりやすい……)

 背後からそれを眺めていたヴォルフは思わず呆れたが、確かに自分もいちばんそれに興味がある。
 艦艇を表す光点は、無人と有人とでは色が異なる。今、戦場に出ている自軍は無人艦ばかりで、その中でただ一隻、有人艦が敵旗艦をめざして飛んでいた。

「本当に……人の逆手をとるのが好きな男だ」

 アーウィンは苦笑いして、額を指で押さえた。

「逆手?」
「自分は無人艦を浪費するなと言ったくせに、今は護衛として無人艦を利用している」
「何?」
「〝いつもどおりに〟と言っただろう。いつも無人艦は有人艦を守って飛んでいる。キャルが遠隔操作中だから、詳しいことはわからないが、おそらく、あの変態は無人艦を弾よけに使っている。もしその無人艦が撃たれたら、また別の無人艦の後につく。それを繰り返しながら敵の旗艦に接近し、この間使ったレーザー砲を出力を落として撃つ」

 ヴォルフは唖然として、しばらく何も言えなかった。

「……とんでもない男だな」
「まったくだ。うちが一〇〇〇隻以上敵艦艇を落としたら、無人艦は撤収されるぞ?」

 楽しげなアーウィンの声を聞いて、ヴォルフは目を剥いた。

「おまえ……本当に二〇〇〇隻を切ったら、無人艦を撤収させるつもりでいるのか?」
「当然だ。そう宣告したからな」
「いや、でも……敵は今、何隻残ってる?」

 あせってヴォルフが訊ねると、アーウィンはキャルを振り返った。

「キャル。敵の残存戦力は?」

 キャルは正面を向いたまま、即座に回答する。

「約二一〇〇隻です」
「あと一〇〇隻か。そろそろ撤収準備に入ったほうがいいな」
「おい、アーウィン」
「キャル。二〇〇〇隻を切ったら、すぐにだ」
「はい、マスター」

 〈フラガラック〉の専属オペレータは、どこまでも従順に主人の命令に答えた。

 * * *

乗替のりかえ
「イエッサー」

 マシムはドレイクの指示より数瞬早く、マーキング済みの無人艦の後ろについた。前方にいた無人艦は、炎上してすでにスクリーン上から消え去っている。
 この世に、これほど恐ろしい〝乗替〟があったとは。
 イルホンは震えながら、しかし、その一方でふるえていた。
 周囲は無人艦によって守られていた。レーザー砲を撃つことも撃たれることもなく、この軍艦は着実に敵旗艦に近づいている。ドレイクが冗談まじりに説明したとおりに。今の彼は別人のように冷徹な顔をして、スクリーンを見すえていた。

「ティプトリー、敵艦艇数は?」
「約二一〇〇隻です」
「そろそろか。……スミス、射程圏内入ったか?」
「入りました。もういつでも撃てます」
「ギブスン、おまえの出番だ。出力最終確認」
「イエッサー」

 いつのまにか、ドレイクは〝くん〟づけで呼ばなくなっていた。
 いったいどちらが本当の彼なのだろう。やはり今だろうか。

「二〇〇〇だ。二〇〇〇を切ったら、旗艦を撃って同時に離脱する。ティプトリー、カウンターチェック。ギブスン、無人艦無視してブリッジに照準合わせろ」
「イエッサー」
「大佐……二〇五〇……二〇二〇……二〇〇〇……切りました!」

 眼前に、今まで自分たちの盾となってくれていた無人艦があった。だが、ギブスンはそれをあの大蛇のようなレーザーで撃った。レーザーは無人艦を紙飛行機のようにあっけなく貫き、敵旗艦のブリッジ部分に突き刺さる。

「離脱!」

 ドレイクが叫んだときには、軍艦は超高速モードで走り抜けていた。
 敵艦隊の上を。
 そして、その下では、敵の攻撃を遮るように無人艦の群れが疾走していた。

「……殿下はクレイジーだ……」

 艦長席にいるスミスが、群青色の目でモニタを見ながら呆然と呟く。

「まさか、敵陣を通過させて無人艦を撤収するとは……」
「まあ……普通はそれを〝撤収〟ではなく〝特攻〟と言うな」

 さすがにドレイクも苦笑していた。

「一応、上下二隊に分けてはいるが」
「大佐! 敵艦隊から離脱しました!」
「無人艦は?」
「本隊のほうに戻ってます!」
「大佐! 敵艦艇数約一三〇〇隻です!」
「あと三〇〇隻かあ。……フォルカス。エネルギー残量、余裕あるか?」

 ギブスンの右隣の席にいた白金髪プラチナブロンドの男が、ドレイクを振り返ってにやりと笑う。

「あのでっかいのを使わなければ」
「あれ、何かかっこいい名前つけたいよな。あとでみんなで考えよう。マシム、一八〇度反転」
「イエッサー」

 マシムは何のためらいもなく、艦首を敵艦隊に向けた。

「ギブスン、基地に帰れる程度に撃ちまくってやれ」
「後ろからなんて卑怯だなあ」

 そう言いながらも、旗艦を失って崩壊しかけている敵艦隊に、レーザー砲を乱射する。

「大佐! 敵艦艇数一〇〇〇隻切りました!」
「なにぃ! ならあれが来る、きっと来る! ギブスン、撃ち方やめ! マシム、緊急退避! とにかく逃げろ!」
「どっちへ!」
「殿下につかまらないほう!」

 マシムが再び一八〇度反転して高速モードで発進したとき、あの光の糸の束が敵艦隊を包みこんでいた。それをスクリーンで眺めながら、独り言のようにドレイクが訊ねる。

「ティプトリー。戦闘開始から今まで何時間かかった?」
「約二時間です」

 無言でイルホンはドレイクを見上げ、ドレイクはにっと笑った。

「とりあえず、記録更新はしたね」
「更新しすぎでしょう。今までの最短記録の半分ですよ」
「俺も驚きだ。無人艦ががっちりガードしてくれたおかげかな」

 そう言って、ドレイクは簡易椅子に腰を下ろした。それを見て、あわててスミスが席を立つ。

「大佐、座るんならこっちに座ってくださいよ」
「面倒だから、もうそのままそこに座ってて。……マシムくん。あんまり戻りたくないけど、本隊に戻ってくれる?」

 ――あ、また〝くん〟づけに戻った。
 イルホンだけでなく、他の乗組員たちも気づいたはずだが、誰もそのことには触れなかった。きっと〝戦闘モード〟が解除されたということなのだろう。マシムもほっとしたように笑っていた。

「イエッサー」

 すべてがドレイクの作戦どおりだった。
 彼は司令官が無人艦を撤収する際、ただ呼び戻すのではなく、そのまま敵艦隊の中に突入させるだろうと読んでいた。今回の目標はあくまで「戦闘時間の短縮」であり、「無人艦の帰還率の向上」ではないからだ。
 旗艦に接近して撃つことはできる。問題はその後どう離脱するかだ。ドレイクはあえて無人艦が撤収されるときを待って旗艦を撃ち、敵艦隊の混乱に乗じて離脱しようと考えたのだった。
 しかし、イルホンには、撤収名目で敵艦隊に突っこませるのも、それを前提にして作戦を立てるのも、どちらも同じくらい〝クレイジー〟に思えた。

(今回は無人艦、ずいぶんなくしただろうな……)

 敵艦隊を通過したときだけでなく、自分たちの砲撃艦を守るために、かなりの数の無人艦が犠牲になったのではないかと思う。敵旗艦を撃つときにも、それまで盾になってくれていた無人艦ごと撃つという、今考えるとひどいことをしてしまった。

(でも、そもそも殿下がうちの砲撃艦を無人艦群の中に入れたりしなければ、大佐だってこんな作戦とろうとは思わなかっただろうしな)

 そんなことを考えていると、通信が入ったことを知らせる通知音がした。その発信元を知った今日の通信担当キメイス――褐色の髪と紫色の瞳をした、端整な男である――とイルホンは、互いにこわばった顔を見合わせたが、目だけの相談の結果、イルホンがドレイクに知らせることになってしまった。

「あの……大佐……」
「応答拒否」

 下を向いたまま、にべもなくドレイクは言った。

「え?」

 まだ何も言っていないのにと戸惑っていると、さらに彼はこう続けた。

「このタイミングで通信入れてくるのは、あの悪魔しかいない」
「でも、その悪魔様からお給料をもらうことになるんですよ」
「あっ、そっか! 初給料もらうまでは拒否できねえ!」

 雇われているかぎり拒否できないと思うが、ドレイクは頭を抱えてそう叫び、椅子から立ち上がって艦長席に行った。

「スミスくん。今だけ席交換」
「今だけじゃなくて、ずっと席交換でしょう」

 スミスは呆れながら本来の自分の席に戻った。スミスと入れ替わったドレイクは、悲愴感に満ちた表情で右の拳を握りしめる。

「……よし、心の準備はOK。つないでちょうだい」

 ――きっと、無人艦のことを言われるのが嫌なんだろうな。
 怒られるのと嫌味を言われるのとでは、似ているようで違うのだろう。たぶん。

「イエッサー。つなぎます……」

 まるで起爆スイッチを押すかのごとく、キメイスはコンソールを操作した。
 先日と同じく、通信は映像をともなっていた。二度目ともなれば、さすがに慣れる。部下たちは落ち着いて起立、敬礼をしたが、彼らの直属の上官はささやかに敬礼拒否をしていた。
 相変わらず美しい司令官は、軽く右手を挙げてから口を開きかけた。が、ドレイクはそれを無視していきなり叫んだ。

「減給ですかっ!?」

 ――そっちかい!
 と、イルホン以外の乗組員たちもきっと思った。
 司令官は面食らったようだったが、すぐに溜め息をついた。こう言っては何だが、以前よりも人間らしくなったように見える。

『安心しろ。減給も処罰もない』
「いえ、俺は減給さえなければいいです」

 そう答えるドレイクの顔は、もしかしたら戦闘中よりも真剣だったかもしれない。

『それほど減給は嫌か』
「そりゃ嫌ですよ。まだ初給料ももらってないのに」
『そういえばそうか。それでは今、どうしているんだ?』
「副官のイルホンくんに借金してるんですよ」

 ――言わなくてもいいのに……
 イルホンは恥ずかしくなったが、司令官は真面目に言った。

『前借りすればよかっただろう』
「嫌ですよ。その分、給料から差っ引かれるじゃないですか。何があっても、給料は満額でもらいたいんですよ」

 ――何も今、ここで給料の話をしなくても……
 乗組員たちもそう思ったのか、シート組はそろそろと自分の仕事に戻っている。

『わかった。満額で現金で朝一で払う。それでいいな?』
「ありがとうございます。たいへん結構です。それではこれで」
『勝手に切るな。そもそも、給料の話をするために通信を入れたわけではない』

 ――それはそうだ。
 少し苛立った司令官の言葉に、イルホンは心からうなずいた。

「じゃあ、無人艦のことですか? 今回は殿下のほうが壊した無人艦の数ははるかに多いと思いますけど」
『原因の内訳は出していないが、今回失った無人艦の総数は約九〇〇隻だ』

 それを聞いて、ドレイクだけでなく、イルホンたちも全員顔色を変えた。

「そんな馬鹿な。あんだけ無茶をやらかして一〇〇〇隻以下ですか? 何かの間違いでしょ?」
『私もそう思ったが、キャルがそう言っているからな。おまえの軍艦ふね以外に有人艦を出さなかったのが功を奏したらしい』
「……何ですって?」
『今回、敵艦隊と直接戦っていたのは、無人艦二二〇〇隻と有人艦一隻――おまえの軍艦ふねだけだ。会議でおまえが言っていたことは正しかったな。有人艦の数を減らせば、戦闘時間は短縮でき、無人艦の帰還率も上がる』
「……俺がわざわざ言わなくても、殿下はもうわかってらっしゃるでしょうけど」

 なぜかドレイクは不快そうな顔をして両腰に手を置いた。

「今回は〝特別〟ですよ」

 一方、部下にそのような態度をとられても、司令官は怒るどころか満足そうな笑みをかすかに浮かべている。

『ああ。確かにこのようなことは今回一度きりだ。もう二度とできないヽヽヽヽ
「おっしゃるとおりです。……あ、そうだ。殿下からキャルちゃんに伝えといてもらえませんかね。〝守ってくれてありがとう〟と〝無人艦撃っちゃってごめんね〟」

 ――〝キャルちゃん〟!?
 旗艦〈フラガラック〉の専属オペレータを〝ちゃん〟づけでドレイクが呼んだことにも驚いたが、その後の司令官の行動にはもっと驚かされた。

『それなら本人に直接そう言えばいい。……キャル。ドレイクがおまえに言いたいことがあるそうだ』

 司令官が横を向いてそう呼びかけると、栗色の髪をした美少年が彼のそばに立った。イルホンにはそちらの趣味はないが、司令官と合わせて眼福がんぷくだと正直思った。

「よう、キャルちゃん。今日は守ってくれてありがとね。あと、無人艦撃っちゃってごめんね。って、俺、すでにさんざん撃っちゃってんだけど」

 ドレイクは陽気に笑って手を振った。タイプ外のはずのキャルに対してのほうが愛想がいいのはなぜだろう。

『いえ。私も〈ワイバーン〉を沈めてしまったので』

 キャルは平坦な声で答えると、深々と頭を下げてから、画面の外に出ていった。

「もしかして、気にしてる?」

 ドレイクの独り言(のつもりだったのだろう)に、司令官が同意する。

『ああ。あのときは敵だったのだから当然のことだと言っているのだが。……ところでドレイク。基地に帰還したら、その軍艦ふねが収容されていたドックにただちに来い』
「ええー。俺たち疲れてんですけど。明日じゃ駄目ですか?」

 ――何でこの人、給料以外のことでは殿下に強気なの?
 イルホンをはじめ乗組員たちは戦慄したが、今回の司令官は切り札を使った。

『来なければ、減給どころか、給料はない』
「ひいぃ!」

 ドレイクが悲鳴を上げたところで、向こうから通信を切られる。しばらく沈黙した後、ドレイクは真剣にこう言った。

「マシムくん。悪いけど、俺の給料のために、全速力で帰還してくれる?」

 マシムは苦笑いして答えた。

「イエッサー」

 * * *

 ドレイクとの通信を切った直後、アーウィンはまたしてもヴォルフが予想もしていなかったことを呟いた。

「支度金でも渡してやればよかったのだろうか……」

 皇帝軍護衛艦隊司令官が悩む次元の話ではないような気がしたが、ヴォルフは一応受け答えた。

「そうだな。『連合』の金はここじゃ遣えないしな」
「金が欲しいなら欲しいと言えばいいのに。なぜ給料日まで待とうとする?」
「前借りするのがあれほど嫌なら、普通は給料日まで待つだろう」
「変態のくせに」
「アーウィン。それは関係ない」

 ドレイクと関わるようになってから、アーウィンは筋の通らない発言をすることが増えてきた。しかも無自覚で。

「それにしても、まさか無人艦を敵に突っこませて撤収するとはな。最初からそのつもりだったのか?」
「最初からだ。撤収中に攻撃されて数を減らされるよりは、いっそ敵に向かっていって道連れにしていったほうがいいと考えたのだが。あの変態が旗艦を潰したからか、予想に反してさほど損失が出なかった」

 ――最初からそのつもりだったなら先にそう言えよ。あのときあわてた俺が馬鹿みたいじゃないか。それも、〝あの変態〟の心配をして。
 そんなヴォルフの気持ちを知ってか知らずか、アーウィンはさらに言葉を継いだ。

「今回はあの変態の足を引っ張らせたくなかったから、他の大佐は出撃させなかった。しかし、次は〝正攻法〟でいく」
「正攻法?」

 アーウィンは冷ややかに笑った。こういうところは以前と変わっていない。

「二度目の〝人員整理〟をする。私がここの司令官に就任してから三年目。時期的にはちょうどいいだろう」

 ――いったい誰が切られるんだか。
 だが、その中にドレイクは入っていないだろう。
 今回の戦場にたった一隻だけ出撃していた有人艦が合流するのを待ってから、アーウィンは全艦に帰還命令を出した。
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