幽閉塔の早贄

大田ネクロマンサー

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3部 王のピアノと風見鶏

最終話 王のピアノ

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 翌朝、ノアが迎えに来てくれてからの記憶があまりない。バーンスタイン卿やブラウアー家の面々にお礼をして自宅に帰ったら、ラルフが大型の仕事を請け負っていたのだ。

 歌劇全編の作曲という大仕事だった。ラルフ曰く、俺の曲でインスピレーションを得た劇作家が発注したとのことだ。曲がおおよそ20曲前後に対して納期がやけに短く、公演は1ヶ月後。しかし劇の練習期間を鑑み、できたものから譜面を納品しろという。俺1人では到底作れる量ではなかったので、ラルフと手分けして作曲することとなった。

 量もそうだが俺には作曲にあたり大きな問題があった。劇が難解で場面の意味するところがわからなかったのだ。ラルフもリナもそれぞれに仕事があり頼れる人もいなかったことから、偶然市場で鉢合わせたルイスに拝み倒して、夜に劇の内容を読み聞かせてもらった。

 昼に作曲とピアノの音出し、夜に劇の読み聞かせに作曲。そうこうしているうちにあっという間に3週間が過ぎ去った。最後の1曲を完成し終えた今日。ラルフの担当分が1曲残っていたが、あまりの疲労にピアノ近くの床に突っ伏して寝てしまった。昼に差し掛かる日差しが心地よく、時々吹く風が俺の頬を撫でていた。

 懐かしい固さに俺は少しだけ目をあける。薄ぼんやりと王の輪郭が見えた。

「ギード……? ああ、俺はここで……死ぬのか……」

「仕事は大変そうだな。ヤギのように紙を散らかして……。最後になにか言い残すことはあるか?」

「愛してる……寂しかったら死体を抱いてくれ……」

 風見鶏の風景が急に俺を覚醒させる。そしてガバッと起き上がった。

「買い物!」

 大急ぎで隣の部屋に雪崩れ込む。その先に何故かバーンスタイン卿がいた。リナはバーンスタイン卿と話しているようだった。

「買い物に、まだ! まだ間に合うか!?」

 俺はこの状況で譜面を破られることを本気で恐れていた。しかしリナは優しく笑って、首を横に振る。悪寒が背中を走り抜けた。

「今日は私が行ってくるから。部屋に戻ってゆっくりして。リアムの分は終わったんでしょ?」

 リナはそう言うと、奥のピアノで頭を抱えているラルフの方をチラッと見た。

「ラルフ……俺も……」

「大丈夫だから。はやく部屋に戻って」

 リナの強い口調で、バーンスタイン卿への挨拶もそこそこに、部屋に戻る。そこに、俺が散らかした譜面を拾う王がいた。

「夢じゃ……ない……」

「すぐに曲を献上すると言っていたのに、お前のすぐとは何年なのだ?」

「ギード……」

 王はいつもの部屋着ではなく、対外用の正装だった。催し物の帰りに寄ってくれたのだろうか。そう考えればバーンスタイン卿が隣の部屋にいるのも頷けた。

「なにか、曲を弾いてくれないか?」

 王の銀髪が昼の光に透けて美しかった。思えば日中、外で王を見かけたことなど宮殿の天井に張り付いていた時しかないのだ。その荘厳な佇まいに、迂闊に抱きつくこともできず、俺は言われた通りピアノの椅子に座る。

 なにを弾こうか悩む。最初に王に聴かせた、ラルフの望郷がいいだろうか。しかしあれはラルフの愛の形だった。

 なんとなく今の気持ちを和音に置く。そうしたら、ギードへの気持ちが止まらなくなった。

 俺は即興で演奏をし始める。弾き直すことはできないという事実が、コンクールの時のような緊張感をもたらした。それが俺の真の心に迫るのだ。

 俺は王ではない1人の男としてギードを愛している。しかし国を愛する国王の、その孤独も愛している。国民もきっとそうだ。今日嫌なことがあったとしても、明日はいいことがあるはずと思える、この国を愛しているはずだ。絶望の淵に佇むことは忘れられても、明日への期待は忘れられない。

 全部の気持ちを部屋中に響かせたら、最後の音を置く。最後はラルフの望郷のような終わり方になってしまった。でもこの気持ちがずっと続いて欲しかったから、いいのだ。

 指を離して見渡すと、王はいつのまにか俺の後ろにいたようで、その表情を窺い知ることはできない。視線の先に開けっ放しの窓が飛び込んできて、俺は慌ててそれを閉めに立ち上がった。

 この家は王都の中心部で、俺の部屋は2階に位置する。普段は騒音を考えて窓を閉めて演奏するのに、今日は忘れてしまっていた。開戸の窓枠を掴むため体をのりだしたら、市場から拍手が沸き起こった。

「リアム! 新曲か!? なんて曲なんだ?」

 よく行く市場の店主がヤジを飛ばす。

「この曲じゃないけど、今度劇で俺の曲が使われるから、見に来てください!」

 拍手が鳴り止まなかったので、手を振り、適当なところで窓を閉めた。その時、王が窓のカーテンを後ろから閉めた。

 王はそのまま俺を抱く。俺は正面から抱いて欲しくて、垂れ下がった髪を掴む。

「曲名はギード」

 王はなにも答えず、俺を抱いたままだった。しかし隣からすごい物音と共にラルフが部屋に乱入してきたら、パッと体が離れた。

「リアム! 今の曲はなんだ! それを劇のメインテーマにするぞ! 譜面を起こせ!」

「あれは! 王への献上品だ!」

「な……! あんないい曲を王に献上していたら……」

 ラルフは俺の後ろに立つ巨体を見上げて、崩れるように最敬礼で床にかしづき、震えて黙った。

「リアム、彼も限界そうだから、曲は劇のメインテーマにしてやってはどうだ。また、その時々に、ギードという曲を作ってくれるのだろう?」

 王は俺の肩を掴みながら、優しい声を出す。

「ギードがそう言うなら……」

「ラルフ=ハーマン。その曲を渡す代わりに、時々リアムに休みをくれないか。王宮が無音で寂しくてな」

 ラルフは少し震えていた。

「こんな発注はそうないんです……今度からはきちんと休ませるようにします……申し訳ございませんでした……」

「お前たち2人の取り組みは面白い。人数を増やし芸術の礎を築いたのなら、お前にも称号をやろう」

「も、もったいないお言葉……ありがたく拝命いたします」

 ラルフは顔を一度も上げず、そのまま下がった。

「この調子で彼に迫れば、リアムを王宮に囲えそうだな」

「バーンスタイン卿に殺されるぞ」

 俺が振り返ると、その巨体がスッと半分になった。王が跪き、そして俺に指輪を嵌める。

「本気だ」

 驚きのあまり、また声を失ってしまったのかと思った。なにか言いたいのに、なにも言えず、ただただ、驚きで目が閉じられない。

「寂しい。たまには来てくれ。婚約者ならば宮廷も入りやすいだろう」

「俺は男だぞ」

「次期国王も男と番う。前例があった方がいいだろう」

「ギード……」

「イエスだな?」

 俺は王の髪の束を掴んだ。
 王は俺が髪を手繰り寄せる前に、唇を奪い、声を奪う。

 さっき弾かなかった、ラルフの「望郷」が心の中に反響する。あの狂おしいほどの幸福に飛び込み、それがずっと続いていく予感に、胸が高鳴った。

<了>
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