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ハネムーン編
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もうダメかも、と諦めかけたその時。
遠くから足音が聞こえてくるのが分かった。
気のせいじゃない、それはどんどん俺たちへ近づいてきている。
やがて、今いる小屋の前までに到達したそれは、鬼の形相でこちらに飛びかかってきた。
「ッ死にてぇらしいな!テメェ!」
大きくジャンプしたその身体は、まさに俺に襲いかからんとしていた男の後頭部に、綺麗に膝を入れた。
男はその衝撃によろめき、床に両手をつく。
「っは、ハルさん……!」
「翔さまっ、翔様!怖い思いをさせてごめんなさい……!」
ハルは俺の姿を見ると、目にいっぱいの涙を溜め、掠れた声で俺の名を呼ぶ。
俺を抱きしめようと両手を大きく広げていた。
助けに来てくれた、良かった。本当に良かった、と安堵したのもつかの間。
「……!ハルさん!後ろ!」
先ほどハルに強烈な膝蹴りをお見舞いされ、うずくまっていた男が再び動き出したのだ。
油断していたハルの背後を取るようにして、がっちりとその身体を抱きしめる。
「……ッ!くそ、離せ!」
「オー、ガール。ユーもキュート。混ざる、ダネ」
「ッ誰がてめーとなんかするかよ!離せ、この」
じたばたと暴れるハルだが、男は微動だにしない。いくらハルが強いといっても、体格があまりにも違いすぎた。
俺も必死に男の腕を引き剥がそうとしてみるが、ビクともしない。
「翔様、私は良いから逃げてください!」
「そんなの無理ですって!」
大切な家族を、単身で俺を助けに来てくれたハルを置いて自分だけ逃げるなど、どう考えても無理だった。
だがその時、確かに耳に入った。また、こちらに近づく足音が、今度はたくさん。
「……二人は、返してもらいますね」
気がつけば、すぐそばにいた。
ヒュン、と音がして、彼は文字通り目にも留まらぬ速さで、ハルを拘束する男の首めがけて腕を振り下げた。
その2秒後には、男は今度こそ全身から力が抜けるようにして、その場に沈んだ。
「ハルさんっ!」
俺は、解放されたハルの身体を抱きとめようと慌てて腕を伸ばしたが、俺たち二人まとめて優しく抱きしめられた。
危機から救ってくれた、澪の腕によって。
「自分より大きな相手の時は、的確に急所を狙えと何度言ったらわかるのですか」
「……っ澪ちゃん!」
「全く、ハルが翔様に助けられてどうするんです」
「ごめん……頭に血が上っちゃって」
シュンと、明らかに落ち込んだ様子のハル。
澪はふぅ、と息を吐くとさらに強く、俺たち二人をきつく抱きしめた。
「でも、私の大切なものがどちらも無事だったので、良しとします」
いつも冷静で、クールな澪の肩が、少しだけ震えていた。息も上がっている。
よっぽど焦って、心配で、必死になって助けに来てくれたんだろう。
一連の騒動を巻き起こした自分の行動の軽率さに、自分自身嫌になった。
そっと澪の背中に腕を回すと、澪は「ごめんなさい、そろそろ」と言って俺から離れる。
何がそろそろ、なのかはすぐにわかった。
「……っ翔!」
少しだけ遅れて、蓮と蘭が現場に到着したのだった。
先ほど助けた女性も一緒だ。彼女は羽織っているパーカーを握りしめるようにして、不安そうな表情で少し後ろから現場を覗き込んでいた。
蓮は慌てて俺に駆け寄り、抱きしめた。無事を確かめるかのように、全身をくまなく触って。
「翔!ああ、翔、なんともない?肝心な時にそばにいないなんて……っごめん、本当にごめん」
「蓮くん、俺はなんともないよ。二人が助けてくれたから」
大好きな体温をまた無事に感じる事が出来て、俺はただ安堵した。
今目の前にいるのは、見知らぬ男ではなく、大切な夫。たったそれだけでこんなにも、暖かい。
「良かった……!彼女が、ビーチに助けを求めに来てくれたんだ。ハルの名前を呼んでたって聞いて、すぐに翔のことだってわかった」
彼女は、少し遠くから心配そうに俺を見る。
蘭は、蓮とは対照的に、その場に立ち尽くしていた。
倒れる男の前で拳を握り締め、蹴飛ばそうとするが、舌打ちをして踏みとどまる。
やがて俺と目が合うと、彼は唇を噛んだ。
静かに、すさまじい怒りが滲み出ているのを感じて、俺は少しだけたじろぐ。
「……翔、……離れるなって、言ったよな」
「ごめんなさい……」
局部を晒し倒れる見知らぬ男、そして衣服の乱れた妻、古びた人気のない小屋の中。
蘭はその全てを確かめるかのように視線を巡らせる。
「お前、いつからそんなに尻軽になったんだ?あ?」
蘭は俺にゆっくり近づくと、その場にしゃがんで俺の腕を掴んだ。指が食い込むくらいに、強く。
蓮は「蘭、やめろ」と言葉で制止するが、興奮するがあまりその声は耳に入っていないようだった。
「ち、がう、そんなんじゃ」
「勝手な行動すんなって言ったのも、聞こえなかったのか?」
「い、痛い……蘭くん」
「翔、お前自分が誰のものか自覚足りねーんじゃねぇの」
蘭の目は血走り、額には青筋が浮かび、目元が痙攣している。
言いつけを守らなかった俺に怒るのは、当然のことだろう。いつも優しい蘭を、こんなに豹変させてしまうくらい、俺の行動は軽率だったんだ。
――ダン!と大きな音を立て、蘭は俺のすぐ後ろの壁を力任せに殴る。
「いいかげんにしろ、」と蓮が言葉を発したその時、その場にいた女性が声をあげた。
「ッわ、わたしのせいなんです!」
蘭も、蓮も。その場にいた皆が彼女に視線を送った。
声は裏返り、震えながらも、彼女は必死に言葉を紡ぐ。
「その子だけが、気づいてくれて……私を守ってくれたんです。私が、一人で出歩いたのが悪くて……だ、だから、怒らないで、お願いです……ッ」
彼女の必死な叫びに、皆、静まり返る。
蘭はまた小さく舌打ちすると、何も言わずに俺の腕を解放した。
「じゃあ、澪、春樹、悪いんだけど彼女をよろしくね」
「ええ、しっかり送り届けてまいります」
その後、男は地元警察に引き渡し、彼女は安藤夫妻がホテルまで送っていくことになった。
「あの、本当に、ありがとう……」
「いえ。俺、結局なにもできなくて……でもお姉さんが無事で、良かったです」
「そんなこと、絶対ない。言葉もわからないのに、必死で助けてくれて、本当に嬉しかったの」
彼女は、再度深々と頭を下げる。その目には涙が溜まって、零れ落ちそうだった。
気をつけて、と声をかけると、彼女は手を振りながら、安藤夫妻とともにその場から離れていった。
「じゃあ、俺たちもホテルに戻ろうか。車は手配してあるから……翔?」
俺は、彼女が去っていくのを見届けると、なぜだか自然と、両目から涙がぼろぼろと溢れてきた。
そのことに気がつくと、蓮は慌てて俺の身体を抱き寄せる。
「翔、もう大丈夫だよ。怖かったね、蘭、翔に謝りな」
「ごめん、なさい……違うんです」
零れ落ちて止まらない俺の涙を、蘭は何も言わず指で優しく拭う。
「男の俺で、体がすくむくらい怖かったのに……あのお姉さんはきっと、もっと怖かったと思うんです。だから無事に帰れて、安心しちゃって……」
「こんな時まで、自分よりも他人のことかよ」
呆れたように言う蘭。先ほどのことでバツが悪いのか、目は合わせようとはしなかった。
それでも、蘭が触れた肌が熱くて、大切な人に触れる幸せをただ噛み締めた。
「翔のおかげで、あの子は助かった。偉いよ。けどね、翔に何かあったら、俺たちは生きていけないんだ。それだけは、忘れないで。」
蓮は俺の身体を強く抱きしめたまま、悲痛さを孕んだ声色で、少しだけ震えながら懇願した。
俺は、なんと返すべきか分からず言葉に詰まり、ただ、何度も頷いた。
遠くから足音が聞こえてくるのが分かった。
気のせいじゃない、それはどんどん俺たちへ近づいてきている。
やがて、今いる小屋の前までに到達したそれは、鬼の形相でこちらに飛びかかってきた。
「ッ死にてぇらしいな!テメェ!」
大きくジャンプしたその身体は、まさに俺に襲いかからんとしていた男の後頭部に、綺麗に膝を入れた。
男はその衝撃によろめき、床に両手をつく。
「っは、ハルさん……!」
「翔さまっ、翔様!怖い思いをさせてごめんなさい……!」
ハルは俺の姿を見ると、目にいっぱいの涙を溜め、掠れた声で俺の名を呼ぶ。
俺を抱きしめようと両手を大きく広げていた。
助けに来てくれた、良かった。本当に良かった、と安堵したのもつかの間。
「……!ハルさん!後ろ!」
先ほどハルに強烈な膝蹴りをお見舞いされ、うずくまっていた男が再び動き出したのだ。
油断していたハルの背後を取るようにして、がっちりとその身体を抱きしめる。
「……ッ!くそ、離せ!」
「オー、ガール。ユーもキュート。混ざる、ダネ」
「ッ誰がてめーとなんかするかよ!離せ、この」
じたばたと暴れるハルだが、男は微動だにしない。いくらハルが強いといっても、体格があまりにも違いすぎた。
俺も必死に男の腕を引き剥がそうとしてみるが、ビクともしない。
「翔様、私は良いから逃げてください!」
「そんなの無理ですって!」
大切な家族を、単身で俺を助けに来てくれたハルを置いて自分だけ逃げるなど、どう考えても無理だった。
だがその時、確かに耳に入った。また、こちらに近づく足音が、今度はたくさん。
「……二人は、返してもらいますね」
気がつけば、すぐそばにいた。
ヒュン、と音がして、彼は文字通り目にも留まらぬ速さで、ハルを拘束する男の首めがけて腕を振り下げた。
その2秒後には、男は今度こそ全身から力が抜けるようにして、その場に沈んだ。
「ハルさんっ!」
俺は、解放されたハルの身体を抱きとめようと慌てて腕を伸ばしたが、俺たち二人まとめて優しく抱きしめられた。
危機から救ってくれた、澪の腕によって。
「自分より大きな相手の時は、的確に急所を狙えと何度言ったらわかるのですか」
「……っ澪ちゃん!」
「全く、ハルが翔様に助けられてどうするんです」
「ごめん……頭に血が上っちゃって」
シュンと、明らかに落ち込んだ様子のハル。
澪はふぅ、と息を吐くとさらに強く、俺たち二人をきつく抱きしめた。
「でも、私の大切なものがどちらも無事だったので、良しとします」
いつも冷静で、クールな澪の肩が、少しだけ震えていた。息も上がっている。
よっぽど焦って、心配で、必死になって助けに来てくれたんだろう。
一連の騒動を巻き起こした自分の行動の軽率さに、自分自身嫌になった。
そっと澪の背中に腕を回すと、澪は「ごめんなさい、そろそろ」と言って俺から離れる。
何がそろそろ、なのかはすぐにわかった。
「……っ翔!」
少しだけ遅れて、蓮と蘭が現場に到着したのだった。
先ほど助けた女性も一緒だ。彼女は羽織っているパーカーを握りしめるようにして、不安そうな表情で少し後ろから現場を覗き込んでいた。
蓮は慌てて俺に駆け寄り、抱きしめた。無事を確かめるかのように、全身をくまなく触って。
「翔!ああ、翔、なんともない?肝心な時にそばにいないなんて……っごめん、本当にごめん」
「蓮くん、俺はなんともないよ。二人が助けてくれたから」
大好きな体温をまた無事に感じる事が出来て、俺はただ安堵した。
今目の前にいるのは、見知らぬ男ではなく、大切な夫。たったそれだけでこんなにも、暖かい。
「良かった……!彼女が、ビーチに助けを求めに来てくれたんだ。ハルの名前を呼んでたって聞いて、すぐに翔のことだってわかった」
彼女は、少し遠くから心配そうに俺を見る。
蘭は、蓮とは対照的に、その場に立ち尽くしていた。
倒れる男の前で拳を握り締め、蹴飛ばそうとするが、舌打ちをして踏みとどまる。
やがて俺と目が合うと、彼は唇を噛んだ。
静かに、すさまじい怒りが滲み出ているのを感じて、俺は少しだけたじろぐ。
「……翔、……離れるなって、言ったよな」
「ごめんなさい……」
局部を晒し倒れる見知らぬ男、そして衣服の乱れた妻、古びた人気のない小屋の中。
蘭はその全てを確かめるかのように視線を巡らせる。
「お前、いつからそんなに尻軽になったんだ?あ?」
蘭は俺にゆっくり近づくと、その場にしゃがんで俺の腕を掴んだ。指が食い込むくらいに、強く。
蓮は「蘭、やめろ」と言葉で制止するが、興奮するがあまりその声は耳に入っていないようだった。
「ち、がう、そんなんじゃ」
「勝手な行動すんなって言ったのも、聞こえなかったのか?」
「い、痛い……蘭くん」
「翔、お前自分が誰のものか自覚足りねーんじゃねぇの」
蘭の目は血走り、額には青筋が浮かび、目元が痙攣している。
言いつけを守らなかった俺に怒るのは、当然のことだろう。いつも優しい蘭を、こんなに豹変させてしまうくらい、俺の行動は軽率だったんだ。
――ダン!と大きな音を立て、蘭は俺のすぐ後ろの壁を力任せに殴る。
「いいかげんにしろ、」と蓮が言葉を発したその時、その場にいた女性が声をあげた。
「ッわ、わたしのせいなんです!」
蘭も、蓮も。その場にいた皆が彼女に視線を送った。
声は裏返り、震えながらも、彼女は必死に言葉を紡ぐ。
「その子だけが、気づいてくれて……私を守ってくれたんです。私が、一人で出歩いたのが悪くて……だ、だから、怒らないで、お願いです……ッ」
彼女の必死な叫びに、皆、静まり返る。
蘭はまた小さく舌打ちすると、何も言わずに俺の腕を解放した。
「じゃあ、澪、春樹、悪いんだけど彼女をよろしくね」
「ええ、しっかり送り届けてまいります」
その後、男は地元警察に引き渡し、彼女は安藤夫妻がホテルまで送っていくことになった。
「あの、本当に、ありがとう……」
「いえ。俺、結局なにもできなくて……でもお姉さんが無事で、良かったです」
「そんなこと、絶対ない。言葉もわからないのに、必死で助けてくれて、本当に嬉しかったの」
彼女は、再度深々と頭を下げる。その目には涙が溜まって、零れ落ちそうだった。
気をつけて、と声をかけると、彼女は手を振りながら、安藤夫妻とともにその場から離れていった。
「じゃあ、俺たちもホテルに戻ろうか。車は手配してあるから……翔?」
俺は、彼女が去っていくのを見届けると、なぜだか自然と、両目から涙がぼろぼろと溢れてきた。
そのことに気がつくと、蓮は慌てて俺の身体を抱き寄せる。
「翔、もう大丈夫だよ。怖かったね、蘭、翔に謝りな」
「ごめん、なさい……違うんです」
零れ落ちて止まらない俺の涙を、蘭は何も言わず指で優しく拭う。
「男の俺で、体がすくむくらい怖かったのに……あのお姉さんはきっと、もっと怖かったと思うんです。だから無事に帰れて、安心しちゃって……」
「こんな時まで、自分よりも他人のことかよ」
呆れたように言う蘭。先ほどのことでバツが悪いのか、目は合わせようとはしなかった。
それでも、蘭が触れた肌が熱くて、大切な人に触れる幸せをただ噛み締めた。
「翔のおかげで、あの子は助かった。偉いよ。けどね、翔に何かあったら、俺たちは生きていけないんだ。それだけは、忘れないで。」
蓮は俺の身体を強く抱きしめたまま、悲痛さを孕んだ声色で、少しだけ震えながら懇願した。
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