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浦島太郎外伝6 鯛は昔の夢を見て

四話

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 南海王という御仁はあまり得意ではない。まったく表情を変えずにとんでもない事を言うし、実行したりもする。読めない御仁は苦手だ。
 が、今日という日はこの御仁の認識を改める日となった。海蛇が親書を持って尋ねると、彼の御仁は片膝に笑顔の那亀を乗せ、もう片方の膝にげっそりとした亀を乗せて満足げにしている。
 この時ばかりは亀が気の毒になったが、ここで南海王の機嫌を損ねるのは得策ではない。心の中で亀に南無南無と念仏を唱えつつ、海蛇は南海王からの回答を待っていた。

「なるほど、また厄介な病に冒されたものですね」
「薬がここにあれば、お譲り頂けませんか。相応のお礼をご用意致します」

 畏まって答えると、南海王の目が一瞬亀へと向かう。その視線の意味を亀も正しく受け取っただろう。思わず小さく「ひぃ!」と漏れたが、それでも辛抱している。
 竜王のいうとおり、南海王はこの亀に執着している。最初は反応を見て楽しんでいる風だったのが、徐々に変わって今では恋慕が見え隠れしている。それを亀も感じているのか、逃げ回っているのだ。
 もしも対価に亀を所望するなら、それはできない。材料を自分で探す許可だけもらい、持ち帰る事も考えている。
 が、意外な事に南海王はそうは言わなかった。

「対価は既に頂いておりますので、不要です。月華以外の材料は十分にありますので、それが手に入れば調合しましょう」
「本当ですか!」

 驚いて嬉しそうにしたのは亀のほうだ。目を輝かせて喜び首に飛びついた亀を受け止めて、困ったように「……むしろ貰いすぎかも」と呟く人に驚きと呆れを見るが、それは言わずにおくのが賢い。

「北の海へ行って、月華という花を探してきなさい。深海の岩場に生えるもので、青白く光っているはずです」
「直ぐに向かいます」
「人手があった方がいいですよ、見つけるのは大変です。見つけたら直ぐに東海王の所へ。あの花は摘み取って一日ほどで萎れて効果が出なくなる。私も東海王の所に向かいますから、そこで落ち合いましょう」
「恩に着ます」
「良い心がけです。まぁ、健闘を祈りますよ」

 善は急げだ、鯛だっていつまで体が保つかわからない。門を借りて一路北海王の所へと海蛇は向かうのだった。

◆◇◆

 北海王もあまり何を考えているか分からないが、南海王よりは面倒ではない。単に表情が乏しいというだけだから。
 事情を説明すると直ぐに人手を貸してくれる事となる。そしてそこで、思わぬ人物を案内役に宛がわれた。

「うげ! 海蛇さん!」
「おぉ、甲か。久しぶり」

 立派な防具を着けた青年は間違いなく蛸と烏賊の第一子だ。北で武官をしていると聞いていたが、会うことになるとは。
 顔立ちは烏賊に似ているが、体格は蛸に近い。長身でミッチリと筋肉質で。

「お久しぶりです。お変わりありませんか?」
「鯛が大変な事になってるが、他は至って平和だ。そうそう、お前に弟か妹ができるぞ」
「はいぃぃ!」

 いちいち反応が大きくて面白い。それにしても、立派になったものだ。

「それで、月華というのがある場所はどこだ?」
「ご案内します」

 北海王の御殿を出た一行は、一路果ての海を目指した。


 どこもそうだが、竜宮の御殿から離れると徐々に寂れて何もなくなってくる。目的の花があるのも、そんな場所らしかった。ゴツゴツした岩場が多いそこはとても冷たく、冷たい水を好まない海蛇の体を硬化させていく。うっかり眠ったらこのまま死ぬだろう。

「海蛇さん、大丈夫ですか? 冷たい水だと体が動かなくなるんですよね?」
「んなこと言ってられるか」

 鯛を死なせるわけにはいかない。苦手な場所でも踏ん張っていられるのは、ただその一念だけだった。

「それにしても静かだな」
「最近、この辺で厄介なのが出るので余計に寄りつかないんですよ」
「厄介なの?」
「……海獣です」

 それを聞くと、海蛇でも苦い顔をする。奴らは陸の生き物に近いくせに海の中で狩りをする。更に厄介なのが、あいつらは捕食以外にも生き物で遊ぶのだ。結果殺される事も多い。
 それでもまだ、鯨や海豚、鯱などは話もできる。あいつらは完全に海の中で生活するから、竜王の力が届くのだ。
 厄介なのは海豹や海馬といった、陸と海と半々で生きている奴らだ。

「十分、用心してください」
「あぁ、分かった」

 そうしてある程度散って、その花を探すことになったのだが……見渡す限りそれらしい物は見つからない。誰かに聞きたくとも影すらない。海蛇は人化を解いてあえて狭い岩の間を抜けるが、どうにもそれらしい物は見つからないままだ。

「くそ、時間がないってのに」

 焦りが先行していく。その間にも冷たい北の水が体を鈍らせていく。本来南の温かな海で生活していたのだ、北など想定もしていない。東の海だってギリギリだ。
 うねうねとくねりながら岩の間に頭を突っ込んだ。その時、尾に突然と痛みがあり、更に引きずり出された海蛇は海中高くに投げ出されて慌てて人化した。
 見れば眼下に海豹が一頭、丸い大きな目でこちらを見ている。そしてあろうことか突進してくる。
 剣を構えて突進を防ぐが、体が大分鈍化していて動かない。切るまでに至らず突き飛ばされる衝撃はなかなか強く、海豹は執拗だ。見た目に小さいからおそらく子供でじゃれているのだろうが、デカいこいつらがじゃれたらたまったものじゃない。

「阿呆! どっか行け!」

 剣を振っても、むしろその剣に興味津々だ。この戦いは海豹の方に分がある。そう判断した海蛇は剣をしまって人化を解き、出来るだけ素早く岩場へと身を潜めようとする。体がデカい分、狭い所に逃げ込めば入り込んではこれない。
 青と黒の縞模様の蛇が海中を岩場を目指し泳ぐ。あと少しで岩場へと頭が潜るかという時、また強い力で尻尾を咥えられた海蛇は今度は遠くまで振り回された。いい加減体も痛ければ尻尾が食われる。体を反転させて自慢の牙を見せるも、子供故の好奇心と恐れ知らずが怯んだりはしない。
 いっそ本当に噛みつこうと柔らかな鼻に狙いを定めた、まさにその時だった。竜宮の方から水を伝い、まるで切るような衝撃が一瞬で飛んでくる。逃げる事も出来ない早さのそれはじゃれる海豹の体に当たって弾け、当てられた海豹は驚いて海蛇を放し逃げていった。
 が、散々に振り回された疲労と痛み、そして冷たい水が体力を容赦なく奪い取って、もう限界だった。泳がないまま沈んだ海蛇を、大きな岩の割れ目が飲み込む。そのまま沈んでいった海蛇の意識はフッと途切れていった。

◆◇◆

 『はぐれの海蛇というのは、貴方ですか』

 それが、鯛が初めて海蛇にかけた言葉だった。
 南の海にいるはずの自分が、どういうわけか東まで流されてきてしまった。というか、気づかない間に強い潮に押し出されて竜宮の中にいたのだ。思えばあれば南海王か誰かが通り道を使ったのだろう。
 幼体だった自分は隠れて海に出ようとして、蛸に見つかり竜王へと謁見した。南の海に帰る事も提案されたのだが、これといって庇護されてもいない。なんならここにいる方が安全に思えて、帰らなかった。
 慣れてしまえばこちらの海でもどうにか生活ができる。蛸の指導もあって徐々にだが力を付けていた時、鯛に出会った。
 南の海は見かけの綺麗なのが多い。だが、鯛の綺麗さはもっと内側から出るものがある。凜とした佇まいも、少しキツい物言いも。寄る者を選ぶ彼の姿が素敵で、幼い海蛇の初恋だった。
 そして今も、その初恋を拗らせている。

◆◇◆

 ふと、目が覚めた。岩の裂け目のギリギリまで落ちたのだろう、出口が遠い。
 どうにか体を捩って見ればまだ下がある。ここで止まったのは岩と岩の間が極端に狭い所だったからだ。
 だがその隙間、よくよく見ると何かがぼんやりと光っている。薄青いそれは水の流れに揺れていて、まるで花のようで。
 思った瞬間、海蛇は割れ目に頭をすり寄せるようにして見た。それは間違いなく青白く光る花だった。
 だがギリギリ届かない。岩と岩の間は極端に狭くて、頭を突っ込んだら体が削げそうだ。それでも諦められない。アレがあれば鯛が助かる。それに、場所を選べば頭も入る。迷う時間すら惜しく、海蛇は一番隙間の大きな場所に頭を突っ込んだ。
 ギチギチと胴が岩に挟まれて苦しく、ゴツゴツした部分が肉に食い込み裂けてしまいそうだ。それでもグイグイと首を振り、ねじ込んでいった海蛇はようやく口にそれを咥えた。
 根元から花まで、一寸と少しという大きさの花はとても綺麗に咲いている。これがあれば鯛は助けられる。早く抜け出さなければと今度は体をくねらせて後ろに下がろうとするが、岩が胴に食い込んで上手くいかない。
 どうにか藻掻いていると、何かが尻尾に触れるのを感じた。
 こんな所でまた邪魔が入ったらまずい。それに動けない今、もしも食われたらひとたまりもない。いや、自分は食われたとしてもこの花だけは届けなければ。
 必死な思いでどうにか頭をくねらせた先に、大きな蛸が一匹いた。

「海蛇さん!」
「甲か! 頼む、引っ張り出してくれ!」
「そんな! そんな事をしたら体が傷だらけになります!」
「いいから引きずり出せ!」

 甲が躊躇うのも無理はない。海蛇だってバカではないのだ。このゴツゴツした岩の隙間を無理矢理引っ張り出したら肉が削げるし裂ける。骨だってどうなるか分からない。
 それでも、助けたい相手がいるんだ。今も苦しんで死ぬのを待っている。惚れた相手の一人、護れなくて何が男だ。

「頼む、花を見つけて咥えている! 引きずり出してくれ!」
「っ!」

 尻尾に蛸の足が絡んだのが分かる。そしてそのままズリズリと岩場に体を擦りながら引っ張り出されていく。腹も背も硬い部分に引っかかって裂けた。骨もゴリゴリと痛んだ。拷問だってもう少し人情ってものがあるってのに、黙って肉を裂かれ続けている。出血と水温で意識が朦朧としても、咥えている物だけは落とさないよう必死に力を入れた。
 やがて、胴体も細い部分になってようやく頭が抜けたが、もう泳ぐ気力はない。甲がそのまま大事に抱え、花も持って竜宮へと急いでくれる。
 あと少し、あと少しだ。それまで気力が保てばいい。途切れそうな意識を繋いで、海蛇は北海王の御殿へと運ばれていった。

 竜宮について直ぐ、人化した海蛇の体は思いのほか酷いものだった。体中の酷い青痣に、背も腹も裂けて血が出て動くのもままならない重傷状態だった。
 それでも目だけはギラギラとしていて、周囲を酷く怯えさせた。
 甲に連れられて北海王に面会すると、彼は治療を申し出てくれた。花は甲が届ければいいと。だがこれだけは最後まで見届けないと気が休まらない。そう言うと、北海王は頷いて甲に海蛇を送るようにと言って道を開いてくれた。
 随分あちこち駆けずり回った海蛇が竜王の元へと戻ると、意外な事に南海王が扉の前で待っていてくれた。側には亀と那亀もいる。そして、ドサリと落ちるように床に膝をついた海蛇を見て亀が慌てて駆け寄ってきた。

「青埜! 酷い……直ぐに手当を!」
「う……さい。まずこれ、頼む……」

 甲が花を南海王へと手渡すと、彼は確かに頷いて瓶の中の液体に花びらの一枚を入れた。
 透明だった薬が、花びらを入れた途端に青く変り光る。そしてその一本を確かに、海蛇に渡した。

「鯛はまだ頑張っています。早く行きなさい」
「有り難う、ございます」

 どうにか立とうにも足が震える。力が入らない。見かねた甲が薬を持ち、抱え上げて走り出す。半分引きずられているがそれでもいい。とにかく今は鯛が心配だった。

 竜宮の奥の宮へと入り、鯛の元へと転がり込むと、鯛は静かに眠っていた。あまりに静かで、息をしていないんじゃないかと思えて怖い。体を蝕む痣はもう体の半分以上に及んでいて、目も落ち込んで痩せてしまっていた。

「青埜さん、酷い怪我!」
「浦島、殿……鯛は……」
「どうにか薬湯を飲ませてるけど、一度意識が戻った後はずっとこんなで」

 泣きながらも必死に看病をしてくれている浦島の横では、竜王も力を貸してくれている。淡い光がずっと鯛を包み込んでいて絶えない。その分竜王は疲弊するのに、止めようとはしないのだ。

「これ、薬……」

 甲が大事に持ってきた薬を浦島に手渡す。彼はそれを受け取って吸い口のついた器に移し、少しずつ鯛のひび割れた唇に流し込んでいく。一滴たりとも無駄にしないようにと、少しずつ注いでは喉が上下するのを確かめ、また注いで。
 すると明らかに、胸の上下が深くなった。死人のような顔に僅かながらも表情が戻る。そうして吸い口に入っていた分を全て飲み終えた頃には、ほんの僅かだが赤みが戻ったように思えた。

「とりあえず、これで様子を見るね」

 浦島も同じように感じたのか、ふっと息を付いたのが分かった。

「だが、まだ辛そうだ。本当にあれで薬効いてるのか?」
「アレでは足りませんよ」

 声に驚き後ろを見ると、南海王が仁王立ちしている。そして、手に持っている二つの瓶を浦島に渡した。

「三時間後に更に一本。その後また三時間後に最後の一本を飲ませて下さい。その後は爛れた皮膚の壊死した部分を綺麗にこそぎ、軟膏を塗って保護をしてください。新しい皮膚が張り始めれば後は磯巾着に任せて構いません。老廃物を食べてくれるので、そちらの方が治りが早いでしょう」
「有難うございます、南海王様」

 目を潤ませる浦島が丁寧に礼をするのを、南海王は穏やかな目で見つめて頷いた。

「海蛇」

 竜王に名を呼ばれてそちらを見ると、彼は治療の手を一度止めている。そうして傷ついた海蛇の体に触れると、同じように治療し始めた。

「そんな勿体ない! そのお力は鯛に」
「今はお前の方が酷い。体が冷え切っているな」
「当然ですよ、南の住人であるこいつが東の海にいるだけでも怠いでしょうに、北の海なんて。私ですら行きたくありませんから」

 それでも、鯛の事に関わっていたかった。無謀と分かっていても何もせずにいられはしなかった。
 体が温かく、楽になっていく。痛みが引くだけでも十分有り難いが、竜王は綺麗に体を治してくれる。裂けた腹や背の肉ばかりか、おそらく折れたか脱臼している骨まで。
 そうすると今度は強烈な眠気が襲って、座っていても姿勢を保てなかった。

「亀寿さん、隣にお布団敷いてあげて下さい」
「あっ、はい!」

 南海王と一緒についてきた亀が急いで布団を取りに行き、さっさと鯛の隣に敷いてくれる。甲がそこに海蛇を寝かせた。

「ここなら直ぐに朱華さんが目を覚ましたら分かりますから」

 にっこりと笑う浦島に、海蛇は僅かだが動けるだけ頑張って頷いた。

「今回は本当に助かった、南海王。この礼は必ず」
「いりませんよ。先にも言いましたが、十分に貰いました。それに今回の功労者は海蛇です」

 意外と律儀にきっぱりと言う南海王。それを見る亀が少し意外そうで、でもちょっぴり嬉しそうだ。

「あの、竜王様」
「どうした、亀?」
「その……今夜は南海王様の所に一晩いてもよろしいでしょうか? 那亀もきっと喜びますし」
「!」

 思いがけない亀の申し出に一番驚いたのは南海王だろう。綺麗な顔が少々奇妙になっている。
 それを見た竜王も驚いたのだろうが、次には穏やかに笑って頷いた。

「構わない。南海王、よいだろうか?」
「……これでは私の取り分が多すぎますよ」

 頭を抱えた南海王が、着物の袂から何かを取り出しちょんと指で突く。するとそれは少し大きな軟膏瓶に変わった。

「これを、傷を洗った後で塗ってあげてください。良く効きますし、傷が綺麗に治りますよ」
「有難うございます!」
「これでもまだ貰いすぎな気がしますよ」

 そう言うと立ち上がり、背を向ける。その後に亀もついていくのを見て、浦島はふふっと笑った。

「なんだかんだ言って、いい人ですよね」
「そうだな、悪い奴ではない。少し面倒だが」
「そんな事言って。今回は南海王様がいてくれて助かったんです」

 苦笑する竜王に、浦島は嬉しそうにしている。こればかりは海蛇も浦島に同意だ。

「亀寿さんは、南海王様の所に行くのでしょうか?」
「どうだろうな」
「竜王様が引き留めていたりしますか?」
「いや。これは亀が決める事だから、あいつの意志に任せる。だが、今回は一つ亀にとってもいいことだったように思える」
「南海王様は少し亀寿さんに構い過ぎですからね。少し距離を取ればいいのに」
「それが難しいから、こうして拗れているんだろうな」

 鯛の容態が少し介抱へと向かったのが目に見えて分かるからこそ、気が抜けたのだろう。二人の会話はそんな感じに聞こえる。
 そういう海蛇もまた、眠気に勝てない。冷たい水に晒された体は眠りを要求している。
 今は静かに眠っているのだと分かる鯛の横顔を見ながら、海蛇は深い眠りに落ちていった。
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