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浦島太郎外伝6 鯛は昔の夢を見て
五話
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体が、楽になった。
頭を撫でる柔らかな手つきが懐かしく、ぼんやりと目を開けた鯛はその先に兄を見た気がした。
「朱貴……」
呟くと、その人は少し驚いた顔をしたが否定はしなかった。
「目が覚めましたか、朱華さん」
声が違う。けれど、心地よい。
頷いた鯛の体を少し起こし、彼は薬湯を飲ませてくれる。不思議と楽に嚥下できた。体の痛みは薄れ、指や足が動く。まだ少し怠いが、自分の意志で動かせた。
視界がはっきりとして、嬉しそうに涙を浮かべて笑う浦島を見上げた。温かな布団の上、持ち上げた腕はまださらしを巻いている箇所もあったが、あの酷い痣は消えていた。
「これは……」
「薬が効いたんです。青埜さんが頑張ってくれました」
「海蛇が?」
浦島の視線がふとそれる。そちらを見ると鯛の隣にもう一組布団が敷かれ、海蛇がピクリともせず眠っていた。
「海蛇?」
「どうやら冬眠に入ってしまったみたいで。もう三日は眠っているんです」
「冬眠!」
流石に驚いて問いかける。よくよく見れば胸の上下もとても少ないし、息づかいも聞こえてこない。一見、死んでいるようにすら見える。
「他の方に聞いてみたら、冬になると短い間そうなるみたいです。七日ほどで目を覚ますそうですが」
「ですが、どうして……」
「薬の大事な材料が、北の海にあるそうで。それを探しに行ってくれていました」
「寒いのが苦手なのに、北の海に?」
驚いて……思わず「馬鹿」と呟いてしまう。彼がこんな無茶をする必要なんてなかったはずだ。なのに……。
いや、理由は知っている。どういうわけか海蛇は鯛に惚れているらしい。どこがいいのかなんてまったく分からない。自分でも性格の悪さを自覚しているくらいだ。見てくれは合格だろうが、中身は……。
「本当に、馬鹿ですね」
呟く鯛の耳は、痣とは違う感じで真っ赤になっていった。
その後は、ちゃんと目が覚めるようになった。浦島と河豚が交互で体を綺麗に洗い、古い皮膚を擦り落として軟膏を塗ってくれた。足の一部、腕の一部、そして脇腹に壊死があって治りも遅く痛んだが、それも徐々に回復していった。今では上半身を起こしていても辛いとは思わない。
だがその隣で今も、海蛇は昏々と眠り続けている。日差しは温かく潮も温かいのに、随分な寝坊だ。
「お前は本当に、寝坊助ですね」
起き上がり、布団を出て側に座り、そっと頭を撫でる。長い青と黒の髪は意外と触り心地がいい。開いていれば眠そうな目は、閉じると端正に思える。
「お前に礼がしたいのです。早く起きてください」
今は綺麗に戻った手でそっと髪を梳きながら、鯛は穏やかに微笑んでいた。
そんな日が更に数日続いた。普通に食事も取り、体力は戻りつつある。壊死を起こした部分も徐々に元通りの肌に戻りつつある。
河豚からは「ほぼ完治」という診断を貰い、明後日からまた働けることとなった。
その夜、ふとごそりと音がして、鯛は隣の布団に目をやった。
「……鯛?」
「おはよう、お寝坊さん」
薄く目を開けた海蛇を見て、鯛はふわりと綻ぶような笑みを浮かべる。近づいて、優しく髪を梳く鯛に海蛇はゆるくだが反応を見せ、されるがままにすり寄った。
「気持ちいい」
「この程度の事で構わないなら、いくらでも」
「最高に、嬉しい」
「単純すぎますよ、お前」
ただ撫でるだけでいいなんて、欲がなさ過ぎる。それでもうっとりと幸せそうな海蛇を見ていると、鯛も僅かに胸が騒いだ。
こう何日も海蛇を見ていると可愛く思い始めていた。蛸の息子からも話を聞いたが、とんでもない無茶をしたものだ。腹や背の肉が裂けてまで助けてくれようとしたなんて。
苦しく思うと同時に、胸の奥が熱くなるのも感じた。それはどこか愛しくて、大切なものに思える。この思いをこっそりと浦島に伝えると、彼はとても嬉しそうに笑って「恋ですね」と言った。
恋など無縁だった。昔は朱貴を応援して、自分はそっちのけ。朱貴が死んでからはとてもそのような心持ちにはならず、誘われたって知らぬ顔をした。
見てくれが美しいのは知っている。朱貴が美しかったのだ、双子の自分だってあまり差はない。だが、心はこんなにも醜い。それを知らぬまま声をかける者達を、どこかで見下していた。
ただ一人の物好き以外は。
海蛇だけは鯛の事をちゃんと見て知っていた。見下す態度も、心の醜さも。そしてそれを承知で、好きでいてくれた。意地の悪い事を言えば離れて行くかと思っても、そうではない。実際に少し意地悪をしてみたが、離れない。
鯛の中で海蛇は物好きから変態へと認識が改められた。だが、側にいることも認めた。何をしても離れないのならばもう、放って置くより他にはないと思った。
違う、嬉しかったのだろう。こうまでしても求めて貰える事に安心したんだ。その安心を土台に、彼の気持ちに応える事もせずに利用した。本当に、性格が悪い。
「海蛇」
「ん?」
「お前、本当に馬鹿ですよね」
「……かもな」
静かな時間に零れる小さな呟き。丁寧な手つきで髪を撫でる鯛にうっとりと目を細めたまま、海蛇は幸せそうに笑う。
「でも、馬鹿でいいさ。俺はアンタに惚れている。惚れた方が弱いのはどこの世界も同じだ」
「こんな性悪に惚れるなんて、変態ですか」
「かもな。でも、アンタは本当の性悪じゃない。そういう自分でいようとしているだけだろ?」
「え?」
「本当の性悪は、自分の事を性悪なんて言わないさ。自覚があるのは本物じゃないからだ。素のアンタはきっと、もっと素直で可愛いんじゃないかって、俺は思っているんだけどよ」
まだ少し眠そうな目でそんな事を言われて、鯛は湧き上がるような熱さに顔を染めた。恥ずかしさと嬉しさの両方があるが、恥ずかしさの方が強い。隠れたくてぱっと手を離し、自分の布団を頭まで被る。するとその外でクツクツという笑い声がして、気配が近づいてくる。そして布団の上からそっと、体重がかかった。
「可愛い」
「五月蠅い」
「顔、見せてくれよ」
「悪趣味!」
言ったら、掛かっていた重みがなくなった。それでそっと布団をめくると、直ぐ近くにニッと笑う海蛇がいる。慌てて隠れようにも遅くて、手を取られた鯛はそっと額に触れる唇の感触に驚き、動きを止めた。
「アンタが好きだ。もうずっと」
「……知ってます」
「嫌か?」
「…………嫌では、ありません」
ただ、素直じゃないだけだ。
驚いた海蛇の目が、ふと真剣なものになる。近づいてくる顔。そしてそっと、唇同士が触れた。
薄いけれど程よく柔らかい。触れるだけで終わってしまう時間を名残惜しいと思えている。面倒くさそうな常時の彼とは違う真剣な眼差しに見つめられると、胸の奥はずっと五月蠅いままだ。
「好きだ、朱華」
「……はい、青埜」
「その……なんだ。体がちゃんと治って、体力が戻ったら、その……一緒に出かけないか?」
「逢い引き、ですか?」
「まぁ、そうなるな」
「……はい、分かりました」
約束に、海蛇もどこか恥ずかしそうに顔を染め、嬉しそうに笑う。
それを見る鯛も同じように、穏やかに笑っていた。
頭を撫でる柔らかな手つきが懐かしく、ぼんやりと目を開けた鯛はその先に兄を見た気がした。
「朱貴……」
呟くと、その人は少し驚いた顔をしたが否定はしなかった。
「目が覚めましたか、朱華さん」
声が違う。けれど、心地よい。
頷いた鯛の体を少し起こし、彼は薬湯を飲ませてくれる。不思議と楽に嚥下できた。体の痛みは薄れ、指や足が動く。まだ少し怠いが、自分の意志で動かせた。
視界がはっきりとして、嬉しそうに涙を浮かべて笑う浦島を見上げた。温かな布団の上、持ち上げた腕はまださらしを巻いている箇所もあったが、あの酷い痣は消えていた。
「これは……」
「薬が効いたんです。青埜さんが頑張ってくれました」
「海蛇が?」
浦島の視線がふとそれる。そちらを見ると鯛の隣にもう一組布団が敷かれ、海蛇がピクリともせず眠っていた。
「海蛇?」
「どうやら冬眠に入ってしまったみたいで。もう三日は眠っているんです」
「冬眠!」
流石に驚いて問いかける。よくよく見れば胸の上下もとても少ないし、息づかいも聞こえてこない。一見、死んでいるようにすら見える。
「他の方に聞いてみたら、冬になると短い間そうなるみたいです。七日ほどで目を覚ますそうですが」
「ですが、どうして……」
「薬の大事な材料が、北の海にあるそうで。それを探しに行ってくれていました」
「寒いのが苦手なのに、北の海に?」
驚いて……思わず「馬鹿」と呟いてしまう。彼がこんな無茶をする必要なんてなかったはずだ。なのに……。
いや、理由は知っている。どういうわけか海蛇は鯛に惚れているらしい。どこがいいのかなんてまったく分からない。自分でも性格の悪さを自覚しているくらいだ。見てくれは合格だろうが、中身は……。
「本当に、馬鹿ですね」
呟く鯛の耳は、痣とは違う感じで真っ赤になっていった。
その後は、ちゃんと目が覚めるようになった。浦島と河豚が交互で体を綺麗に洗い、古い皮膚を擦り落として軟膏を塗ってくれた。足の一部、腕の一部、そして脇腹に壊死があって治りも遅く痛んだが、それも徐々に回復していった。今では上半身を起こしていても辛いとは思わない。
だがその隣で今も、海蛇は昏々と眠り続けている。日差しは温かく潮も温かいのに、随分な寝坊だ。
「お前は本当に、寝坊助ですね」
起き上がり、布団を出て側に座り、そっと頭を撫でる。長い青と黒の髪は意外と触り心地がいい。開いていれば眠そうな目は、閉じると端正に思える。
「お前に礼がしたいのです。早く起きてください」
今は綺麗に戻った手でそっと髪を梳きながら、鯛は穏やかに微笑んでいた。
そんな日が更に数日続いた。普通に食事も取り、体力は戻りつつある。壊死を起こした部分も徐々に元通りの肌に戻りつつある。
河豚からは「ほぼ完治」という診断を貰い、明後日からまた働けることとなった。
その夜、ふとごそりと音がして、鯛は隣の布団に目をやった。
「……鯛?」
「おはよう、お寝坊さん」
薄く目を開けた海蛇を見て、鯛はふわりと綻ぶような笑みを浮かべる。近づいて、優しく髪を梳く鯛に海蛇はゆるくだが反応を見せ、されるがままにすり寄った。
「気持ちいい」
「この程度の事で構わないなら、いくらでも」
「最高に、嬉しい」
「単純すぎますよ、お前」
ただ撫でるだけでいいなんて、欲がなさ過ぎる。それでもうっとりと幸せそうな海蛇を見ていると、鯛も僅かに胸が騒いだ。
こう何日も海蛇を見ていると可愛く思い始めていた。蛸の息子からも話を聞いたが、とんでもない無茶をしたものだ。腹や背の肉が裂けてまで助けてくれようとしたなんて。
苦しく思うと同時に、胸の奥が熱くなるのも感じた。それはどこか愛しくて、大切なものに思える。この思いをこっそりと浦島に伝えると、彼はとても嬉しそうに笑って「恋ですね」と言った。
恋など無縁だった。昔は朱貴を応援して、自分はそっちのけ。朱貴が死んでからはとてもそのような心持ちにはならず、誘われたって知らぬ顔をした。
見てくれが美しいのは知っている。朱貴が美しかったのだ、双子の自分だってあまり差はない。だが、心はこんなにも醜い。それを知らぬまま声をかける者達を、どこかで見下していた。
ただ一人の物好き以外は。
海蛇だけは鯛の事をちゃんと見て知っていた。見下す態度も、心の醜さも。そしてそれを承知で、好きでいてくれた。意地の悪い事を言えば離れて行くかと思っても、そうではない。実際に少し意地悪をしてみたが、離れない。
鯛の中で海蛇は物好きから変態へと認識が改められた。だが、側にいることも認めた。何をしても離れないのならばもう、放って置くより他にはないと思った。
違う、嬉しかったのだろう。こうまでしても求めて貰える事に安心したんだ。その安心を土台に、彼の気持ちに応える事もせずに利用した。本当に、性格が悪い。
「海蛇」
「ん?」
「お前、本当に馬鹿ですよね」
「……かもな」
静かな時間に零れる小さな呟き。丁寧な手つきで髪を撫でる鯛にうっとりと目を細めたまま、海蛇は幸せそうに笑う。
「でも、馬鹿でいいさ。俺はアンタに惚れている。惚れた方が弱いのはどこの世界も同じだ」
「こんな性悪に惚れるなんて、変態ですか」
「かもな。でも、アンタは本当の性悪じゃない。そういう自分でいようとしているだけだろ?」
「え?」
「本当の性悪は、自分の事を性悪なんて言わないさ。自覚があるのは本物じゃないからだ。素のアンタはきっと、もっと素直で可愛いんじゃないかって、俺は思っているんだけどよ」
まだ少し眠そうな目でそんな事を言われて、鯛は湧き上がるような熱さに顔を染めた。恥ずかしさと嬉しさの両方があるが、恥ずかしさの方が強い。隠れたくてぱっと手を離し、自分の布団を頭まで被る。するとその外でクツクツという笑い声がして、気配が近づいてくる。そして布団の上からそっと、体重がかかった。
「可愛い」
「五月蠅い」
「顔、見せてくれよ」
「悪趣味!」
言ったら、掛かっていた重みがなくなった。それでそっと布団をめくると、直ぐ近くにニッと笑う海蛇がいる。慌てて隠れようにも遅くて、手を取られた鯛はそっと額に触れる唇の感触に驚き、動きを止めた。
「アンタが好きだ。もうずっと」
「……知ってます」
「嫌か?」
「…………嫌では、ありません」
ただ、素直じゃないだけだ。
驚いた海蛇の目が、ふと真剣なものになる。近づいてくる顔。そしてそっと、唇同士が触れた。
薄いけれど程よく柔らかい。触れるだけで終わってしまう時間を名残惜しいと思えている。面倒くさそうな常時の彼とは違う真剣な眼差しに見つめられると、胸の奥はずっと五月蠅いままだ。
「好きだ、朱華」
「……はい、青埜」
「その……なんだ。体がちゃんと治って、体力が戻ったら、その……一緒に出かけないか?」
「逢い引き、ですか?」
「まぁ、そうなるな」
「……はい、分かりました」
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