浦島太郎異伝 竜王の嫁探し

凪瀬夜霧

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浦島太郎外伝6 鯛は昔の夢を見て

三話

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 懐かしい夢を見る。
 町の外れの人気の無い場所で、朱華は双子の兄の朱貴と二人で暮らしていた。
 朱華はあまり体が丈夫ではなく、朱貴がいなくなればきっと死んでしまう。そのくらい弱かった。それでも死なずにいられたのは、兄の朱貴が面倒を見てくれていたからだ。

「朱貴、もういいよ。放っておいて。このままじゃ朱貴が幸せになれないよ」

 何度かそう望んだ事があった。
 兄の朱貴はとても器量が良くて、頭もいい。優しくて人から好かれる人物だ。そして、面倒見もいい。
 羨ましいと思う事すらおこがましい兄は、それでもにっこりと笑って首を横に振り、朱華の手を取った。

「二人きりの家族ですよ、寂しい事を言わないで。朱華がいてくれるから私もこうして生きていられるのですよ」

 天女がいるならこのような人に違いない。朱華はそう信じていた。
 やがて大人になって、少し丈夫にもなった朱華は竜王に認められて竜宮で世話役をする事になった。
 新しい竜王は精悍で、とても穏やかな気性で、海は良く治められた。
 あのような穏やかで包容力のある人が朱貴を見初めれば、きっと朱貴は幸せになれるのに。
 朱貴の淡い恋心を知っていた朱華は、そんな事を思っていた。
 それが現実となるのに、そう時間はかからなかった。竜王は朱貴を愛し、朱貴も竜王に惚れていた。これで発情でもして御子が産まれれば、きっともっと幸せになるだろう。
 幸せな二人の未来を思い、朱華も幸せだった。長年支えてくれた兄が幸せであることが心から嬉しかった。

 だが、それは長くなかった。
 その日、朱華は久しぶりに体調を崩して寝込んでしまった。側には朱貴がついてくれて、ずっと心配そうな顔をしている。

「そんなに心配せずとも、直ぐに良くなります。少し疲れが溜まっただけですよ朱貴」
「ですが、とても顔色が悪い。貴方は昔から体が弱かったから」

 そう言いながら看病をしてくれる朱貴の温かさが、少し懐かしかった。たまにはいいかもしれない、そんな甘えたことを考えていた自分を殺してやりたくなる。
 朱華の熱はその後も下がらないばかりか、悪化していく。朱貴はとても心配し、ある日こんな事を言い出した。

「何か体にいいものを探してきます」

 当然止めた。危険な事だ。

「いけません、朱貴。そのような事を、竜王様の番である貴方がする必要はありません」

 そう訴えた。だが朱貴は寂しそうにして、コツンと朱華の額に自らの額を合わせた。

「朱貴!」
「確かに私は竜王様に見初められました。ですがその前に、お前の兄で家族なのですよ。お前を失うのは半身を失う程に悲しいのです」

 そう言って微笑んだ人は、明るい様子で「帰りを待っていなさい」と言って行ってしまった。
 それが、朱貴との最後になってしまった。
 朱華の容態は更に悪化したが、幸いな事に特別な薬が効いて回復し、一時は朦朧としていた意識も回復した。
 だがそこに、朱貴はなかったのだ。
 裳に伏すような竜王の様子や、亀の様子。事態が飲み込めない朱華に、亀が朱貴の死を教えてくれた。人間に捕まり、食われたのだろうと。

 自分のせいだ。
 朱華を襲った罪の意識は深くて、魂が抜けたようだった。半身を失うような痛みや喪失感、苦しみは計り知れなかった。しかもそれが、自分のせいだなんて……。
 罪を伝える勇気はなかった。深く悲しむ朱華は、荒れる海を見るのがいつしか嬉しくなっていた。
 これは竜王の苦しみ。朱貴を失った人の悲しみの表れ。海が荒れている間は、あの人は朱貴を忘れていないんだと。
 それも徐々に落ち着いた頃、間が悪く発情の兆候が現れてまた海は大騒ぎになった。
 事態の深刻さは理解しているが、朱華はどこかで次の番など出来なければいいと思っていた。あの場所は朱貴のもの、誰にも座らせたくないと。
 だが海は荒れる。魚たちも徐々に減る。耐えて耐えて、表面上は平静を装ってもそれが全部海の環境に出ている。流石にこのままでは深い悲しみや苦しみに飲まれて、この人が祟り神になってしまう。それは望んでいない。

 そんなおり、亀が一人の人間の存在を竜王に告げた。
 なんでも亀を助けたのだと。信じられなかった。朱貴を掴まえて食べたような野蛮人が、そんな事をするものかと。
 だが、朱華の中の悪も囁いた。人間によって朱貴が殺されてこの事態になったなら、当然人間が犠牲を払って竜王の慰み者になるべきだ。
 竜王との交わりは大変な苦痛を伴う。肉体的にばかりではない、精神的にも。地上に帰る事もできず、甘露によって体は作り替えられ、やがて王の子を孕む。相手は男だと聞いたから、余計に苦しむだろうと。
 幸い、浦島はあまり他人を疑う事が無い様子だ。もてなして、何も伝えず甘露を飲ませてしまおう。少しずつ。そして快楽を植え付け、常に股を濡らすはしたない者になればいい。そこで壊れてしまうのが一番いい。用がなくなれば捨ててしまおう。
 竜王は浦島を気に入り、朱華は甘言で竜王を丸め込んだ。よほど辛くなっていたのだろう人は誘惑に負けた。そうして、朱華はこっそりと甘露を与え続けていた。

 だが、徐々に心も痛んでいった。浦島はとても素直で人を疑わず、誰もに優しかった。騙されているとも知らず、あのような手ひどい夜を与えたにも関わらず朱華を信じている。
 良心が痛んでいた。本当は分かっていた。朱貴を食った奴らと浦島は同じ人間という種だが、当人ではない。これは的外れな八つ当たりで、大変な罪なんだと。
 分かっていたが、止められない。もう、止まれない。
 だからこそ、無事に竜王との初夜を終えて子を身籠もったと知った時、少しほっとした。もう地上に戻るには遅すぎるが、このまま海の中で暮らすなら平穏を約束できる。だまし通そう。そう、思っていた。

 だが記憶が戻り、地上へ戻ると言った時、鯛の心臓は酷く痛くなった。
 もしも全てを知った浦島が恨んで戻ってきたら? 自分が責め立てられるのは構わないが、それはきっと竜王に行くだろう。あの人もそれを受け入れるだろう。
 違う、全ては朱華の企みだ。全部悪いのはこちらなのだ。
 死んでお詫びをしよう。密かに小刀を懐に忍ばせていた朱華は、戻ってきた浦島の慈母の心に救われた思いがした。
 だが、ずっと言えないままだ。今では心から浦島に仕えられる事を嬉しく思っている。この人ならば朱貴がいたはずの場所を譲れると思える。きっと朱貴も、文句はないだろう。
 けれどずっと言えないのだ。朱華が行ったとんでもない裏切りを、浦島に謝罪できないままでいる。
 既にその機を失っているのだろう。
 言えない言葉が溜まっていく。たった一言の謝罪が出なかった。騙してすまないという言葉が心に溜まったまま、朱華は側に仕え続けていた。

◆◇◆

 ふと、目が覚めた。
 薄ぼんやりとした視界に誰かが映る。少し遠くで声がしていて、ゆっくりと近くなっていった。

「朱華さん!」
「浦島……様……」

 明るくなった視界の先に浦島がいる。とても心配そうに目を潤ませる人を見ると、罪の意識から泣きたくなってくる。
 だが、体は上手く動かない。息も続かない。
 自分の体を見てみると、手の甲まで爛れて肉が見えていた。

「っ!」

 そうだ、病だ。思い出して離れようとジタジタしたくても力が入らない。それに言葉も、息が続かなくて拙いものだ。
 察した浦島がギュッと手を握って「大丈夫」と言う。首を横に振っても、浦島は離してくれなかった。

「この病気は移らないから大丈夫です」

 それだけでも、ほっとした。

「体、辛くありませんか? 薬湯飲めますか?」

 上体を起こして、吸い口を咥えさせてくれてゆっくりと薬湯を飲ませてくれるが、むせてしまう。それでも少しだけ、楽になった。
 これはきっと最後の機会だ。この人に謝罪するために与えられた最後の時間に違いない。
 鯛は浦島を見つめ、拙くとも口を開いた。

「すみま、せん……」
「え?」
「ごめん、な、さい……私は、貴方を騙し、た……」

 伝えると、浦島はとても悲しそうな顔をする。眉根を寄せている彼を見ると、罪悪感に溢れてくる。どうしようもない後悔も押し寄せて、鯛の目からも涙が溢れた。

「貴方を、騙した……私が、全て……っ」
「朱華さんの事が、俺は好きですよ」
「どう、して」
「確かに騙されたのかもしれません。少し恨みもしました。でも、一番大事な所に嘘はなかったからです」

 そっと微笑みかけながら、浦島は手を動かす。傷ついた部分のさらしを取って、傷を洗って剥がれた部分を拭ってくれる。そこに軟膏を塗ってまた布を巻いて。甲斐甲斐しくしてくれる人に、申し訳ないやら感謝やらで何を口にしたらいいのだろう。

「それに、朱華さんの事情は最近になって知りました。お兄さんの事……」
「あ……」
「辛かったのに、俺の事を色々してくれて、感謝しています」

 違う、そうじゃない。感謝なんてされる謂れはない。貶めたんだ、酷い理由で。まったく関係ないのに、利用しようとした。完全な八つ当たりだったんだ。
 言いたい事が出てこない。代わりに涙ばかりが出てくる。浦島の手が伸びて、頭を撫でていく。ふと兄を思い出すその動きに、鯛は更に涙を流した。

「頑張ってください、朱華さん。貴方が死んでしまったら公子も悲しみます。青埜さんが薬を貰いに行ってくれています。頑張ってください」

 浦島の声に励まされ、鯛は数度頷いた。
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