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第四章 アメリカムラサキバン

02.孔雀に出逢う水鶏

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 カジュリエスに寝かされ、医官詰所に連絡を取ってくるから待ってろと言われ間もなく。

 普段あまり会いに来ない父の姿がぼんやりと見えた。父は白いので、視力があやふやでもすぐにわかる。どうしてここに、と思う間もなくレイルは大きな布で包まれた。

 細身ではあるが身体の大きな父は、布で包んだレイルを抱き上げるとそう離れてはいない場所にある自分の店へと連れ帰る。
 そうして、レイルが幼い頃によく遊んでいた中庭へと。


「ここ、……て、んまく、つけたの……」
「ああ、少し寝ろ。大丈夫だ、すぐ……治る」
「と、うさ、……おれのこれ、ぐあい、わる、いの、なに……わ、かる、……? の……?」


 父は、口元だけで笑うと、わかる、大丈夫だ。と言った。

 その言葉を聞き、レイルは安心して目を閉じる。どうしておれがやばい事に気づいたの、どうしてわざわざ来てくれたの、どうしておれを父さんの家に連れて帰ったの、聞きたい事はたくさんあるのに、そろそろ意識を保っているのも限界だった。


 それからしばらく。
 話し声が聞こえる。話す声の合間に、密やかな泣き声と。先程までよりだいぶ気分の良くなったレイルは、意識をほんの少し浮上させた。


「なんだよ、……お前、いつまで泣いてんの」


 父の声だ。


「だって、クレイン……会えて嬉しい、嬉しいんです、だから、涙が止まらなくなって」
「いいから、……笑って。俺、ピィの笑った顔、再会してからまだちゃんと見てないよ、見せて」
「……そんな急に、わらえな……んっ」


 ちゅ、ちゅ、と響く水音、そして。


「だめ? これでも、笑えないの」
「クレイン……っ」
「はは、なんで余計に泣いてんだよ」


 なんだこの、胸の奥から何かが迫り上がってきそうな程に恥ずかしいやりとりは。
 クレイン、と呼ばれているのは自分の父だ。父の名はクレインだ。その父がこんなに砕けた柔らかい話し方をする相手がいたなんて、レイルは今の今まで知らなかった。

 特定の相手はいらない、のでは無かったのか、自分の父は。自分はそう聞かされて育ったはずなのだが……。

 そして、クレイン、と呼びかける甘い声の持ち主は。


「と、うさ、ん」
「レイル、起きたか」


 思わず、と言ったように口を開いたらすぐに父が近づいてきた。後ろに、人型の空龍が。なぜ空龍だと分かったのだろう。それは、既に、自分が……。


「あなたは、空龍」


 夢のように綺麗な羽を持つ空龍が、自分の父の名を呼び甘えて泣いていた。泣きながらもレイルを見て、笑った。


「そうですよ。もう、先代の、がつきますけどね。私の力は殆どきみに移行したでしょう? 現代の空龍はきみです、レイル」
「ああ、やっぱりそうか……」


 この、身体中にまるで嵐のように渦巻く魔力は。生まれた時から持っていたかのように馴染むこの力は。内側から湧いてくる、未知の、それなのに完全に使いこなせそうなこの力は。

 寝転がったまま、手を見る。
 普通の麦畑のような白っぽい色だった肌は、水色がかった透けるような白に。

 肩越しに背中を見る。
 だらりと力を無くして床に流れるその羽は、保護色にちょうどいいなどと言われていた茶色だったものが— — 翡翠の色から紫、群青へ、色の連なりが芸術的な程に美しい、この国では特別な龍の色と言われる青い羽へと。

 そうか。
 本当の自分の色は。
 本当の、自分は。

 特に深い感慨も何も無く、レイルは自分の羽を見つめた。

 その時。
 店の入り口から扉を叩く音が響く。次いで「すみません、誰かいますか、人を捜してます!」と言う力強い声。


「なんだ、こんな時に……」


 父は文句を言いながら天幕から出て行ったが。あれは、あの声は。


「カジュリエス……」
「レイル、きみのつがいですか?」
「ん、……そう」
「番がいる龍は気力が増して力が安定するんです。変容が終わる前に番を見つける事ができて良かったですね」
「へぇ、そうなんだ……」
「はい、そうです」
「あの、……ピィ?」
「はい?」
「父さんと、番なの」
「……はい、そう、願います……」
「寿命は……もう、尽きるよね?」
「そうですね、この世界での寿命は間もなく尽きます」
「この、世界」


 目の前にいるピィという男は、自分の創造主でもある男は、ゆったりと微笑んだ。そうして、言う。


「レイル、きみが次代の龍に力を託す時期がきたら、ちゃんとわかるんです。全部、わかります。だから大丈夫、心配しないで。きみが今心配するのは、番のこと、それから番の住むこの世界のこと、そして何より、……レイル、きみ自身の事。自分の事を、何より大事に考えて生きて」
「自分の事を……」


 そこまで話した時、父が戻ってきた。そうして、後ろに向かって「ちょっと、すごいだろ……人型とってるし慣れたらマシになるぞ、今二人いるから余計に……」と声をかける。声をかけた相手は、レイルが想像した通り。


「レイル……」


 横になったままのレイルを見て、そのままかたまるカジュリエス。
 いつも綺麗に輝いているカジュリエスの漆黒の髪、漆黒の羽が、走り回ったのかかなり埃っぽくなっていることが酷く残念で、その青い肌、喉に広がる紅い色が、それまでも好ましいと思って見てはいたのに、今まで以上に余計に心に迫ってくる。見ただけでこんなにもカジュリエスが気になるなんて、己の力が開放されたせいだろうか。それとも。

 理由はなんであっても、レイルはカジュリエスに会えて嬉しい。口元をほころばせカジュリエスをじっと見つめた。


「空龍、だったのか……」


 カジュリエスは、その場を動かない。自分が動かないと、彼は近くには来てくれないのだろうか。だいぶ体調も良くなってきたので、いい加減起きるべきか。
 レイルは色々考えて、とりあえず身体を起こすことにした。なにより、起きてカジュリエスの近くに行きたいと思う。肘を使って身体を支えながら起き上がろうとした時。


「起きて大丈夫なのか」


 遠巻きにしていたはずのカジュリエスが歩み寄り身体を支えてくれる。それだけ、たったそれだけの事で、レイルの心は酷く満たされる。満たされ過ぎて、涙まで出そうだなんて。
 やっぱり、これは。


「おれ、……なんかおかしい……」
「えっ……それはそうだろう、こんな……朝、俺と別れた時からすっかり変わって……。大丈夫か、欲しいものはあるか? すぐ持ってくるぞ」
「何もいらないけど……」
「けど?」


 支えてくれるその太くて力強い腕に手を当てた。触っただけで、やはり。


「カジュ、おまえ、やっぱり俺の番なんだな」
「まだそれを言うのか……? そろそろ許してもらえないか?」


 眉毛が下がって情けない顔になっているカジュリエス。それでも、レイルは。


「そうじゃなくて、今朝までわからなかったこと、たくさんわかるようになったよ。おれ、……今すごい感じてるの、おまえがおれの番だって、わかる。感覚が今までと全然違うんだ。あの、……おれの、近くにいて。そうしてくれたら、すごく、安心する」
「ああ、近くにいる」


 その言葉に安心して、レイルは傍らにいた父へと向かい合う。


「これから、どうするの」


 クレインはゆったりと微笑みながら言う。


「さぁ? 俺はピィと一緒に行くよ」
「えっ……クレイン……それは、本当ですか……? あの、私、この世界にはいられませんけど最期を迎える時まであなたの事、ちゃんと想い続けます。だから、良いんです、クレインはこの世界に残っても……」
「おいピィ、お前また俺の前からいなくなるつもりか」
「いえ、そうではなくて、一緒には居たくて……居たいんですけど、この世界にいられなくなるの、クレインが良いのかな、嫌じゃないかなって、思ってしまって」
「次に置いていったらお前の事嫌いになるぞ」
「それはいやです! 一緒に、一緒に行きましょう、嫌いにならないで!」


 クレインは満足そうに微笑む。そして、レイルを見た。


「そういうわけだから、俺はどこかに行く。お前はそこのカジュリエスと生きていけ。それから、この家はお前にやる。この中庭のテントも、龍型でくつろぎたい時なんかにきっと重宝するから、とっとけ」
「あ、……うん」


 親子関係が他国に比べて希薄とは言え、レイルは父とはそれなりに仲良くしていたつもりだったので突然の展開に全くついていけないが。


「なんだ、寂しそうな顔してんな……大丈夫だ、レイル。お前は最高の息子だ。お前が自分ひとりでも生きていけるように育ててきたし、その上、番も見つけたんだろう。……ほら、本当に大丈夫だ」
「うん……」
「それにな、俺どこに行くのか知らないけど、もしかしたらまた遠い遠い先のいつかに会えるかもだろ」
「そうなの?」
「知らねえけど。人生は何が起こるかわからないから」


 父は、晴れ晴れとした顔で笑っている。それまでのレイルが見てきた、どの笑顔とも違う一人の人間の顔で笑っている。
 何度も何度も繰り返し「番は必要ない」と父が言っていた事を思い出す。自分の人生に番は必要ないと言う意味だとずっと誤解していたが、そうではなかった。父には既に番がいて、その人以外は必要がないと言う意味だったんだ。そんな事に、今更気づいた。気づいてしまったから、父を止められないし、止めてはいけない。レイルはきちんと理解した。番と離れてはいけない。一緒にいるのが、お互いの為だ。


「わかった……。それで、いつ空へいくの」


 先代の龍は空へと消えるのが習わしだ。全ての人が知っている、この国の、龍のお話し。次代の龍に代替わりし、先代龍は空へと消える。
 それを聞いたピィがクレインの手をとる。そうして、レイルに声をかけた。


「どうしてもやらないといけない事があるから、王城にいくよ。レイル、きみとその番も。ついておいで」




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