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第四章 アメリカムラサキバン
03.白鳥と孔雀の別離
しおりを挟む龍型になったピィを見て、クレインは己の心が奥底から震えるのを感じた。
青い、蒼い、精密な羽の集まりか鱗のようなキラキラ輝くものなのか、そんな荘厳な光を纏う大きな生き物。初めて見た時からクレインの心を捕らえて放さない、そんな生き物。
ああ、これだ。やっぱりこの美しい羽が。
龍を近くで見たのは初めてだ。
人は本能から、大きく強い生き物に対峙したとき恐れを覚える。
だから、ピィが龍化したらもっと酷い恐怖に襲われるかと思っていたが、むしろ全く平気だったことが驚きだ。
龍は大きい。
その大きな身体に、ピィはクレインを乗せる。
後ろを向くと、同じく龍型をとったレイルがカジュリエスをその背に乗せていた。
龍になったピィとレイルは、とても似ているように見えて、全く違う。その青色、様々な蒼が、碧が、翠が複雑に絡みあって大きな羽や身体の鱗を作り出してはいる所が似ているが、間近で見ると、やはり違う。別の個体だというのがよくわかる。
ピィのつるつるした背中の鱗を撫でながらクレインは思った。
きっとあの日、幼かったあの時、空飛ぶ龍を見て心が奪われたあの日。
空を飛んでいたのがピィじゃなかったら、自分の心は動いていなかった。
飛び立つ龍の首のあたりを撫で続ける。つるつるしてとても気持ちが良い。ピィも楽しそうにしているし、気持ちよさそうに飛ぶピィの背中で自分も思わず背中の羽を広げたくなるが、それはぐっと我慢した。うっかり羽を広げて飛んでしまったら、ピィのスピードについていけず自分だけ置いてきぼりを食らってしまう。間抜け過ぎる。
速度が速い為にそう時間もかからず王城につき、ピィは慣れた様子で龍型でも問題なく入れる大きな窓から室内へと入る。
続いて、カジュリエスを乗せたレイルも降り立った。レイルはすぐに人型へと戻ったが、ピィはそのままだ。
そのまま、龍の姿で、既に部屋にいた人物の方を向いた。
クレインの後ろに立っていたカジュリエスが「王……と、バルチャー……?」と呟き、さっと臣下の礼をとる。
一際派手で大きな羽を持っているのが王だろう。普段王城奥深くから出てこないと言う噂の王族の顔など、クレインは知らないので、多分。
その隣に並ぶ酷薄そうな顔をしている大柄な男を認めた瞬間、クレインは自身の頭に瞬間的に血がのぼるのを感じた。こいつは。あの時。
この顔を忘れるわけがない。
ピィを思って叫んで扉を叩いて、まるで狂ったように泣いたあの時。
「私のピーファウル」と言ってピィに馴れ馴れしく話しかけ、そうして、自分の目の前からピィを連れ去った人物だ。こいつが。あの日。ピィを俺の目の前から連れ去った。
正気を失いそうなほどに心が乱れる自分を止めることができない。
三十年もたっているというのに、その激情はまるで昨日受けたもののようにも感じ今すぐに殴りかかってしまいそうだ。
バルチャーと言う男がピィに近づきながら、声をあげた。
「勝手をしては困りますね、ピーファウル。あなた、次代の龍を作る時は必ず言うようにと言っておいたではないですか」
それを聞いたクレインの肩がびくりと跳ねる。
なぜ、お前に。なぜ、そんな大切なことを言われなくてはいけないのか。ピィを全く大切にしていなかったお前に、そんな事を言う資格はあるのか。
こいつと話したことは一度も無いが、あのピィと過ごした三十日程の間にクレインは気づいていた。ピィを養育した人間はろくでもない最低の人間だと。
思わず拳を強く握った。次に何かを言われたら、殴りかかってしまいそうだ。クレインの平穏とは言えない気配に気づいたのかピィが声をかけてきた。
「クレイン、大丈夫だ、落ち着いて」
龍のまま言葉を発すると、小さな声でも大きく聞こえる。内緒話には向かないが、ピィ自身、そもそも隠すつもりはないのかもしれない。
「……クレイン? 誰ですか、その男は。ピーファウル、あなたは番である私の言うことは聞かなくてはいけませんよ、いつもそう教えているでしょう」
「番ではないのです、バルチャー。私にはわかる」
「何がわかると言うのですか。あなたが分かることなんてこの世にそう多くはありませんよ」
「わかるんですよ、あなたは――生涯にわたって、私の、敵だ」
まるで何かの宣告のようにピィが静かに告げ、告げるとほぼ同時に、聞いている者の気分が悪くなるような音。ぶつり、ぐしゃり、という肉や骨が潰れていく音が、その場に断続的に響く。
ついで一拍置き、王の絶叫が響き渡った。
そこにいたはずのバルチャーは、膝から下だけを残して、ピーファウルの口の中へと消えていた。
え? とバルチャーの声がピィの口の中から聞こえてきたが、それもすぐにゴリゴリガリガリと硬いものが砕かれる音と共に聞こえなくなり、残された膝下は血を噴き出しながらその場にぱたりと倒れる。
王は――王だけではなく、多分ピィ以外全ての人が突然の事に呆然とする中、いつまでも叫び続ける王にピィは一歩づつ近づく。
尻もちをつき、そのまま後退する王。鋭い爪のついた前脚でその逃げを打つ脚を押さえそれでも尚身体を捻ってその脚から逃れようと暴れる王の両翼を、口に咥えて一気に引きちぎった。
翼が骨ごともがれるガリガリという低い嫌な音と、舞い散る色とりどりの華やかな羽、そうして、一層大きくなる王の叫び声。
「たすけっ、やめうわあああああああああああああああああああああ」
「あああああああああああああああ、いだいっいだ、い、はね、はねが、あああああああああ」
「なぜ、ああああ、なぜですか空龍よ、いたいいたいいたいあああ、いたいいいいいいわたしの、わたしの、はねが……! ああああああ」
両翼を口から吐き出し、身体を押さえつけたまま、ピィは言う。
「人の王、この先、龍を縛ってはいけない。龍は人ごときが縛って良いものではない」
龍が二頭、城に入ったことを知ってその場に駆けつけていた近衛はじめ、巡察官、文官たちはその一部始終を目の当たりにしながらも、ピィの醸し出す圧倒的な強さに手を出すことはできず。
王は、血と涙、吐瀉物などの汚物にまみれながらも、がくがくと首を縦に振り、その後の西浮国での龍の自由は約束されたものとなった。
-------------
それからしばし。
迅速に臣下たちの手により王が医官の元へと運び出され、残っていた王の両翼とバルチャーの脚も撤収され元々のピィが使っていた部屋に残ったのは、クレインとピィ、それからカジュリエスとレイルだけとなり。
既に人型へと戻っていたピィは酷く清々とした顔で皆の前に立っていた。
「レイル、安心して、好きなように暮らすんだ。きみは、何かに縛られてはいけない、わかったね」
「……うん。龍が、そこまで国に縛られていた存在だって、知らなかった」
「私の先代はまた違ったんだけどね……私の教育係だったバルチャーが、……彼は酷く長生きで。この国の誰より、長く生きる種でね。先代の龍を見ていて御しがたいと思ったんだろうと思う。だから、私を縛ったんだろうね。空龍は……生まれた時から龍になるまでの間なら、普通の人間と同じだから。私は生まれた時から長い間縛られ続けてきた。何も自由にできなくて……それこそ日常生活の全てを彼に握られていてね。……力があるのだからもっと抵抗すればよかったんだけど……抵抗してはいけない、と刷り込まれてしまっていたんだろうと思う」
クレインがピィの手をぎゅっと握った。ピィはそれだけで心底に満たされるから、本当はクレインに再会できただけで満足で、満足感を抱えてそのまま全てをレイルに任せて空へ還ってもよかったのだけど。
「クレインがきみを……私の願いを聞いて、普通に、……ただの人としての楽しみや悩みや、そういうものを全部、普通にごくあたりまえに経験しながら育ててくれたと聞いたから。ちゃんと、自分の後始末はつけてから還らないとって思ったんだよ」
「還る……」
「そう、龍の交代だ。先代の龍は、自分と、それから、自分の番だけを空へと運ぶことができる。レイル、きみも……三百年後、次代の龍と自分の時代が交差するときがきたら……わかる、だから大丈夫」
そろそろ、時間だ。これ以上はピィの身が持たない。空に還る前に力尽きてしまってはいけない。
背中の羽をばさりと広げ、首を一振り、腕をのばし龍へと变化する。
クレインは、その姿を見て満足そうに微笑み、首の後ろ辺りへ器用に登って座った。その高さから息子とその番へと声をかけた。
「レイル……、お前は大丈夫だよ。何度も言うけど、最高の息子だから。……好きに生きていけ」
「うん……」
「それから、カジュリエス」
「なんだ」
「お前、少しでもレイルを悲しませてみろ……レイルがお前を殺す」
「は? レイルが? あなたじゃなく?」
「そりゃそうだろ、俺はこれからピィと余生を楽しむからお前を殺してる暇ないんだよな。だから……大切にしてやってくれ」
カジュリエスが「わかった」と答えたのを見届けてほぼ同時に「じゃあな」と、そっけない調子でピィとクレインは空へと飛び立つ。
窓際までレイルが小走りについてきて、こちらを凝視しているのが見えた。カジュリエスもそれに続いているようだ。
どんどんどんどん二人が遠くなる。
王城をぐるりと旋回し、更に高みへと。風をきって、ピィは上昇を続ける。
どこに向かっているのかは、薄らぼんやりとしかわからない。
だけど、これからはクレインと一緒にいられる。はずだ。だから、ピィは満たされている。
「クレイン」
飛びながらも大好きな番に話しかけた。
「どうした」
「どこに行くのか、聞かないんですか」
「聞かないよ」
「私は、この世界ではもう寿命を迎えます。一緒に死ぬかもしれませんよ」
「いいよ」
「……」
「なんで黙るんだよ」
「私は、あなたに死んでほしくはないんです」
「そうだな、俺も。お前に死んでほしくないよ」
クレインが密やかに笑った。ピィも同調して笑う。
「……一緒に、神の国へ」
「神」
「この箱庭のような世界を作った、神話に出てくる神です。空の、天の向こうに……この世界を創った神の国があるんです」
「へぇ、お前、行ったことあるの」
「もちろん、ないんです」
クレインが、更に笑った。ないのか、と返した。ピィも、神の国ですから、と笑う。
生まれ育った国にはもう帰れない。だけど、ピィと同じく、クレインは故郷に未練はないと言う。元々愛国心なんて欠片もない人間だった。心配していた息子も無事に次代の龍へと変容を終えた。だから他に望むものはお前だけだとクレインが言ってくれる。
ピィはそれだけで、涙がこみ上げてきそうなほどに喜びが溢れてしまう。二度と会えないかも、それでも、死ぬ前に、ほんの一目会えたら幸せにこの世界から消えることができるかもしれないと思っていたのに、現実ではピィとクレインはお互いを番として、今こうして空を共に飛んでいる。
クレインが言った。
「どこだっていいよ、お前と一緒なら……本当に、一緒にいるなら、死んだっていいんだ」
ピィも答えた。
「はい、私も同じです! それに、神は……」
「神は?」
「この世界の全てを作るほどの力の持ち主なので、……お願いしたら、里帰りぐらいさせてくれるかもしれません」
ピィはそれが現実に可能かどうかなんて知らない。だけど、自分の子供としてきちんとレイルを育ててくれたクレインを、いつの日かまたレイルに会わせてあげられたら、それはとても嬉しい事だなと思ってしまった。
「……里帰りは、別にできなくてもいいぞ」
「……本当ですか」
「ああ。三百年待てばレイルもその神の国に来るんだろ。それまでお前と二人楽しく暮せばいいよ」
「……クレイン、私も、……私も、二人で暮らせたら、それで、満足なんです……!」
クレインはそれを聞きながら、そうだな、と穏やかに笑っている。
「神の国には……」
「はい」
「蠍がいるといいな。生で食べよう」
ピィが嬉しそうに笑う。
「はい! 鶏肉も! 一緒に食べましょう」
そうしてピィは更に上昇する。
もう二人の姿は地上からは見えず、いつの日か、ピィという空龍とクレインと言う鳥人が西浮国にいたことは全ての人の記憶から消え去るのだろう。
それでも、ピィもクレインも、これ以上はない程に酷く満たされていた。
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