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第一章 クイナ

10.走る黒い爪

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 おかしい。
 何かがおかしい。
 この感覚は一体なんだ。

 なんだかんだありながらも、素晴らしい朝のはずだ。

 数日に渡って散々に発情期と言う名の愛を共に過ごした。
 レイルに気を使って買い物にでかけ……このままじゃ捨てられるかも、と慌てて家に戻ってみたら、過去の自分の行為のせいで意地の悪い事は言われたが、全て全面的に自分が悪いので謝って許してもらった。
 許してもらったはずだ。
 世話を焼くことを許してもらえたのだから、自分の行為も許してもらえたのだ。多分。

 そして、目の前で自分が仕入れてきた果物を食べているつがいを楽しく口説きながら、朝食を共にする。

 これ以上素晴らしいことなんて、何もないはずだ。

 だけどカジュリエスは、途中から何かがおかしいと思っていた。

 目の前にいる最愛の番。

 回らなくなっていく呂律。

 見て分かるほどに流れてくる汗。

 血の気がひいていく顔色。

 最初は酷い貧血のような症状がでているのかと思って寝室へと運んだが、そうではないようだ。
 萎縮し動きが緩慢になっていくその身体を抱きながら、ぞっとした。違う、貧血なんてものではない。なんだこの症状は。

 ゆっくりと寝台へ下ろして「少し待ってろ医官詰所に連絡をとってくるな」とできるだけ優しく声をかけたがレイルの耳に届いていたかはわからない。

 急いで外へ出て、医官詰所へ通信を繋ぐ。
 はやく、はやく誰か。誰でもいいからこの通信を受けて、レイルを診てくれと気持ちが焦る。
 なかなか出ない詰所に焦れて、通信をつないだままカジュリエスは走り出した。走ったほうが早い。
 医官詰所へ向かう途中、自身が仕事で使っていた通信石が震える。なんだこの忙しい時にと心に波が立つが通信石を無視することはできない。仕方がないので、そちらとの通信を繋いだ。そのまま走り続ける。


「はい」
『カジュリエス巡察官ですか? 今すぐ王城へ戻ってください!』
「なんだ一体、今は……」
『本日おやすみなのは承知しています! ですが、全ての巡察官に招集がかかりました!!』


 何が起きた?
 何が起こっている?
 ただ事じゃないのはわかる。わかるが一体何が起こっている? 頭の中は混乱しか無い。

 口の中だけで「くそっ」と呟き、応えた。


「了解した! 速やかに向かう!」
『よかった、お願いします!』


 行かない、とは言えない。だが、レイルをあのままの状態で置いておくこともできない。
 来た道を引き返す。自分は官人だ。国に仕える。だから、この招集を無視してはいけない。わかってる。だけど、自分の番を放っておくこともできない。それは人としてやってはいけないことだと思う。

 戻ったところで、自分に何ができるかはわからない。わからないが、レイルを放っておく事は自分として絶対にできないのだから、それであれば、何か他の……何でも良い。
 レイルを連れ出し途中で開業している医術師にあずけていくことや、それが無理ならいっそ王城に連れていき手の空いている者に頼むぐらいならできるだろう。

 勢いをつけて帰路につきながらも、途中、どこか、レイルの家の方向に普段お目にかかれないような魔力を発しているがいるな、と警戒する。

 カジュリエスは魔術師ではないが、訓練を受けているので魔力を察知する事はできる。
 とは言え、この強さは、訓練を受けていない人であっても察知しそうだが。

 国内で魔力が強いと言われているのは主に王族だ。しかし、彼らは出生率の低いこの国において種を残し存続させていくことを主な仕事とされているので市井に出てくることはまずない。
 だいたいにして出てきた所で王族とは言え人間なのだから、ここまで息苦しさを覚える程の魔力を発しはしないだろう。この圧は、例えて言うなら、西浮国を棲家とする空色の龍でも居そうな、そんな強烈な強さを感じる。

 ――いやそんな、まさか。

 カジュリエスは否定しながらも、走る速度を上げた。

 そもそもこんなところに龍がいるわけがない。

 西浮国の龍はいつも王城に閉じこもりほとんど出てこない。一体いつから閉じこもっているのか、いつなら出てくるのか、それは誰にもわからない。一部の人間はわかっているのだろうが、大多数が知らない情報だ。
 国に災厄がふりかかるその時、根城にしている王城から出てきて厄災から国を護ると言われているがそれですら実際に見たことがある者は少ないだろう。
 本当は龍などいないと言われてもそのままわかった、と認めてしまいそうな程、国民にとってその存在は遠い。

 で、あるなら。
 この気配は一体なんだ。本当にレイルの家の方から漂ってくるのか。それは一体。

 緊張感が増した次の瞬間、その気配が消える。

 まるで、何事もなかったかのように。

 何事もなかったなんてありえない。あんなにも、普段鍛えているカジュリエスですら冷や汗が出るような酷く獰猛とも思える力だったのに。

 おかしい、本当におかしい。全てがおかしい。こんなおかしい事、起こって良いのか。一体何が起こっているのか。切羽詰まった感覚が消えないまま、ようやくレイルの家にたどり着いた。
 庭を横切り玄関をあけ、隣接している寝室へ。


「レイル!!!」


 扉を開けてカジュリエスは立ち尽くす。

 そこに確かに寝かせておいたはずの、レイルがいない。
 本当に、こんなこと、心底おかしい。
 理解できない。

 レイルが消えたなんて、理解できない。







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