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第一章 クイナ

09.その日の朝の羽無し

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 目覚めて思った。ああ、また自分は置いていかれた。

 身体の中をいくつもの小さな竜巻が通ったかのような発情期の熱が引いて、とうに限界を迎えていた体力の枯渇を癒すべく、レイルの身体は本人の意思を無視して勝手に意識を失った。

 意識を失う直前に有精卵を産めそうなどと言った自分の軽口に、産めと答えていたはずの……多分、確か、レイルの記憶が正しければ、だが、つがいであるはずのカジュリエスは一体どこへ行ってしまったのか。
 生まれて初めての発情期明けくらいは共に居て欲しかったが、成人する前から発情期と接してきたカジュリエスからすれば日常的で特にどうという事もない出来事なのかもしれない。
 と、するなら、これからはそんな小さな事でほんの少しでも傷付いてしまう自分を見直していかないといけないのだろう。

 などと、少しぐずぐずした思考に陥ったその時、勢いよく寝室の扉が開き足音も大きく大股で近づいてきたのは当のカジュリエスだ。


「あ……、ええと、カジュリエス……いらっしゃい、遊びにきたのか? 仕事は?」


 カジュリエスとの関係性が未だきちんと理解できていないレイルは、とっさに思いついた事を口走ってしまった。
 その言葉を聞いて、カジュリエスの普段はきりっとしている男らしい眉毛が若干下がる。


「いや……いじめないでくれ。本当はレイルの目が覚める前に戻るつもりだったんだ」
「……いじめてないけど……?」
「初めてやった日の朝もレイルを一人にしてしまったから、今日こそはその前に戻ろうとしていたんだが。すまない遅くなった」


 本当に申し訳なさそうな顔ですぐ側までくると、カジュリエスはレイルを抱き上げる。


「まずは身体を洗おう、気持ち悪いだろ」
「おれ、自分で風呂いけるし洗えるし……あと……ごめん、悪いけど、もう今日はできそうにないからおろして」
「……」


 おろして、とそう言ったのに益々ぎゅうと抱かれてレイルは少し混乱する。何か間違った事を言っただろうか。まさか番はいついかなる時も断ってはいけないなんて決まりが?


「今まで俺が言葉を惜しんだのが悪い。……惜しんだつもりは無かったがレイルはわかっていると勝手に決めつけていた。
 悪かった。自分の番の世話を焼きたいだけなんだ、良ければこのまま風呂の世話をさせてくれ」
「……あ、……はい」


 多分じゃなく、間違いなく番と言う認識で合ってた。
 その上、番の世話を焼きたいなんて言われてしまった。

 レイルの頭はこの状況にうまくついていけていない。が、カジュリエスは本当に世話を焼きたいだけのようで風呂場でも特に性的な接触はしてこずにただただ全身を洗われて、気がついたら拭き上げ着替えまでさせられて椅子に座らされていた。
 むず痒い感じがして慣れないが、世話を焼きたい、の言葉を信じてカジュリエスの好きにさせることにする。なんだか身体も怠かったので助かった、とでも思っておこう。


「腹が減っただろ、お前の好きな果物買ってきたから食べろ」
「ありがと……」


 素直だな、と微笑まれたせいか、レイルはますます落ち着かない。自分の背中が、首が、もぞもぞしてすわりが悪い。

 自分はずっと素直だったはずだ。
 ……。いや。
 それは嘘か。素直ではなかった。
 初めてやった次の日から、素直にはなれなかった。

 自分が体よく遊ばれている相手だとずっと思い違いをしていたために、もしかしたらわかりやすく示してくれていたのかもしれない好意に全く目がいかなかった。
 甘えることもしなかったし、多分、カジュリエスがレイルに甘えたいと思っていたとしても――それは、もう一回やりたいなんて直接的なおねだりも含め――全てを断っていた。

 それらの行為は全て、いつ捨てられても平気でいられるように自分の心を守ろうとしていた結果なのだが、結局の所今思えばそれらの自己防衛はほぼ失敗していたし、本当に捨てられていたとしたらどれだけの間立ち直れなかったのか、考えたくもない。
 そんな、素直でもない、かわいく甘えることもしない、カジュリエスはずっと自分を番と思っていたというのか。


「カジュ……お前……物好きだな」


 思わず言葉に出してしまった。
 目の前の男は豪快に自分の買ってきた果物にかぶりつきながらこちらを見て、瞬きをする。


「は? これは果肉が黒いからグロく見えるだけで美味いが。レイルも食ってみろ」
「果物の話なんてしてねえよ。それが美味いことぐらい知ってるっての。……おれのこと、すきとか。それが、本当にほんとうなら、ものずきだなと思って」


 自分に対する自信なんて何一つない。
 なりたい職業に就けないなんて話だけではなく、幼い頃から背中の羽のせいで挫折ばかりだ。

 近所の悪ガキに何度いじめられたか分からない。そういう時の子供は残酷だ。残酷に、人が傷つく言葉を平気で口にする。特に、誰が見ても貧相で良いところの無いように見えるレイルの見た目なんかは、いじめっ子の格好の的になる。

 父はいつでも庇ってくれたしレイルの羽の色を褒めてはくれたが、そんな父の背中についているのは誰より大きく綺麗で、誰が見ても見惚れるような見事な羽だ。
 ……だからいくら庇ってくれても、父に茶色で小さな羽のレイルの気持ちはわかりっこないと思っていた。
 外を歩いていても、出会い場に行っても、正面から声をかけられて良い感じになっても背中を見せたら離れていかれたことなんて一度や二度ではなかった。
 それでも自分は文句を言えないと思っていたし、文句を言ったところで何も変わらなかっただろう。自分がみじめになるだけだ。
 もちろん中には羽の事を気にせずにいてくれる人もいたが、お互いそこまで熱くならずに、浅い付き合いのみでとどまっていた。

 では、目の前に座るカジュリエスは?
 なぜ、自分を?


「レイル……お前……」


 真っ黒な瞳でこちらを見るカジュリエス。レイルの身体は、カジュリエスの声に反応してしまったのか、少し大げさなほどに緊張する。いくらなんでも緊張しすぎだ。背中に冷や汗が伝う。どうしてここまで。


「自分がどれほど貴重な存在なのかってことに気づいてないのか?」
「え? な? え?」


 思いも寄らない返答に動揺して、まるで片言のような返事になってしまったが。
 カジュリエスが手に持っていた果物を皿へと戻し、レイルをまっすぐに見つめてくる。


「……今まで言葉を惜しんできたのは俺だからな……少し恥ずかしいが、言うか……。
 まずそのキメの細かい白い肌が貴重だ。触るたびにこっちの気持ちがよくなる。それから、長すぎず短すぎないまつ毛の中に見える茶色の瞳だ。土に沈むきらきらとした宝石を見ているようで貴重だ。唇が更に価値がある。その色。なんだその色は。初めて顔を見た瞬間から口づけたくて舐めたくて、俺はどうにかなりそうだった。舌もよくない。なんだその貝殻みたいにかわいい桃色の舌は。鳥を祖に持つ俺に貝殻を見せつけるだなんて、食べてくれと言ってるようなものだろ。頼りない細い首もいい。庇護欲がくすぐられr「カジュまってちょっとまって」
「なんだ、せっかく語ってるんだから止めるなよ」
「いや、あの、まだ続くのか……? その恥ずかしくてどうにかなりそうな演説……よく語れるな、す、こし恥ずかしいってレベルじゃないぞそれ」
「続くさ。ここからが本番だ」
「え、ちょっもう、一旦いい、いった、ん、とめてもらってだいじょうぶ、です!」


 これ以上は許容量を超える。
 一度止めてもらわないと、頭の中もどうにかなってしまいそうだし、身体も変な汗が噴き出して、まるで冷水でも浴びせられたかのようだ。


「なんで敬語……仕方ないな……では、続きは次の機会に……レイル……?」
「ん……なんか、すご、いはなし、いっきに、ききすぎ、た、せいか……ちょっとしょうげきで、おれ、あたま、いたくなってきたよ……」
「いや、お前……」


 カジュリエスが席をたってレイルに近づいてくる。
 心配しすぎだろと笑ったつもりだったのに、うまく笑えない。顔の筋肉が誰かに操られているかのように、思い通りにならない。
 おかしい。
 そういえば、先程身体中を走った緊張感は一体なんだったのか。いくらカジュリエスに見られたからと言って、あれほどの緊張感を覚えるとは思えないが。


「レイル……お前……」


 カジュリエスが目の前であまり見たことのない表情を浮かべている。

 なんだよ、と声にしたいのに、やはり自分はおかしい。音がでてこない。更にひどく冷水をかけられたように、身体中が冷たくなっていく感覚すら覚える。


「ちょっと、運ぶぞ」


 なんで、と言葉にしたつもりが、唇が震えただけで声は出なかった。本当におかしい。


「どうした、疲れたか……?」


 カジュリエスが優しく話しかけてきながらも、身体をそっと抱えあげて寝室まで運んでくれる。だいじょうぶ、と答えたいのに、やっぱり声は声にならず。

 急激な身体の変化が怖い。
 先程までは少しだるいぐらいで、何ということもなかったのに、自分がどんどん変わっていってしまう感じがする。

 寝台に寝かされた時には、身体はますます冷たく、自分の身体なのに何一つ自分の思い通りにならず。


「少し待ってろ、医官詰所に連絡をとってくるな」


 頭をひと撫でしたカジュリエスが部屋を出ていってしばし。
 ……人型をした誰かが戻ってきて。それは、逆光でよく見えなかったけれど、カジュリエスとは違う人物で……。


「レイル……迎えにきたぞ」


 その頃には、レイルの視力はひどく弱くなっていてほとんど見えなかったのだけど、その人の声、それから視力が弱くても判別しやすいその……。


 ――と、……


 呼びかけに答えた声はやはり、音にはならず、身体もピクリとも動かすことはできなかった。



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