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5章

65 愁蓮視点

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「柊圭殿が、どうやら昨晩、帝都を去られたようです」

 翌朝になり、順流から受けた報告に、愁蓮はひどく動揺した。昨日の彼の様子は確かに驚き、混乱していたが、まさか突然にこちらへの伺いもなく帝都を発つような事になろうとは思ってもいなかった。

「なぜ、そんなことに⁉︎」

 思わず立ち上がって順流を問いただすも、順流自身も報告を受けた事柄をただ伝えたのみであり、訳がわからないという顔をしている。
「詳細はわかりかねます……ただ、帝都を出る直前、見張りに付けた者が、思わず接触して問い質したそうで……こちらを……」

 そう言って懐から出してきた一枚の書状を差し出してくる。
 皇帝の愁蓮へというものではなく、ごく個人的な親書の形で認められた書状のようであることを確認する。どうやら柊圭のこの行動が表向きには内密になっているらしい。
 それもそのはずで、この時期の帝都には各家の当主達が集い、領地のための政略的なやり取りが最も活発になる季節なのだ。
 陳家とて例外でなく、多くの当主達との交渉予定がなされていたにちがいない。
 それを捨ててでも、帝都を離れるという事は一体どうした事なのだろうか。

 すぐにその書状を開いて、馴染みのある柊圭の文字を目で追う。いつも几帳面な文字を書いて送って寄越す彼にしては少々乱雑な文字である。

「此度の話を聞いて、早急に確認したい事があるゆえ、帝都を離れる事を許して欲しい。周囲には体調が思わしくないと説明するゆえ、口裏を併せて欲しいと……」

 だいたい書いてあることを要約して、順流を見ると彼はなおも戸惑ったような顔をしながらも
「同様の事を報告の者からも聞いております。昨日のお話で、何か思うところがおありなのでしょうか?」
と首を傾けた。

 陳家としては思わぬところ……しかも皇帝のそば近くに家紋の者が侍っているという事実ばかりでなく、その者が皇帝と共に重大な禁忌を犯しているという事実を知らされてしまい、突如巻き込まれてしまったようなものだ。

 いくら陳家の当主といえど、その先の対応を柊圭が一人で判断する事はできないと、彼が判断したのだろうか。
 たしか、前当主は柊圭の伯父である鈴円の父だった筈だ。もともとは鈴円の弟に当たる男が家督を継ぐ予定であったが、早世したために同じ父系から柊圭が当主となったと聞いている。
 紅凛の祖父である前当主はまだ健在だと言うから、そちらとの兼ね合いもあるのだろうか……いずれにしても、その辺りからこの秘密が露呈されてしまわなければいいのだが……。

 そんな不安が胸の奥にずしりとのしかかる。
やはり告げない方が良かったのだろうか……そんな後悔が押し寄せてくる。

 
「とにかく、こちらの手の者をつけて、そのまま領地に戻しましたので、また報告はあるかと思います。そちらを待ちましょう…………それと、こんな時に申し訳ありませんが、昨晩我が家にこのようなものが……」

 報告と共に順流が言い出しづらそうに口を開く。言うべきかどうか……判断に迷っているというような言葉に、首を傾ける。
 先程と同じように順流は胸の合わせから、もう一枚の書状を取り出して、手渡してくる。

 送り人の名前は張 延遊。冢宰の子息である。
「まさか‼︎」
 その名を確認して弾かれるように順流を見返せば、彼は非常に沈痛な面持ちで頷く。
 延遊といえば、紅凛が後宮に入る事が決まるまで、随分と熱心に紅凛との縁談を打診してきていた者の一人である。
 少しばかり乱雑に書状を開いて、目を走らせる。
 案の定、内容は紅凛に関するもので、皇帝に、紅凛を張家に下賜するよう申し出たい旨が記載されていた。兄としても、手塩にかけた可愛い妹を日陰者にして置くことを良しとはしないはず。このまま若い彼女を飼い殺しにするような非情な男では貴殿も皇帝もないはずだと……。
 
「張延遊は……本当に紅凛に惚れているのだな」
 書状を畳みなおして、順流に戻す。本当ならばすぐにでも破り捨ててしまいたいところだ。
「実のところ、紅凛が離明宮に移り住んでから2度ほど、紅凛を心配するような内容のものを送りつけてきてはいたのですが……。痺れを切らせたようですね」
 順流のことだ、乗らりくらりと上手く交わしてきていたに違いない。もしかしたら他家からも来ていたのかもしれない。どうしても、紅凛を諦めきれない気持ちが強かったのが延遊だったということだろうか。
「こちらからは、紅凛が後宮を出る事を望まず、我が家も彼女の選択を尊重するつもりだと告げるつもりです。しかし、もしかしたら冢宰経由で陛下の方にも打診が来るかもしれません」
 表向きは、紅凛は皇帝に見限られ冷遇された側室である。そんな者を引き取りたがる家臣もなかなか居ないが、父の晩年、数人の若い側室を臣下に下賜した経緯がある。皇帝が病に伏し後宮がその役割を果たさなかった頃、飼い殺しとなった良家の生まれの若い娘達の境遇を想った対応であった。
 ゆえに臣下達の中でも、役割の無い皇帝の側室を賜る事ができるという認識があるだろう。冢宰が愁蓮にその話を持ちかけて来る可能性は十分に有り得る。
 そうなった時、どのようにして、その話を愁蓮の側から断るべきだろうか。冷宮に追いやっている側室に愁蓮がこだわっている事が知れてしまえば、またしても皆の視線が紅凛に向いてしまいかねないのだ。
 
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