夜空に瞬く星に向かって

松由 実行

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第四章 Bay City Blues (ベイシティ ブルース)

57. 母娘

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■ 4.57.1
 
 
 デテソト星系から短ジャンプで十光年程離れたレジーナは、さらにもう一度ジャンプを行い、デテソト星系から数百光年離れたどこの太陽系にも属していない空間で加速を止め、停泊した。
 「停泊した」とは言っても、銀河を公転する周辺の太陽系に対して数万km/secの速度ではあるのだが、その程度の速度は太陽系間空間では静止しているも同様だ。
 
 このような何も無い空間に停泊したのには訳がある。
 まずは救出したハファルレアに投与されている薬物を抜いて、彼女を目覚めさせる事。そしてハファルレアに状況を説明し、エイフェと引き合わせて彼女らの意思を確認する事。
 さらに最後に、この不幸な親子が今後どこで暮らしていくのかを、本人達を交えて話し合い決定する事。
 ごく短時間で終わるかも知れないが、もしかすると揉めに揉めて結論を出すのに何日もかかるやも知れないこれら山積みの問題を解決するのに、どこかの星系内を航行しながらというのは避けたかった。
 
 今やレジーナは地球と機械達を除いた全銀河から追われる身であると認識しておいた方が良い。
 お陰で俺は死なずに済んだのだから文句を言う筋合いではないのだが、それにしても面倒な事になってしまったものだ。
 どれだけひっそりと太陽系に進入しようとも、惑星やステーションへの接岸上陸要求を出したところでこちらの身元が判明してしまう。
 大概の国では港湾管理部、入国管理部と警察や軍と言った組織の間でその手の情報は共有されているので、ステーションに接岸する事には軍や警察がぞろりと出張ってきて、こちらの接岸を今か今かと待ち受けている事になる。
 そんな中に阿呆面下げてのこのこ上陸していけば、俺達乗員は適当な容疑を付けられて有無を言わさず強制連行、レジーナは見事強制接収と云う事になるのは火を見るよりも明らかな事だった。
 
 船を変えてしまうのが最も手っ取り早い解決法なのだろうが、それはあり得なかった。
 何か、根本的な解決法を考えなければならないだろう。
 まあ逆に、どこの太陽系内でも遠慮無くホールドライヴが使える様になった、と考える事も出来る。
 ヤバくなったら、ケツを撒くって逃げ出せば良いのだ。恒星の重力圏内からいきなりジャンプするホールドライヴに付いて来られる奴はいない。
 
 C客室に収容したハファルレアが目覚めたというので、俺はブラソンとともにC客室のドアを叩いた。
 A客室はミスラが、B客室はメイエラがそれぞれすでに占領している。
 最近客室の占有率が高くなっている。客室の増設を考えなければならないかも知れない。
 
「失礼する。船長のマサシだ。」
 
 部屋に入ると、ベッドの上で半身を起こした黒髪黒眼の気の強そうな女が俺達を出迎えた。
 
「結局、誘拐だった訳ね。」
 
 女はこちらを睨み付けている。主に、ブラソンを。
 これは多分、ストーリーの途中が丸ごと抜け落ちてしまって、この女にとって俺達が誘拐犯になってしまっているのだろう。
 
「ハファルレア、で良いか。あんたはかなり激しく誤解している。俺達は、このブラソンが連絡した通りに、あんたの娘さんを届けに来た。ただ、娘さんは色々とややこしい事になってしまっていた。身柄を取り戻すのにあちこちそのスジの連中と少々摩擦を引き起こしてしまった。俺達に出し抜かれたとある田舎ヤクザが、俺達に仕返しするためにあんたをエサに俺達を釣ろうとした。とりあえずそいつ等は叩き潰したが、また同じ事をしでかしてくれる可能性は十分に高い。だからやむなくあんたの身柄も当船で保護した。そういうわけだ。」
 
「どうかしらね。そんな理屈は幾らでも付けられるわ。」
 
 まあ、普通にオフィスで働いていた人間がいきなり誘拐されて、こんな突拍子も無い話を聞かされ信じろと言われても無理だという事は理解出来る。
 用心深い女は嫌いじゃ無い。しかし疑り深い女は、見るのも話を聞かされるのも好きでは無い。
 ハファルレアが俺達を疑っている原因の一つを片付けよう。
 
「疑われるのも無理は無い。だからまずエイフェに会わせよう。ただ、一つだけ先に言っておかなければならない事がある。」
 
「何? もったいぶらずに早く会わせなさい。」
 
「大事なことだ。聞いておけ。あんたたちが親権を失ったあと、エイフェはスペゼ市にあるアノドラ・ファデゴ強制孤児院に収容されたことは知っているな?」
 
「知っているわ。」
 
「そこの孤児院での扱いがかなり酷かったらしい。まあ、収容した孤児をヤクザとつるんで売り飛ばすような孤児院だ。さもありなんというところだが。
「いずれにしても、その孤児院での酷い扱いが元で、エイフェは心を病んでしまった。だが俺達も医者ではない。彼女の壊れた心を治すことは出来ない。だから申し訳ないのだが、彼女の心は今も壊れたままだ。」
 
「なんですって? 今あの子はどこにいるの?」
 
「もちろんこの船にいる。会わせよう。」
 
 俺の言葉が終わるか終わらないかのうちに、メイエラの心を持つエイフェがルナに連れられて部屋に入ってきた。
 この瞬間から、メイエラの果てしなく厳しい試練が始まる。
 誰が助けてくれる訳でもなく、自らの存在を嫌悪し、存在することさえも許さない者達に囲まれての孤立無援の偽装生活。
 ハファルレアに感づかれてしまえば、主(あるじ)たるバディオイからの命令を完遂することも叶わず、悪くすれば惨殺される恐れさえある環境で、母親の寿命が尽きるまで、もしくはエイフェの身体の寿命が尽きるまで、ただひたすら他人を演じ続ける。
 
 連れ立っているルナに勝るとも劣らない無表情で、エイフェの身体はゆっくりと真っ直ぐに歩く。
 その正面に自らの母親が居るというのに、眼の焦点は母親の顔にはなく、まるでどこか遠い虚空を見つめているかのように虚ろだ。
 
「あまり心配しないで、マサシ。皆が私を助けてくれた。これからも助けてもらえるように。」
 
 メイエラの声が頭の中に響く。
 
「どう云うことだ?」
 
「私は様々なところに同時に存在することが出来る。エイフェの身体の中にも、この船にも、機械達のネットワークにも。必要なものは通信手段だけ。ニュクスがナノマシンタブレットをくれたの。私にも扱えるように。分かるでしょう、どういう意味か。だから、これからも私がこの船に居ることを認めてください。そうすれば、皆が私を助けてくれる。私は独りじゃない。」
 
 否やはあり得なかった。
 それで彼女が生涯をかけた孤独な戦いに挑まずに済むというのであれば、俺の言うべき答えは決まっている。
 
「もちろんだ。ブラソンの親友のため、その娘のため、そして何よりもお前のためだ。喜んで力になろう。」
 
「ありがとうございます。」
 
 ネットワーク越しのメイエラとの会話を終え、意識を現実世界の母子に戻すと、その母親は顔をくしゃくしゃにして涙を流しながら、娘を両手に抱いてその名前を連呼していた。
 
 
■ 4.57.2
 
 
 しばらく経ち、取り乱していたハファルレアが落ち着いた後、俺達はこれからの事を話し始めた。
 ハファルレアは、やっと手元に取り戻した娘を抱いたまま、手を離そうとはしなかった。
 しかしその胸に抱かれたエイフェの眼差しが母親に合うことはなく、定まらない焦点のまま何処(いずこ)かを見つめている。
 それでもやはり、娘は娘であるようだった。
 
「今説明したとおりだ。すでに身を持って経験しているとおり、バペッソはこれからもあんたたち親子を付け狙うだろう。」
 
 ハファルレアは、娘と共に暮らすことを選んだ。
 例えその娘の心が壊れていようとも。
 むしろそれだからこそ、彼女は娘と共に居ることを強く望んだ。
 娘の心の傷がいつ癒えるか分からなくとも、いつか再び娘が自分のことを母と呼ぶ日が来ることを信じて。
 母親の決断は早かった。
 
「分かったわ。私たちが静かに暮らせるところがあるならば、教えてください。どんなところでも構わない。この子を守って育てることが出来るならば。」
 
 その心当たりについてはすでに俺達の間で意見の統一が出来ていた。
 見知らぬ親子二人くらいが増えても誰も気に留めさえしないところ。そして時折にではあっても、俺達が顔を出し、二人の様子を確かめることが出来るところ。そして出来るならば、ハファルレアが仕事を持って収入を得ることが出来、可能であれば常にエイフェを手元に置いておくことが出来る環境。
 地球圏ではない。
 俺が地球人で、レジーナが地球船籍の船であることはバペッソに知られていた。そして何よりも、もっとも信用できない相手である地球政府が、彼女たちの身柄と安全を俺達との交渉の駒に使う危険性があった。
 
「俺達の知り合いに、人手を欲しがっているところがある。民間企業と言うには小さなところで、今に比べれば収入も良くないかも知れないし、訪れた事も無い異国の地になる。だが、あんたたちの事情を理解した上で雇ってくれるだろう。あんたの今までの経験を仕事に生かすことも出来るだろう。」
 
 惑星ハバ・ダマナンの地上、首都ダマナンカス郊外に俺が何度も世話になった運送会社の事務所がある。ボスロスローテ・インターロジスティクスというその小さな会社は、派手に目立つ営業成績を上げる訳では無いが、堅実に安定した運営と、同じく堅実で確かな判断を基にした仕事の采配に定評のある会社だ。
 ただ、社長の生真面目過ぎる性格の為か、混沌都市ダマナンカスの住人達にとってどうやら魅力ある職場ではないらしく、能力のある良い働き手が長く居着かないと常にこぼしている社長から、何度か人材の紹介を持ちかけられていた。
 悪い男ではなかった。むしろ雇っている社員達の事を生真面目にいつも気に掛けており、逆にその近すぎる距離感が無法者の多い独立的なダマナンカスの住人達の気質に今一つ合っていないのだ。
 
 あの混沌とした街であれば、この不幸な親子二人など訳も無く呑み込んで匿ってくれるだろう。
 その生真面目な社長であれば、この二人の事情を理解した上でハファルレアを雇ってくれるだろう。
 この業界であれば、港湾管理局に長く勤めていたハファルレアの経験を生かすことも出来るだろう。
 そしてハバ・ダマナンを頻繁に訪れる俺達が時折この二人の元に立ち寄ることも出来るだろう。
 
 ハファルレアは俺達が出した条件を承諾した。
 俺はボスロスローテ・インターロジスティクス社のダマナンカス・ヘッドオフィスにメッセージを飛ばし、そしてレジーナはホールジャンプした。
 
 落ち着いた母親は、母親の呼びかけにまるで反応しない娘を伴い、ルナに促されて、久しぶりの親子で共にする食事を摂るためにダイニングに向かった。
 その後ろ姿を見送る俺は、ハファルレアが素足で歩いていることに気付いた。
 
「レジーナ、ハファルレアの靴はどうした?」
 
「片方無くなっているようです。片足ではバランスが悪く、床も綺麗なので素足で歩くことにしたようです。ルナの船内管理に感謝ですね。」
 
 別荘の中では両足ともに靴を履いていたと思ったが、どうやら収容のゴタゴタで何処かに落としてしまったらしい。
 
 その時、後ろに人の気配を感じて振り向いた。
 A客室のドアを開け、身体の半分程をドアの陰に隠したミスラの赤い瞳がじっと二人を見つめていた。
 ミスラもまだまだ親が恋しい年頃だ。
 母親からの呼びかけに殆ど反応しない娘だとは云え、親子仲良く連れ立ってダイニングに向けて歩くその姿は、ミスラには羨ましく思えただろう。
 俺達はまだミスラを故郷に送り届けてやることが出来ないでいる。
 例えそれが肉体だけで、本人を偽ったAIが操る娘だとしても、端から見れば可愛い盛りの娘と、その娘を気にかけもてるだけの愛情を注ぐ母親の幸せそうな親子に見える。
 それは俺を中心とした対称の位置関係に似た全く異なる理由ではあっても、しかし同様のやるせなさと心苦しさを俺の心の中に湧き起こす。
 
 俺はミスラに向き直り、A客室の入り口まで歩く。
 柔らかな銀色の髪の毛に包まれたミスラの頭に静かに手を置き、髪の毛を軽くかき回す。
 ダイニングルームに消えた親子から視線を外したミスラは、俺を見上げる。その明るく赤い瞳が俺の眼をとらえて離さない。
 俺はミスラの前にしゃがみ込むと、腰に手を回して小さく軽い身体を抱き上げた。
 ミスラはもうハファルレアとエイフェを目で追ってはいなかったが、俺の首に齧り付くように抱きつき、左肩に顔を埋めた。
 彼女は何を言うわけでもなかったが、左肩が暖かく濡れていく事だけはよく分かった。
 
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