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第四章 Bay City Blues (ベイシティ ブルース)
56. ビロルナエ脱出
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アデールが屋外に出ると、頭上に夜目にも白い船体が浮かんでいた。
その船体底部が割れて、中から光が漏れる。
「船底ハッチ開きました。ハファルレアを確保したまま飛べますか? 必要ならばルナが降ります。」
レジーナの声を聞いてすぐにジェネレータを起動したものの、ハファルレアの身体は大部分がジェネレータのフィールド外に出ていてバランスを取るのが難しい。
高重力を掛けて強引にバランスを取ると、ハファルレアの身体が心配だ。
隠密行動を主目的とするAEXSSは、大きなものを運ぶ様には出来ていない。
「アデール、ちぃと急いでくりゃれや。脳がもう駄目じゃ。あとは血液に圧を掛けて打ち込むしか無いのじゃが、これをやると一瞬脳が元気になってもその後血管破裂で急速に脳死するのじゃ。あと1分保たぬ。」
アデールは一人でハファルレアを持ち上げることを諦めた。
「ルナ、頼む。」
アデールがルナを呼ぶや否や、ハッチ開口部から黒い人影が躍り出て、アデールの方に向けて落下してきた。
ルナは器用に空中で姿勢を変えると、アデールの隣にぴたりと止まり、ハファルレアをはさむ様にしてアデールに掴まった。
「随分上達したな。上手いもんだ。」
「修行の成果です。」
三人でレジーナの船底に向けて上昇している僅かな間、ルナとの会話を交わす。
ハファルレアを運んでいる間も、ルナは下に見える別荘を気にしており、マサシのことを心配しているのであろう事はアデールにも簡単に想像が付いた。
開口部から貨物室内に転がり込むのと同時にハッチが閉まる。
「時間がありません。マサシ救出を開始します。重力アンカー展開。スキャナでマサシを確認。分解フィールド準備。」
「ちょっとまて。分解フィールドだって?」
マサシには見えないが、別荘の二階半分はすでに分解フィールドを用いて切り取られて消滅しており、上空からは二階の部屋の床が丸見えとなっている。
「問答している時間がありません。以前より改良されており、私自身も操作に慣れましたので心配要りません。マサシ周辺の切り取り・・・完了。アンカー移動。」
強硬化樹脂自体が不透明であるため、取り込まれているマサシのAEXSSは見えないが、円筒形の樹脂が床面から浮き上がり、レジーナの船体に吸い寄せられる様に上昇していく。
「マサシをフィールド内に確保。上昇開始。1000G。」
マサシのAEXSSを包む暗灰色の樹脂の塊が船体内に未だ格納されないまま、レジーナは上昇を開始した。
つい今まで別荘上空100mの場所に浮かんでいた銀色の槍の様な船体が、かき消す様に見えなくなった。
「ニュクス。ありがとうございました。もう大丈夫です。」
「ギリギリじゃったの。あと30秒は保たなんだ。」
ネット上ではあるが会話を交わす彼女たちがモニタしている別荘の画像から、別荘が消え、代わりに直径2kmほどの半球状のクレーターが現れた。
派手な爆発も、炎も何も無い。まるで映画でシーンが切り替わるかの様な変化であった。
ブラソンの立てた予測は正しく、傭兵団リーダーのクローンアバターに埋め込まれているチップ信号の停止によって、別荘地化に埋め込まれた素粒子化爆弾が起爆したのだった。
レジーナの船体は大気圏を抜け、宇宙空間に飛び出す。
その頃貨物室では、AEXSSを着用したルナとアデールがマサシを捉えている円筒形の樹脂の塊を船内に引き込み、貨物室の端にその暗灰色の円柱を設置した。
「ニュクス、お願いします。」
「ほんに、世話の焼ける奴じゃのう。」
ルナから手助けを求められたニュクスの言葉が終わるか終わらぬかの内に、円筒を白い煙が包み始める。
白い煙は濃度を増し、円筒全体を包み込んだ。
白い煙の固まりとなった強硬化樹脂の大きさが見る間に小さくなっていく。そして最後には人の形をとり、マサシのAEXSSが残った。
「お帰りなさい。」
マサシの正面に立つルナが言う。その顔はいつもと同じく全くの無表情で、仕草からさえもルナの感情を読み取る事は出来ない。
しかしその無表情の裏側で、ルナの感情が自分のの安否を気遣って激しく揺れ動いている事をマサシは知っていた。
「さて? なんぼでも謝るとか、誰かさんは言うておったのう?」
その場にいないニュクスの、ニヤニヤと笑う声がした。
「ああ。無思慮な事をして心配を掛けて済まなかった。手間も掛けさせてしまった。感謝しているし、申し訳なく思っている。」
自由になった身体の動きを確かめる様に、肘を曲げ伸ばししながらAEXSS姿のマサシが言う。
「一回目じゃ。あと何回謝ってくれるのかのう?」
「取り敢えず、あと百回くらいは謝るんじゃないのか。百回ずつ、心配をかけた全員に。」
意地悪く笑うニュクスの声に、アデールが横から余計な合いの手を入れる。
「悪かったよ。反省している。勘弁してくれ。」
「二回じゃの。あと九十八回位かのう。」
「本気かお前。勘弁してくれ。」
「余計な事を言う暇があったら、謝ってほしいものじゃのう。」
「悪かったよ。悪かったから、もう勘弁してくれ。」
マサシはニュクスに謝りつつ、ルナを伴って自室へと向かっていく。
アデールはそんなマサシの後ろ姿を見送り、マサシの姿がリフトの中に消えるのを見届けると、貨物室の隅に置いてある小型コンテナに向けて踵を返した。
貨物室でその様なじゃれ合いが繰り広げられている頃、コクピットでは大きな問題が持ち上がっていた。
「アレバレウト・ステーションから、軍警察艦艇が三隻スクランブル発進しました。加速3000G。いずれも小型の哨戒艇です。本船このままの航路だと二分後に接触します。推定武装は1200mmレーザー各三門とミサイルです。既に射程内です。マサシに知らせますか?」
レジーナの声が響く。
「いや。シャワーを浴びる時間くらいはやろうじゃないか。こっちで処置する。毒食らわば皿までだ。」
航海士席をリクライニングさせて横たわるブラソンが答える。
「諒解しました。交通管制局に加えて、スクランブルした哨戒艇からも誰何されています。」
「内容は? 同じか?」
「はい。『貴船の帰属を明らかにせよ。空間管制法違反容疑にて速やかに停船し、指示に従え。』です。」
「逃げる、にしても相手の方が足が速いか。」
ブラソンの視野には、スクランブルした哨戒艇の行動可能範囲と、レジーナの仮定航路が表示されている。少しいじり回しただけで、足の速い哨戒艇から逃れるのは無理だと簡単に分かった。
それは勿論当たり前の事であって、追いつけると踏んだから軍警察は哨戒艇を発進させたのだ。
「レジーナ、これで行こう。北方に最大加速。五分後にホールインだ。ホールアウトは取り敢えず航路延長線上北方十光年で良いだろう。ホールアウトしてから改めてマサシと話そう。」
幾つかのパターンを試してみたブラソンは、最終的に最も安全だとレジーナがコメントした航路を採用する事に決めた。当然レジーナに異論は無い。
「諒解しました。デテソト星系北方に最大加速。五分後にホールイン。航路そのまま。開始します。」
コップに入れた水が揺れる程の動揺も無い船内であったが、実際はレジーナの開始宣言と共にレジーナの船体は急激に向きを変え、デテソト太陽系北方に向けて最大の加速を始めた。
ビロルナエ軍警察が静止軌道上のステーション「アレバレウト」から緊急発進させた哨戒艇三隻の方が、脚は短くとも加速能力は勝っている。
脚自慢のレジーナがどれだけ最大加速で逃げようとも、十数分後には完全に追いつかれてしまう。追いつかれる前にホール空間にさっさと逃げ込んでしまおう、というのがブラソンが採用した航路だった。
既に一度使用してしまったホールドライヴだ。同じ星系内で何度使用しようとももうそれ程の差は無かった。
「ブラソン。哨戒艇の停船指示が警告に変わりました。次の警告で撃つと言っています。」
ルナのものとはまた違った、感情のこもらないレジーナの状況報告がネットワーク内に響く。
「あちゃー。やっぱり目の前にお宝をぶら下げられたら必死になるかー。レジーナ、対レーザー反射板展開。ニュクス、念のためレールガンとホールショット用意だ。撃つなよ。」
パイニエ星系から脱出する際の船体改造で、レジーナは対レーザー反射板を尾部八枚、燃料タンク外殻に各二枚計八枚増設していた。
脚に物を言わせて逃げ回る事が多いレジーナである為、全てのレーザー反射板は後方から追跡され砲撃される事を想定して装備されている。
特に尾部に装備された反射板は嵩の様に広げる事が出来、完全ではないが真後ろからのレーザー砲撃に対してかなりの時間耐える事が出来る様になっている。
レーザー反射板自体は古くからある技術であり、非常に高い熱伝導度と表面反射率を兼ね備えた金属板表面に高純度酸化物単結晶の薄い屈折膜を形成し、さらにその表面を電磁シールドで覆うだけというごくありふれたものだった。
原理技術自体は難しいものでも無く、また作製も装備も容易であるこのレーザー反射板を、殆ど装備される事のない放置技術としている唯一最大の理由は、メンテナンスの大変さであった。
高反射、高屈折率が売りの表面は、常に完璧な状態に保っておかねば性能が低下する。
宇宙空間には塵の様なデブリが大量に浮遊しており、これが表面に付着する、もしくは衝突して破砕痕を作るだけで、その部分の性能が低下する。
ごく僅かな部分でも性能低下すれば、そこに高出力レーザーが照射された時、僅か一瞬で表面が爆発的に蒸発する。
表面が破壊される事で勿論対レーザー性は瞬時に失われ、レーザーの熱による破壊が進む。
この爆発的蒸発は反射板の周囲の部分をねじ曲げ、汚し、破壊して、より広範囲の性能低下部分を作り出す。
運悪く再度同じ所にレーザーが当たるようなことがあれば、所詮は板でしかないレーザー反射板は徹底的に破壊される。
僅かな塵の付着や、表面の曇り、荒れと言ったものが原因で全体の崩壊に繋がるのだ。
常に全ての表面を完璧に保っておく事が要求される、その様なメンテナンスなど常識的には不可能だった。
その為、対レーザー防御として有効である事は分かってはいても、余りに運用しづらい装備として敬遠され、対レーザー反射板が実際に用いられる事は無かった。
しかし、レジーナにはニュクスが居る。
正確には、兵器オタクのニュクスが操るナノマシンが。
兵器を最高の状態に保つ事が趣味の様なものであるニュクスが、定期的にナノマシンを用いてレーザー反射板表面のメンテナンスを行っている。
塵一つ、曇りの一片もない完璧な整備状態を保つのがニュクスの楽しみでも有り、矜持の様なものでもあった。
「対レーザー反射板、展開します。」
レジーナの言葉と同時に、細く尖ったレジーナの尾部がスライドしながら開き、後方に向けて直径30m程の大きさの傘を開いた様になった。
対レーザー反射板に角度を持たせ、より反射率を稼ぐ為の構造であった。
同時にレジーナの船体中央後部で四方に突き出す形の燃料タンクの後部も浮き上がり、少し湾曲した円筒形の燃料タンク後部に斜めに居たが立ち上がった様な形になる。
物質密度の高い空間を航行する訳ではないので、そういう場所では明らかに抵抗になる様なものが展開されたとしても、航行に特に支障は無い。
「哨戒艇からの二度目の警告です。距離二万五千。ホールインまであと1分15秒。」
「もう二度目の警告か。意外に気の短い奴らだな。いや、どうしても俺達を逃がしたくないのか。」
各国が喉から手が出る程欲しがっている技術であるホールドライヴと疑わしきものを目の前で見せつけられたのだ。
どの様な事をしてでもレジーナを確保しようと軍警が動くのも無理はなかった。
「レジーナ、計画変更だ。一回撃たれたらすぐにホールイン。レーザー反射板の試運転だ。一発もらうだけで良い。」
「計画変更。一発もらって、ホールイン。諒解です。」
「なんじゃ? 一発もらった所の補修は誰がやるのじゃ? ほんにお主らはどっちもどっちというか、そろいもそろってと言うか、人に手間を掛けさせおってからに。」
「悪いな。でも、一度使って置いた方が良いだろ?」
いつものブラソンの、少し皮肉に笑った様な声が言う。
「その点に関しては同意じゃ。」
「理解してもらえて嬉しいよ。レジーナ、回避ランダム遷移開始。」
ブラソンの指示で、レジーナが進路を小刻みに変えるランダム遷移を開始した。
その後、程なくして、発砲の警告と共に哨戒艇からの一斉射撃が有り、直撃弾を受けた様に見えたレジーナであったが、速度を落とす事もなく数秒後には追いすがる哨戒艇編隊の前からかき消す様に姿を消した。
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