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第四章 Bay City Blues (ベイシティ ブルース)
55. ホールドライヴデバイス貸与契約
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Section 4: Bay City Blues (ベイシティ ブルース)
第五十五話
title: ホールドライヴデバイス貸与契約
■ 4.55.1
「マサシ、済まない。被害を最小限にする判断をせざるを得ない。」
ギリギリと食いしばった歯の間から声を絞り出す様にブラソンが言った。
「仕方ないな。俺も同意する。まあ、俺がマヌケだっただけだ。」
マサシの声がネットワーク上だけで無く、コクピット内にも音声として響く。
その声は驚くほど淡々としていて、自分の仕事が死と隣り合わせのものであるという事、いつかこういう日が来るかも知れないことをマサシが常に意識していたことを窺わせる。
「アデール。ハファルレアを確保して脱出しろ。四分以内に3km以上離れろ。その後は当初の計画通りの地点にビークルを一台送る。」
「何か他に方法は無いのか。まだ五分ある。」
僅かだがアデールの声が珍しく動揺しているが、状況が切迫していてそれに気付く者はいなかった。
「アデール。違う。あと五分しか無いんだ。生身のハファルレアを抱えていてはスピードは上げられない。3kmというのも推定値だろう。出来るだけ遠く逃げる必要がある。五分でも少ない。早く行け。」
妙に落ち着いたマサシの声に、アデールは苛立ちを覚えた。
僅か1m程度下にいて、手を伸ばせば届く距離であるのに、今はどうやっても届かない。
だが、今届かねば、永遠に届かなくなる距離。
「アデール。早くしろ。全滅する気か。」
ブラソンの声がアデールをさらに急かす。
「クソ!」
珍しく感情のこもった声で吐き捨てる様に悪態を吐くと、アデールはソファに横たわるハファルレアの身体に腕を回した。
窓から飛び出す前に、マサシが開けた床の穴に目を向ける。
暗い色の強硬化樹脂は光が透けず、すぐそこにいる筈のマサシは見えない。
「一分経った。すぐに出ろ。ヤバイ。」
その会話の主、ブラソンの背中を無表情に見つめるルナの冷たい眼。
しかしその眼差しとは対照的に、レジーナとルナとの間ではレジーナを格納する主演算ユニットが高熱を発するのでは無いかと思われる程の討議検討が行われていた。
■ 4.55.2
- マサシを見捨てるか: 否定
- ブラソンの指示に従うか: 否定
- アデールの装備でマサシが救出できるか: 否定
- マサシが自力で脱出できる方策はあるか: 否定
- ナノボットを用いて、マサシを救出出来るか: 可能
- ナノボットを用いて、マサシを救出する為に充分な時間があるか: 否定
- ナノボットを用いて、マサシを救出できる機械装置が作成できるか: 可能
- ナノボットを用いて、マサシを救出出来る機械装置を作成する為に充分な時間があるか: 否定
【中略】
- 本船が直接乗り込む事は可能か: 可能
- 本船が直接乗り込む場合、最短で目標に到達できる方法は何か: ホールドライヴによってビロルナエ大気圏内に直接ホールアウト
- 最短時間の方法を用いて本船が直接乗り込む場合、マサシを救出する為に充分な時間はあるか: 肯定
- マサシを救い出す方法は何か: 分解フィールドによって周囲の異物を排除し、マサシ近傍周囲のみを切り出す
- マサシを船内に回収する方法は何か: 第一案: 重力アンカー/ 第二案: 重力焦点による牽引/ 第三案: ワイヤー巻き取りによる吊り上げ
- 最も短時間でマサシを船内に回収する方法は何か: 第一案: 重力焦点による牽引
- 第一案を採る場合のマサシ生存回収の可能性は: 時間内に作業終了した場合: 82.5%
- 再考察: 複合的により有利なマサシ回収方法はあるか: 否定
- マサシ生存回収と同時にアデールとハファルレアを回収可能か: 可能
- アデールとハファルレアの回収方法は何か: 第一案: アデール着用AEXSS付属重力ジェネレータを使用し、アデールがハファルレアを回収して船内に戻る/ 第二案: アデールがあらかじめハファルレアを連れて安全地帯に退避し、マサシ回収の後アデールとハファルレアを回収する
- 第一案: アデールのAEXSS重力ジェネレータを用いた場合の両名の生存確率: アデール: 92.7%/ハファルレア: 88.2%
- 第二案: アデールがあらかじめハファルレアを連れて安全地帯に退避した場合の両名の生存確率: アデール:81.3%/ハファルレア: 65.8%
- 第一案を選択: 決定
- 他に考慮すべき状況を検討: 次項継続
- 目標到達時間最短かつ惑星ビロルナエ住人への被害を最小とする進入経路: ホールドライヴ進入相対速度: 2.5 km/sec/ ホールアウト位置: 目標北東13000m、高度12000m/ ホールアウト後は速度を維持/ 同時に重力シールドを展開し、超音速衝撃波を吸収/ 目標到達0.3秒前に1000Gにて停止。
- 本行動によって、ホールジャンプが惑星ビロルナエ住人に確認される可能性: 99.9%
- ビロルナエ住人によってホールジャンプが認識される可能性: 92.8%
- 地球政府とのホールドライヴ貸与契約に抵触する事態に関する考察: 優先度低: 棄却
- ホールドライヴ貸与契約に抵触する事によりマサシが責任を追及される事態に関する考察: 優先度低: 棄却
- その他考察すべき事項: 優先度低: 棄却
- 考察すべき残事項の有無: 優先度低: 棄却
- 最優先事項: 本船をもって惑星ビロルナエに突入し、マサシを生存回収する
- 他優先事項: 無し
- 実行開始
■ 4.55.3
「アデール。待って下さい。こちらから出向きます。そこから動かないで下さい。」
突然レジーナの声が響いた。
ブラソンにはそのレジーナの声が、随分固い声に聞こえた。機械知性体のネットワーク越しの声が。気のせいだろうか。
「出向く? 何を言っている。時間が無い。やめろ。」
レジーナの予想外の発言に思わず足を止めてアデールが応えた。
「2分42秒後に到着予定です。ホールドライヴスタンバイ。加速800G。ホール突入速度2.5km/sec。20秒後にホールインします。」
「レジーナ、ホールを使うのであれば、この場にプローブGを残して行きや。儂等の方で心臓と脳みそを動かし続けようぞ。」
脚を組み操縦士席に座ったニュクスが、肘掛けに突いた右手で頬杖を突いてニヤリと笑いながら言う。
「ありがとうございます。プローブG射出、完了。プローブGコントロール渡します。」
「うむ。しかと受け取ったぞえ。」
「ちょっと待て。お前等、何をやっている。どうするつもりだ。」
あわてて航海士席から跳ね起きたブラソンが、隣の操縦士席に座るニュクスを見る。
「アデールが出来ないというのであれば、私が行くまでです。私なら、マサシを助けられる。」
それは、間違いなく機械知性体であるレジーナの声だった。
しかしその声には強い意志に裏打ちされた凛とした響きが通っており、それはまるで今から戦いの場に赴く覚悟を決めた騎士の姿を想起させるような力強い声だった。
「待てレジーナ。地球政府とのホールドライヴ貸与条件に抵触する。確実に人に見られる。」
ハファルレアを抱え室内に足を止めたままのアデールが、まるでそこにレジーナがいるかのように中空に視線を飛ばして言った。
「地球政府の都合など知った事じゃありません。今そこでマサシが生命の危機にさらされていて、助ける手段を持つのは私だけです。私が助けます。」
「そうじゃ無い。地球の最高機密を載せた船として、お前が付け狙われる、という事だ。」
汎銀河戦争の中で神出鬼没に現れ、好き放題暴れた後に瞬く間に消えている。どの様な重力傾斜を持った空間でも好きな様にジャンプ空間に出入りする。
それらの地球軍の行動が全てホールドライヴによって成されていることは、すでに銀河銃に知られている。
ただ地球軍の徹底的な秘匿により、未だホールドライヴ技術は銀河種族に流出していなかった。
地球軍の艦船は重武装している上に、寄港地での警備も厳しい。
それに較べて民間船であれば、武装度も低く、停泊中の警備も薄い。
銀河中のありとあらゆる国家、諜報機関、組織、企業がレジーナを付け狙い始めるであろう事は、想像に難くなかった。
「理解しています。が、前提条件が間違っています。マサシがいなければ、私の存在意義がありますか? ホールドライヴ突入します。ホールアウトは1分55秒後。」
レジーナの前方に直径100m程の空間の穴が発生する。
ダークグレイの距離感の無いその穴は、宇宙空間に突然一枚の円盤が発生したかの様にも見える。
人類が居住している惑星の大気圏内にホールアウトする為、慎重に加速を制御した細長く鏃の様なレジーナの船体が相対速度2.5km/secでホールに突入した。
レジーナがホールに突入したことで、アデールとレジーナの間の通信が切断された。
「まったく。なんて船だ。」
来るというのだから、あと2分ほどしたらレジーナがここに到着するのだろう。
ハファルレアの身体を担いで罠だらけの別荘周辺を脱出するよりも、ここでレジーナの到着を待つ方が明らかに安全だった。
アデールはハファルレアの身体を再びソファの上に戻し、自分もその隣に腰を下ろした。
「聞いたか、マサシ。随分慕われたものだな。」
地球製のAIを搭載した船であれば、その船長と長く行動を共にすることで、船のAIと船長との間に強い絆が生まれるとは聞いたことがあった。
しかし建造されて未だ一年程度の船が、これほど船長を慕うものだろうか。
「それもあるかも知れんが、多分お前は誤解している。」
足元の床下に囚われているマサシが応える。
「誤解?」
「彼女が俺を慕っている、というのは嬉しい話だが、そうじゃない。彼女は銀河を旅するために生まれた船だ。そのための性能と装備だ。太陽系外で貿易や運送業で成功している地球人がどれだけいる? 要するにそういうことだ。」
太陽系外に進出して商売を成功させた地球人の数は、驚くほど少ない。
それは何百万年も進んだ銀河人類圏に出ていく勇気の問題もあったが、貨幣価値の差による事業資金の問題や、地球人が銀河人類達から差別的な扱いを受けるために不利な立場で事業を行わねばならないといった現実的な理由もあった。
傭兵や私兵といった立場では簡単に稼げる地球人ではあったが、こと事業を興して金を稼ぐとなると一転してその難易度が跳ね上がるという厳しい現実がそこにはあった。
マサシは船乗りを自称するが、どこかの組織に属している訳では無い。大手の運送業者の下請けをする個人事業主と見なされる。
銀河に乗りだし、成功した数少ない地球人の一人が、マサシだった。
銀河人類であればその様な船乗りは幾らでもいる。しかし彼らは、レジーナの様な機械知性体の存在そのものを容認しない。そこにレジーナが生きていく道は無い。
つまりマサシは、レジーナの能力を使い切る事が出来る数少ない船乗りの一人という訳であった。
「いずれ地球政府にはバレるぞ。」
「お前が報告書に書くからだろう。」
「政府というものはあちこちに目や耳を持っているものだ。私が書かずともいずればれる。」
「ホールドライヴデバイス貸与契約は契約不履行で破棄されるだろうな。無意味だ。機械達に作ってもらえば良い。」
「バディオイでは無いが、お前は知りすぎている。政府が手放す訳が無い。」
「ホールドライヴデバイスが無くなる事で、こっちの弱みは無くなる。お前を船に乗せておく契約も打ちきるさ。」
「それは余りお勧めしない。私が船に乗っている理由、気付いているのだろう?」
「『乗せて欲しい理由』だ。間違えているぞ。お前には確かに世話になっている。この件に関してこっち側に付けば継続してやる。上司に相談しておけ。」
「甘いな、お前。あれほど私を嫌っていたというのに。」
「甘党のルナに好かれるのは、それが理由かもな。」
「気取っておる場合ではないぞえ。マサシ、お主とレジーナはかなり本気で面倒な事になろうぞ。」
傭兵達のクローンアバターが死に絶え、二人だけになった静かな別荘内で交わされていた会話に突然ニュクスが割り込んだ。
「ニュクス? もうホールアウトしたのか?」
アデールが珍しく驚いた声で答えた。
「まだじゃよ。イヴォリアIXからじゃ。」
ニュクスは群体である機械であった。
レジーナと共にホール内を航行中であるニュクスの生義体とは連絡の取り様も無いが、太陽系に駐留するイヴォリアIXに居る同格のニュクスとは、レジーナがホールイン直前に打ち出したプローブを通じて通信できる。
「あらゆる国家や組織がお主らを狙う。済まぬが、人類の生存圏内では儂らも護ってやる事が出来ぬ。マサシよ、冗談ではのうて、本気でレジーナの武装を考えよ。ブラソン達がおる限りは、レジーナのシステム攻撃に対する備えは万全じゃ。いざとなれば儂らも加勢する。じゃが、物理的な攻撃に対しては弱すぎる。」
マサシはレジーナを戦闘艦にしたい訳では無かった。
事由に銀河を駆ける翼を持った美しい船には、それは余りに無骨で似合わない気がしたからだ。
かといって、レジーナを失う気などさらさらなかった。
もちろん、己が銀河を駆け回る自由も。
「もう一つ言うておく。皆、義務や契約や利害関係であの船におる訳ではなかろうぞ。お主の方こそ、要らぬ誤解をするで無い。
「さてと。ホールアウトしたぞえ。到着は9秒後じゃ。アデール、お出かけの支度じゃ。」
突如惑星ビロルナエ大気圏内に開いた空間の穴から、鋭く細長い形をした白銀色の船体が飛び出してきた。
その鏃の様な船体は重力による障壁を進行方向に展開し、衝撃波の発生を抑えながら、音速を遥かに超える速度で夜の闇に染められた大気を切り裂いて、前方にある地上の一点を目指してつき進む。
そしてマサシが囚われ、エイフェの母親が横たわる小さな建造物の上空100mに一瞬で停止した。
第五十五話
title: ホールドライヴデバイス貸与契約
■ 4.55.1
「マサシ、済まない。被害を最小限にする判断をせざるを得ない。」
ギリギリと食いしばった歯の間から声を絞り出す様にブラソンが言った。
「仕方ないな。俺も同意する。まあ、俺がマヌケだっただけだ。」
マサシの声がネットワーク上だけで無く、コクピット内にも音声として響く。
その声は驚くほど淡々としていて、自分の仕事が死と隣り合わせのものであるという事、いつかこういう日が来るかも知れないことをマサシが常に意識していたことを窺わせる。
「アデール。ハファルレアを確保して脱出しろ。四分以内に3km以上離れろ。その後は当初の計画通りの地点にビークルを一台送る。」
「何か他に方法は無いのか。まだ五分ある。」
僅かだがアデールの声が珍しく動揺しているが、状況が切迫していてそれに気付く者はいなかった。
「アデール。違う。あと五分しか無いんだ。生身のハファルレアを抱えていてはスピードは上げられない。3kmというのも推定値だろう。出来るだけ遠く逃げる必要がある。五分でも少ない。早く行け。」
妙に落ち着いたマサシの声に、アデールは苛立ちを覚えた。
僅か1m程度下にいて、手を伸ばせば届く距離であるのに、今はどうやっても届かない。
だが、今届かねば、永遠に届かなくなる距離。
「アデール。早くしろ。全滅する気か。」
ブラソンの声がアデールをさらに急かす。
「クソ!」
珍しく感情のこもった声で吐き捨てる様に悪態を吐くと、アデールはソファに横たわるハファルレアの身体に腕を回した。
窓から飛び出す前に、マサシが開けた床の穴に目を向ける。
暗い色の強硬化樹脂は光が透けず、すぐそこにいる筈のマサシは見えない。
「一分経った。すぐに出ろ。ヤバイ。」
その会話の主、ブラソンの背中を無表情に見つめるルナの冷たい眼。
しかしその眼差しとは対照的に、レジーナとルナとの間ではレジーナを格納する主演算ユニットが高熱を発するのでは無いかと思われる程の討議検討が行われていた。
■ 4.55.2
- マサシを見捨てるか: 否定
- ブラソンの指示に従うか: 否定
- アデールの装備でマサシが救出できるか: 否定
- マサシが自力で脱出できる方策はあるか: 否定
- ナノボットを用いて、マサシを救出出来るか: 可能
- ナノボットを用いて、マサシを救出する為に充分な時間があるか: 否定
- ナノボットを用いて、マサシを救出できる機械装置が作成できるか: 可能
- ナノボットを用いて、マサシを救出出来る機械装置を作成する為に充分な時間があるか: 否定
【中略】
- 本船が直接乗り込む事は可能か: 可能
- 本船が直接乗り込む場合、最短で目標に到達できる方法は何か: ホールドライヴによってビロルナエ大気圏内に直接ホールアウト
- 最短時間の方法を用いて本船が直接乗り込む場合、マサシを救出する為に充分な時間はあるか: 肯定
- マサシを救い出す方法は何か: 分解フィールドによって周囲の異物を排除し、マサシ近傍周囲のみを切り出す
- マサシを船内に回収する方法は何か: 第一案: 重力アンカー/ 第二案: 重力焦点による牽引/ 第三案: ワイヤー巻き取りによる吊り上げ
- 最も短時間でマサシを船内に回収する方法は何か: 第一案: 重力焦点による牽引
- 第一案を採る場合のマサシ生存回収の可能性は: 時間内に作業終了した場合: 82.5%
- 再考察: 複合的により有利なマサシ回収方法はあるか: 否定
- マサシ生存回収と同時にアデールとハファルレアを回収可能か: 可能
- アデールとハファルレアの回収方法は何か: 第一案: アデール着用AEXSS付属重力ジェネレータを使用し、アデールがハファルレアを回収して船内に戻る/ 第二案: アデールがあらかじめハファルレアを連れて安全地帯に退避し、マサシ回収の後アデールとハファルレアを回収する
- 第一案: アデールのAEXSS重力ジェネレータを用いた場合の両名の生存確率: アデール: 92.7%/ハファルレア: 88.2%
- 第二案: アデールがあらかじめハファルレアを連れて安全地帯に退避した場合の両名の生存確率: アデール:81.3%/ハファルレア: 65.8%
- 第一案を選択: 決定
- 他に考慮すべき状況を検討: 次項継続
- 目標到達時間最短かつ惑星ビロルナエ住人への被害を最小とする進入経路: ホールドライヴ進入相対速度: 2.5 km/sec/ ホールアウト位置: 目標北東13000m、高度12000m/ ホールアウト後は速度を維持/ 同時に重力シールドを展開し、超音速衝撃波を吸収/ 目標到達0.3秒前に1000Gにて停止。
- 本行動によって、ホールジャンプが惑星ビロルナエ住人に確認される可能性: 99.9%
- ビロルナエ住人によってホールジャンプが認識される可能性: 92.8%
- 地球政府とのホールドライヴ貸与契約に抵触する事態に関する考察: 優先度低: 棄却
- ホールドライヴ貸与契約に抵触する事によりマサシが責任を追及される事態に関する考察: 優先度低: 棄却
- その他考察すべき事項: 優先度低: 棄却
- 考察すべき残事項の有無: 優先度低: 棄却
- 最優先事項: 本船をもって惑星ビロルナエに突入し、マサシを生存回収する
- 他優先事項: 無し
- 実行開始
■ 4.55.3
「アデール。待って下さい。こちらから出向きます。そこから動かないで下さい。」
突然レジーナの声が響いた。
ブラソンにはそのレジーナの声が、随分固い声に聞こえた。機械知性体のネットワーク越しの声が。気のせいだろうか。
「出向く? 何を言っている。時間が無い。やめろ。」
レジーナの予想外の発言に思わず足を止めてアデールが応えた。
「2分42秒後に到着予定です。ホールドライヴスタンバイ。加速800G。ホール突入速度2.5km/sec。20秒後にホールインします。」
「レジーナ、ホールを使うのであれば、この場にプローブGを残して行きや。儂等の方で心臓と脳みそを動かし続けようぞ。」
脚を組み操縦士席に座ったニュクスが、肘掛けに突いた右手で頬杖を突いてニヤリと笑いながら言う。
「ありがとうございます。プローブG射出、完了。プローブGコントロール渡します。」
「うむ。しかと受け取ったぞえ。」
「ちょっと待て。お前等、何をやっている。どうするつもりだ。」
あわてて航海士席から跳ね起きたブラソンが、隣の操縦士席に座るニュクスを見る。
「アデールが出来ないというのであれば、私が行くまでです。私なら、マサシを助けられる。」
それは、間違いなく機械知性体であるレジーナの声だった。
しかしその声には強い意志に裏打ちされた凛とした響きが通っており、それはまるで今から戦いの場に赴く覚悟を決めた騎士の姿を想起させるような力強い声だった。
「待てレジーナ。地球政府とのホールドライヴ貸与条件に抵触する。確実に人に見られる。」
ハファルレアを抱え室内に足を止めたままのアデールが、まるでそこにレジーナがいるかのように中空に視線を飛ばして言った。
「地球政府の都合など知った事じゃありません。今そこでマサシが生命の危機にさらされていて、助ける手段を持つのは私だけです。私が助けます。」
「そうじゃ無い。地球の最高機密を載せた船として、お前が付け狙われる、という事だ。」
汎銀河戦争の中で神出鬼没に現れ、好き放題暴れた後に瞬く間に消えている。どの様な重力傾斜を持った空間でも好きな様にジャンプ空間に出入りする。
それらの地球軍の行動が全てホールドライヴによって成されていることは、すでに銀河銃に知られている。
ただ地球軍の徹底的な秘匿により、未だホールドライヴ技術は銀河種族に流出していなかった。
地球軍の艦船は重武装している上に、寄港地での警備も厳しい。
それに較べて民間船であれば、武装度も低く、停泊中の警備も薄い。
銀河中のありとあらゆる国家、諜報機関、組織、企業がレジーナを付け狙い始めるであろう事は、想像に難くなかった。
「理解しています。が、前提条件が間違っています。マサシがいなければ、私の存在意義がありますか? ホールドライヴ突入します。ホールアウトは1分55秒後。」
レジーナの前方に直径100m程の空間の穴が発生する。
ダークグレイの距離感の無いその穴は、宇宙空間に突然一枚の円盤が発生したかの様にも見える。
人類が居住している惑星の大気圏内にホールアウトする為、慎重に加速を制御した細長く鏃の様なレジーナの船体が相対速度2.5km/secでホールに突入した。
レジーナがホールに突入したことで、アデールとレジーナの間の通信が切断された。
「まったく。なんて船だ。」
来るというのだから、あと2分ほどしたらレジーナがここに到着するのだろう。
ハファルレアの身体を担いで罠だらけの別荘周辺を脱出するよりも、ここでレジーナの到着を待つ方が明らかに安全だった。
アデールはハファルレアの身体を再びソファの上に戻し、自分もその隣に腰を下ろした。
「聞いたか、マサシ。随分慕われたものだな。」
地球製のAIを搭載した船であれば、その船長と長く行動を共にすることで、船のAIと船長との間に強い絆が生まれるとは聞いたことがあった。
しかし建造されて未だ一年程度の船が、これほど船長を慕うものだろうか。
「それもあるかも知れんが、多分お前は誤解している。」
足元の床下に囚われているマサシが応える。
「誤解?」
「彼女が俺を慕っている、というのは嬉しい話だが、そうじゃない。彼女は銀河を旅するために生まれた船だ。そのための性能と装備だ。太陽系外で貿易や運送業で成功している地球人がどれだけいる? 要するにそういうことだ。」
太陽系外に進出して商売を成功させた地球人の数は、驚くほど少ない。
それは何百万年も進んだ銀河人類圏に出ていく勇気の問題もあったが、貨幣価値の差による事業資金の問題や、地球人が銀河人類達から差別的な扱いを受けるために不利な立場で事業を行わねばならないといった現実的な理由もあった。
傭兵や私兵といった立場では簡単に稼げる地球人ではあったが、こと事業を興して金を稼ぐとなると一転してその難易度が跳ね上がるという厳しい現実がそこにはあった。
マサシは船乗りを自称するが、どこかの組織に属している訳では無い。大手の運送業者の下請けをする個人事業主と見なされる。
銀河に乗りだし、成功した数少ない地球人の一人が、マサシだった。
銀河人類であればその様な船乗りは幾らでもいる。しかし彼らは、レジーナの様な機械知性体の存在そのものを容認しない。そこにレジーナが生きていく道は無い。
つまりマサシは、レジーナの能力を使い切る事が出来る数少ない船乗りの一人という訳であった。
「いずれ地球政府にはバレるぞ。」
「お前が報告書に書くからだろう。」
「政府というものはあちこちに目や耳を持っているものだ。私が書かずともいずればれる。」
「ホールドライヴデバイス貸与契約は契約不履行で破棄されるだろうな。無意味だ。機械達に作ってもらえば良い。」
「バディオイでは無いが、お前は知りすぎている。政府が手放す訳が無い。」
「ホールドライヴデバイスが無くなる事で、こっちの弱みは無くなる。お前を船に乗せておく契約も打ちきるさ。」
「それは余りお勧めしない。私が船に乗っている理由、気付いているのだろう?」
「『乗せて欲しい理由』だ。間違えているぞ。お前には確かに世話になっている。この件に関してこっち側に付けば継続してやる。上司に相談しておけ。」
「甘いな、お前。あれほど私を嫌っていたというのに。」
「甘党のルナに好かれるのは、それが理由かもな。」
「気取っておる場合ではないぞえ。マサシ、お主とレジーナはかなり本気で面倒な事になろうぞ。」
傭兵達のクローンアバターが死に絶え、二人だけになった静かな別荘内で交わされていた会話に突然ニュクスが割り込んだ。
「ニュクス? もうホールアウトしたのか?」
アデールが珍しく驚いた声で答えた。
「まだじゃよ。イヴォリアIXからじゃ。」
ニュクスは群体である機械であった。
レジーナと共にホール内を航行中であるニュクスの生義体とは連絡の取り様も無いが、太陽系に駐留するイヴォリアIXに居る同格のニュクスとは、レジーナがホールイン直前に打ち出したプローブを通じて通信できる。
「あらゆる国家や組織がお主らを狙う。済まぬが、人類の生存圏内では儂らも護ってやる事が出来ぬ。マサシよ、冗談ではのうて、本気でレジーナの武装を考えよ。ブラソン達がおる限りは、レジーナのシステム攻撃に対する備えは万全じゃ。いざとなれば儂らも加勢する。じゃが、物理的な攻撃に対しては弱すぎる。」
マサシはレジーナを戦闘艦にしたい訳では無かった。
事由に銀河を駆ける翼を持った美しい船には、それは余りに無骨で似合わない気がしたからだ。
かといって、レジーナを失う気などさらさらなかった。
もちろん、己が銀河を駆け回る自由も。
「もう一つ言うておく。皆、義務や契約や利害関係であの船におる訳ではなかろうぞ。お主の方こそ、要らぬ誤解をするで無い。
「さてと。ホールアウトしたぞえ。到着は9秒後じゃ。アデール、お出かけの支度じゃ。」
突如惑星ビロルナエ大気圏内に開いた空間の穴から、鋭く細長い形をした白銀色の船体が飛び出してきた。
その鏃の様な船体は重力による障壁を進行方向に展開し、衝撃波の発生を抑えながら、音速を遥かに超える速度で夜の闇に染められた大気を切り裂いて、前方にある地上の一点を目指してつき進む。
そしてマサシが囚われ、エイフェの母親が横たわる小さな建造物の上空100mに一瞬で停止した。
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
【完結】バグった俺と、依存的な引きこもり少女。 ~幼馴染は俺以外のセカイを知りたがらない~
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※第18回講談社ラノベ文庫新人賞の第2次選考通過、最終選考落選作品。
※『小説家になろう』『カクヨム』でも掲載しています。
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