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第四章 Bay City Blues (ベイシティ ブルース)
48. 侵入者
しおりを挟む■ 4.48.1
ブラソンに約束した通り、俺はエイフェの目が覚めるまでレジーナをステーションXの近くに停泊させることを決めた。
そのため、エイフェの目が覚めるまではパイロットとしての俺の仕事は無くなった。
そして、廃棄されたステーションと、機械達の五千m級戦艦二隻しかいないこの空間で、船長としての俺の仕事が発生するはずも無かった。
引き続きバペッソやジャキョセクション、パイニエ軍警察の動きを追ってネット上で忙しく情報収集しているブラソンとノバグや、皆の食事を用意したり、時間があればアデールやニュクスを相手にトレーニングを行っているルナ、この船が存在する限り、それを維持管理する仕事が無くなることは無いレジーナに、戦艦二隻とのやりとりや、ステーションの構造の解析に忙しそうに動き回っているニュクス、基本的に用がある時以外は自室から出てこないアデールは、情報部に上げる報告書を書いているのかどうかしているのだろう。
ただ停泊しているだけとは云っても、皆それなりに忙しく働いており、暇そうに船内をうろつく俺の相手をしてくれるのはミスラくらいしかいなかった。
暇そうに船内をうろついているので、ルナやニュクスからミスラのお守りを押しつけられた、とも言う。
「エイフェはどうだ?」
ミスラが自室にしているA客室で、彼女がファンタジーものの地球製のアニメーション映画を見ているのに付き合わされながら、声に出さずにレジーナに尋ねた。
自室でビデオを見る程度なら、別に俺が付き合わされる必要は無いと思うのだが、ミスラは何故か今、ソファに深くもたれ掛かった俺の膝の上でホロモニタに食い入る様に見入っている。
まだまだ親に甘えたい年頃であるのに、急に親と離ればなれになってしまい、口には出さないもののやはり寂しいらしい。
と、自分を納得させる。
実際の所、チップを持たないミスラは船内の様々な設備を上手く使うことが出来ないため、こうやって誰かが傍にいて世話を焼いてやらなければならない、という現実的な理由もある。
勿論、ミスラが不自由な思いをしているかと言えばそんなことはあるはずは無く、ミスラが何かに困っていれば、常に船内全域をモニタしているレジーナがミスラに声を掛けて、ミスラの代わりに設備の操作を行ってやっている。
今はたまたま、暇な俺がその役割を仰せつかっている、という訳だ。
俺達が想像していた通り、ミスラの出身星であるファラゾア人の隠れ里の文化や科学技術のレベルは大きく退化してしまっていたらしく、最初ミスラはホロモニタと現実の区別が付かず、突然部屋の真ん中の空間に出現した映像に怯えていた。
レジーナが子供向けのアニメーション映画や、子供向けのゲームなどをホロに投影し、ごく短期間でミスラはホロモニタに慣れ、今では当たり前の様にビデオを見ている。
逆にその手の映像コンテンツへのはまり具合は凄まじく、今も俺の膝の上で微動だにせずに完全にストーリーに没入しきっている。
「はい。バイタルはもう通常まで戻っています。いつ目が覚めてもおかしくない状態ではありますが、まだ目覚めていません。」
ミスラとは違い、エイフェは脳内にバイオチップを持っている。
通路を挟んでミスラの部屋と反対側に向かい合っている客室Bに寝かされているエイフェの状態は、常にレジーナによってモニタされている。
ミスラにチップを与えないのか、という問題については、彼女の故郷が見つかるより前にミスラがチップの存在を理解し、現代文明に慣れる様であれば、本人の意思の確認をもって、という所で結論が出ている。
「色々酷い目にも遭ったのだろうし、身体も本調子では無いだろう。気長に見守るか。彼女が格納しているというAIの方は?」
生命維持装置とは、体調を万全に戻すための機械では無い。死にそうな怪我人や病人の命を強引に繋ぎ止めることが目的の機械だ。
逆に健康な人体に使えば、意識を保てないほどに体調を低下させ、死なないが、活動も出来ない、という程度のレベルに維持することも出来る。ミスラを含め、今回エイフェ達が施された処置がそれだ。
「メイエラの主目的が明らかで無い為、エイフェ救出以来こちらからコンタクトを取っていません。チップ内で低レベルの活動が行われていることは確認していますが、活動の内容は不明です。今までの所、メイエラ側からのコンタクトはありません。エイフェが目覚めれば、それと同時にメイエラも活性化するのだと思います。」
賢明な処置、といった所だろう。
まさかあり得ないとは思うが、もしメイエラが、エイフェに意識が無い時にネットワーク上から必要以上のアクセスを受けた場合には、そのアクセスをバイオチップに対するハッキング攻撃と見なして暴走したりする様な指示を受けていたとしたら、大変なことになる。
「分かった。そっちは任せる。他に変わったことは?」
「特にありません。夕食まであと1時間半ほどです。」
「そうか。では俺は、現在の重要任務を引き続き継続するとするか。」
「よろしくお願いします。」
膝の上のミスラが食い入る様に見つめているビデオでは、巨大なレッドドラゴンに対して主人公達のパーティーが剣と魔法で一斉に襲いかかっていた。
しばらくミスラに付き合って、孤独で不幸なドラゴンが、人類以外を全て殲滅するという歪んだ使命に燃えているらしい主人公達によって蹂躙される様を見ていたが、どうやらいつの間にか寝入っていた様だった。
夕食が出来たことを告げに来たルナに起こされた時には、ミスラも仲良く俺の隣に並んでソファの上で寝息を立てていた。
■ 4.48.2
それは、皆が寝静まった後、船内時間の夜中に起こった。
レジーナは通常通り船内の全てをモニタしていたが、生体を持つ乗員達が全て自室に戻り、アデールを除く全員がすでに就寝していたため、アイドル状態と言って良い活動レベルにまでパフォーマンスを下げていた。
ルナとニュクスの状態は、正確には睡眠では無かったが、生義体のチェックとメンテナンスを行うモードとなっており、実質上就寝しているのと変わりは無かった。
アデールは自室から、コンテナルームの自分のコンテナにアクセスして何かの作業を行っている様だったが、スクランブルされた直接接続であるので、その作業内容までを把握することは出来なかったし、しようとも思っていなかった。
政府関係、特に軍や情報部の情報を無理に覗き込んでも面倒なことになるだけだというのは、ノバグとの情報共有で良く分かっていた。
アデールが船内ネットワークに対して何か破壊的な行動を行わない限り、アデールの作業に介入するつもりは無かった。
その様な中、エイフェが寝ているB客室から、ネットワークへのアクセス要求が発生した。
当然、エイフェが起きたのだと思い、確認のためB客室のモニタをチェックするが、エイフェは相変わらずベッドに寝ており、バイタルにも大きな変化は無かった。
不審に思いモニタ画像をズームすると、エイフェの眼は開いており、その眼は真っ直ぐ天井を見つめていた。
眼球に動きが無かった。知らない部屋で目覚めた、意思のある人間の眼の動きでは無かった。
再度バイタルをチェックし、同時に室内環境のモニタを確認する。
ネットワークへの接続要求は再三発生している。
これは、エイフェが目覚めないままに、その格納しているAIであるメイエラのみが活性化したのだろうと推察した。
しかし、主体であるエイフェの意思無く、人格を与えられている訳でも無いAIメイエラからの接続要求に対して接続許可を出すことは憚られた。
船長であるマサシに相談するにも、先ほどマサシは眠り始めたばかりで、起こすのは少し躊躇われた。
ブラソンも同様に眠っており、あとはノバグに相談するほか無かった。
これらの現状確認と、逡巡で数百ミリ秒を消費した。
アクセス要求はいつの間にかネットワーク接続方法のスキャニングに変わっており、気付いた時にはスキャニング解析を殆ど終えられていた。
防御用のサブシステムを展開し、防御用と攻撃用のモジュールを呼び出している間に、侵入防御壁が突破され始めた。
ダミーストラクチャとサブシステムを多数展開して時間稼ぎを行おうとしたが、ダミーをあっさりと見破られ、次々とサブストラクチャを突破される。
防御用モジュールの展開が間に合わず、攻撃用に至っては敵の特定が出来ない。
船外からのハッキングについてはすでに何度も経験しており、基本マニュアルに改良を加えた対処法を幾つも確立していたが、船内からの、しかも超高速で反応してくるAIによるハッキングへの対処は、絶対的に経験が不足していた。
ノバグに助けを求めれば良いのだが、ノバグの住む外挿サーバとの通信に割くパワーが取れなかった。
通称ブラソンサーバは基幹サーバでは無いので、自分の身体の一部として使うことが出来ない。
外挿サーバに向けたプロトコルを作っている暇が無い。
攻撃性の侵入に対して有効な打撃を与えることも、防御を展開することも出来ないまま、アクセスポイントを突破された。
B客室のノードを切り離してこれ以上の侵入を阻止しようとしたが、その動きに気付かれて先回りされ、ノードコントロールに集中攻撃を受ける。
ノードコントロールの先は、主幹コントロール、システムコントロールが存在する。
そこまで突破されたら終わりだ。
狭い船内の仮想空間において、主幹コントロールの支配権を巡る攻防のため次から次に打ち出される大量の信号の奔流に、主幹のすぐ脇に外挿サーバを置くノバグが気付いた。
「何事ですか?」
部屋のドアを開けて顔を覗ける様にしてノバグが外挿サーバから顔を出す。
ノバグが顔を出した先の、目の前のノードでは侵入者と思しきプログラムと、船のネットワーク全体の管理者であるレジーナとが激しい攻防を繰り広げていた。
見たところレジーナは何とか対応できている様ではあったが、それはいわば地の利を得ているが為で有り、戦いが長引けば侵入者によるシステム構造の解析が進んでしまい、レジーナの優位性は時間と共に無くなっていってしまう事が見て取れた。
一体誰が侵入者で、何の目的を持ってレジーナの船内システムを乗っ取ろうとしているのか。
「誰が」の方にはすぐに見当が付いたが、「なぜ」の方が分からない。
しかしそんな事を気にしている場合では無い
ノバグはすぐさま五十体ものコピーをネットワーク上に展開し、レジーナが戦っている相手に対して痛烈な攻撃を与え始めた。
ネットワーク上に本体を置くAIであり、レジーナ船内ネットワークの管理者であるとは言え、ネットワーク上で戦うことを主な機能とはしていない民間船管理用のAIであるレジーナでは、地の利がある場所での戦いでやっと五分のの戦いが出来る程度であった。
しかし、ネットワーク上での戦いに特化した機能を持つノバグがそこに参戦することで形勢は一気に逆転し、侵入者はノードの中に押し込み返された。
ノバグが侵入者をローカルノードに押し込んだと同時に、レジーナがノードをシステムから切り離す。
同時にノバグは物理的に近傍のノードにそれぞれ五人ずつのコピーを配置し、侵入者から見て第二・第三近傍アクセスポイントからの再侵入を警戒した。
ノバグがその防衛線を構築したことで、事態はほぼ収束したと言って良い。
ここに来てレジーナはやっと他のことにパワーを割く余裕ができた。
事態は一応の収束を見ているが、レジーナはまだ警戒を緩めるつもりはなかった。
船内に対し緊急事態を宣言した。
船内の全ての明かりが赤に変わり、けたたましい警告音が船内を満たす。
ここまでで最初の侵入からたっぷり三秒余りの時間が経過していた。
「ノバグ、ありがとうございます。危ないところでした。」
もし彼女に生義体が有れば、まさに「肩で息をしながら」と云った雰囲気で、必死の攻防を乗り切ったレジーナがノバグに礼を言った。
「お互い様です。普段私は色々なものを無償で提供して戴いています。これくらいは働かねば、ただの無駄飯喰らいになってしまいます。」
それに対して、短期間であれだけ猛烈な攻撃を打ち出しつつもそれをさも平然と返すノバグは、すでに戦士の風格さえ漂わせ始めていた。
船内に轟く緊急事態警報を受けて、生体を持つヒト達は跳ね起きてベッドから飛び出し、生義体のセルフチェックモードに入っていたAI達は、メンテナンスのシーケンスをすぐさま中断し緊急再起動をかけて活動を開始した。
「どうした? 何があった?」
一番最初に音声で状況を質問してきたのは、さすがと言うべきか、船長のマサシだった。
ヒトであるマサシが居たところで、その反応速度は遅すぎてネットワーク上で繰り広げられる攻防には何の役にも立たないのだが、それでもマサシが起きて傍に待機していてくれるというだけで安心感を覚えている自分に驚きつつ、レジーナはマサシに状況を手短に説明した。
「船内ネットワークに侵入者がありました。ノバグと協力して原状を復帰しました。侵入元は客室B。現在客室Bはノードを切り離しアクセスポイントを無効化してあります。再侵入の防止のため、ノバグコピーがそれぞれ五体ずつ、至近のアクセスポイントを監視しています。」
「客室B? エイフェか。いや、侵入したのはメイエラか。被害は? お前は大丈夫か?」
「被害はありません。私も大丈夫です。ネットワークに侵入されたのみで、それ以上の破壊活動は行われては居ません。」
後手後手に回りつつも、なんとかシステムを防御しきった。被害が何も出ていない事は大きかった。
物的にも、レジーナの精神的にも。
「そうか。お前が無事なら良い。少し待ってくれ。服を着たら客室Bに向かう。」
マサシとの会話を終えるとほぼ同時に、寝込みを叩き起こされた他のヒト達と、メンテナンスシーケンスから緊急再起動をかけて活動を開始したAI達が次々とコンタクトを取ってきた。
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