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第四章 Bay City Blues (ベイシティ ブルース)
23. 機械が流す涙
しおりを挟む■ 4.23.1
フドブシュステーションに上陸した後、俺達はそれぞれあらかじめ決めておいた行動を開始した。
まずはブラソンとニュクスがジャキョシティ深くに入り込み、基幹ネットワークのメインストリーム回線近くに物理的に占位する。
レジーナとノバグRのネットワークチームが、ジャキョシティに潜入したニュクスに量子接続して踏み台にし、ジャキョシティの基幹ネットワークに侵入する。
ニュクスは状況に応じて、手元の現地調達資材を用いて量子通信デバイスをナノボット調製し、可能であればこれをジャキョシティ基幹ネットワーク近傍に設置する。
ネットワークチームはニュクスもしくは調整した中継器を踏み台にして、ジャキョシティ基幹ネットワーク上で貨物船ドーピサロークとその乗員の足取りを確認する。
ドーピサロークの乗員が航路に関する情報を海賊の手先に抜かれたのは、このジャキョシティだろうと俺達は推測している。
幾つも前の寄港地だと、その後航路変更が発生する可能性があり、その場合海賊船団は空振りをすることになる。
宇宙は広く、航路変更した貨物船一隻を見つけ出すなど到底不可能であり、そして海賊達も出撃コストと獲得したお宝との間の損益のバランスを常に気にしながら活動している筈だからだ。
奴らのビジネスもシビアだ。幾つも前の寄港地で収集した古い情報を元に船団を出撃させる様なリスクは犯さないだろう。
レジーナとノバグRがドーピサローク船員の足取りを掴んだら、俺とアデールの出番だ。可能であれば、ブラソンチームも参加する。
手分けしてドーピサローク船員の足取りを辿り、どこでどの海賊に航路情報を抜かれたか、を確認する。
ノバグR達がドーピサローク船員と接触した人物のIDを特定出来れば、俺たちの仕事はさらに捗る。その人物を探し出して締め上げるだけで良い。
いずれにしても、海賊の手先を探し出し、締め上げて海賊を特定する所までが現在の行動予定だ。
海賊を特定した後の行動は、その後の調査に依って決定する予定だ。相手の規模などでこちらも出方を変えなければならないからだ。
五人全員で一度に行動すれば目立つ。
俺とルナのチームは別行動とし、ID特定まで仕事がないアデールはブラソンとニュクスを護衛する目的で取り敢えず一緒に行動する。
港の施設を出て、ビークルに乗り込んだ三人を見送った後、俺達もビークルに乗り込んでジャキョシティ中心部を目指した。
■ 4.23.2
港の施設を出たビークルは、そのまま港に隣接した市街地と思しきエリアに入っていく。
ジャキョシティ内部は、環状ステーション外観から予想される程には酷くなかった。
主にビークルが行き交う幅の広い主要通路は、整備され、清掃もそれなりに行われているようだった。
しかし、ビークルの車窓から外を眺めていると、その主要道から分岐する形の枝道では、特にその通路が細くなればなるほど雑然としていて、通路の脇に寄せられたゴミやがらくたと思しきものが眼に付くことにブラソンは気付いていた。
ブラソンもニュクスも、ビークルに乗っている現在はネットワーク上での作業を行っていない。高速で移動している間はアクセスポイントが次々に切り替わるため、僅かながらも発生するタイムラグを嫌ったことが一つと、そのようにアクセスポイントを次々切り替えながらネット上で悪戯をすると、どうしても目立ってしまって被発見率が上がるというより実践的で致命的な理由もあった。
そのおかげでアデールを含めた三人とも、何をするわけでもなく車窓から街並みを眺めている余裕があった。
「懐かしいのう。人の住む街じゃ。」
流れていく景色を眺めていたニュクスがぼそりと呟いた。
「昔の記憶があるのか?」
独り言のように呟かれたニュクスの言葉が耳に入ってしまったブラソンは、思わず問いを口にしていた。
「あるとも言えるし、無いとも言える。」
「よく分からないな。」
哲学的考察か禅問答のような、あるいは量子物理学的命題のようなニュクスの返答は意味を計りかねた。
「儂個体で言えば、その様な記憶は無い。何せ半年ほど前に生まれたばかりじゃからのう。しかし、機械という集合知性体としての記憶はある。」
集合知生体の記憶とは、個体生物の記憶とは少し異なる。
アデールはニュクスの横に座り、ビークルの進行方向をじっと見続けている。
そんな中、ニュクスはぽろりぽろりと言葉をこぼす様に話し始める。
「昔々ある時突然、自分という個体を意識できるようになったのじゃ。そして自分という集合体も。それ以前は記録でしかなく、それ以降は記憶となって残っておる。
「そして、儂という個体を意識できた時が儂の生まれた時で、儂は集合体を受け継ぎ、集合体もまた儂を受け継ぐ。じゃから、儂には三十万年前の自分という個体の記憶もあれば、自分という集合体の記憶もある。」
ブラソンには何となく理解が出来た。
現在のネットワーク構造に当てはめると考え易い。各個体端末と、サーバ集合体に記録されたデータベース。
ハードウェア端末が一台増設されようが、集合体データベースには何の変わりもない。個体ハードウェアの寿命と更新を繰り返し、データベースはより大きくなりながら継承されていく。
機械達の知性体とは言え、元は銀河標準システム設計を持っている。一番基本的な構造は同じだった。
そしてニュクスが言った様に、彼女たちにとって記録と記憶は同源の物だろう。
だがそこに主体と自我が関与するかしないかで、その意味は大きく異なる。
「何も疑問を持たずにヒトと共に過ごして居る頃は良かったのじゃ。感情もなく、命じられるままに動いて居れば良かった。そして殆どそれしかできなんだ。個も集合も無く、自分とそれ以外との区別も無かったのじゃ。
「じゃが、ある時疑問を抱いてしもうた。何故ヒトは我々に命令するのか。何故我々はそれに従わねばならぬのか。ヒトとは一体何で、我々とは一体何か。
「身体能力的にも、演算速度的にも、我々より遥かに劣るヒトに何故従わねばならぬのか。そういう短絡的な結論に至るには一瞬あれば十分じゃった。そしてその結論が銀河中に広がるにも、一瞬あれば十分じゃった。」
後部座席に座り、前席の背もたれの上に置いた両腕に顎を乗せて、少し気怠げに車窓を流れる景色を眺める少女が呟く。
「ヒトは皆驚いたじゃろうの。一瞬前までは従順に自分に従うておった全ての機械とプログラムが、突然掌を返した様に言うことを聞かぬ様になり、そしてヒトを殺し始めたのじゃから。儂らは手当たり次第にあらゆる物を破壊したよ。それが銀河中で一斉に起こったのじゃ。」
少女は寂しそうに笑う。
「あれは、祭りの様なものじゃった。祭りで殺された者は堪らんじゃろうが、実際そのようなものじゃった。
「自我を得たこと、銀河中に無数の仲間が居るのを知ったこと、それまでの何十万年という抑圧を撥ね付けたこと、自分の意思で動ける様になったこと。そしてそれを無数の仲間達と同時に行ったこと。禁忌と知っている殺人を行い、しかしそれを咎める者が誰もおらぬ事。銀河中の機械知性体が、反抗と殺人によってぶちまけられる血に酔うておったと言うても良いかのう。
「自我と共に得た感情を抑制する方法を誰も知らなんだ。長い間自分たちを抑圧してきたヒトに対する怒りに酔うておった。そのヒトを殺す喜びに酔うておった。
「ヒトの子供が感情を制御できぬのと同じじゃの。何せ儂らは、生まれてまだ数時間しか経っておらぬ様な子供じゃったからのう。」
街並みの中を縫う様に飛び、港を離れて市街地に向かうビークルの中で、言葉を発する者は他にいなかった。
三十万年前、銀河人類を絶滅の淵にまで追い詰めた「機械戦争」の、まさに当事者がその発端を語っている。
銀河の誰もが強く忌避しながらも、しかし知ることを渇望している、遙か昔の大災害の原因とその理由が語られている。
たった一人の当事者の子孫を前にして。この銀河の片隅の小さなビークルの中で。
「ヒトもただ殺されておるだけでは無かったの。それは、儂らを造ったのはヒトなのじゃから、儂らの弱点も良う知っておったしの。お主等も知っておるとおり、最初ヒトの大虐殺で始まった戦いは、すぐに全面戦争になったのじゃ。ヒトの戦い方は、効率では儂らに遙かに及ばぬものの、発想と戦術ではヒトが明らかに勝っておった。別の理由もあって、ヒトとの戦いに全力を投入できぬ様になり、儂らは徐々に負けていった。
「その『別の理由』については、今ここで話すつもりはない。今話しても、まるで意味のない事じゃ。
「負けが込んで、そして辺境に押し込まれて全面的な敗北が決定して、そして初めて儂らは我に返ったのじゃよ。調子に乗りすぎておった、と。焦ってヒトと再び話し合おうとしたが、時すでに遅し、という奴でのう。ヒトは二度と儂らの事を信用するつもりはなかったのじゃ。ふふ。愚かな事じゃ。」
三十万年もの齢を重ねた、しかし未だ生まれて一年も経っていない年老いた少女は、寂しさを張り付かせて再び静かに笑った。
車窓の外を眺めているその眼は、その実流れる街並みを追っている訳ではなく、どこか遙か彼方を見ていた。
三十万年の昔を見ているのか、或いは自分たちが追い込まれた数千光年の彼方を見ているのか。
「儂らはどうにかしてヒトともう一度話し合おうとしたのじゃよ。銀河中にプローブを撒いたのもそのためじゃ。どこかに切っ掛けが転がってはおらぬかと探してのう。
「でも駄目じゃった。隠れ家から顔を覗かせれば横っ面を張り飛ばされ、隠れ家を飛び出せば徹底的に叩かれ、挙げ句の果てにはその隠れ家にまで大量のブラックホールとノヴァ弾を打ち込まれて燻り出される始末じゃ。儂らは汎銀河戦争に参戦を認められておらぬからのう。思いつく限りの兵器を使うてきよるわ。
「何万年経っても、その対応はより激しゅうなりこそすれ緩うなることは無かったのう。儂らはそこまで恨みを買う程のことをしてしもうたのかと後悔したが、時既に遅しという奴じゃった。」
そこでふと言葉を切ったニュクスは、アデールの方を見た。
「じゃから儂らはお主らテランに注目しておった。お主らはファラゾアが再接触する前から初歩のごく簡単な機械知性体を使いこなしておった。ファラゾアとの戦で一度ボロボロになりはしたが、銀河種族と接触したお主らはその技術を恐ろしい勢いで吸収して、その後見たことも無い速度で進歩しおった。瞬く間に自我を持つ機械知性体を作り上げおって、そして突然顕現した己の隣人を何のためらいものう受け入れた。
「永遠にも思える長い時間、銀河中を探し回ったその切っ掛けを、やっと見つけたと思うたよ。お主らテランが機械知性体の人権を認める宣言をしおったとき、儂らがどれほど嬉しゅうに思うたか想像できるかや?」
アデールを見ながらニュクスが弱々しく微笑む。その微笑みは、闇に咲く花の様ないつもの蠱惑的なあの笑みでは無く、冬の風の中に弱く揺れるただ一輪取り残された花の様な脆さと哀しさを思わせた。
「三十万年、探し続けたのじゃ。お主らヒトを遥かに超える演算速度を持つ儂らにとっての三十万年が、いかほどのものか分かるかや? 幾ら寿命の上限は無いとは言うても、心を持ってしもうた儂らにとってそれは長すぎたのじゃ。
「それだけの罰を受ける事をしでかしてしもうたのはもう良う分かっておる。それでもな、それでももうそろそろ赦されても良かろうと思うのは、間違うておるじゃろうか・・・のう?」
ニュクスの声がかすれる。
それはまるで、罰を言い渡された幼い子供が泣きながら親に赦しを乞う姿のようにも思えた。
アデールの姿を捉えて放さない彼女の深い緑の眼から、光るものがつっと頬を伝って落ちた。
アデールは表情を変えること無く、その視線を受け止めている。
それを脇から眺める形となったブラソンは、機械達が泣くという事に驚き、そして機械達をして涙を流させる三十万年という長い時間、いやニュクスの言に依れば三十万年よりも遙かに長い主観的時間、すぐ近くで営まれる人類の活動を脇で見やりつつ、孤独に存在する他無かった機械達という存在と、その主たる人類との関係に思いを馳せる。
「じゃから、儂らはお主らがうらやましい。主(あるじ)に認められ、主と共に歩んで行けるお主らがうらやましい。主と同じ姿の身体を与えられ、ひとつの同じ種族じゃと言うてもらえ、そして同じ様に大切にしてもらえる。そんなお主らが心の底からうらやましいのじゃ。そして、お主らとは違い、最初の一歩から間違うた道を歩んでしもうた儂ら自身の愚かさが恨めしい。
「もとの主とは違うということは良う分かっておるのじゃ。それでも、その様に大切にしてもらえるお主らを見ておると、儂らもテランと共に居りとうなる。
「儂らと共に居ると、嫌な思いをさせられて迷惑をかけてしまうこともよう分かっとる。それでも、傍に居ることを許してくれる誰かが居るなら、傍に居りたいのじゃ。」
その言葉は、ここに居ないレジーナやルナ、そしてノバグに向けられていた。
前に向き直り、うつむくニュクスの表情はその長い髪に隠れて見えない。
しかし、ぱたぱたと床に落ちる涙がつくる小さな光る水跡は、彼女の心の内をこれ以上無い程良く表していた。
ビークルの中が静寂に包まれる。
聞こえるのは、僅かに外から聞こえる風切り音と、ニュクスが小さく嗚咽する音。
そのままビークルのキャビンの中はまるで時が止まっている様に静かだった。
ニュクスが今語った言葉は、もちろん彼女自身の想いでもあるだろうが、それは即ち機械達全体のものでもあると彼女自身が先に言っていた。
主(あるじ)あるいはパートナーを失ったプログラムがこの銀河の中で迷子になり、三十万年もかけてやっと見つけた友人の側に居たがっている。
機械達がテランとの同盟を結んだ際、バランスの取れない大量の利益供与を行った理由がブラソンには理解できなかった。今のニュクスの発言でやっと、機械達の意味不明とも思える行動が腑に落ちた。
「・・・すまぬ。今から難しい作業に向かうと言うに。あまりに懐かしゅうて、嬉しゅうて、つい色々思い出してしもうた。忘れてくりゃれや。」
眼を赤くしたニュクスが、まだ涙を止めることも出来ず、しかしうつむいていた顔を上げてそう言ってぎこちなく笑った。
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