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第四章 Bay City Blues (ベイシティ ブルース)
24. ジャキョシティ
しおりを挟む■ 4.24.1
「アクセス確立しました。ネットワーク内システム検索実行します。ノバグR001から020までネットワークに侵入しました。基幹サーバ発見。IDサーバ発見。IDサーバに侵入を試みます。」
ノバグRがレジーナ船内で作業を開始した。音声は通常のネットワーク回線を通じて伝達されてくる。ネットワーク侵入に使っているのはニュクスが中継局となっている量子回線だ。
「通常回線からの検索作業開始します。」
ネットワーク侵入スキルに劣るレジーナは、通常の回線を通じてごく普通の手段でネットワーク上の情報を検索する担当となっている。
「はて。儂も作業を開始するかの。」
ニュクスのスカートのレースの間から、薄い煙の様な物が地上に向かって流れ出て、路地裏に積み上げられたガラクタに取り付く。
ニュクスの担当は、ここに小型の量子通信用デバイスを設置することだ。僅か数十km程度しか離れていないレジーナとの通信を行う小出力の物であるため、携帯用端末程度の大きさのもので十分だった。幸い、ジャキョシティの裏通りにはゴミやガラクタが大量に放置されており、資材には困らない。
通信デバイスはニュクスが立ち去った後も放置されるが、いつでもニュクスからの命令一つでナノマシン分解することが出来る。また、レジーナの量子通信回線が持つ個体番号のみに反応するため、他の端末から割り込まれたり奪われたりすることも無い。
「中継器設置完了じゃ。調子はどうかの?」
「量子通信回線。コンタクト。個別番号認証。相互承認完了。セルフチェック。完了。回線開きました。状態良好です。回線切り替えます。」
「回線速度50倍になりました。ノバグR021~100侵入します。」
視野をネットワーク可視化表示に変更しているブラソンの眼には、新たに発生した緑色のアクセスポイントから、既存アクセスポイントに向けて突進する80個のノバグRコピーが、まるで群れを成して狩りをする猛獣が獲物を追い立てて、ネットワークという濃密な森の中に駆け込んで行ったようにも見えた。
「基幹コントロールマスキング完了。ノバグRコピーの全力活動でネットワークトラフィックが部分的に2%程度の速度低下を起こしています。迂回回線情報を放出。迂回成功。トラフィック速度低下解消しました。引き続き基幹周辺への攻撃を継続。ID管理サーバ突破まであと2分15秒を予想。」
「ノバグ、手こずっているな?」
レジーナの船内ネットワークに存在する、人格を持った機械知性体に進化したノバグ、即ち通称ノバグRは、人格を得たことによってサイズが数百倍になり、ブラソンの脳内チップ内に「帰還」することが叶わなくなってしまった。
しかし容量が増加した分だけ当然機能は向上しており、ブラソンがパイニエで共に作業していた頃のノバグ、もしくは今現在もブラソンの脳内チップに格納されているノバグゼロに比べて、数倍のパワーアップを成し遂げている。
そのノバグが、僅か一つのIDサーバを落とすのに数分かかっている。随分手こずっているな、というのがブラソンの感想だった。
「はい。さすがと言いますか、場所柄非常に高い防御力を持っています。堅牢且つ冗長、と言いましょうか。慎重且つ丁寧に同じ操作を数万回繰り返して、やっと突破可能な防壁が一万層に渡って展開されています。生身の人間にはほぼ突破不能と思われます。」
これも一つのセキュリティ確保方法だった。ヒトには作業できないだけの繰返し回数、只のプログラムでは突破できないパターン変更。ヒトとプログラムが共同作業を行っても、何百万回も繰り返す内にヒトは必ず間違う。
が、AIであればできる。ただし、それなりの時間は当然かかる。
「面倒を押しつけて済まないな。しかし、他に出来る奴もいない。頼む。」
「勿論、承知しております。あと1分40秒です。」
ノバグRがネットワークの向こう側で微笑みながら応える。
前回のパイニエに続いて、機械知性体として独立した個を持ったノバグとの共同作業。そのノバグも、ブラソンから与えられた命令をこなすだけの単純なプロ暗くでは無く、状況に応じて自分で判断して対応できる高度な知性体。
いや、そんな表現ではノバグに申し訳ない。彼女はすでに一つの機械知性体という生命だった。
まさかこんな日が来るとは思っていなかった。
「生命」という言葉の定義については、テランの法学者や生物学者、哲学者がよってたかってそれをなんとか確定しようとしている。
いずれにしても、新たにテラで定義される「生命」という言葉には、炭素を中心とした有機化合物の集合体であったり、物質を代謝する機能が備わっていたり、循環系や消化系が備わっていたりなどという定義を含んでいない。
原始的であれ、知性的であれ、個としての意思を持つことが生命という存在に該当する基準とされる。
勿論、銀河全体で認められる定義では無い。
銀河系全体は相変わらず、物質を代謝する有機化合物の集合体のことを生命と呼ぶだろう。彼らは機械知性体が存在することを認めない。
だがいつの日か、自分がその眼で見ることさえ叶わない遙か未来にでも、テラ以外の場所でさえノバグが生命と認められる日が来れば、それはどれほど喜ばしいことだろう。
ブラソンはノバグの作業完了を待ちながら、自分が生み出した、知性としてのみ存在する生命個体を眺めていた。
■ 4.24.2
ルナを伴った俺は、ジャキョシティの中心部近くまで移動してきていた。
流れでは、海賊の手先と判明したIDを特定した後、俺のチームとアデールがそれぞれそのIDの持ち主とどうにかしてコンタクトを取る事になっている。
それは、友好的な接触で相手を誘き出しても良いし、暴力的な接触で相手から情報を引きずり出しても良い。どちらを取るかは状況次第、相手次第と言ったところだ。
要は、エイフェに繋がる情報が何か取れれば良いのだ。
地球圏以外で初めてせんんが位に出たルナは、予想に反してそれほどはしゃぐ訳でもなかった。ただ、色々な初めて見るものに興味を示し、ウズウズとしている事は手に取るように分かった。
当たり前だろう。
俺が初めて地球圏以外で上陸を許されたとき、見るもの全てが珍しく、一緒に上陸した先輩の船員に次から次へと質問を浴びせかけ、休み暇もなく際限無しに俺から発せられる大量の質問にうんざりさせてしまったものだった。
今のルナはというと、いつもの通り無表情で、至って平静を装って俺の斜め後ろを付いてくる。見た目には落ち着いて感情の読めないルナだが、彼女を良く知る人間にしてみれば珍しくそわそわした雰囲気を身に纏わせて、しかしそれを気取られないように努めて隠しているのが手に取るように分かる。
「無理に好奇心を押さえつける必要はないぞ?」
俺の言葉に一瞬ぴくりと反応したルナが言う。
「いえ、そんな事はありません。無理はしていません。」
表情を変えずに返してくる。可愛いものだ。
「そうか。まあいい。いずれにしても、まだ作業は終わっていないようだ。無駄に歩いても疲れるだけだ。どこか座れるところを探そう。」
ブラソンからもノバグからもまだ何の連絡もない。貨物船ドーピサロークの足取りを追う作業の終わりが未だ見えていない状況だろう。
ルナをはじめとした生義体の身体は、原生地球人の身体を元に造られているとは言え、全く同じというわけではない。
食物からエネルギーを得る効率は向上しており、また怪我や病気にかかったときなどに治りが早いように新陳代謝も加速されている。細胞分列の限界、いわゆるヘイフリック限界も大きく改善されており、彼らの身体は全体的に原生地球人に比べて強靱でかつ効率の良い作りになっている。
だからといって機械ではない。運動をすれば疲れるし、腹も減る。
この後、もしかしたら暴力的な方法で情報の回収を行わなければならないかもしれないという事を考えると、今あまり動いて身体を疲れさせるのは得策ではない
例え、原生地球人そのものが平均的な銀河人類よりも遙かに強靱な肉体を持っていようとも。
性能が良くとも疲れた身体では、絶好調にある劣る性能の身体に負けることは十分にあり得る。
幸い、無頼漢達が己の欲望と利便性を追求して改造しまくったこのステーションとその内部の街は、まとまりもなく猥雑で混沌の極みといった印象を与えるが、先ほどから街並みを眺めているとそこかしこに酒場やレストランの様な店を見つけることが出来る。
それなりに雰囲気が悪くないところを選び、トラブルに巻き込まれることなく食事を摂って休息する様な場所は簡単に見つかるだろうと思った。
建物に破損の跡や汚れや落書きが目立ち、ゴミやがらくたが道の端に寄せられて放置された街並みを少し歩いて、その様な街の中でも比較的ましと思える一軒のこぢんまりとしたレストランに運良く行き当たった。
その店は、入り口こそケバケバしい派手な赤色一色で塗りたくられていたものの、通りに面した客席には大きな窓から外の明かりが差し込むような作りになっており、明るさからも開放感からも、周囲の店よりも一段治安が良さそうに見えた。
俺はルナを後ろに従え、店のドアを開ける。もちろん、手動の開き戸だ。
この手の街の店が自動ドアなどと言う高尚なものを備えていることはまずない。頻繁に破壊されるドアや窓の修理代が高く付くからだ。
「へい、らっしゃい!」
寿司屋か。
周りの街並みに比べて多少なりとも小洒落た雰囲気を漂わせた店のドアを開け、返ってきたサフド語の野太い声の挨拶に一瞬戸惑う。
この星系では本来はもちろんアリョンッラ語が用いられていたのだが、銀河中のあちこちから無法者達が「入植」してきた結果、サフド語、ベノ語、ラファス語と云った大手セクションの公用語が共通語化している。逆に不用意にアリョンッラ語を使うと、無用なトラブルを招きかねないという事前情報をアデールから得ている。
ジャキョセクションで公用語として使われているサフド語は、もちろんあらかじめロードしてある。
ただ、実用で話すのは初めてなので、多少ぎこちなさが残るだろうが、意志の疎通に問題はない。
「小腹が減った。軽い食い物と飲み物が欲しい。」
店の奥にある仕切りの脇から顔を覗けた、野太い声の印象を裏切らない外見の親父に云う。仕切りの向こうは厨房のようだ。
見渡したところ、店内に他の客の姿は見えない。
「メニューはそこな。今日はベピル・アッジャの良いのが入ってるぜ。」
親父が顎で指した先を見ると、壁にメニューを書いたプレートが幾つか下がっているのが見えた。
本当にまんま寿司屋だな。
ちなみにサフド語の文字は縦書きだ。文章は左から右に向けて書く。縦書きの言語というのは、銀河種族の中でもそれほど珍しいものではない。
しかし、縦書きの札が下がっていることで、ますます寿司屋の印象と被る。小洒落た店の雰囲気と激しくそぐわない。
メニューが並んでいるのは良いが、この星系に関して一般教養のみを慌てて押し込んだ俺の知識では、メニューを見たところでそれがどんな食い物なのか全く想像が付かない。
ルナを振り返るが、ルナも小さく首を横に振った。
「済まない。この星系は初めてで、ついさっき着いたばかりなんだ。余所者にも取っつきやすい軽い食事を二つと、おすすめの飲み物を二つもらえるか?」
メニューを理解して好みの料理を検討するという作業を放棄した俺は、正面の親父の方に向き直り、メニュー選択を親父に丸投げした。
いわゆる、本日のおすすめというやつだ。
「なんだ? 兄さん達、余所から来たのかい。道理で珍しい話し方をすると思ったぜ。あいよ。任しときな。余所者にも取っつきやすい軽い食事と飲み物が二人分、な。」
人懐こそうな笑い顔でそう返してきた親父の頭が、仕切りの向こう側に引っ込んだ。
地球に良くある食堂と同じ様な対応に、僅かながら心が和むのを感じた。
特にどこに座れと言われた訳でもないので、どのテーブルに座っても良いのだろう。
奥の壁際の、窓から外がよく見え、店に入ってくる客が眼に入るテーブルの椅子を引き出し、座る。
窓の外の通りは、まばらに人通りがある、といった程度だった。午後の早い時間、食事をするために店に入ってくる客も余りいないだろう。
ジャキョセクションでは、平均的なライフスタイルは一日二食だと、ロードした知識にある。
席に座ったところで、ルナはおもむろに辺りを見回し始めた。
店の中という閉鎖空間に入ったことで、警戒の度合いを下げたのかもしれない。
「初めての外出の、初めての食事がこんなところで済まないな。」
思わず苦笑いしながら言う。
もう少し小綺麗な街の、洒落た店で着飾ってディナーというのが理想だろうが、しかしこれが現実だ。ブラソンと二人で下船した先で飲み食いするのも、大概この様な店だ。
やって出来ないことはないが、荒っぽく粗雑な船乗りに、ドレスで着飾った女をエスコートして高級なレストランでディナーというのはいかにも似合わない。
「そんなことはありません。何を見ても物珍しく、全てが良い経験です。」
まっすぐこちらを見返したルナが言う。
「次に地球に戻ったら、少し着飾ってちゃんとした店に行ってみるか。」
「いえ、本当に気にしてません。連れて来てもらっただけで十分面白い経験です。」
表情を変えずにルナが言う。
こういう時、無表情なルナはやりにくい。本当のところどう思っているのかが、全く読みとれない。
「こんな店で悪かったな。そんな事言ってるとここじゃあ長生きできねえぜ。それに引き替え良い子じゃねえか。お前さんにゃ勿体ねえ。」
いきなり親父が横から口を挟んできた。
見れば、深めの皿が並んだワゴンを押して、親父は厨房から俺たちの方に近づいてくるところだった。
しまった。聞かれたか。
親父はしかし、それ以上憎まれ口を叩くわけでもなく、俺たちのテーブルまでやって来て皿を並べ始めた。
「あいよ。うちの名物ニョルドッカと、こっちはバムーだ。余所もんにも取っつきやすい味だぜ。」
そう言って親父は、ニョルドッカと呼んだ皿と、バムーという名前らしい飲み物が入ったコップを二つずつ、俺たちのテーブルに置いた。
ニョルドッカは見たところ、野菜と肉の様なものを一緒に入れたシチューの様に見えた。香辛料のようなものが入っているらしく、少し独特な匂いが立ち上ってくるが、いやな匂いではない。
バムーという名の飲み物は、少し赤みがかった薄茶色で、甘い香りを漂わせている。
「済まない。悪気はない。彼女は今回初めて船に乗ったんだ。」
「おう、そりゃおめでとさん。確かに、初めて他の星に行って、初めてのメシがこんな店じゃあいかんな。お前さん、もうちょっと甲斐性のあるところ見せねえと、こんな良い子に逃げられっちまうぞ。」
まんまどこかの下町の寿司屋にいるような気がしてきた。
「ご忠告素直に受け止めておくよ。次はどこかの高級なレストランにでも行くさ。」
俺の返事を聞くと、親父は豪快に笑いながら俺の背中をバンバンと叩く。
力任せに叩いているのか、地味に痛い。
そのとき、短い警告音とともにレジーナの声が頭の中に響いた。
「マサシ。その店に接近する集団があります。推定十人。ID帰属不明、武装不明、脅威度不明です。情報収集がまだ追いついていません。申し訳ありません。」
レジーナの声に、窓の外に眼を走らせると、先ほどまでまばらな人通りがあるのみだった通りの物陰に、数人の男がたむろってこちらを伺っているのが見えた。
高級レストランどころか、ささやかな名物料理の食事も摂れそうにないことに気づいた。
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