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第四章 Bay City Blues (ベイシティ ブルース)
5. 奴隷の男
しおりを挟む■ 4.5.1
「ホールアウトまで6時間13分です。」
ルナの冷たい声が告げる。
たった一光日のジャンプだが、ホール突入時の速度が余りに遅かったので、相当な時間がかかってしまうようだった。
それでも取り敢えずあと六時間は追っ手の事を考える必要は無いようだ。
仕事が終わったわけでは無いが、ひとまず一息付く事が出来ると分かって、俺は緊張していた肩から力を抜いて、大きく息をついた。
「レジーナ、コントロールを返す。You have。」
「諒解しました。I Have。ところでマサシ、先ほどの行動には何か意味が?」
「先ほどの行動とは?」
「ボシュエテー表面に撃ち込んだミサイルの粉塵と大地溝帯の中に隠れて、ホールインする直前に反応弾をばらまいた事です。」
「ああ。地球軍から、この船がホールドライヴを持っている事を極力他に悟られるな、と言われている。大地溝帯で、ミサイル爆発の粉塵の中でホールインする事で少しは誤魔化されないかな、と、ね。ホールイン直後にでかい核爆発を起こす事で、レジーナが大地溝帯で壁に接触するか何かして事故で爆発したように見せかけたかったわけだ。」
「無理でしょうね。」
一瞬の間の後、レジーナが言い放つ。
「無理じゃの。」
「無理です。」
ニュクスとルナが追い打ちをかける。
お前ら、そんなけんもほろろに切り捨てなくても。
「ホールドライヴはかなり特徴ある重力線を放出します。加速時のジェネレータの重力線パターンとは全く違いますし、ジャンプ時のものとも違います。何か特殊な事をやったのはバレていると思います。もし相手側に、地球艦隊との交戦経験があれば、ホールドライヴの重力線パターンはライブラリ化されているかと思われます。」
と、レジーナが解説する。
「・・・ダメかな。」
「ダメだと思います。」
「ダメじゃの。」
「ダメですね。」
また三人に否定される。
「いいよ、もう。アデールの上司に言われたのは、『ホールドライヴを使っているところを見られるな』だったからな。直接見られていないから、一応条件には合ってる。」
「それは、屁理屈だと思います。」
ルナがバッサリと切り捨てる。お前、俺に何か恨みでもあるのか。
コクピットにいてもどんどん立場が悪くなっていくだけの様な気がしてきた。気分を変えて、顧客メンテナンスでもしよう。
話さなくてはならない事もある。
「ちょっと外す。積み荷の様子を見てくる。」
システムからログアウトし、現実の視界を取り戻す。
全員がシステムにログインしていることから、不要である照明がほとんど灯っていない薄暗いコクピットの中に、僅かなランプ類の明かりに照らされて、リクライニング気味のシートに座る他の三人の姿がぼんやりと浮かぶ。
足下に注意しながら立ち上がった俺に、横から声がかかった。
「ブラソンは連れて行かないのですか?」
ルナがこちらを見ていた。
俺達ヒトは視野を一つしか持つことが出来ないので、ブラソンのインターフェースを使うと、自分の肉眼からの視覚情報にいくらかの情報ウィンドウを浮かべる程度の通常AAR画面か、操船用に特化された全周船外映像のどちらかを選択しなければならない。
これは完全に二者択一の選択であり、両方を同時に視覚に投影する事は出来ない。
人間の脳の視覚野の仕様で、同時に二つの視野を区別して認識することは出来ないからだ。無理に両方表示すると、両方の映像が重なって表示されて、何がなにやら分からないことになる。
簡単に言うならば、人間の脳は1画面しか認識出来ない様になっているところを、ブラソンのシステムとバイオチップの機能で2画面を切り替えながら使っている状態、と言えば良いだろうか。
無理に同時に2画面を同時に表示しようとしても、表示先は1画面しかないので、映像情報がごっちゃになってしまい、認識できるまともな表示でなくなってしまう。
勿論、操作性や応答性の問題から、操船中は全周船外映像をベースに情報ウィンドウを浮かせる操船用映像を使う事になるので、操船中は自分の肉眼が捉えるコクピットの中の風景を同時に見ることは出来ない。
しかし、生義体であるルナやニュクスは違う。
元々機械制御などの作業を同時並行して行うことを想定して設計されている彼女たちの脳は、複数の視野を同時に認識する事が可能だ。
つまり、今俺と互いの顔を見ながら話をしているニュクスは、同時にレジーナ操縦用のAAR画面を見ているし、多分他にも幾つかの作業を同時並行しているだろう。
「ああ。まずはさっきの鬼ごっこの事態報告と、ご機嫌伺いだ。向こうがこっちの話を聞いてくれそうな雰囲気なら、例の件を切り出そう。」
「分かりました。それではご武運を。」
ルナが暗闇の中、ほのかな明かりを反射して、まるで赤い光を纏ったような瞳をこちらに向けて、俺を真っ直ぐに見ながら言った。
武運?
最近、ルナの言葉遣いが徐々におかしな方向に向かっているような気がするのだが、気のせいだろうか。
いやまてよ。
もしかしてあの年若いデピシャノ人は怒髪天を衝くほどに激怒していて、俺が部屋に入るなりバトルになるような状況なのだろうか?デピシャノ人と格闘する事は避けたいのだが。特に自分の船の中では。
果たしてイベジュラハイの部屋のドアを開けると、彼は水槽から出てソファに座っていた。
もちろん部屋のソファは、イベジュラハイがこの船にチェックインするよりも前に、デピシャノ人が腰掛けやすいようデピシャニカで調達した背もたれ無しのものに交換してある。
「国籍不明艦との間で戦闘になったようですね。」
どうやら、先ほどのコメントはルナ流のジョークか、もしくはルナが中二病を発症している初期症状のどちらかの様だった。イベジュラハイは落ち着いた雰囲気で話しかけてきた。
もっとも、怒り心頭のデピシャノ人がどういう状態なのか見た事は無いが。もちろん、見なくて済むならそれに越したことは無い。
「問題無い。上手く切り抜けた。分かっているだろうが、ゼセリゼイエに到着するまでの間に同様のいざこざが何度も発生する可能性がある。それは承知しておいてくれ。」
「はい、分かっています。元はといえば自分が招いた事であり、逆にこの船の皆さんにご迷惑をおかけしているというところまで理解しています。ご面倒をおかけしてしまいます。」
イベジュラハイと話していると、デピシャノ人が怒りを露わにするという事などないのではないかと思えてくる。もちろん、そんな事は無いだろう。
この若い貿易商が、至極丁寧且つ低姿勢な態度を取っているだけなのだろう。この男は、そうやって年若いうちから商売を成功させてきたに違いなかった。
「それについては、こっちも承知の上で仕事を受けている。その分あんたは高い輸送費を払っている。そうだろう?
「現在、エグネス・ポイントまで移動中だ。色々あったので予定よりも少し時間がかかるが、エグネス・ポイント到着にあと三日弱かかる。その後、星系外に向けてジャンプする。」
レジーナに窓は無い。レジーナが現在ホールジャンプ中である事を確認する方法は、船外の映像を見るくらいしか無い。しかしホールジャンプ中は、乗客用キャビンを含めた一般エリアから眺められる船外映像には、通常空間の合成映像を流している。
「分かりました。いずれにしても私に出来る事は、荒事になった時には皆さんに迷惑をかけない様に、黙ってこの緩衝水槽の中に入っている事くらいだと理解しています。」
「程度の良い乗客を乗せられて嬉しいよ。こちらも不都合の無いよう最大限の努力はする。」
「お気遣い痛み入ります。」
思っていたよりも、随分落ち着いた雰囲気で話をする事が出来た。
ブラソンの件を切り出すなら、今だろう。
「一つ、相談したい事がある。仕事の話じゃない。この船のクルーの個人的な話だ。」
「ご相談、ですか?何でしょうか?」
イベジュラハイの頭が少し動いた。触覚が見た事のない動きをしている。
多分、俺たちヒトで言えば、今奴は怪訝そうな表情をしているのだろう。
「妙な話で気を悪くしないで欲しいのだが。あんたが使役している奴隷なんだがね。二人のうちの一人、黒髪の方の奴隷が、どうやらうちの航海士の知り合いのようなんだ。それなりに親しくしていた友人のようでね。うちの航海士が故郷(くに)を離れた後に奴隷落ちしたようだ。彼の家族はどうしているのか、気になっているらしい。うちの航海士と少し話をさせてもらう事は出来ないだろうか。」
法で定められた奴隷階級は、あくまで刑罰であるので家族までが奴隷落ちすることはまず無い。そして、奴隷落ちしたものの家族を、友人や知り合いが面倒を見るという話はままある様だった。
偶然知り合いの奴隷に行き会う、というのは珍しいだろうが、奴隷となった友人の家族の事が気になる、というのは別段珍しい話でも無いだろう。それ程無茶な相談をしているとは思えなかった。
「航海士の方と仰いますと、一緒にお出迎え戴いたブラソンさんですね。ええ、構いませんよ。もちろん、監督者としてお話しの場に同席させて戴かねばなりませんが。」
奴隷を使役するという事は、買った奴隷の主人になるというだけではなく、受刑中の奴隷の監督者になる、という意味でもあった。
当然監督者にはそれなりに信用のおける人物が選ばれるし、監督責任というものが発生する。
昔の悪い仲間とたまたま行き会って悪だくみをして、脱走した上にまた犯罪に走る、等と云う事の無い様に監督しなければならない。
もちろん、そのような事が発生しない様に安全装置も設けられている。それが、バイオチップを用いた思考制御(メンタルブロック)であり、この措置を行えば監督者の負担はぐっと軽くなる。
それでも、安価な労働力としての奴隷を使役する代償として、監督者としての負担はやはりそれなりに大きい。
イベジュラハイが奴隷を二人も使役していると云う事は、その監督者としての負担を考慮した上でも安価な労働力が欲しかった、即ち、彼がそれなりに金に困っているのだろうと想像できる。その点については、実際に金が無くて護衛船団を雇えなかったのでこの船に乗っているのだから、想像も何も事実である事を良く知っている。
また同時に、奴隷の監督者を任されるほど、この男はデピシャノにおいて社会的に信用のある立場にあるのだと云う事も分かる。
そのような立場にある者が、殆ど全財産を注ぎ込んで打って出た大取引だ。今、レジーナに積んであるデピシャナイトは、相当に品質の高い良品なのだろう。
これは、ゼセリゼイエに到着するまでに相当な回数の襲撃を覚悟しなければならないだろうな、と思った。
それはさておいて、だ。
「その点については、俺もブラソンも理解している。全ての会話を録画してもらっても結構だ。」
「いえ、そのような失礼な要求までするつもりはありません。監督者として、問題のある会話が無かったことさえ確認出来れば結構です。
「今、彼には当然思考制御がかかっています。お話しの際には、法で許される限りの思考制御解除を行いましょう。私も、旧友の家族の安否を心配する人情ある方の邪魔をする様な、野暮な真似はしたくはありません。」
どうやら、イベジュラハイに対する俺の評価を改めねばならない様だった。
この男は、監督者を任されるほどに清く正しく、そして奴隷の友人関係を考慮するほどに情が深く、そして一世一代の大博打を打てるほどに剛胆な心の持ち主の様だった。
この取引を成功すれば、この男は相当な商人になるのだろう。そんな気がした。
「配慮感謝する。さっきの艦隊をまいたので、しばらくは障害が発生することも無いだろう。平和な今の内に終わらせてしまいたいが、良いだろうか。良ければ一時間後、場所は、ダイニングルームで。」
「結構です。では、一時間後、ダイニングルームで。」
俺はイベジュラハイの向かい側のソファーから腰を上げ、客室を出た。
喉の渇きを覚えて、キッチンのストッカーに冷やしてあるコークを取り出し、自室に持ち帰って封を開けた。
その道すがら、状況についてブラソンに説明した。
ブラソンからは、感謝する、と返事が来た。
喜び、戸惑い、不安、そして困惑が混ざり合って、ブラソン本人もどうすれば良いのかよく分かっていない、そんな風に聞こえる感謝の言葉だった。
■ 4.5.2
一時間後、ダイニングテーブルに座る俺たちの前で温かいコーヒーが湯気を立てていた。
イベジュラハイの前には、これもまたデピシャニカで入手したという別の飲み物があった。
「まさか、デピシャノの船以外でゲッキが飲めるとは思っていませんでした。しかもこれはかなり良いものですね。素晴らしい風味だ。」
イベジュラハイがゲッキと呼んだ飲み物は、地球で言えば紅茶かコーヒーに相当する様な、一般的に広く飲まれているが、品質によって風味に大きな差が出るといった飲み物である様だった。
そしてどうやら当たりを引いた様だった。顧客の満足度は、次の商売に繋がる重要な案件だ。
因みに、これらデピシャノ人の飲食物や嗜好品をデピシャニカで買い出しに出たのはアデールだった。さすがと言うべきか、細かな情報まで良く通じている事に俺は納得しつつも少々驚いていた。
テーブルに着いているのは、ブラソン、俺、ルナ、イベジュラハイ、そして彼の奴隷の五人だった。
コーヒーとそのゲッキと呼ばれる飲み物が出揃うまでに、ブラソンとその奴隷の男の繋がりについては簡単にイベジュラハイに話してあった。
当然非合法なものが多かったであろうブラソンの仕事についてもある程度説明はしてある。そして今、ブラソンがその仕事から足を洗っていることも。それらを踏まえた上で、これからの時間にそのような非合法な話をするつもりが一切無いことも。
監督者という役割を担うイベジュラハイは、そのような非合法な事柄全てを忌み嫌う可能性もあった。ブラソンとその奴隷の繋がりについて先に知らせておかなければ、話の途中で打ち切られる可能性もあった。
幸いにもイベジュラハイは、ブラソンの過去の職業と現在足を洗っていることについて理解を示した。その辺りも含めて、監督者となる者の資質なのだろうと思った。
「急なお願いであった筈なのに、これほどまでに気配り戴けるとは、これはこちらも相応の配慮をせねばならないでしょう。
「準備よろしければ、バディオイの思考制御を解除致します。よろしいですか?」
気配りとは、この船がデピシャノ人乗客に配慮して高品質なゲッキを用意していたことについてだろう。
そしてその奴隷の名は、バディオイと言う様だった。
ブラソンがイベジュラハイを見て頷く。
イベジュラハイが手元に置いていた小さな端末を取り上げて操作する。多分その端末は、パスキーを生成するトークンの様なものだろう。
しばらくして、焦点無くダイニングテーブルの上の一点を眺めていたバディオイの眼に意思の光りが点る。
バディオイは視線を上げ、辺りを見回した。
テーブルに着き居並ぶ者に気付いて、視線はその顔を一人ずつ確認する様に動き、そしてブラソンの顔の上で止まった。
「ノバグ・・・っ。」
バディオイの口から、思わずこぼれたという風にブラソンのハンドル名が漏れ、そして思わず漏らしたそのハンドル名を人前で呼ぶことの拙さにすぐさま気付いて、顔をしかめて口を閉じた。
「大丈夫だ、アネム。大丈夫だ。今ここにいる面子は、全て知っている。問題無い。心配するな。」
見知らぬ環境の中で突然意思を戻され、状況の把握が出来ずに不安定になりかけるバディオイにブラソンが声をかけ、落ち着かせようとする。
アネムというのは多分、ブラソンと同じ職業であったというこの男のハンドル名なのだろう。仕事上の繋がりであるならば、お互いその仕事上の名前で呼び合っていたのだろう事は想像に難くない。
「どうなっているんだ?ここはどこだ?」
落ち着かない表情で辺りを見回しながら、パイニエ語で喋るバディオイはブラソンに状況の説明を求めた。
ブラソンは、今の自分の仕事や、イベジュラハイの奴隷としてバディオイを見かけたことなどを手短に彼に説明する。
奴隷として思考制御されているとは言っても、周囲の状況を全く把握できていないわけでは無いらしい。主人の命令に従って行動している間も、僅かながらも周囲の事柄については把握しており、それはうっすらと記憶に残っている様だった。
ブラソンの話を聞くに従い、徐々に状況を把握して納得できたのか、明らかにバディオイに落ち着きが戻ってきた。
「教えて欲しいのは、お前の家族のことだ。今どうしている?カミさんとまだ幼い娘がいると言っていただろう。お前が最後に聞いた消息はどうなっている?力になれるかも知れない。教えて欲しい。」
ブラソンはゆっくりと落ち着いた口調でバディオイに語りかける。
バディオイは、まるで自分の記憶の迷路の中から正しい記憶を掴もうと苦闘しているかの様に、顔をしかめてテーブルの表面を見ていた。
そんなバディオイが、まるで喉から声を絞り出す様に言った。
「カミさんは、別れたよ。犯罪者の妻なんて冗談じゃ無い、とさ。娘は・・・娘は、ああ、エイフェ。ううう。」
多分娘の名前なのだろう。エイフェという名前を呟き、バディオイがテーブルに肘をついて頭を抱える。
嗚咽する様に呻き娘の名前を呼び続けるバディオイの、両腕に隠されて表情の見えない顔から光るものがテーブルの上に落ちるのが見えた。
少し長い、込み入った話になるかも知れない、と思った。
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