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第三章 Cjumelneer Loreley (キュメルニア・ローレライ)
18. 監視
しおりを挟む■ 3.18.1
シャルルのドックでの整備は順調に進んだ。
結局、あれからニュクスはアンリエットが納得するまでレジーナの船内に止められてしまった様だった。しかし数時間後ニュクスが船から出てきたときには、二人ともなぜか妙に意気投合しており、ニュクスも上機嫌だった。
ニュクスとしては船の構造や機能についてアンリエットと存分に話ができたことが楽しかったようで、片やアンリエットと言えば、今ではもうあまり知られていない三十万年以上前の技術についてニュクスや機械群から色々と情報を仕入れることができたので上機嫌であるようだった。
そのような古い技術を知ってどうするのだろうかと思っていたが、アンリエットによると、古い技術には現在の技術の基礎が含まれていたり、何らかの理由で用いられなくなった別枝の技術を発見したりして、それはそれで勉強になるのだそうだ。
レジーナに乗ってからこっち、次々と船に改造を加えていることから、船が好きなのだろうとは思っていたが、アンリエットとこれほどまでに意気投合するとは思いもよらなかった。今は生義体の形をとっていても、やはりニュクスは元々船のAIから派生したのだということを再認識した。船に関する話をしているのは楽しいのだろう。
紹介する間もなくニュクスがシャルル造船所の面々と打ち解けてしまい、これはありがたい話だった。
アンリエットがそこまで気を回してくれたのかどうかは判らないが、相手が機械のAIとのことで、造船所の皆は接し方について少々及び腰になっていたところがあったようだ。
それがアンリエットの荒っぽい対応と、それに普通に対応しているニュクスの受け答えを見て、色々な疑問や疑念が全て氷解した様だった。
またニュクスと、彼女が改造したレジーナはシャルル造船所に新しい技術をもたらした。
レジーナに据え付けられた分解フィールドとエントロピー機関は、地球では余り用いられているものではなく、彼らにとって実物を見るのはこれが初めての経験だった様だ。
分解フィールドはともかく、エントロピー機関はエネルギー資源に乏しいベルター達にとっては有用なもので、居住星のエネルギー事情をかなり改善できる見込みだとアンジェラが太鼓判を押していた。
木星や土星星域であれば、それぞれの主星から大量の物資供給を受けることができるが、岩の集団でしかないアステロイドベルトでは少し事情が異なる。
勿論、アステロイドベルトにも水は存在するが、それらはまず人類の生命維持活動用に用いられ、燃料として供給されるものは殆ど無い。燃料用としての水は木星圏や土星圏から購入せねばならない。
宇宙空間でまとまった量の水と云うのは貴重品の部類に入る。ましてやそれが生命維持維持や燃料として用いられるものとなれば、足元をみられて法外な値段で売り付けられるのは割りと良くある話らしかった。
エントロピー機関抜きで物質変換によって燃料としての水を生成するのは愚の骨頂であるため、アステロイドベルトでは常に水不足と言って良い状態となっているようだ。
この状態のアステロイドベルトにエントロピー機関を導入すれば、エネルギー事情を大きく改善することが可能となる。
人類の活動のありとあらゆる部分から発生するエントロピーとしての熱を逆転してエネルギー化可するのがエントロピー機関だ。そのエネルギー量はアステロイドベルト全体を賄うにはほど遠いが、常に水に汲々としている彼らの生活を大きく改善するには十分だとの事だった。
ベルターにエネルギー革命の恩恵をもたらしたからというわけではないが、ニュクスはシャルル造船所の面々に受け入れられていた。
どうやら最初は機械の生義体ということで恐る恐る近づいてみて、話をして見れば地球産の生義体と何ら変わりが無いことから逆に一気に距離が縮まる様だった。
シャルル造船所の面々は、地球の生義体開発に実はいつの間にか機械達が混ざり込んでいた、ということを知らない。だから彼等にとってみれば、機械の生義体のメンタリティーとも呼べるものが、これほどまでに地球産のAI、つまり自分たちに似通っていることは驚きでもありまた、嬉しい事でもあるようだった。
ニュクスだけでなく、ブラソンの相棒であるノバグも同様に受け入れられていた。
ノバグの場合はその生い立ちが余りに特殊であり、さらに個人開発のAIであるにも関わらず市民権を得るための知性審査を受審しようというその境遇が共感を集めたようだった。
勿論、ノバグの性格がブラソンの理想に沿ってとてもしとやかで従順であり、人当たりも良いという事も大きく有利に作用しているのだろう。
そして実はもう一人いる。
前回この造船所を出ていったときには、ルナはあくまでレジーナAIが利用する生義体端末でしかなかった。しかし、キュメルニアガス星団での一件により、レジーナAIからのコピーではあるものの一個の独立した人格を持つ生義体となった。
今では、比較的落ち着きのあり理知的な性格になっているレジーナAIと、感情を余り表に出さず、レジーナに比べると少々幼い感じのルナという風に、それぞれに異なる個性も見えている。
機械知性体は、ヒトに比べて人格のコピーが取り易いということもあり、稀にルナのような生い立ちを持つ個体も発生する。しかし、機械群の集合知性に侵食され、緊急退避的にルナという生義体の中に逃げ込むしかなかった彼女のエピソードは、そもそもキュメルニア・ローレライ探索行の顛末のストーリーと合わせて、造船所の面々から何度も話をせがまれるほどの人気の「コンテンツ」となった。
その方面に手慣れたシャルル造船所の事務方のスタッフの手助けによって、ルナの市民登録は無事終了し、俺はレジーナという船のAIと、ルナという生義体AI二人の家族を持つようになった。
同様に造船所のスタッフと機械達の強力なバックアップを得て、ノバグも無事に知性審査をパスし、「地球生まれの」AIとして市民登録された。
ブラソンはパイニエ人であり、地球に戸籍を持っていない。どうやってノバグを市民登録するのかと思えば、外国からやってきて太陽系で就労している在地球就労外国人の所有するAIとして登録されていた。
どうやらそういうパターンはままあるらしかった。
■ 3.18.2
地球軍情報部から連絡があり、レジーナから取り外したホールドライヴデバイスの受領と、依頼の完了に伴う支払い契約の締結のために情報部の人間をシャルルの造船所まで送って寄越すということになった。
同時に俺に用があるので、支払い契約締結は必ず本人が実施すること、という条件を付けてきた。
それほど大きくもないデバイスユニットなどいつでも取りに来れば良いし、支払い契約の締結などネットワーク上で行うのが常識だ。
「現実空間にて本人立ち会いのもとで」契約を締結する、という条項など嫌な予感しかしない。
果たして、情報部の指定した当日にシャルル造船所に乗り込んできたのは、予想に違わずアデールだった。
前回と同じ会議室で、前回と同じ位置に座って俺を迎えたアデールに、今度はこちらから先に痛烈な一撃を食らわした。
「よう、お漏らし女。おむつは取れたか。言いつけられたお遣いはちゃんと出来た様だな。で、今度は何だ?」
ナイフを抜くか銃を向けるかと思っていたのだが、顔を真っ赤にしてこちらを睨み付ける以上のことは仕掛けてこなかった。
「マサシさん。女性に対してそんなことを言うもんじゃありません。」
シャルルと共に脇に座っていたアンジェラが俺を嗜める。
ちなみにシャルルとアンジェラが座っているのと向かい側には、ルナが座っている。
多分、ルナの隣は俺の席なのだろう。だから、アデールの向かい側の今の場所に立ち続ける。
「あんたみたいないい女ならな。人を見かけたら喧嘩を売るしか能の無い、十代のガキの様なクソ女にはこれで十分だ。契約書を出せ。サインしてやる。それとデバイスを持ってさっさと地球に帰れ。」
アデールが何も言わない。おかしいな。
「マサシ。それでも相手は依頼主だ。相応の敬意は払うべきだ。」
シャルルがうんざりという顔で言って寄越す。多分シャルルには俺の次の台詞が想像付いているのだろう。
「シャルル、あんたの言うのが正しい。だから俺は相応の敬意を払った。それをハナから踏み躙ったのはこのクソ女だ。
「そもそも軍の情報部の人間だと言うだけで気に入らないんだ。それでもアンタの顔があるから仕事を受けた。ガキっぽい我が儘じゃない。軍や政府が寄越す仕事というのは、導火線が短か過ぎて命が幾つあっても足りやしねえ。
「こっちは仕事の態度で対応した。ところがこいつは人を見下す様な態度を取ってまともに話をしようとしなかった。その割りには、てめえの命が危うくなると泣き叫んで小便漏らして最後は失神だ。
「はっきり言う。俺が一番嫌いな部類の人間だ。二度と顔を見たいとも思わないし、金輪際てめえとてめえの職場の仕事を受ける気は無い。だから契約書を出せ。サインするから今すぐ俺の前から消えろ。」
「あのな、マサシ。この会議室はライブで彼女の職場の会議室と繋がっている。彼女の上司がこの場に来れなかったからだ。」
「それがどうした。この女の立場がどうなろうと、俺には関係ない。」
「お前、まだ報酬を受け取っていないんだろう。」
「そうだな。踏み倒したければ踏み倒せばいい。俺がやることは、政府機関が支払いを踏み倒したことを銀河中で言いふらすことと、地球政府の仕事を二度と受けない決意を新たにするだけのことだ。」
「どうやら、不幸な過去が彼女との間にあったようだ。彼女の態度が不適切なものであったようだ。その点については謝罪する。その上で話を聞いてはもらえないだろうか。」
部屋のスピーカーから落ち着いた男の声がした。アデールの上司という男か。
「部下の躾がなってないようだな。いずれにしてもこれ以上あんた達から仕事を受ける気は無い。話をするだけ無駄だ。」
格好付けているわけじゃない。
もともと国家権力だとかそういうものが嫌いだった上に、ハフォンでの事や、今回の件だ。政府がらみの仕事はやばいことが多すぎる。
アデールの件を抜きにしても、冷静に考えて、このまま連中の持ってくる仕事を受け続ければ、いつか命を落とすことになるだろう。
俺は星々の大海を船で渡り歩くのが夢で船乗りになった。決してスリル溢れる刺激的すぎる人生を送りたいが為ではない。
今までは運良く生き残れた。だがこれからもそうだとは限らない。やばい話には近付かないに越したことは無い。
「その点については返す言葉もない。申し訳ない。達成報酬の支払いの件もある。そしてやはり、また君にお願いしたいこともある。過去の経緯から君が気分を害しており、また政府がらみの仕事から危険を覚えるのはもっともな事と思う。だがそれでも聞いて欲しい。君自身の安全と、ご両親の安全に関わる話でもある。」
「また脅しか?聞き飽きたよ。あんたの所のお偉いさんにこの間返答したはずだが?」
これも連中の嫌なところの一つだ。すぐに家族の身の安全を持ち出してきて、こちらを脅そうとする。やくざと同じだ。
「いや、脅しではない。まじめな話だ。聞いておいてもらった方がいい。我々が君のご両親の安全を守っている話だ。」
なんだって?
今の言い方ではまるで、地球軍の情報部が俺の両親を他の誰かから守っている様に聞こえる。
「・・・どういう意味だ?」
「勿論、君の実家についてはとっくに調べが付いているのは承知しているだろう?君は、ちょっと有名になりすぎたようだ。
「もともと君は、数少ない地球人民間パイロットとして少々注目を集める存在ではあった。さらに船を失くして仕事にあぶれた。エサをぶら下げればすぐに食いつく様な地球人のパイロットだ。色々な組織が君に興味を示していた・・・君は気付いていなかった様だが、な。
「結局は、ハフォン情報軍が上手く君を釣り上げた。あれは見事な手際だった。そして君にとっても幸運だった。君を狙っていた組織の中では、多分最も誠実で正直な連中だった。」
「そこには地球軍情報部も含まれていたのか?」
「勿論だとも。」
「地球軍情報部は、ハフォン情報部ほど正直じゃ無い、と。」
「我々は自分達が正直者であるなどと自惚れるつもりは無い。必要に応じて汚い手も使うし、裏切りもする。民間人を手先に使って、死ぬ寸前まで追い込んでしまうこともあれば、殺してしまうこともある。」
そうだな。今回は絶対に死んだと思った。
「納得した。続きを。両親の話だ。」
「君も良く知っている様に、ターゲットの身内を人質に取るのは常套手段だ。今回我々はその方法を採るつもりはないが。ああ、数日前私の上司が君の気に障ることを口走った件に関しては謝罪する。あれは我々の本意ではない。
「君を引き入れようとした組織の多くは、しかしその手を使おうとした様だ。君が前の船を失ってから今日までの約一年間で、君の実家の近くで不振な人物を排除した件数は十五件になる。そのうち何件かは、我々の方でも身元を掴んでいるエージェントだった。我々は、その十五件全てが君を引き入れようとする組織の動きだったという結論に至っている。民間、政府分け隔てなく、だ。」
納得できない。
いろいろな疑問が頭に浮かんでは消える。。
「あんたの話には納得できない点がある。なぜあんた達は俺の両親を守っているんだ?」
男は一瞬の沈黙の後に答えた。
「理由は二つある。ひとつは、我々の縄張りで他の組織のエージェントに好きにさせるわけにはいかない、という点。
「そして、今回我々は君にお願いしたい事がある。しかし君は先ほど自分で言ったように、政府関係、軍関係の依頼を受けたいと思ってはいないという事と、我々が君に何かを依頼しようとしても、君にとって魅力的な報酬を準備できない、という点だ。
「君は、ニュクスという心強い見方を得てしまった。アデールの報告によれば、彼女はナノマシンを操り、そして機械の持つ膨大な知識にアクセスすることにより、君に対してありとあらゆるものを提供できる。つまり君は、間接的にではあるが、もう金に困っていない状況にある。そんな気みに、嫌われている我々が何か魅力的な報酬を用意することなどできはしない。
「唯一我々の取りうる手が、君に先に恩を売っておき、その対価として我々の願いを聞いてもらう、というやり方だ。」
それではつじつまが合わない。
男は、俺の両親のことを少なくとも一年以上監視し、保護してきたと言った。しかし俺がニュクスに出会ってまだ半月しか経っていない。
「あんた達が俺の両親を監視し始めて少なくとも一年以上経っている。しかし俺がニュクスと知り合ったのはほんの半月前だ。話に穴があるぞ。」
俺としては、連中がたぶん答えにくいだろう点を指摘したつもりだった。
だが、男は事も無げに軽い口調で俺の質問に答えた。
「簡単なことだ。君は約十五年前、ある夜思いついてバスバ船籍の船に密航してからこっち、ずっと我々の監視対象だった。それだけのことだ。」
男のその答えに、金槌で頭をぶん殴られたような気がした。
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