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第三章 Cjumelneer Loreley (キュメルニア・ローレライ)
19. 地球の女スパイ
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「俺を、ずっと監視していたと云うのか?」
しばらくの沈黙の後、俺は喉の奥から絞り出す様に言葉を吐き出した。
大きな衝撃だった。
国家や、組織と云った煩わしいものから自由になったと思ってやってきた。関わり合いを持ちたくないと思って生きてきた。
その俺を、事もあろうに諜報機関がずっと監視していたと言う。
勿論、俺自身そんな監視に気付いたことはないし、気配を感じたことすら無かった。
「監視、と云う程大げさなものでは無いがね。しかし事ある毎に君の動向を確認はしていたよ。」
「何故俺なんだ。俺はそんなものに関わり合いにならない様にやって来た。事実、ここ半年以前、関わったことも無い。この半年にしても、仕事の依頼を受けただけだ。監視の対象となる様なことはやっていない。」
自分でも気付かないうちにきつく奥歯をかみしめていた。
それは、連中から注目されていたという嫌悪感、知らないうちに監視対象とされていたという恐怖感、それに気付かなかった自分への悔しさ、そのようなものがゴチャゴチャに混ざり合った酷い感情だった。
「知っている。君のデータファイル全てがそれを示している。国家や組織に所属することを大変嫌う為、不用意に接触してもまともに交渉できない、とある。だから我々もこれまで君に接触したことは無い。
「君自身はそうかも知れない。しかし、そうは言っておれない状況に陥れられて、絡め取られる可能性がある。いやむしろ、どの組織もそのやり方を狙ってくるだろう。
「事実、先ほど言った様に、この一年で十五件の不審者排除行動が君の実家の周辺で発生した。色々な組織が君を絡め取ろうと狙っている証左であると言って良いだろう。
「君自身はそうしたいと思わなくとも、両親や兄弟を人質に取られ、その命をちらつかされたならば、その連中の言うことを聞かなければならなくもなる。そういう状況に君が陥れられてしまうことを警戒していたのだよ。」
何も言えなかった。
幾ら、あらゆるものから自由になったと言い張っても、両親を人質に取られて見殺しにすることは出来ないだろう。例え今ではメッセージの一本もやりとりしなくなったとは言え、やはり親は親だった。
日本の片田舎で平和に商売をしている両親のあの店が、ある日武装集団に押し入られ、破壊され、両親ともに拉致される姿は想像したくない。
両親では無く、妹かも知れない。
どこだったかのエンジニアと結婚して、いまではヨーロッパの連邦政府下部組織の研究機関に居ると風の噂に聞いた。
両親も妹も、家を出て以来十五年会っていない。だからといって記憶から消えてしまったわけでは無かった。
ふと見上げた視線がルナと絡んだ。
ルナは表情を変えずに、軽く頷いた。
つまり、この男が言っている「十五件の不審者排除行動」について、ネットワーク上で何らかの裏付けが取れたと云うことなのだろう。
「我々が最も危惧しているのは、そのようにして敵対する組織に絡め取られた君が、地球とその同盟国に対して不利益な活動を行うことだ。
「君のパイロットとしての腕と、地球人としての戦闘能力と、船乗りとしての経験を合わせれば、事によると看過できない重大な破壊活動を行うことも可能だと見ている。
「事実、君はハフォンにて、相棒達とたった三人のチームでクーデターをひっくり返した。この事実はとても大きい。君にとっては単なる大きな儲け話だったのだろうが、我々にとっては君を要注意人物とするに足る驚愕すべき事なのだよ。
「そしてその事実が、色々な組織の動きを加速させた。そしてそれは我々も同じだ。だから今回、こうやって君に接触することとしたのだ。
「種明かしをしてしまえば、キュメルニア・ローレライのデータ取得など、はっきり言ってどうでも良い口実に過ぎなかったのだ。想定外に大事になってしまったが、ね。」
つまり、キュメルニア・ローレライの調査依頼はただの形式、俺に接触するための繋ぎの口実で、本命は俺に接触し、そして管理下に置くことだったわけだ。
逃げ切れないな。
こうやってアデールの上司が出てきたと言うことは、連中には俺をコントロール出来る目処が立ったと言うことだろう。
しかし、諦めるつもりもない。
頭の中を入れ替えて、いつの間にか自分を縛り付けていたこの見えない蔓から逃れる方法を考えなければならない。
そしてもう一つ。
男は、俺をキュメルニア・ローレライの探索に送り出したと言った。
ニュクスは、機械達は俺に目を付けていてキュメルニア・ローレライに呼んだ、と言った。
どちらも結果的には同じだが、事の起こりが決定的に異なる。
機械達が俺を呼んだのも、男が言うところの「他の組織からの接触」であるのは良いとしよう。
では実際に、俺をキュメルニア・ローレライに送り出したのは誰だ。地球軍情報部のはったりの依頼なのか、機械達の策略なのか。
どちらでも良いことだと、無視してはならない気がした。
「大筋は分かった。で、あんた達としては、何と交換条件に何を俺にやらせたいんだ?」
「ふむ。本当に君は話が早くて助かるな。噂に聞いたとおりだ。」
「出来ることと出来ないことがある。事によっては、例え肉親の安全を切り捨ててでも断る。」
できる限りの感情を抜いた冷たい声で俺は言い放った。
出来るはずがない。自分でも分かっている。とは言え、それを認めるわけには行かない。明らかなブラフでも、一度こう言っておかねばならない。
「なに、簡単な取引だ。幾ら我々が非道な集団でも、自国民を罠に落とす様なことはしない。」
どうだろうな。それこそハフォン人ならそうかも知れないが、勝利のためなら平気な顔で民間人の上に反応弾を落とす地球軍がそんなことを言っても信憑性は無い。
「我々は引き続き君の肉親の安全を守る。ご両親と、妹さんだ。これは君のためだけでは無い、我々自身のためでもある。
「その代わりと言っては何だが、そこに居るうちの工作員を君の船に乗せて同行させて欲しい。」
しばらく前に似た様な交渉を持ちかけられた様な気がするが。
「断る。他ならともかく、こいつだけは断る。」
会議室に沈黙が降りる。
シャルルとアンジェラが同時に吐いた溜め息の音が聞こえた。
「ふむ。まぁ、先ほどの話を聞いていて、簡単には受け容れてくれないだろうというのは分かっていたが。あいにく情報部も人手不足でね。割ける人材が彼女しか居ないのだよ。」
「そもそも何故俺に人を付けたがる?監視か?」
「それも無いわけではない。だがそれよりも、他の組織からの接触と、実力行使に対する警戒と護衛の意味の方が強い。信じられないかもしれないが、君を守ろうとしているのだよ。」
男も良く解っているようだった。諜報機関にそんなことを言われても到底信じる気にはなれなかった。
少し気持ちが落ち着いてきたところで、ニュクスに裏を取ることにする。
『ニュクス。聞いているか。』
俺は音声通信を用いてニュクスに話しかけているが、ニュクス自身は造船所のネットワークを通じてこの場にいるだろうと想定して話しかける。
『うむ。何用じゃ?』
『このアデールの上司の名前が分かるか?』
名前が知りたいわけではない。名前を問うことで、機械達が情報部の中にまで触手を伸ばしているのかどうか確認したかっただけだ。
『よう分からん奴じゃの。まあ、諜報部のマネージャなぞこういうものなのかも知れぬが。ヘルフストベルグ少佐?おかしいの。ドイツ人では無いはずじゃが。』
『情報部だ。偽名だろうさ。ところで奴は、自分達が俺をキュメルニア・ローレライ探査に送り出した、と言っている。どう思う?』
『ほう。どちらが上か調べてみるかのう。』
顔は見えないが、しかし声に例の妖しげな笑いを滲ませてニュクスは笑い、そして離れていった。
機械と地球軍情報部と、どちらが本当の策士でどちらが踊らされたマヌケ野郎かを調べに行ったのだろう。ニュクスの調査の結果で、この打ち合わせの俺の対応も変わってくる。
意識を現実に戻す。
「それは嬉しくて涙が止まらなくなりそうな話だ。だが、人選が悪い。この女を寄越したのでは、話はハナから決裂すると決まった様なものだ。考えなかったのか?」
「彼女がそこまで君に嫌われているとは思わなかったからな。君の好みにかなり合うはずなのだが。」
そういうことを本人の前で言うか。
諜報機関だ。そんなものなのだろう。真面目な顔をしてハニートラップを仕掛ける様な連中だ。
「悪いな。俺はもう少しまともな人間の方が好みだ。そもそも俺の護衛と云っても実力が分からない。この女は諜報機関のエージェントのくせに人を殺したことも無いそうだ。」
アデールがこちらを見ている。特に怒った風でも無ければ、尊大な態度を見せている訳でも無い。もしかするとこの女は、上司の前では借りてきた猫の様に大人しいのかも知れない。
俺の方はというと、最悪アデールを引き受ける事も視野に入れている。全てはニュクスの調査結果次第だ。地球軍が上と出たら、アデールを手元に置いた方が良い。知らないところでまた監視されたり陥れられたりするくらいなら、窓口が近くにあった方がまだましだ。
機械達が上と出たら、どうするかな。アデールを断るのが難しくなるのだが。
「君は何か誤解している様だ。我々の仕事は、映画の様に派手では無い。あちこちで撃ち合いをしたり、宇宙狭しと飛び回ったり、毎夜のごとく魅力的な異性の誘惑にあったりするのは映画の中だけだ。実際は地味で面倒で胃の痛くなる様な仕事の連続なのだよ。」
そうだったかな。
ごく最近、派手に撃ち合いをし、華麗に王宮に侵入して捕虜奪還を決め、宇宙船で星系狭しと飛び回った、美女のスパイとその愉快な仲間達の事を知っている様な気がするのだが。
「その地味な毎日の積み重ねの結果、彼女の格闘戦の実力はなかなかのものだと保証しよう。宇宙船の操縦、電子手段での攻撃、歩兵用銃器の取り扱いも一流だ。」
どうも最近、周囲に乱暴な女が多い様な気がする。
「俺にしてみれば、情報部のエージェントに側にいられるというのは迷惑千万な話だ。しかしあんた達の側から考えると、俺の親族を護衛し、俺自身を護衛してと、支出ばかりがかさんでいる様だ。それを認めてしまうと、あんた達がその支出を埋める為にさらに見返りを要求してこないかと心配になってしまうがね。」
「それはしないと約束しよう。もちろん、彼女を窓口にして何かを依頼する事はあると思う。だがその場合は報酬を支払って別途君に依頼するという形をとることを考えている。
「信用できないかも知れないが、先ほど言ったとおり君と君の親族に護衛を付けるのは、我々の足下で破壊的な工作をされない為の、我々にとっての保険だと思ってもらって良い。支出が発生するのは当然だろう。」
もちろんそんな話を信用などしない。
しかし、両親に危害を加えようとする連中が居るのも確かなのだろう。ルナはそれを肯定した。
俺の側に余計な公務員が増えるのを我慢してでも、両親の安全を確保して憂いを絶っておくのは悪いことでは無いだろう。
もちろん、守るはずの地球軍が突然脅迫する側に変わる可能性はあるが。
『調べがついた。』
ニュクスが戻ってきた。
『お主が気にしておった通りじゃったよ。儂らが出させた偽の指示書は、いったん却下された後に、此奴が復活させて通しておった。此奴、もしやすると儂らが組織の中におるのをとおの昔に気付いておったのやも知れぬ。』
自組織の中にダブルスパイが入り込んでいる可能性を考慮するのは多分、連中にとっては当たり前のことの筈だ。棄却された指示書を復活させたこと自体は炙り出しなどを意図して行ったものだろうと推測できる。気になる点は別のところにある。
『なぜ、「気付いていたかも」と思う?何かあったのか?』
機械知性体がヤマ勘と云うわけでもないだろう。何かを見つけたに違いない。
『うむ。少しばかり、のう。これは今話す様なことではない故、またの機会に、の。ただ、どうやら儂等の負けじゃと云う事は伝えておくぞ。その男、随分な喰わせ者じゃ。儂等よりも何枚も上手やも知れぬ。注意した方が良いぞえ。』
先日、オールト雲まで迎えにやってきた艦隊のお子様司令官が余りに間抜けだったので、俺は少々地球艦隊を舐めてしまっているところがあるのは自覚している。ニュクスはその点を指摘している。
当然といえば当然のことだった。間抜けやお子様ばかりでは、いくらぬるいスポーツ並の戦争とはいえ、何十万年も技術の進んだ連中を向こうに回して生き延びられるはずがないのだ。
この間の艦隊指令は特例で、それを機械達の諜報部隊が炙り出しただけだ。
少なくとも今現在会話している情報部の男は、機械達が警告を発するほどの人物らしい。
「分かった。良いだろう。そちらの話に乗ろう。ただ、条件がある。」
あのクソ女と一つ屋根の下暮らしていかねばならない事を思い、心の中で大きな溜め息をつきながら俺は切り出した。
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