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第三章 Cjumelneer Loreley (キュメルニア・ローレライ)
13. タキシード&イブニングドレス
しおりを挟む■ 3.13.1
俺の前ではまだ二人の生義体と地球軍将校との間での社交儀礼の取り交わしが続いていた。機械群という願ってもない強大な同盟に、地球政府としては最大限の歓迎を行いたいのだろう。
本質的に悪戯小僧のこの二人に対して、これほどの長々とした儀式もどうかと思うが、多分機械側も物珍しい社交辞令と儀典に興味津々と言ったところなのかも知れない。
それよりも気になるのは、太陽系の反対側に潜伏している八隻の駆逐船隊が射撃位置についたというニュクスの情報だった。
当然その情報はレジーナにも伝わっているだろうが、ここからでは指示が出せない。
レジーナに接触しようとすると、チップは自動的にこの戦艦「マルセロ・ブロージ」艦内ネットワークに接続する。そこから何を言おうと、全てこの船の通信ログに残る。それどころか多分、リアルタイムでモニターされているだろう。
地球政府側の出方を確認するためにも、今は駆逐船隊の存在を把握しているというカードをまだ切りたくない。
外の状況を把握しているという事は、ニュクス達機械は多分ナノマシンか何かを使った独自のネットワークをこの艦内に持っているのだろう。その手のナノマシンに対するクリーニングが非常に厳しいはずの軍艦の中で、どうやって維持しているのかは分からないが。
だが俺は、そのネットワークに接続するためのプロトコルを知らされていない。
ニュクスから情報を受けることはできても、こちらから何かを発信することができない。もどかしい。
長々と続いた社交辞令が終わり、艦隊司令曰く「長旅の疲れを癒すため」それぞれの個室に案内されることになった。各自個室で数時間待機した後、遅ればせながら到着する政府関係者との会談、そして晩餐との話だった。
俺たちレジーナの乗員は自分たちの船に戻れば良いだけなのだが。
そう思っていると、俺たちレジーナからの乗客に対してはその間に晩餐用の服を仕立てるので、レジーナに戻らずマルセロ・ブロージの個室で待機して欲しいと言い切られてしまった。それなりの高級服を無料で供与されるそうだ。
明らかに連中の搦め手なのだが、拒否する理由がない。レジーナに戻っても、タキシードも無ければ、イブニングドレスもない。
レジーナを離れる前にアデールが言った一言、「ネット上の機械知性体は生体よりも一ランク下」という言葉が頭をよぎる。
それはつまり、レジーナがマルセロ・ブロージを離れた後ではなく、全ての生体がレジーナを離れている今がまさに連中が撃ってくる可能性が一番高いタイミング、という事だろう。
試しにネットワークに接続してみる。問題なく接続できる。
さらに、何という事はない一般向けのサービスを展開している動画のライブラリに接続する。問題ない。
チップが自動的にメッセージサービスに接続し、メッセージを取得する。
ダイレクトメールばかりだ。そのメールの内容が検閲されたものかどうなのか、俺には分からない。
いずれにしても、個室に分散されているという事は、連中にとって今がまさにレジーナ破壊のタイミングであり、そして俺たちが何かを考えて互いに連絡を取りあえば、それは連中に全て筒抜けという事になる。
いずれにしても、今この状態で俺に出来ることは無い。
個室のドアを開けてみる。特にロックされておらず、問題無く開いた。
隣がルナ、その向こうがニュクス、さらに向こうがブラソンの部屋の筈だ。
ブラソンの部屋のチャイムを鳴らす。
音も無くドアが開いた。
部屋の中に入ると、ブラソンはベッドに寝転がり目を閉じている。
寝ているように見えるが、実は奴がネットワークに接続している時の格好だ。
地球軍の搦め手に対して、早速対抗策を打っているのだろう。
俺はブラソンに声を掛けること無く、ブラソンの足元、ベッドの端に腰を下ろした。
■ 3.13.2
部屋に入るなりまず最初にブラソンが行ったことは、部屋の中のシグナル強度を調べること、そして干渉できそうな電子機器や接点の位置を探すことだった。
艦内ネットワークのシグナル強度は最強レベルで、ベッドサイドのホロ端末がネットワークに接続していた。他にもドアの開閉システムや、照明のコントロールなどもネットワークに接続はしているが、こっちはモニタリング専用の回線だった。
とりあえず艦内ネットワークに接続する。ごく一般的なフリー汎用接続サービスだった。
メッセージのやりとりも、音声通話も、ネット上のコンテンツの閲覧もダウンロードも自由に出来るようだった。
もちろん、監視の目は光っているはずだ。しかしフリー接続サービスの仮想IDでは、出来ることが限られすぎていて監視が付いているのかどうかさえ分からない。
次に隣の部屋のニュクスと直接接続が可能か試してみる。
ブラソンもチップを改造して能動的な発信が可能になっているが、ニュクスのチップはそもそも規格外だ。上手く行けば、ニュクスを中継局として機械群のネットワークが利用できるかも知れなかった。
しかししばらくニュクスのIDをスキャンしてみて、すぐに諦める。
ニュクスのIDどころか、室外からのあらゆる信号が遮断されていた。
どうやら電子的密室に閉じ込められたらしい。
ホロ端末の接続と、フリー汎用接続を使ってなんとかするしか無いだろう。
ノバグを解凍し、いつでも起動できる状態にする。
レジーナの外挿サーバには、随分進化してしまい、すでに一人の独立人格にまでなってしまったノバグコピーが居る。
しかしあくまでオリジナルは自分の頭の中だった。オリジナルは、自分と共にネットワークを荒らし回った、より単純なAI、非常に高度なハッキングツールとしてのノバグだった。レジーナネットワーク上のノバグがどれ程彼の理想の女性像に近付こうと、ブラソンは自分の頭の中に格納されたノバグを消去する気は無かった。
艦内ネットワークのアクセスポイントとベッドサイドの端末とを調査する。ベッドサイドの端末の方が、そこからのアクセスを想定されていないだけ潜り込みやすいようだった。
さて、本格的に取りかかるか。
ブラソンはベッドに寝転がり、視野をネットワーク3D画像に切り替えた。同時にノバグを起動する。
「ブラソン、指示を。」
「まだだ。そのまま待機。」
「諒解。」
端末からネットワークを遡る。すぐに障壁に突き当たる。
「ノバグ、脆弱ポイントの調査。」
「諒解。」
ノバグを示す明るい水色の輝点がブラソンの元を離れて障壁に沿って一直線に飛び去る。
ブラソン自身は、目の前に存在する赤く塗られた障壁からデータを流し出している経路の周辺を調査する。
すぐにノバグが戻ってきた。
「音声映像通話機能の送受信データ検閲機能周辺に付け入れそうな綻びがあります。」
ノバグの示す場所に飛んでいく。
一見、それは強固なセキュリティを組んであるように見えた。
映像音声を送信する際に、多分検閲のための機能と思われるデータチェック機構が組み込まれていた。
データチェックを行うため、送受信される信号を汲み取り、そのデータを認識した上で詳細にチェックする自動機構だった。
ノバグがコールバック信号を多数打ち出す。検閲プロセスを通過する時間を計測する。レジーナの船内ネットワークに使用されていたコマンドリストと対比し、検閲プロセスをコマンド待ち受け状態にするキーワードを割り出す。
ブラソン一人で行えば気の遠くなるような時間が必要だが、ノバグに任せてしまえばほんの数秒の作業だった。
子プロセスがコマンド待ち受け状態を示す黄色に変化した。詳細を確認すると、どうやらたまたま管理メンテナンス用のコマンドを引き当てたらしい。幸先が良い。
管理者権限を乗っ取り、IDリストを取得する。百ほどあったIDリストの中から他と違う特徴的なIDを利用して、上流のネットワークに進む。
案の定、かなり上位の管理用IDだったようで、軽く十層程度のセキュリティ障壁を突破した。
辺りを見回す。
艦内通信用ネットワークに出ていた。
艦内通信管理サーバへ突入しようとするが、流石に弾かれる。艦内ネットワークの中枢の一部だ。流石に今より上位の管理権限が必要のようだ。
現在の権限IDで閲覧可能なログを求めてネットワーク上をうろつく。
一般兵士用食堂に20ある通信用端末の内、幾つかが頻繁に故障を繰り返しており、ごく最近も修理を行った形跡があった。
人間なら必ずやらかすミスがある。
正確にはミスでは無い。トラブル発生を発見した時、本来そのトラブルをメンテナンスするために必要十分な権限IDよりも、より上位の権限IDを利用していた場合、ID変更を行わずにその上位権限のまま修理を行ってしまう。ログインし直す必要が無い上、上位IDの方が融通が利くので作業性も良くなる。
一度や二度の事ならログインし直すだろう。
だが、この複雑で巨大な戦艦というシステムの至る所で常に発生するその手の細かなトラブルを修理するために、一日何百回何千回と適切なIDを選択してログインし直すなど、まともな人間では耐えられない。いつか必ず上位IDをそのまま使うようになる。
ノバグがそのようなIDの足跡を発見した。
警報を発することも無い、取るに足らない障壁に向けて、その上位IDでパスワードと認証情報のスキャンを掛ける。
そんな作業中に、マサシが自室を訪れたことをブラソンは確認した。
マサシはブラソンに声を掛けることも無く、ブラソンが横たわるベッドに腰掛けた。
間違いなく監視されているこの個室で、何かに不安になりクルーの元を訪れた船長が、クルーが目覚めるまで待っている様に見えるだろう。
どうやらマサシも、部屋に入るなりブラソンの状態を見て、ネットワーク上でのハッキング作業中と瞬時に理解したらしく、寝ている部下が目を覚ますのを待つ船長、という役割を演じている。
ネットワーク上で作業をする時、どうしても無防備になってしまう自分の身体の安全確保という意味でもありがたい話だ、とブラソンは思った。背後の心配なくネット上での作業に没頭できる。
ノバグのコピーを船艦マルセロ・ブロージの基幹システム上に誰にも気付かれないようにそっと隠し、その気になればシステムを一気に手中に収める事が出来るまでに段取りを付け、そして誰にも知られること無く全ての作業を終えたブラソンがまるでうたた寝から目覚めたようにベッドから身を起こしたのは、マサシがブラソンの部屋を訪れてから十分程後のことだった。
■ 3.13.2
果たしてブラソンはものの十五分程で作業を終わり、まるで今眼が覚めたかのように起き上がってきた。
「どうした?」
ブラソンが問う。
俺もブラソンも、真面目に会話をしたい訳ではない。間違いなく監視されている状況下で、違和感の無い会話を適当に流しているだけだ。
「ちょいと寂しくてな。付き合えよ。」
「もうすぐ仕立屋が来るんじゃ無いのか?」
「なに、すぐ近くだ。居ないのが分かったら、こっちに来るだろうさ。」
噂をすれば影で、部屋のチャイムが鳴るとドアが開き、通路に男が一人立っているのが見えた。将校達とは少し意匠の異なる、下士官服を着ている。
「キリタニ船長、こちらにいらっしゃいましたか。」
服の採寸をしに来たにしては、随分深刻な顔をしている。
「ああ、済まない。採寸だろう?すぐ部屋に戻・・・」
「いえ、申し訳ありませんが、採寸ではありません。不測の事態が発生しまして。ご足労願えませんか?」
「願えませんか」という言葉の割りには有無を言わさぬ口調でこちらを見ている。他にすることも無い。素直に従い、ブラソンの部屋を出る。
「他のクルーも一緒に行った方が良いかな?」
「いえ、キリタニ船長お一人で十分です。」
船長というのは勿論船の責任者だ。責任を持つ分、色々な決定権を持つ。
ただ、不測の事態が発生した場合は一つでも多くの頭があった方が、色々なアイデアが出る。
軍の士官にそんなことが分からない筈はない。
勿論、目の前で受け答えしている若者はただの使いっ走りの伝令兵だ。
「分かった。ブラソン、地球軍の戦艦だ。心配無いさ。ルナ達にもそう伝えてやってくれ。」
「諒解した。」
勿論そんなことは露ほども思っていない。
俺は連絡兵の後ろについて歩き始める。
色々と曲がりくねった通路をしばらく歩くと、少し広い部屋に出た。二~三十人は入れるかという小綺麗な部屋で、しつらえの良いテーブルと椅子が並んでいる。士官食堂かなにかの類いらしい。俺を連れてきた連絡兵は部屋の入り口で待機しており、中には入ってこない。
そして先ほどの将校達が部屋の中におり、十人程度の兵士の姿も見える。将校達の視線の先にはホロモニタが投影されており、宇宙空間が映っている。
「ああ、キリタニ船長、ご足労痛み入る。申し訳ない、こちらの落ち度なのだが、君の貨物船『レジーナ・メンシスII』が破壊された。相手は調査中だが、今のところ判明していない。」
艦隊司令の言葉に連動するように、ホロモニタの映像が切り替わる。
モニタには、リアクタがオーバーロードを起こしたのだろう、船体後部が消失し、ねじ曲がり穴だらけになった船体前半部のみとなったレジーナが宇宙空間を漂う映像が大写しになった。
「そんな馬鹿な・・・」
俺は、将校達が場所を空けてくれたホロモニタの正面に立ち尽くして、星々を背景にゆっくりと回転しながら漂うレジーナの残骸を凝視する。
「誠に遺憾だ。我々の僅かな防御の隙を突かれてしまった。レールガンのような実体弾で狙撃されたようだ。」
俺の横で艦隊司令が何か言っていたが、その言葉は俺の耳には入ってはいなかった。
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