夜空に瞬く星に向かって

松由 実行

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第一章 危険に見合った報酬

2. MAJESTIC HOTEL, DANMANANGKHASS

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■ 1.2.1
 
 
 マジェスティック・ホテルは、ハフォン人が言ったようにまさに地球人向けのホテルだった。
 ホテル名が英語である事からも分かるとおり、主に対象とする客層は小金を持った地球人の旅行客だった。
 どれだけの地球人がこの街を訪れるのかは知らないが、地球人以外の種族でも、エキゾチックな雰囲気とサービスを享受したいと思った物好きが泊まるのだろう。

 俺たちがホテルのドアを抜けると、ロビー奥に佇んでいた灰色のブルカが一人、踵を返し、通路に消えた。
 付いて来いという事らしい。
 相手がチップを持っていれば、どんなに離れてもあとを付いていけるのだが、そうではないハフォン人の場合は、物理的にすぐ後ろを付いていくしかない。
 
 ホテルのレセプションプログラムが頭の中で騒いでいるのを消音し、クリーム色の大理石の床を踏んで、ロビーを抜け、ブルカが消えた場所にたどり着くと、そこはエレベータ・ホールだった。
 重力リフトでは無く、重厚なデザインで木製の枠組みを施された三台のリフトが壁に行儀良く並んでおり、真ん中のリフトのドアが開いていた。
 中には先ほどのハフォン人が俺たちを待っていた。
 俺たちがリフトの中に入ると、音もなくドアが閉まった。

 ドアが閉まると、リフトは素晴らしい勢いでビルの壁面を駆け上がっていく。
 ガラス張りになったリフトの壁から、みるみる小さくなる地上の明かりが見える。時折、近くを通り過ぎるビークルのヘッドライトがよぎっていく。
 リフトの中の三人は終始無言で、聞こえる音はといえば、千年も前に地球で作曲された趣味の良い落ち着いたクラシック音楽が、耳障りにならない程度の音量で低く流れるだけだった。
 俺は窓の外の景色を見るふりをして、窓に映ったハフォン人を観察した。
 どこにも目立った特徴はなく、多分、このブルカ姿では他の二人と全く区別が付かないだろう。

 ブルカ姿を一通り上から下まで眺め回した頃に、リフトは減速し、そして293階で止まった。
 灰色のブルカはこちらに声を掛けるでもなく、ただ身を翻して音もなくリフトの外に出て行った。
 ブルカの後を追い、深い赤色をベースにしたテキスタイルの絨毯がひかれた客室階のエレベータ・ホールへと踏み出す。
 ずっしりとした感触で、靴が絨毯の中に埋まり込む。
 トーンを落とした落ち着いた照明の廊下には、リフト内と同じクラッシックが低く流れていた。
 293階と云う事は、今俺が歩いている廊下の下に300近い階が存在する訳だ。
 ぱっとみたところ、この階にある客室は30室を割っているとは思えなかった。
 かといって、一万人もの地球人がこのホテルに泊まっているとも思えない。そもそもこの惑星上に存在しないだろう。
 300ある階の内、ほとんどはオフィスとなっているのだろう。
 ネットワーク上でその情報を確認した後、もし何かあって乱暴な手段で逃げ出さねばならないときのために、非常用設備の場所も確認しておいた。
 
 灰色のブルカは、廊下の端まで歩き、9345号室の前で立ち止まった。
 ブルカがドアを開け、中に入ってドアを押さえる。
 ブルカの前を通り、部屋の中に入った。
 後ろでドアが閉まる音がした。重厚な、本物の木で出来た、手動のドアだった。
 
 部屋の中は、地球のいわゆるヨーロッパ風の調度品と飾り付けで統一されていた。
 地球人の目で見ても、破綻のないきちんと統一の取れたデザインであり、確かに超高級ホテルであることを伺わせた。
 部屋の中にはAAR(Advanced Augumented Reality)で飾り付けられたものは全く無く、全て見たままの通りのものらしかった。
 安ホテルなら、煤けてひび割れた壁に綺麗なAAR画像を重ねて壁紙にして誤魔化すところだ。

 俺が今立っているのはゲストルームらしく、ダイニングテーブルと、ソファセット、執務用の机が置かれており、部屋の隅にはこぢんまりしたバーカウンターがあった。
 開け放したドアの向こうはリビングルームか、ベッドルームだろうか。
 部屋の間取りを掴もうと思ったが、ネットワーク接続が遮断されていた。
 電磁遮蔽付きのスイートとは、何とも贅沢な部屋だった。
 ニュートリノ照射対策やナノボット侵入対策もしてあるに違いなかった。
 完全気密、完全遮蔽の、地上に降りた宇宙船の様な場所ということだ。
 確かに密談をするにはもってこいなのだが、こうまでしなければならないような話の内容を想像して、とたんに回れ右をして部屋から逃げ出したくなる。

「招待に応じて頂き感謝します。ご面倒をおかけして申し訳ない。」

 隣の部屋から、肉声の英語が聞こえてきた。それと同時に一人の男が姿を現す。
 ハフォン人らしいほぼ白髪に近いプラチナブロンドを短く刈り込み、がっしりとした体格の男だった。
 身のこなしから、軍人だと一目で分かった。

「私は、第182空域外交担当武官であります、ハラナワンサ・シヒサッハライ最上級隊長と申します。このハバ・ダマナンは第182空域に含まれます。ご面倒でしょうから、私の事はハルク、もしくはただ単に少佐とお呼びくださっても結構です。」

 ハバ・ダマナンと地球は数千光年ほど離れている。とても同じ空域に属するとは思えなかった。
 ハラナワンサと名乗ったこの男が、英語を必要とする事は無いだろう。
 チップやローディングを使うことなく、地球と無関係なハフォン人がこれほど流暢に英語を喋れるのは違和感があった。

「私の英語は、理解しにくいでしょうか? もし聞きづらいようでしたらおっしゃってください。」

 それは学校のテストで満点が取れそうなほど完璧な英語だった。

「いや、あんたの英語は地球人より綺麗だ。良く分かる。綺麗すぎてちょっと面食らっただけだ。どうやって?」
 
「ああ、なるほど。私の場合は外交官特例でチップを使用しています。丁々発止の掛け合いを翻訳機で行うわけにも行きませんし、交渉相手がネットワークの後ろ盾を持っているのに、こちらがそれを使えないのでは非常に不利ですから。」

 なるほど。しかしそれは彼らの宗教の教義に反する筈だった。

「どうやらあなたは我々ハフォン人について少なからぬ知識をお持ちのようだ。話が早くて助かります。
「教義に特例を設けるのはさほど難しい事ではありません。昔から良く行われてきた事です。要するに担当司祭の面子を潰さない理屈が付けばいいのです。それよりも問題は、我々自身の心の中に深く刻み込まれた教えの方です。外交官はそのような心の葛藤を自分自身で上手く処理できるものだけが選ばれます・・・つまり、割り切った考え方が出来る者、という事です。」

 この男の声には聞き覚えがなかった。先ほど喋っていた中央のブルカとは違うようだ。
 即ち、この部屋の中には、姿は見えないが少なくともあと二人、多ければあと三人のハフォン人がいる勘定になる。それと、ブラソンと、俺だ。
 ハナラワンサと名乗った男は少し笑いながら再び口を開いた。

「どうやら随分警戒しておいでのようだ。無理もない事です。
「まずは、少々非礼な方法でご招待申し上げた事をお詫びすると共に、我々に害意は一切無い事を申し上げましょう。害意どころか、あなた方を極力お守りするつもりだ。」

 外交官などという政治家の端くれの言葉を鵜呑みにするほど馬鹿ではないつもりだった。

「いきなり我々の事を信用しろ、というのは無理な話でしょうね。お話しする内にお互い理解しあうしかないようだ。」

 そう言って、ハナラワンサはミニバーカウンターの上に置いてあった赤ワインのボトルを取り上げた。
 ベッドルームからブルカ姿が一人やってきて、そのボトルを受け取り、コルク栓を抜いた。
 どこから取り出したのか、ダイニングテーブルの上にはいつの間にかワイングラスが三客並べてあった。
 ハナラワンサは無造作にワインをグラスに注いだ。ブルカはいつの間にか隣室に消えていた。

「お好きなグラスをお取りください。」
 
 ハナラワンサは半分ほどワインが注がれた三客のグラスを指した。
 ワインに薬物を仕込むというのは、古来伝統的な手口だ。
 おずおずと近寄り、一番ハナラワンサよりのグラスを取り上げる。
 脇からブラソンの手がでて、俺に一番近いグラスを取り上げた。ハナラワンサの顔に僅かに微笑が浮かんだ気がした。

「では私はこのグラスを。地球産のワインは、本当によい香りがする。我々の国からはこのような、豊かな味わいを持つ飲み物の僅かな違いを楽しむような優雅な文化は遥か昔に失われてしまった・・・失礼、どうぞ、お好きなところにかけてください。少々長めのお話しになります。」

 そう言ってハナラワンサはワインを少し飲んだ。
 少々驚きだが、地球のムスリムでも故郷を出たら酒を楽しむ「割り切った考え」のヤツは居る。同じようなものなのだろう。
 俺もワインを少し口に含んだ。確かに、地球産のワインだった。
 蒸留酒とは違い、地球からこれほど離れた所ではワインはそれほど安いものではない。
 合成したワインはこの星でも安く簡単に手にはいるが、手間をかけて作られた本物とは明らかに味が異なる。

 ワインを味わい楽しむこともそうだが、いわゆる優雅な、というか文化的なものが、長い戦いの歴史の中で銀河種族たちの中からは大きく失われていた。
 ポップミュージックや小説の類にしても同様だった。もちろん、酒も音楽も本も存在する。しかしそれらを「嗜む」優雅さというものが大きく失われていた。
 銀河種族にとって酒は酔いを得るためのものであって、地球で文化として根付いているような、ワインの産地や年代の差で生じる味の違いを楽しむような文化は殆ど失われていた。
 
 もちろん、銀河には彼らの音楽も小説も存在する。
 しかし音楽と言えば儀典用のものであったり、リラックスのためのヒーリングミュージックであったりと、実用が先に立ち、地球上で毎日限りなく生み出されているポップスのような、ただ音楽を楽しむ事を目的に作られる音楽というものはほとんど作り出されておらず、当然それを楽しむ文化も存在しなかった。
 政府政策で地球を訪れる銀河種族の数はそれほど多くはないが、幸運にも地球を訪れるチャンスを掴んだ者達は、この科学技術的にまだまだ彼らに大きく後れをとっている未開の惑星に降りたった途端に驚愕する。
 道行く人々は誰もが色とりどりの異なる服装をしており、街角には常に雑多な音楽があふれ、通りに軒を連ねるレストランではどの店でもそれぞれ異なる数十を越える料理を提供する。
 多くの人々がそれらの服や音楽や料理を生み出すことに楽しみを見いだし、そしてそれを生業とし、そしてそうやって生み出された様々なものを受け取り、楽しみ、そして評価を与える多くの人がおり、それが一連の文化的な創造と享受というよどみない流れを作り出している。
 確かに自分たちは百万年も彼らより進んでいるかもしれないが、文化というものの存在と活力においては地球の遙か足下にも及ばないのだ、と。
 地球は確かに洗練されていないかも知れないが、洗練されていないからこその雑多な多様性と面白さと活力を秘めていた。言うなれば、カンブリア爆発のような状態に彼らには見えているのだろう。
 
 まだ一部の好事家の趣味程度でしかないが、このような猥雑とさえいえる地球の文化は銀河種族たちの間に驚きを持って迎え入れられ、そして徐々に浸透していっていた。
 酒や音楽といった伝播の早いものについては、地球産のそれらを他の銀河種族の居住星で見かけることも珍しくなくなってきていた。
 ワインや高級なウィスキーの様な産地を限定するものはともかく、地球産のカクテルやソフトドリンクなどはもうすでに、ごく当たり前の様にこの星の酒場でもメニューの中に並んでいた。

 俺の正面に座ったハナラワンサは、まっすぐに俺の眼を見て言った。

「どんなときでも、お互いの信頼を得るためには正直さと誠実さが一番と心得ます。妙な誤魔化しなどせず、お願いしたい事とその背景について正確にお話ししましょう。どんな事でも遠慮無く質問頂いて結構です。もちろん、機密情報に属する事に関してはご容赦願いますが。」

 ハナラワンサが話している間にに身振りでも促され、俺たち二人はソファに腰を下ろした。ハナラワンサも続けて俺の向かい側に腰を下ろして、少しくつろいだ座り方をした。
 長い話がこれから始まるのだろう。
 前置きよりも何よりも、実際に何をするのかを先に知りたかった。そしてその危険性も。
 出来れば、この話を断ることの危険性も。
 色々細かい事情を知ってしまった後では、断ろうにも断らせてもらえなくなる可能性が高そうだ。だから、先に質問する事にした。

「単刀直入に聞こう。俺に、俺たちに何をして欲しいって?」

 腹芸は得意じゃない。ましてや相手はその道のエキスパートだ。変に持って回った言い方をして誤魔化されたり、煙に巻かれたりはご免だ。

「我が国を救って頂きたい。そのお手伝いを少々お願いしたい。」

 変わらず俺をを真っ直ぐに見据えて、返答が返ってきた。
 ハナラワンサは至って真面目な顔で返答しているのだが、つまらないジョークで担がれているとしか思えなかった。
 持ち出された言葉が壮大すぎて全く現実感が無く、逆に驚きさえしなかった。なにを言っているのか意味が分からなかった、と言ってもいい。
 
 自分の船を失ってしまい、仕事もろくに取れない廃業寸前のなんの取り柄もない船乗りに、国を救う大偉業がこなせるとはとても思えなかった。
 とは言え、国家の公務員が俺のスケジュールを事細かに調査し、酒場で飲んだくれているところまでわざわざ足を運んできたのだ。冗談で言っているとも思えなかった。
 彼らの国の部隊の一員として戦争に出てほしいという、兵士の勧誘か何かだろうと思った。
 パイロットが足りないのだろうか。しかしそれにしても、国を救えとはずいぶん大層な話だ。
 まぁ、兵士の勧誘ビデオの常套文句なんてのは大体そんなものだが。
 
 そもそも、そんな話をなぜ俺を名指しにして持ってくるのかさっぱり判らなかった。
 俺は兵士になりたいなどと思ったこともないし、ヒーロー願望など勿論無い。自分の「分」というのをわきまえているつもりだった。
 多分後半の「少々」というところが話の鍵なのだろう。
 こんなばかげた話からは、ふたを開けてみれば俺の命をなげうって働き、その結果ただのおとり役としてアホ面をさらして道化を演じる羽目になり、最後は人知れず宇宙の片隅で残存酸素量に怯えながら徐々に窒息して死んでいく、というような結末しか想像できない。
 
 だから、俺が返した言葉は当たり前のように斜に構えたものだった。

「傭兵のパイロットを募集してるのか? だったらもう少し荒っぽい仕事に慣れたヤツにした方が良いと思うが? 俺は貨物船とクルーザーしか操縦した事がないし、ヤバイ戦闘空域を荷物満載の貨物船で飛ぶなんてまっぴらだ。
「それに、ハフォンと地球はかなり友好的な同盟関係にあるはずだ。公式なチャンネルを通じて申し込めば、こんなゴロツキじゃなくてちゃんと訓練を受けた軍のパイロットを借りる事が出来るだろう。」

 ハナラワンサは嫌みでない程度の僅かな微笑を浮かべて俺の発言を聞いていた。
 その微笑は外交官のマスクと言うよりも、『ああやはり誤解されたか』と言っているように見えた。

「失礼ながら。私たちは、あなたのパイロットとしての腕に着目したわけではないのです。
「いや勿論、あなたが腕の良いパイロットである事は願ってもない事です。更に今ここには、腕の良い航海士もいらっしゃる。しかも二人とも気が合って、良いコンビと来ている。これはいくつかの場面で事態解決を少なからず容易にする事は間違いないでしょう。
「しかしながら、今申し上げたように、私たちが着目したのは、全く別の所です。その条件に合う方を絞り込んでいったら、マサシさん、あなたに行き当たり、そしてあなたがたまたま腕の良いパイロットであったのは、願ってもない大きなおまけ、と言ったところです。」

 俺の腕がそこまで褒められるに値するかはともかくとして、ハナラワンサの話は全く見当が付かなかった。
 パイロットとしての俺でなければ、なぜ俺に白羽の矢が立ったのか。
 地球人だからか。
 いや、地球人なら、この惑星上にだって他にも沢山居るはずだ。なぜ俺なのか。

「ここは鍵となる部分です。先に申し上げておきましょう。我々が必要とした人材の条件は、テラン、特定地域の生まれである事、特定のパターンの名を持つ事、地球文化圏以外での生活に慣れている事、いくつかの条件の下で我々が勧誘しやすい事、です。あなたはこれらの条件に、かなり高いスコアで該当しました。スコアだけを見ると、この場から数千光年内にあなた以上の適任の方はおられません。しかし多分、今の段階ではそれがなぜ必要なのかお判りにならないでしょう。なぜ必要かを説明するためには、この先に話を進めなければなりません。」
 
 ハナラワンサは話の意味を俺が理解するためか、そこで少し間をおいた。
 そして残念ながら、奴の言った通り、その条件とやらは全く想像さえできなかった。

「この先話を進めるには、今回の依頼の核心部分に触れる必要があります。続けてよろしいですか?」

 それはつまり、この先の話を聞いたらもう戻れないぞ、という警告だろうと思った。
 包み隠さず話す、と言った割には秘密の多い話だ。
 勿論奴は、そんなことは一言も言っていない。この先は重要な部分だ、と言っただけだ。
 しかしそれを誰が額面通り受け取るだろうか。

「待ってくれ。話を始める前に、まだ確認したいことが幾つかある。」

 連中の依頼内容がどのようなものかさっぱり判らなかった。
 断るなら、たぶん今が限界点だろう。
 奴の言う「核心部分」について、これ以上詳細を聞いてしまっては断れなくなる話になるような気がしてしようがない。
 これ以上話を進める前に、何でもいいから質問をして、さっぱり判らない連中の依頼と思惑をほんの少しでも明らかにして判断材料としたかった。

「勿論ですとも。何なりと。」
 
 相変わらず、柔らかく人当たりの良さそうな微笑みを浮かべたまま、真っ直ぐ俺を見ながらハラナワンサは言った。

「そもそもあんたたちは俺にどんな働きを期待しているのか。なにをしろと言うのだ?酒場で聞いたところでは、俺の命に危険が及ぶような仕事だと言った。そして今あんたは、俺に国を救えと言った。俺はパイロットだが、しかしそれが目的ではないとも言った。パイロットとしての俺に用がないのなら、俺はごく普通の一般人だ。地球人だというアドバンテージはあるかもしれないが、他に何か特技があるわけでもない。それが何で俺があんたの国を救う救世主という話になるのか、さっぱり判らない。この件であんたたちが俺に要求する仕事は一体何なんだ?」

「どうやら相当警戒されてしまったようですね。無理もない話ですが。ご想像の通り、この件についてある一線を越えて知りすぎてしまえば、嫌も応も無く我々の依頼を受けていただかなくてはならなくなります。では、その一線を越えない範囲で依頼内容をお教えいたします。」

 そう言ってハナラワンサはワイングラスを手に取り、口を湿した。その動作の間部屋に静寂が降り、衣擦れの音だけが聞こえる。

「これまでの話から、現在、我が国ハフォンが国家存亡の危機といえる状態にあることはご想像戴けたかと思います。ご存じのように、ハフォンはこの数千年間、銀河種族連合(Species of Garaxy Alliance; SGA)の一員として汎銀河戦争を戦ってきました。地球も同じSGAの一員として、我らと肩を並べて戦っていることはよくご存じと思います。一方、SGAと敵対する種族間連合のひとつとして星間種族連合(Inter Solar System Racive Alliance; ISRA)が有ります。このISRAに加盟している有力な星間種族としてフィコンレイドと呼ばれる種族があることをご存じですか?」

 むろん知っていた。
 汎銀河戦争は、ファラゾア、デブルヌイゾアッソ、ラフィーダといった、単独の種族で強大な戦力を持つ列強種族と言われる者達と、地球やハフォンなどのように十分な戦力を持たない種族が連携した同盟の、大小10程度のセクトが入り交じって銀河系のこちら側1/3程度の空間で戦っている戦争だ。
 地球は好き好んでこの戦争に参加したわけではなかった。
 地球人は約三百年前に星間航行を手に入れ、どんな未知の種族との出会いがあるかと期待に胸を膨らませて銀河系に乗り出したら、そこはどいつもこいつもが全力で殴り合いをやっている戦場のど真ん中だった、という話だ。
 すでにどうやって収拾を着ければいいのかさえ分からなくなるほど泥沼化し、多くの同盟関係が裏切り裏切られて離散集合を繰り返し、飽きもせず数十万年も戦い続けている戦争だった。
 初めてその事実を知らされた地球人外交官たちは、ひょっとしたら銀河種族たちというのはどいつもこいつも救いようのないバカぞろいなのではないか、と頭を抱えてしまったという。
 
 実は汎銀河戦争が延々と続いているのには理由(わけ)がある。
 俺たち地球人にしてみれば、信じられないような理由だった。
 汎銀河戦争では、民間人が居住する惑星に対して一切攻撃を加えないのが当然のことであった。
 居住惑星だけではなく、民間の旅客船、輸送船を始め、民間企業が設置したステーションや民間人が居住している人工コロニーなど、非戦闘員が存在する施設や非戦闘員そのものに対して攻撃を加えることがタブー視されていた。
 地球で言えば、まるで中世の騎士たちの戦いのような行儀良く秩序だった戦争が、汎銀河戦争だった。これでは決着が付くはずがなかった。
 
 騎士たちのように名乗りを上げたりこそはしないが、戦闘は基本的に星系外の空間で行われ、例え流れ弾であっても居住惑星に被害が及ぶことがないように十分に気を配られて戦闘が行われていた。
 そして戦闘自体も、戦っているどちらかの陣営が明らかに劣勢になり、負けを認めた時点で終結する。
 敗退して引き上げていく敵艦隊を追撃して殲滅するような下品な行動はあり得ないのだった。
 そのような行動をとった場合、勝つためには手段を選ばない薄汚い奴として同盟内での評判を落とすこととなり、また時によっては同盟から除名される事もあった。
 十分な武力を持たない種族にとって同盟国を失うことはまさに死活問題であり、例え相手がどれほどの仇敵であって、今畳み掛けて攻撃すれば戦略的に大きく有利に立てることが分かっていたとしても、負けを認めた敵に攻撃を加えることはあってはならない事なのだった。

 その手のタブーは、前述のような戦略戦術的なものだけにとどまらず、戦闘に使用する兵器にも存在した。
 例えば誰もがすぐ思いつく超重力兵器、要するにブラックホール爆弾。
 この世のありとあらゆるものを吸い込んで消し去ってしまう恐ろしげな効果の割には、重力ジェネレータをフルパワーで動かせばごく簡単に出来る最終兵器であるが、この手の超重力兵器の使用もタブー視されていた。
 超大型のブラックホール爆弾を一発作り、これを敵主星系内に放り込めば、少々時間はかかるが確実に敵を壊滅することが出来る。
 しかしながらこの爆弾は、確実に民間人に深刻な損害を与えることから使用がタブーとなっている。
 その逆で、恒星内に反応推進剤を多量に打ち込んでやればこれもまたいとも簡単に作り出せるスーパーノヴァ爆弾も、その星系のみならず周囲数百光年の星系とそこに居住する民間人に深刻な影響を与えることから、使用がタブー視されているものだった。

 このようにして沢山の禁忌に縛られた中で、まるでスポーツマンシップに乗っ取った競技であるかのように正々堂々と戦っていれば、それは確かに数十万年も決着の付かないだらだらとした戦争になるであろう事は容易に想像できる。
 遠慮無く都市を絨毯爆撃し、民間人居住域に躊躇い無く反応弾を打ち込み、兵站の切断と称して民間の輸送船撃沈を最優先課題とし、必要に応じて町や村を襲撃してそのまま火をかけて消滅させる、容赦なく徹底的な戦い方をする俺たち地球人から見れば、連中の戦い方はまさにスポーツでしかなかった。
 とある地球人経済学者などは、汎銀河戦争というのは、国民への危険無く大量生産と大量消費を行うため遙か昔に考え出された一種の経済活動なのではないか、とまで言い出す始末だった。
 いずれにしても、俺たち地球人的にはどれほどバカバカしかろうと、それが汎銀河戦争であり、そしてそこに地球も巻き込まれたのだ。

 話を戻そう。
 ハフォンと地球は同じ種族間同盟である銀河種族連合(SGA)に加盟していた。
 これに対してハナラワンサが名を挙げたフィコンレイドは、星間種族連合(ISRA)という同盟に加盟している。
 勿論これら二つの同盟は敵対しているのだが、ハフォンとフィコンレイドは同盟というくくりを越えて、遙か昔から敵対している種族だった。
 
 汎銀河戦争に参戦しているそれぞれの星間種族連合に名を連ねる種族は固定ではなかった。
 例えば今日SGAの一員として戦っていた種族が、同じSGA加盟種族である別の種族と対立し、どちらか一方が同盟を破棄して突然ISRAに移る、というような事は日常茶飯事的に行われていた。
 
 しかしながらハフォンとフィコンレイドという長らく敵対する二つの種族は、一度として同じ同盟に名を連ねたことが無かった。
 これは、それぞれの支配宙域が下手に隣接しているために、常になんらかの領土的問題を抱えている、というような現実的な問題も原因の一つであったが、それよりも彼らの民族性というか、メンタリティ的な問題が主な理由であった。
 ハフォンは民族宗教とも呼べるような多神教宗教を持っていた。これに対してフィコンレイドにはそのような宗教はなかった。
 宗教的バックボーンから、曲がったことが大嫌いなハフォンの民族性と、利益を得るためには裏切りなどの少々汚いことも厭わないフィコンレイドでは、そのメンタリティをお互いに受け入れることが非常に難しかった。
 結果、ハフォンはフィコンレイドのことを義というものを理解しない卑劣な恥知らずと蔑み、フィコンレイドはハフォンのことを綺麗事ばかり並べ立てて融通の利かない頭の固い愚か者どもと馬鹿にしていた。
 前述の通り、彼らの支配領域は近く隣接しているため、ことある毎にぶつかり合っており、お互いに相手のことを仇敵と認め合う間柄であった。

「我がハフォンとフィコンレイドは長く敵対関係を続けております。いや、一度も友好関係を結んだことがない、と言った方が正しい表現でしょうね。そして今、我がハフォンで重大な国内問題が発生しようとしています。起こってしまえば、政治的、経済的、軍事的にも国内の大混乱は避けられない。そしてそんな好機を見逃すフィコンレイドではありません。仇敵を打ち負かす絶好の機会と、彼らは雪崩を打って我がハフォン領域に攻め込んでくるでしょう。そして国内が大混乱状態の我々には、これを迎え撃つだけの余力がない。易々と彼らに占領されてしまうことでしょう。
「一度彼らの従族となってしまえば、フィコンレイドは徹底的な搾取をハフォンに対して行うでしょう。経済的、軍事的にハフォンは二度と独り立ちできなくなり、そう遠くない将来フィコンレイドに同化されてしまうか、ほとんど奴隷同然の扱いを受ける惨めな従族と成り下がることでしょう。」

 わざと避けているとしか思えなかった。
 ハフォンの戦略的な危機について知りたい訳じゃない。その「国内問題」が何なのか、そして俺にどんな仕事を期待するのか、そこが知りたいのだ。
 あからさまにそこを避けて説明すると言うことは、それが「知ってしまえば引き返せない情報」なのだろう。
 知らなければ判断できないが、知ってしまえばもう引き返せない。
 さて、どうするか。
 
 面倒だ。直球勝負でいこう。俺は腹芸は苦手だ。
 
「なかなか判断材料を得られないな。その『近々発生しそうな重大な国内問題』とやらが俺の仕事の対象で、かつそれが何か知ってしまえば戻れない情報なのだろう?じゃあせめて、俺の職種を教えてくれないか。パイロットではないのであれば、何の仕事を要求されるんだ?地球人らしく用心棒か?それとも傭兵部隊に編入されるのか?」

 奴の語った条件の中に、地球人であること、というのがあった。銀河中に名の知れた戦闘種族に期待する役割なんて、どうせ荒事関係に決まっている。

「あなたに期待する役割は、いわゆるスパイです。とある集団の中に潜り込んで、そこから情報を持ち帰っていただきたい。可能であれば、その面倒ごとをそっくり潰して戴きたい。」

 わずかに考え込んだ後、ハナラワンサはそう言った。
 スパイ?それは想定していなかった。
 そもそもスパイなんて言うものは、長く厳しいその道の訓練を耐え抜いた僅かなエリートが与えられる仕事だと思っていた。
 頭脳明晰かつ肉体は壮健、冷徹な判断を下すことが出来、その上体術や射撃などいくつもの特技に秀でた、殆どスーパーマンのような一握りの人間が任務に就くきわめて特殊な仕事、というのが俺の想像するスパイ像だ。
 自分の船も失くし酒場でゴロを巻いていたチンピラパイロットが、明日からやれと言われて出来るような仕事ではないだろう。

「すまない。国を救ってくれだとか、スパイをやれだとか、どうも担がれているとしか思えない。余りに現実感がない。俺にそんなことが出来るとは到底思えない。」

そう言った俺の顔を相変わらず真っ直ぐ見ながら、ハラナワンサは言った。

「では、だまされたと思って話に乗ってみるのはどうですか?案外合っているかも知れませんよ?」

人なつこそうに見えて、その実全く動きのないハナラワンサの笑顔が、悪魔のほほえみに見えた。
 
 そのとき、玄関のチャイムが鳴る。
 おかしなところでおかしな話をしているおかげで、思わず過敏に反応してしまう。
 俺の表情に疑念の色が浮かんだのを見て取ったのだろう、ハナラワンサは仮面のような笑顔をよりいっそう深くした。
 
「もう一人の仲間が帰ってきましたね。会えば驚きますよ?」
 
 驚く? なぜだ?
 ハナラワンサは相変わらず俺の目を見て微笑み続けていたが、続き部屋からブルカが一人音も無く出てきて、玄関の方に向かって歩いて行った。
 
 玄関のドアがカチャリと開く音がした。
 なぜか少し違和感を感じた。
 玄関の方から、床をブラシで磨くような音がした。
 玄関で何か重く湿ったものが床に落ちる音がするのと、俺の向かいに座っているハナラワンサの上半身が真っ赤な飛沫になって消し飛ぶのが同時だった。
 俺は横に座っているブラソンの上着の襟を掴むと、力任せに引きずりながら、ブラソンの身体もろとも俺が座っているソファの背を飛び越えて床に伏せた。

 
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