夜空に瞬く星に向かって

松由 実行

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第一章 危険に見合った報酬

1. 惑星ハバ・ダマナン 首都ダマナンカス

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■ 1.1.1
 
 
 やつらがやってきたのは、俺が久々の仕事を終えてパダリナン星系の惑星ハバ・ダマナンの首都、ダマナンカスのとある裏通りにある酒場で一杯引っかけていたときだった。
 仕事も久々なら、酒を口にするのも久々だった。
 今にして思えば、調子に乗って少々飲み過ぎていたかも知れなかった。
 そうでなければ、幾ら金に困っていたとは言え、あれほど胡散臭い仕事に手を出しはしなかっただろう。

 その頃、自分の船を無くしたばかりの俺は、その船を失う事になった仕事の積み荷の賠償金を払ったために借金まみれで、クレジットの中身と宿代と次の仕事とのバランスを常に考えていなければならないような状態だった。
 自分の船を失くす様なマヌケ野郎に任せる仕事はないと、あちこちの運送屋から仕事の斡旋を断られ、割の良いパイロットの仕事にこだわるのはそろそろ諦めて、昔少しかじった剣道をネタにして警備員の仕事でも探し始めようか、などと思い始めていた矢先だった。
 地球人(テラン)の戦闘能力の高さは銀河中に知られていた。
 若い頃に武術の修行をしていた、等と言えば、ガードマンとして雇いたいと言う輩はごまんといるはずだった。
 勿論その場合、もし本当にその筋の人間やプロフェッショナルと格闘になったときにはかなりヤバイ事になる、という実際問題があった。
 剣道を習ったと言っても、子供の頃にほんの数年間付き合いで実家の近所の道場に通っただけで、実際の戦闘に役立つレベルとはとうてい思えなかった。それが転職計画をまだ実行に移していない最大の理由だった。
 
 確か「金色の連星」とか云う名前だったその酒場の中は、色々な種族が入り交じった客で一杯だった。
 そのほとんどが、地球人と同じ所謂ヒューマノイドタイプの種族だったが、中には爬虫類や昆虫や、地球人の感覚で言えばよく分からない生物のごった混ぜの様な外見をした種族の客もちらほら見受けられた。
 カウンターに座った俺の隣には、今日終わったばかりの今回の仕事で俺と同じ船に乗り、システム担当だったパイニエ人が座っていた。名前はブラソンと言った。
 パイニエ人らしく、明るく、皮肉屋で、そして何よりも酒が大好きな奴だった。航海中妙に意気投合してしまい、船を下りたあと懐具合を気にしつつも久々の酒を飲む気になったのは奴の誘いのせいだ。
 まぁ、たまにはこういうのも悪くない。
 
 反対側の席には、やたらと露出度の高い派手なドレスを着た娼婦が座っていた。
 銀河中どこに行ってもこの商売は史上最古で、そしてもっとも永く続いている職種だった。
 女は何人か分からないほどに派手に化粧をして、紫がかった金色に輝く髪をふわりと背中に垂らしていた。
 地球人の基準から考えてかなりの美人だったが、俺の好みからすると少々喋りすぎる女だった。
 
 俺も生きていくために金を稼ぐ必要があったが、それは彼女も同じようだった。
 俺達が船を下りたばかりのパイロットと航海士と聞いて寄ってきたのだった。
 普通、船を下りたばかりの船乗りは小金を持っており、長い航海の間続いた禁欲生活の憂さを晴らそうと、酒に博打に女というお決まりのコースで派手なカネの使い方をするものだ。この辺りは、地球人も銀河種族達も変わりが無かった。
 彼女は俺たちがまさにそうした船乗りだと見当を付けて寄って来たようだった。
 残念ながら、酒を数杯引っかけはしても、女を買う気にはまだまだなれないような懐具合だった俺は、適当に相づちを打って女がそのうち諦めるのを待っていた。
 だが女は、俺と似たような懐具合なのか、案外にしつこく居座り続けた。

 目の前におかれた何杯目かのグラスの中のギムレットが底からあと指一本分まで減り、次のグラスを頼むか、そろそろ切り上げて今夜の宿を探し始めるか迷っていた時、不意に後ろから声をかけられた。
 
「あなたは、テランか? マサシというのは、あなたか?」

 オリジナルの音声を追うようにして、もっとも慣れ親しんだ言語がカウンターに肘を突いた俺の背中に降りかかった。
 酒場の喧噪の中で、翻訳機を通したらしい音声は少々聞き取りにくかった。
 突然の呼びかけに少し驚きつつ、俺は背中から上だけでゆっくりと振り向いた。

 この言葉から、全てが始まったのだ。
 この日この時、ブラソンと共にここで酒を飲んでいなかったら、もしくは飲み過ぎてとっくに出来上がり、女を買う金もなく一人寂しく寝床に入っていたなら、俺の人生は全然違うものになったはずだ。
 人の人生なんてそんなもんだ。どこで何が起こるか分かったもんじゃない。
 ただ、俺はこのときの選択を後悔はしていない。
 例えその前後で俺の人生の方向性が大きく変わってしまったのだとしても、だ。
 
 振り向いた俺の視線の先には、少しゆったりとした地味な柔らかい灰色のブルカを纏ったハフォン人が三人立っていた。
 ハフォン人を酒場で見かけるというのは珍しい事だった。彼らの多くは宗教的理由から酒を飲まない。
 彼らが今着ている衣装を|地球標準語__英語__#で「ブルカ」と呼ぶのも、教義や禁欲的生活がイスラム教徒によく似ているからだった。
 実際、俺の前に立った三人のその全身を覆うローブはブルカに似ていた。
 こういうとハフォン人とは堅苦しい奴らであるように聞こえるが、同じ「宗教」というものを持っていると言う理由から地球人に対してかなり友好的であるのも確かだった。
 利害を抜きにした友好関係は壊れにくく、長く続く。地球人が銀河に乗り出した当初から、彼らは友好的な態度を示し続けてくれていた。

 銀河は戦争を続けていた。
 銀河系のこちら側三分の一に居住する種族全てを巻き込んだこの戦争を、地球では汎銀河戦争と呼ぶ。
 何十万年も前に誰かが始めた戦争だった。もう既に何が原因で始まったのかさえ分からないような戦争だった。
 ここ数百年で銀河に乗り出したばかりの新参者の地球人も、否応なくこの戦争に巻き込まれた。
 とある理由から地球人の戦闘能力は非常に高く、それが新参者かつ弱小勢力である俺たち地球人がまだ生き残っていられる理由だった。
 
 約300年前地球人が銀河の表舞台にこっそりと顔をのぞかせたときには、地球人類の戦闘能力の高さはすでに銀河中に知れ渡っていた。
 宗主族の支配の手を打ち破って独立した元気な奴らがやってくるらしい、という噂で持ちきりだったようだ。
 その戦闘能力の高さを知って積極的に同盟を結ぼうとする種族も多かったようだ。
 だから、生き残れた。
 そうでなければ、ほんの数万年前にやっと火を使い始めたばかりの、穴居人に毛が生えた程度の地球人類など、一瞬で消し去られたに違いなかった。
 その気になれば太陽系ごと消滅させる事だって可能なのだ。

 「戦争をする。多くの船が壊れる。新しいものが必要となる。需要が発生し、産業が潤う。これが経済というものさ。戦争は経済活動の一部、産業の一部だ。俺に直接火の粉が降りかからない限り、俺はいっこうに構わないね。」と、皮肉屋のブラソンは言っていた。
 のべつ幕無しにあらゆるところでドンパチやっている訳じゃない。
 そもそも星系間空間は気が遠くなるほど広い。銀河はもっと広い。
 誰かと誰かがどこかで何十万隻という規模で激しく戦っていようが、その脇では敵対している種族の間を第三の種族が操る数多くの交易船が行き来していた。
 銀河系に生息する多くの種族が何十万年分先に進歩していようが、やっている事の本質は地球人とたいして変わりがなかった。

「誰だ?あんた達?」

 パダリナン星系で最も一般的に使われているマジット語で答える。
 英語に反応したのだから、今更、という気もするが。
 不用意に名乗らないのは常識だ。
 どうやら俺に用があるらしいのは、相手の方だ。その用件をはっきりさせてからでなければ、自分の名前を肯定する事は出来ない。
 3人並んだブルカをまじまじと眺めながら、『誰だ、こいつら?』とネットワーク越しの音声を隣の席のブラソンに向けて打つ。間髪入れず『知らん』という短い答えが帰ってきた。
 まあ、そうだろうな。

 そもそもブルカを着たハフォン人が3人も酒場の中を横切ったことで酒場の注目を集めていたところにもってきて、そのハフォン人たちが席に座りもせずに俺と問答を始めたことで酒場中の注目を集めていた。
 しかし殆どの客が、珍しいハフォン人の相手が俺であることを認め、皆聞き耳を立てつつも注意を元の会話に戻していっていた。
 酒場の中には「ああ、またテランが何か面倒を起こしていやがる。面倒に巻き込まれるのは御免こうむる」という微妙な雰囲気が流れ始めていた。
 
 この酒場で顔が売れるほどに飲みに来た事は無かった。ましてや常連などでもない。
 ただちょっとしたいざこざがあり、俺が地球人であるという事は皆にばれていた。
 この酒場に入ってすぐに、かなり酔いが回っていた客からブラソンが喧嘩をふっかけられた。お互い顔見知りの様だった。昔のしがらみか何かがあった様だ。
 バーテンダーもその喧嘩を止めに入ったが、それよりもブラソンが放った一言の方がてきめんに効いた。

「こいつ、俺の相方なんだが。テランだぜ。」
 
 もちろん、それは俺のことだ。
 喧嘩を売ってきた相手はまだ多少の判断力が残る程度の酔い方だったらしく、驚きと疑念の入り交じった様な眼で俺の顔を眺め回すと、見る間に渋い表情になって「今日のところは勘弁しておいてやる」だとか何とか捨て台詞を吐いて自分のテーブルに戻っていった。
 一瞬騒然とした酒場の中も、男が自分の席に戻った事でいつものざわめきに戻っていった。
 
 甲殻類系や爬虫類系などのそもそも身体の造りが違う生まれたときからフルアーマーな連中を除いて、個人的なレベルで好き好んで地球人に喧嘩を売ろうとする酔狂な奴は殆ど居なかった。
 まずそもそも個人レベルでの戦闘能力が違う。
 そしていくら打ち倒されても絶対に諦めずに立ち上がってくる。よしんば倒せたとしてもいつまでも根に持ってお礼参りにやってくる。
 まるでタチの悪いヤクザか、ホラー映画にでも出てきそうなモンスターの様な印象を持たれていた。
 それが銀河種族が地球人に対して持っているイメージだ。
 そりゃ相手にしたくなくなりもするだろう。
 そんな、酒場中の皆が我関せずという振りを装いつつも聞き耳を立てている中、ブルカから発せられたのはなかなかに衝撃的な言葉だった。

「私たちを助けて欲しい。多分、あなたでなければ出来ない。」

 翻訳機が言語を自動的にマジット語に変更した。
 これで辺りにいる連中にも聞こえるようになる。少なくともブラソンには分かる。
 翻訳機が発する簡潔かつ感情のこもらない言葉では、言葉の裏の意味を読みとる事など出来ない。
 だからいまの時点では、これが美味しい儲け話なのか、今すぐに席を立つべきヤバイ話なのか分からない。
 あなたでなければ、などという指名を受けるほど英雄的な行動を過去に取った記憶はなかった。取り立てて人に自慢できる様な特技もなかった。

「何か困っているのか?内容によっては助けてやらん事もないが?」

 助けろとは言っても、三人そろって道に迷っているのではないだろう。かといって、物乞いにも見えなかった。

「感謝する。詳しい話をしたい。場所を変えたい。マジェスティック・ホテルにあなたの部屋を用意してある。テランに人気のホテルだと聞いている。」

 俺の使った少々ひねくれた言い回しがどうやら誤訳され、承諾した事になっているようだ。
 高級ホテルの宿泊接待は魅力的だが、俺はまだ命が惜しい。

「翻訳機が誤訳したようだな。内容によっては手伝える可能性がある、と言った。」

 銀河系内にはヒューマノイド型の種族が非常に多いが、甲殻類や昆虫に似た姿を持つ種族もいる。
 そういった連中が使っている言葉の中には、どう頑張っても絶対に発音できない言葉、というものも存在する。発声器官の構造や意思疎通の手段が根本的に異なるからだ。
 そのような問題を解決するためにあるのが、今目の前のハフォン人の男が使っている小さな箱だった。
 どんな言葉も翻訳してくれる夢の箱だ。
 この三百年で、地球の代表的言語である英語やフランス語などもこの翻訳機のライブラリに格納された。
 余程ひねくれたしゃべり方をしない限りは、大概の会話は翻訳できる便利な代物だ。
 もっとも、今時言語学習はデータを脳内のバイオチップか脳そのものに直接そっくりロードする方法が採られる。基本的に、これでどんな言語も喋る事が出来る様になる。
 発音できないなら、翻訳サービスを介してメッセージでやりとりしても良い。
 翻訳機の出番など、ほとんど無いと言って良い。
 ただハフォン人は宗教上の理由でバイオチップを用いないばかりか、データロードも用いないと聞いた事がある。だから、翻訳機を使っているのだろう。

「それは失礼した。しかし、内容を伝えるためには部屋に来て貰わなければならない。大勢人がいるところで話す内容ではない。それと、あなたがマサシであるかという質問に、まだ答えて貰っていないようだ。」

 観念する事にした。
 連中が要求しているのがどういう条件なのかは知らないが、その条件に該当するのが俺である事を調べ上げ、今日ここに到着する船に乗っている事をどこからか聞きつけて、そしてこの酒場で飲んでいる事を突き止めた様な奴らだ。
 部屋に入ろうが入るまいが、危険度には変わりはないだろう。
 そして、引き返すなら今が最後のチャンスだった。

「儲け話か?」

「今日あなたが得た収入の百倍近い報酬を提供できるだろう。」
 
 昔から、旨い話には裏がある、という。
 地球だけじゃ無い。銀河の多くの種族が、似た様な格言めいた言葉を持っている。
 今日俺が得た収入は、例え雇われであっても船乗りの、しかもパイロットとしての報酬だ。
 一回分の航海の報酬はその辺の事務員の年収に近い額になる。その百倍を出そうと云うのだ。
 即ち、その辺の事務員の一生分の給料をくれるという。
 裏が存在しない訳がない。
 
 怪しげな話だというのは当然だが、別の見方も出来た。
 誰がどう考えてもおかしい話を、こうやってバカ正直に正面切って持ってくるというのは、俺がそれを受ける可能性があると踏んだからだろう。
 なぜなら、もっと簡単な方法がある。
 拉致して、脅して、命と引き替えに言う事を聞かせればいいのだ。何の組織的な後ろ盾のないパイロット一人、言う事を聞かせるなど簡単なものだろう。
 そして報酬の支払いの時点で俺が生きていなければ、報酬を支払う必要など無いのだ。
 
 それは借金まみれの俺には、あまりに魅力的すぎる金額だった。
 それだけあれば、残った借金を全部返して、恒星間(ジャンプ)ドライブを付けた新型の船を買って、艤装を行ってもまだ余りある。
 
 いやまてよ、俺が金に困っているのを知っていて見せ餌だけ大きくして俺を釣ろうとしているのかも知れない。

 そんな考えが頭の中をぐるぐるして、何が何だか分からない状態になってきた。
 ここしばらく仕事を干されてしまって、次の収入の当てもない。
 だが目の前には、少なくともカネの儲かる話がぶら下がっている。
 思い切って飛び込んでみるか?

「こいつも一緒に行って良いか?」

 と、ブラソンの方を指さした。

「え、俺?」

 事の成り行きを脇から眺めていたブラソンが驚いた顔をするのが見えた。
 まあ、そうだろうな。

「すまんが、ちょっと付き合ってくれ。一人じゃ寂しくて、な。」

奴には悪いが、酒に付き合ったお返しに俺の方の用事に少し付き合って貰おう。VRでなくて、リアルで。しばらく前に、奴が売られた喧嘩を回避するために黙ってダシになってやったという恩義もある。渋々同意しつつも面白がっているシンボルがSMSで送られてきた。システムエンジニアには比較的神経質な奴が多いのだが、案外肝の据わった奴だった。

「パイニエ人だな。システムエンジニアと聞いている。構わない。必要であれば、彼にも同じだけの報酬を用意する。」と、翻訳機の抑揚のない声が言った。

「何だって?」

今度は俺が驚く番だった。そして強い猜疑心が沸き起こるのを感じた。話が旨すぎる。隣でブラソンが大笑いを始める。シンボルではない。声を出して笑っている。

「驚くのも無理はない。だが、それだけの報酬を払ってもまだ払い足りない事を頼みたい。もちろん、それなりの危険を伴う。」

ブルカの開口部から覗いた目がちらりとブラソンを見て、俺に戻る。それなりの危険、というのが気になる。そこが問題なのだ。

「どういった危険だ?」

「あなたの生命に関する危険だ。」

「そんな事は分かっている。どういう風に、どれくらい命が危ないのか、と聞いている。100人行ったら99人帰って来れないのか、五分の勝算はあるのか、立ち回り方ではもっと有利になるのか。そもそも、どんな危険なのか。」

「済まないが、その内容をここで話す訳にはいかない。あなたばかりか、我々の命も危うくなる可能性がある。99%の失敗よりは低い可能性が推測されている事はお伝えする。あなた次第でその勝率は大きく変わるだろう。」

 何も答えていないに等しい返答だった。

 翻訳機は、抑揚まで再現は出来ないが、使った言葉の意味は出来るだけ正しく再現しようとする。「バカヤロウ」と「愚か者」では、異なった言葉を使って翻訳する。
 つまり、バカヤロウの方が俗語に近く、愚か者の方が格調高く翻訳されるという訳だ。
 そして文章のロジックもそのまま翻訳される。
 連中の言葉遣いは非常に簡潔で、そして正しかった。
 どこかの軍人上がりか、役人の様に聞こえる。裏通りで育ったヤクザ者の言葉遣いではなかった。
 もっとも役所の要求は、時にヤクザの要求よりも余程苛烈である事もあるが。

 今回の100倍の報酬だから100倍危険だというわけでもないだろう。
 いや、ことによるとそれ以上かも知れないが。
 いずれにしても話を聞かねば何も始まらない。
 ブラソンを連れて行く事で、マジェスティック・ホテルでの危険性を下げる事が出来るだろう。
 だが、話を聞いたが最後、断るためには代償に命を差し出す必要がある類の話ではないか、という気もしないではなかった。
 それでも俺の腹はもうほとんど決まっていた。
 俺は自分の名前を名乗り、そしてホテルに同行する旨を伝えた。
 妙な奴らに目を付けられた、という諦めが半分と言った所だが、頭の中の天秤が大きく金の方に傾いていたというのもある。勿論、好奇心も多分に追加されていた。

「あんた、止めときなよ。おかしすぎるって、その話。」

 俺の右から女の声がした。まだ座っていたのか。
 今俺はスツールを回し、カウンターに背を向けて座っているので女の位置は右側になる。

「悪い事は言わない、って。絶対ヤバイよその話。地道に稼ぐのが一番だって。」

 娼婦に説教されるとは思わなかった。
 女の言葉に逆に後押しされる形で、俺はバーカウンターのスツールから降りた。

「お前の口から、地道に稼ぐ、という言葉が聞けるとはな。」

「何言ってんのよ。アタシは身体張って地道に稼いでんのよ。」

「は、違いねぇ。ブラソン、行けるか?」

 ブラソンは皮肉な笑いを浮かべて、ハフォン人3人組を胡散臭げな目で眺め回しながらも、スツールを降りた。
 システムエンジニアの割には肝の据わった奴だった。普通なら、ビビってしまって「俺は無関係だ」などと言うところだ。
 ハフォン人達はブルカで風を捲きながらくるりと回れ右をして、酒場の出口に向けて歩き始めた。
 多少酔いは回っているものの、まだまだ足取りはしっかりしている俺たちがその後に続いた。

 女は俺たちの方をずっと見ていた。
 酒場の入り口を抜け少し名残惜しげに振り返ると、閉まるドアの隙間からこっちを見ている女と眼が合った。
 そして薄汚れた金色のドアが、俺たちの交錯する視線を遮った。
 女の心配そうな眼に、アドレスを交換しなかった事を少し悔やんだ。

 閉まったドアから目を離し、ハフォン人達が歩く方向を見る。
 決して広いとは言えない裏通りを、ゴミや千鳥足の酔っぱらいなどの障害物を器用に避けながら3人は平然と歩いていく。
 その身のこなしから、3人ともそれなりに訓練された軍人に見えた。
 あのブルカは、ブルカを着る事でダマナンカスの街中で目立ってしまう事よりも、個人を特定されない事に徹底的に主眼をおいたものだろう。
 
 政府機関の人間がそれだけ用心する話。
 一瞬、後ろを向いて逃げ出そうかとも思ったが、ガードマンに転職しても余り変わらない境遇が待っているだけである事に気付いた。
 ネットワークからマジェスティック・ホテルの場所を特定する。
 ホテルは、歩くには少し遠いが、ビークルを呼ぶには近すぎる距離だった。
 チップを持たないハフォン人達はステーションまで行かねば車を拾えない。つまり、彼らはホテルまで歩く気だろう。
 俺達は既にかなり距離が開いてしまったハフォン人達の後ろを付いていく事にした。
 
 どんな話も、話を聞いてみなければ分からないのだ。
 もっとも、分かったときにはもう遅かった、などという話もあるのだが。
 後悔先に立たず、というやつだ。
 
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