夜空に瞬く星に向かって

松由 実行

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第一章 危険に見合った報酬

3. もうひとり

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■ 1.3.1
 
 
 隣室から足音が出てくる。
 玄関の方からまた摩擦音がする。
 玄関からの音が終わるか終わらないかというタイミングで、ベッドルームとの境あたりで重く湿ったものが床に落ちる音がする。
 ブラシで床を磨くような音の音源は、多分コイルガンだろう。
 物理弾体を電磁的に加速して打ち出す、携行型のレールガンの一種だ。
 重力加速レールガンに較べて、加速用電磁コイル分だけバレルが長くなって小銃並みの長さになってしまうが、その分火薬の爆発音や重力異常が発生しないので、周りに気付かれることなく発砲することが出来る。
 しかもバレルが長く、弾速も自由に変更できるので長距離の狙撃も出来るという、まさに暗殺者御用達の銃だ。
 一撃で少佐の上半身が消し飛んだということは、弾速を相当高目に設定している。
 つまり、殺す気満々で殴り込んできた、というわけだ。
 
 ソファの後ろで息を詰める。
 ブラソンも身じろぎさえしない。
 ブラソンはどうか知らないが、俺は完全に丸腰だった。
 とにかく様子を見て、隙を突いて逃げ出すしか手は無い。
 
 絨毯にかなり吸収されているが、重い足音がゆっくりと入り口から室内に入ってきた。
 俺達がソファの陰に入っているので相手の姿を確認することができないが、足音の数から二人だと見当を付ける。
 この部屋は電磁的に完全に遮断されているとのことだった。
 つまり襲撃者は部屋に入ってくる前に中を確認することができなかった筈で、室内に何人の人間がいるか完全には特定出来ていないだろう。
 つけいる隙が出来るとすると、その点だけだ。
 連中は、たぶん俺たちの存在に気づいていない。
 
 息の詰まるような時間が流れる。
 動悸が速くなっているのが自分でも分かる。
 パニックを起こしかけている頭を無理に落ち着かせ、呼吸音さえ気取られないように口を開いて、毛足の長い床の絨毯に口を突っ込んで息をする。
 一人の足音が室内で止まる。
 もう一人は立ち止まらず、隣の部屋に入っていく。
 確か隣の部屋にはもう一人ブルカがまだ残っているはずだ。
 火薬式の銃撃音が数発、それと同時にコイルガンの音。
 今しかない。
 
 ソファ脇のライトスタンドテーブルの脚を右手で掴みながら跳ね起きる。
 都合のいいことにこのサイドデスクは重厚な木製で、ご丁寧に分厚い大理石の天板まで付いている。鈍器としては申し分ない。
 ソファの陰から立ち上がりながら近くにいる筈の一人の姿と距離を確認する。
 黒いヘルメット、全身艶消し黒ずくめのピッタリとしたスーツ。
 多分、軽装Light甲スーArmoredSuit(LAS)だろう。
 
 立ち上がりながら力任せにサイドデスクをぶん回す。
 相手はこちらにまだ気づいていないか、気付いているとしても全く反応できていない。
 サイドデスクをヘルメットに向けて横殴りに力任せに叩き付ける。
 見事、天板の大理石の一辺がヘルメットにクリーンヒットした。
 
 LASのヘルメットは装甲性に優れ、衝撃吸収性にも優れるが、それは銃撃された場合の話だ。
 こんな重量物に横殴りにされては、衝撃以前に完全に頭を持って行かれる。
 どんなに装甲の堅いヘルメットでも、中身までそうだとは限らない。
 相手はLASを着てヘルメットを被っていたが、そうでなければ一撃で殺すつもりで叩き付けたサイドデスクだ。
 俺が鈍器に使ったサイドデスクの上に元々載せられていた陶器製のライトスタンドが、テーブルにぶつかって派手な音を立てて割れるのと、俺の目の前の黒LAS野郎が横向きに吹っ飛ぶのはほぼ同時だった。
 
 視線を上げてもう一人を捜す。
 丁度隣室から出てくるところで、黒いスーツの右肩だけが壁の向こうに見えた。
 居間の方で派手な音がしたのが聞こえ、何が起こったのか混乱しているはずだ。
 俺がもう一度サイドデスクに勢いを付け始めるのと、やっと反応したもう一人の黒LASが壁の陰から飛び出してこようとするのがほぼ同時だった。
 サイドデスクをLAS野郎に向かって投げつける。
 同時にソファの背もたれを飛び越える。
 横目で、一人目のスーツが床に伸びたまま動かないことを確認する。
 サイドデスクは遮蔽物の陰から出てきたスーツ野郎に真っ直ぐ激突した。
 ただ今度は相手の胸の辺りにぶつかった。昏倒させるほどの威力はない。
 LASはそれなりに耐衝撃性に優れている。
 
 背もたれを飛び越えた俺は、最初のスーツ野郎が持っていたコイルガンを床から拾い上げる。
 無駄とは思いつつ、一応引き金を引く。反応はない。
 射手のチップID情報が一致しないので動作しないのだ。
 空中で銃の向きを変えて持ち替え、よろめくスーツ野郎に突進する。
 その勢いを乗せて、銃のグリップをヘルメットの顎の下に突き入れる。
 スーツ野郎は後ろに吹っ飛び、隣室の床を滑って行く。
 この程度の衝撃では気絶させるのは無理だろう。
 
 床に寝ているスーツ野郎の首をめがけて、畳み掛けるようにコイルガンを力一杯振り下ろす。
 避けようと身体をひねったスーツ野郎のヘルメットの顎に当たり、コイルガンが跳ね上がる。
 遅ればせながらスーツ野郎が左手を上げて俺の攻撃を止めようとする。
 LASにはパワーアシストはほとんど無いので、打ち負けることはない。
 しかし防御力は並の宇宙服とは比べものにならないほど高いので、銃で殴ったぐらいでは相手に致命傷を与えることもできない。
 床に仰向けになった相手のヘルメットめがけて、銃床で何発もアッパーカットを食らわせるが、ダメージを与えられているようには見えない。
 クソ。一旦仕切り直すか。
 
 一歩下がり、状況を確認する。
 リビングルームの方のLASはまだ床に伸びている。
 目の前の黒LASが起き上がりながら右手を後ろに回す。
 多分、ウェストポケット辺りに隠したハンドガンを取り出そうとしているのだろう。
 スーツ野郎の右手が身体の前に回ってくると同時に一歩踏み込み、コイルガンの銃床で右手をなぎ払う。
 案の定、右手に握られていたハンドガンがはじき飛ばされ、固い音を立てて天井に当たり向こうに飛んでいく。
 黒スーツ野郎の左手にナイフが光る。
 おや。
 取り出すところに気付かなかった。右手に注意を引きつけておいて、その隙に左手で取り出したか。
 
 ナイフを持った黒スーツ野郎と、コイルガンを槍のように構えた俺が、ダイニングルームの真ん中でにらみ合う形になる。
 黒スーツ野郎はナイフを身体の前に構え、牽制攻撃を仕掛けてくる。
 その程度の攻撃を食らいなどしない。
 全てコイルガンで叩いてさばく。
 しかし、手詰まりになってしまった。
 攻撃は入るが致命傷を与えられない俺と、攻撃を入れることが出来ない黒スーツ野郎。
 その時、後ろから声がした。パイニエ語だった。
 
「マサシ!撃てるぞ!」
 
 何が、と聞くまでも無い。
 ブラソンがコイルガンのコントロールをクラックしてID情報をクリアしたのだろう。
 パイニエ語だったからだろう、黒スーツ野郎は状況が掴めていない。
 俺はコイルガンを前後逆に持ち替え、そのままトリガーを引いた。
 幾ら俺が素人だろうと、この距離で狙いが外れるわけがない。
 鳴り損ねた笛のような音がして実体弾が打ち出され、黒スーツ野郎に直撃する。
 銃床を当てている右手の二の腕に強い反動衝撃を受ける。
 黒いLASの胸に小さな穴が空き、LASが吹き飛ばされて壁に叩き付けられた。
 連射でさらに数発の弾を黒スーツ野郎に叩き込みながら、さすがLAS、ハナラワンサの上半身は一瞬でミンチになったがLASだと貫通さえしないのだな、などと妙に冷静なことを考えていた。
 
 ブラソンに声をかけて走り出す。
 リビングの床で気絶しているスーツ野郎が目を覚ます前に、さっさとこの部屋から退散するのが得策だ。
 内開きになっている玄関のドアに手をかけて手前に引いた瞬間、ドアの重さに違和感を感じた。
 ドアを引くと同時に、開いたドアの隙間から人影が室内に飛び込んでくる。
 
 まだいやがったか。
 足払いをかけて転がすと同時に相手の胸辺りにコイルガンを突きつける。
 突きつけたつもりが、コイルガンのバレルは灰色の布に絡みつかれて胸に当たっていなかった。
 なんだ? 布?
 よく見ると、俺の目の前のエントランスの床に倒れているのは黒いLASではなく、灰色のブルカだった。
 いや、まだだ。仲間の可能性だってある。
 
 コイルガンの先端で倒れているブルカの身体を突く。

「下手に動くなよ。身体半分消し飛ぶぞ。ゆっくりとブルカを取って顔を見せろ。」

 ブルカの中から妙に細い腕がゆっくりと出てきて、頭にかぶっている部分を取り去る。
 腕の細さから予想はしていたが、出てきたのは女の顔だった。
 ショートボブ程度に切り詰めた銀髪、深いコバルトブルーの瞳、細い顔、真っ白い肌。
 ハフォン人だった。感情に乏しそうな切れ長の目が俺を睨む。

「ハナラワンサ最上級隊長は?」
 
 この質問は多分、ハナラワンサの仲間だろう。
 彼は撃たれる直前に、もう一人帰ってくるというようなことを言っていた。
 
「ハナラワンサは死んだ。他の三人も死んだ。」
 
 一人は彼女のすぐ脇に転がっている。
 余裕が無かったので確認していなかったが、見ればズタズタの灰色のブルカが血に濡れて赤黒くなっている。
 ブルカの中の身体までは確認できないが、酷い状態であるのは間違いないだろう。
 
「あなたなの?」
 
 俺がコイルガンの銃口を外したので女は両手を後ろについて上半身を起こした。
 多分、目の前で人が死んでいくことに慣れているのだろう。仲間が死んだとは思えない落ち着き方だった。
 それでも切れ長の目がさらにキツくなる。
 
「違う。黒いLASを着た二人組が突入してきた。一人はその向こうで死んでいるが、もう一人は意識を失っているだけだ。そこにいる。」
 
 俺を睨み付けながら女は立ち上がり、そして後ろを向くとブラソンの脇を通って部屋の中に入っていった。
 成り行き上、女の後に付いていく。
 女はざっと部屋を見渡して、状況を理解したようだった。
 
「ID解除してあるの? 貸して。」
 
 女は俺からコイルガンをむしり取ると、床に伸びているスーツ野郎の胸に数発打ち込んだ。
 着弾の衝撃で黒いLASが床の上を跳ねる。
 俺よりも余程堂に入った銃の扱い方をしている。それなりの訓練を受けた人間なのだろう。
 
「で。どうするの?」
 
 質問の意味を取りかねた。
 だから、取り敢えず速やかに片付けなければならない事を答えた。
 
「とにかくこの部屋を出よう。いくら何でもこれだけ暴れれば警察もやってくるだろう。あんただって警察と関わり合いにはなりたくないだろう。」
 
 ハナラワンサも含めて今回俺にコンタクトしてきたハフォン人のグループは、諜報機関関係者だろうと思っていた。
 それだけに余計にヤバそうだった。
 そして警察のご厄介になりたくないのは、現場に居合わせた俺達もだが、現場に居合わせなくとも諜報機関関係者ならば同じだろうと思った。
 
「そうね。まずは場所を変えましょう。」
 
 そう言うと女はクローゼットに歩いて行き、中から黒いバックパックを取りだした。
 そしてブルカを全て脱いだ。ブルカの下はごく普通のシャツとパンツを着けていた。
 こちらの方がよほど目立たないと思うのだが。
 部屋を振り返る。
 黒スーツ野郎どもはそれなりに射撃の腕があったのか、無駄弾をほとんど撃っていないようだった。部屋の中に弾痕は目立たなかった。
 ぱっと見た限りでは六つも射殺体が転がっているとは思えない部屋だった。
 それでも、今日ここで人生を終えた奴が六人いる。
 
 船乗りとしてやってきたこれまでの俺の人生の中で、それなりに荒っぽいことも経験した。
 しかし、地上の銃撃戦で一度に六つもの死体が出るような事態は初めてだった。
 ハナラワンサの部下は、俺の命に関わる危険がある、と言った。
 どうやら確かにその通りの様だった。
 
 俺たち三人は部屋を出てエレベータに向かった。
 今頃になってやっと、部屋の中に充満した血の匂いが鼻につくようになってきていた。
 
 女はミリと名乗った。
 ハフォン情報軍に所属している最上級隊長、つまり少佐だと言った。
 ハナラワンサの方が先任であったため、彼がこのチームのリーダーを張っており、ミリは別働隊として動いていたのだという。
 それであの現場に居なかったのだ。
 
 思った通り、この女は諜報関係者だった。
 ミリという名前も多分偽名だろう。
 面倒なことになった。
 ただでさえ関わり合いになりたくない連中に目を付けられ接点を持ってしまった上に、仕事が始まる前からいきなり死体の山が出来た。
 この仕事に関しては嫌な予感しかしなかった。しかしもう、抜けられないところまで来てしまったようだ。
 全くいい迷惑だった。
 
 俺とブラソンはまだ今日の宿を決めていなかったので、とりあえず落ち着く先として下町にある先ほどのとはまた別の酒場のテーブルを囲んでいた。
 他の客の話し声がうるさく邪魔になるほど流行っているわけでもないが、店員が不必要にこちらに注意を向けないほどには客が入っている店だった。
 俺たちのテーブルに飲み物と軽い食事が運ばれてきた後、ハナラワンサの話をミリが引き継いだ。
 
 ミリは、ハフォンにクーデターの危機が迫っているのだと言った。
 王宮に詰める顧問相談役であるダナラソオンという男が首謀者で、徐々に仲間を集め洗脳してクーデター組織を作っているのは間違いがない。
 この組織に接触、もしくはうまく潜り込んで、クーデターに関する情報を手に入れて欲しい。
 ダナラソオンの身柄を確保できればもっと良い。必要であれば殺しても構わない。
 クーデター計画を潰すことができれば最高の出来だ、という事だった。
 
 色々と疑問の湧いてくる話だった。
 
 そもそも、仲間を集めて洗脳されてしまったところで、その面が割れていれば洗脳解除をすればいい。逆洗脳でもいい。難しい話ではない。
 ところがミリは首を縦に振らなかった。
 ダナラソオンは魔法を使って仲間たちを洗脳しているのだという。
 魔法による洗脳なので、通常の機械式暗示では解除も上書きもできないのだと言った。上書きするには同様の魔法を使うしか無いのだ、と。
 
 俺はまず、ミリの頭を疑い、自分の耳を疑って、そして自分が誰かから担がれている可能性を疑った。
 しかし、誰かの冗談であるとは思えなかった。
 すでにこの件に絡んで六人もの人間が死んでいる。冗談で人を殺す奴は居ないだろう。多分。
 
 それはまるで、出来損ないのファンタジーゲームのストーリーを聞いているようだった。
 王宮と、魔法と、叛乱軍。あとは勇者と美しい姫君が出てきて、その相談役が実は復活した大魔王だったら完璧だ。
 そう混ぜっ返したら、ミリからすごい眼で睨まれた。
 どうやら本気で言っているらしい。
 
 たとえミリは本気だったとしても、俺には到底信じられない話だった。
 この科学技術が進んだ世の中で、魔法なんてものを真面目に論じる奴が居るとは思わなかった。
 しかもその魔法を使って一国の政府を転覆させようとしている。
 ありえない。荒唐無稽すぎる。
 だが、依頼元は情報軍とは言え正規の軍だった。
 軍隊というのは極めて現実的なところだ。それこそ魔法でさえ数値と方程式で解析してしまおうとするのが、軍隊と云うところだ。
 彼女が全くの出鱈目や作り話を言っているとは思えなかった。
 
 ハフォンでは魔法が一般的に使われているのか、と尋ねた。
 勿論、半ば皮肉だ。本気ではない。
 まさかこの銀河系に、剣と魔法のファンタジー世界があるなどとは思っていないし、それを本気で信じている人間が居るとも思っていない。
 だが皮肉は通らなかったようだった。ミリはまじめな顔をして答えた。
 もちろん、ハフォンでも魔法は一般的ではない。
 ダナラソオンが使う洗脳と暗示が、どうやっても解析できないし、突破もできない。
 ハフォンの歴史の中に魔法使いとして記録されている人物が何人かおり、魔法というものがこの世に存在はする、という情報は元々ハフォンにあった。
 他の何にも当てはまらないのであるならば、魔法である可能性が非常に高いと結論づけられた、ということだった。
 
 機器計測や観察などで、魔法を使っているというポジティブな結果を得ているわけではなく、可能性を消去法で消していって、最後に残ったのが魔法、と言うことなのだろう。
 であれば、やはり未知の方式の催眠暗示なのだろう、と俺は思った。魔法などと。
 きっとその宮廷相談役の男はエスパーか、とんでもなく強い力を持った催眠術師で、既知のものとは比べ物にならないほど強力な催眠暗示を使えているだけだろう。
 もしかしたら独自に開発した強力な催眠暗示ユニットか何かを持っているのかも知れない。
 
 そうやって納得し、話を読み替えることにする。
 そうでなければミリの口から「魔法」という言葉が出る度にニヤニヤと笑ってしまいそうだった。
 彼女は軍人として、上層部から与えられた見解を元に行動しなければならない。
 だから魔法説を力説しているのだろう。
 本人が心の底から本気で魔法というものの存在を信じているかどうかはまた別物だろう。
 
 顔を突き合わせて喋っていたのは短時間だったが、そろそろミリの性格も掴めてきた。
 ジョークや皮肉といった表現が全く通じない、クソ真面目な性格をしているようだった。
 元々の性格なのか、軍隊にいるうちにおかしくなってしまったのか、もしかしたらハフォン人がジョークを解さないのか。
 いずれにしても、皮肉は通らず、ジョークを言えば不真面目だとあからさまに不機嫌な顔をされる。
 やりにくいことこの上ない。
 それはブラソンも同じように感じているようだった。奴は皮肉屋で、そして俺と波長が合うほどにジョーク好きだ。

「少々予想外の展開になってしまったけれど、こちらの条件は示したわ。どうするの?」

 彼女からどうするのかと訊かれるのはこれが二度目だった。
 
 どうするもこうするも無かった。
 ここで抜ければ、あの黒いLASを雇った連中からも付け狙われるだろう。
 今は面が割れていないとは言え、この手の組織の調査能力としつこさを甘くみるつもりはなかった。
 そして、色々と知りすぎた、としてミリ達の組織、つまりハフォン正規情報軍からもマークされることになる。下手すれば消される。
 やばい組織を二つも敵に回して生きていける筈がない。
 そんなときは、どちらかの味方になってしまうのが一番良い。
 今の時点で、その魔法使い(仮)とミリ達と、どちらが優勢なのかは分からないが、とりあえず正規軍の方に付いておいて損はないだろう。
 いや正しくは、目の前にいて、核融合反応さえ止めてしまいそうな冷たい目でこちらを睨み付けている正規軍のエージェントから逃げられるとはとても思えなかった。
 という様なメッセージをブラソンに送ると、ブラソンも笑いながら同意するメッセージを返してよこした。

「受けよう。ハフォンに入ってからのサポートも受けられるんだろう?」
 
 成り行き上なし崩し的に仕事を受けることになってしまった。
 ふと、この状況を作り出すが為に六人の人間を俺の目の前でわざわざ殺したのでは無いだろうな、と思ったが、さすがにそれは無いだろう。
 例えそうでも、ヤバイ話を受けてしまった以上、生き延びるための努力は最大限行うべきだし、そのための情報も最大限手に入れるべきだ。
 
「もちろん。あなた達素人が情報軍のサポート無しに諜報活動を行えるなんて期待していないわ。」

 目つきだけでなく、どうやら生来のキツイ性格のようだった。思わず苦笑いが漏れる。彼女はそんな俺をじっと見ていた。

 命の危険があるヤバイ依頼であることはすでに身をもって知った。そして、魔法などと呼ばれる正体不明のものを相手せねばならないことも。
 そして肝心な、ハフォン人達がなぜ俺に目を付けたかの理由も聞けた。俺の出自と名前がキーだった。
 
 俺の名前は、漢字で書けば「霧谷正司」となる。地球の、東アジアのごく一部地域でのみ使われる日本語を元にした命名だった。今では地球も英語を標準語としており、他の種族からも英語が「地球標準語」として認識されている。日本語など、実家に帰ったときに家族や幼なじみと話すときにしか使わない。しかしこの地域では、子供に伝統的な名前を付けることが習慣として残っていた。
 
 俺の名前の意味は「正義を司る者」と読みとることができる。しかし、英語でこれを表記した場合や、多言語でも普段口頭で俺の名前を呼ぶ分にはその意味は表面化しない。この、呼び名と、名前の意味との間の乖離が必要条件だった、とミリは言った。
 かのダナラソオンが使っているとおぼしき魔法は、名前を呼ぶことで対象に魔法を掛けるらしい。名前を呼んでターゲッティングした後、魔法をキャスティングする、というわけだ。呼び名と意味が乖離している場合、自分の名前の意味を意識したときに暗示魔法が解除される可能性が高いという。その話を聞いて、ますますもって強力な催眠暗示ではないか、と思うのだが、口には出さないでおく。話が面倒な方向に曲がっていくだけだ。
 特に俺の名前は「正義を司る者」などという大げさな意味を持っている。この名前を意識するなら、まず間違いなく魔法を解除することができるだろう、とミリは言った。
 ミリの判断ではないだろう。ハフォン情報軍の解析がそのように答をはじき出し、ハラナワンサ少佐もミリもその話を基に俺を探し出したのだろう。
 
 まあ、「正義」の定義は一体何だ?という疑問は残る。ハフォン情報軍には彼らの正義がある。その魔法使い達の集団にも、彼らなりの正義はあるだろう。洗脳されて「正義」の基準がすり替わったら、洗脳解除も何もあったもんじゃないと思うのだが。
 それよりも、ずいぶん薄弱な理由で俺を探したのだな、と少々驚く。そもそも魔法を使っているかどうかが確実ではない。俺の名前でその暗示が解けるのかどうかも確実ではない。余りに色々と不確かだった。クーデターを阻止するため他にも沢山の選択肢があるうちの一つが俺だった、と考えることもできるが、逆にこんな不確かなものにさえ頼らざるを得ないほどせっぱ詰まっているのだ、と取ることもできる。もちろん、ミリに訊いても本当のことは喋らないだろう。

 いつまでも酒場で話をしているわけにもいかない。今夜の宿を探さなければならない。彼女の提案で、3人とも同じ適当な安宿に宿を取ることにする。曰く、先ほど襲撃してきたスーツ野郎達の仲間の襲撃があるかも知れない、そうなれば一応それなりの装備を持っている彼女が一緒にいる方がいい、と。
 少佐達がいたマジェスティック・ホテルの部屋は完全密室だったので、俺とブラソンの面が割れているとは思えない。俺たちを見た二人はすでに死んでおり、脳内の画像データを取り出すのはもう無理だろう。少佐の仲間として活動していた彼女の方がよほどマークされている可能性は高いと思うのだが。そこは諜報のプロフェッショナルと一緒に行動している方が安心だと、納得しておく。
 そう言えば、最初の酒場でブルカが提示した契約条件の中に今夜のマジェスティック・ホテルの宿泊も含まれていたような気がする。もちろん、今更マジェスティック・ホテルに帰ることの危険性は俺だって承知している。せっかくの高級ホテルでの安らかな一夜を逃してしまったようだ。惜しいことをした。すべてはあのスーツ野郎どものせいだ。

 その手の安宿ならこの辺りにいくらでもある。そもそも、ブルカに声をかけられる前は元々この辺りに投宿しようと思っていた。ブラソンに心当たりがあるらしい。奴の案内で、酒場からさほど遠くない宿にたどり着いた。前金で一泊ぶんの金を払い、3人とも部屋に向かう。運良く3部屋続き部屋が空いていた。ミリの部屋が真ん中で、その両脇が俺たちの部屋だ。何かあってもすぐに物音で分かるようにするためだ、と彼女は言った。安宿の壁は薄い。
 部屋に入るとき、こちらを見ているミリと眼が合った。
 心配するな、夜中に部屋に入るような真似はしない、と笑ったら、よく分からない顔つきをして彼女は黙って部屋のドアを閉めた。
 閉まったドアの向こうでこちらを見ているブラソンと目が合う。お互い苦笑いして部屋に入った。
 本当に冗談の通じない女だ。
 明日から行動だ。そして今夜は色々なことがあり過ぎた。部屋に入るなりシャワーとランドリーを使い、そのままベッドに倒れ込んだ。


 
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