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一
わきまえ
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大蔵は顔を上げたまま源三郎へ語る。
「俺とは川西の東郷の生まれで、今でも本家筋の家はあっちの方で続いているという話ですが……。へぇ、俺の先祖という人は、昔はあっこらにおいでた浦野様たらいう殿様の馬の口取りをやっておりやしたそうで。へぇ。
そんで、うちの祖父が幸隆入道様の時に御家に拾って頂きやして、それから祖父も父親も砥石のお城でずっと馬を飼っておりやしたでございます」
幸隆入道は俗名を真田弾正忠幸綱という。
幸綱は武田晴信に仕えていた。この主が出家して徳栄軒信玄の法名を名乗ったとき、彼もそれに従って出家し、以降、一徳斎幸隆を名乗った。
真田氏の礎を築いたこの真田幸隆入道幸綱こそは、真田家現当主・安房守昌幸の父親であり、従って源三郎信幸にとっては祖父ということになる。
「それでこの度はお前が、砥石城に入る私の麾下に組み込まれた、というわけか」
「へぇ、ほいで、こうやって若殿様の馬の口を取れるなんて、ありがてぇことになりやした」
大蔵は深々と頭を下げた。
身分の上下に厳しかった時代である。
自分のように身分の軽い者が、領主の若君と直接言葉を交わせた――それは、大蔵にとっては喜びであり、誇りともなった。
しかし大蔵が下げた頭を持ち上げ直したときには、先ほどまでは喜色にあふれていた顔に雲が掛かっていた。
「それにしてもなんて不届きな女衆だ」
ほとんど聞き取れないような小声だった。太蔵は声にしようとは思っていなかったのだろう。無意識に口を突いて出た言葉だ。
だから源三郎に、
「不届きな女衆とは、今、走って行った女子のことか?」
と尋ねられた大蔵はひどく驚いた顔で、
「へぇ」
目を屡叩かせた。
源三郎は、先ほど氷垂が走り去った方角をチラリと見て、
「あれは、それほど不届きか?」
口元に微苦笑を浮かべている。
「不届きでございます。若殿様の前であんな口のききようをするのは、不届き者の他の何者でもありやせん。とんでもない乱暴者だ」
自分の語る言葉で、大蔵は怒りが掻き立てられたらしい。
「第一、百姓の女子が若殿様の前で頭を持ち上げて、糅てて加えてお顔を拝したりするだけでも、そりゃへぇ、無礼でござんしょう」
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そんで、うちの祖父が幸隆入道様の時に御家に拾って頂きやして、それから祖父も父親も砥石のお城でずっと馬を飼っておりやしたでございます」
幸隆入道は俗名を真田弾正忠幸綱という。
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しかし大蔵が下げた頭を持ち上げ直したときには、先ほどまでは喜色にあふれていた顔に雲が掛かっていた。
「それにしてもなんて不届きな女衆だ」
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