4 / 40
一
わきまえ
しおりを挟む
大蔵は顔を上げたまま源三郎へ語る。
「俺とは川西の東郷の生まれで、今でも本家筋の家はあっちの方で続いているという話ですが……。へぇ、俺の先祖という人は、昔はあっこらにおいでた浦野様たらいう殿様の馬の口取りをやっておりやしたそうで。へぇ。
そんで、うちの祖父が幸隆入道様の時に御家に拾って頂きやして、それから祖父も父親も砥石のお城でずっと馬を飼っておりやしたでございます」
幸隆入道は俗名を真田弾正忠幸綱という。
幸綱は武田晴信に仕えていた。この主が出家して徳栄軒信玄の法名を名乗ったとき、彼もそれに従って出家し、以降、一徳斎幸隆を名乗った。
真田氏の礎を築いたこの真田幸隆入道幸綱こそは、真田家現当主・安房守昌幸の父親であり、従って源三郎信幸にとっては祖父ということになる。
「それでこの度はお前が、砥石城に入る私の麾下に組み込まれた、というわけか」
「へぇ、ほいで、こうやって若殿様の馬の口を取れるなんて、ありがてぇことになりやした」
大蔵は深々と頭を下げた。
身分の上下に厳しかった時代である。
自分のように身分の軽い者が、領主の若君と直接言葉を交わせた――それは、大蔵にとっては喜びであり、誇りともなった。
しかし大蔵が下げた頭を持ち上げ直したときには、先ほどまでは喜色にあふれていた顔に雲が掛かっていた。
「それにしてもなんて不届きな女衆だ」
ほとんど聞き取れないような小声だった。太蔵は声にしようとは思っていなかったのだろう。無意識に口を突いて出た言葉だ。
だから源三郎に、
「不届きな女衆とは、今、走って行った女子のことか?」
と尋ねられた大蔵はひどく驚いた顔で、
「へぇ」
目を屡叩かせた。
源三郎は、先ほど氷垂が走り去った方角をチラリと見て、
「あれは、それほど不届きか?」
口元に微苦笑を浮かべている。
「不届きでございます。若殿様の前であんな口のききようをするのは、不届き者の他の何者でもありやせん。とんでもない乱暴者だ」
自分の語る言葉で、大蔵は怒りが掻き立てられたらしい。
「第一、百姓の女子が若殿様の前で頭を持ち上げて、糅てて加えてお顔を拝したりするだけでも、そりゃへぇ、無礼でござんしょう」
「俺とは川西の東郷の生まれで、今でも本家筋の家はあっちの方で続いているという話ですが……。へぇ、俺の先祖という人は、昔はあっこらにおいでた浦野様たらいう殿様の馬の口取りをやっておりやしたそうで。へぇ。
そんで、うちの祖父が幸隆入道様の時に御家に拾って頂きやして、それから祖父も父親も砥石のお城でずっと馬を飼っておりやしたでございます」
幸隆入道は俗名を真田弾正忠幸綱という。
幸綱は武田晴信に仕えていた。この主が出家して徳栄軒信玄の法名を名乗ったとき、彼もそれに従って出家し、以降、一徳斎幸隆を名乗った。
真田氏の礎を築いたこの真田幸隆入道幸綱こそは、真田家現当主・安房守昌幸の父親であり、従って源三郎信幸にとっては祖父ということになる。
「それでこの度はお前が、砥石城に入る私の麾下に組み込まれた、というわけか」
「へぇ、ほいで、こうやって若殿様の馬の口を取れるなんて、ありがてぇことになりやした」
大蔵は深々と頭を下げた。
身分の上下に厳しかった時代である。
自分のように身分の軽い者が、領主の若君と直接言葉を交わせた――それは、大蔵にとっては喜びであり、誇りともなった。
しかし大蔵が下げた頭を持ち上げ直したときには、先ほどまでは喜色にあふれていた顔に雲が掛かっていた。
「それにしてもなんて不届きな女衆だ」
ほとんど聞き取れないような小声だった。太蔵は声にしようとは思っていなかったのだろう。無意識に口を突いて出た言葉だ。
だから源三郎に、
「不届きな女衆とは、今、走って行った女子のことか?」
と尋ねられた大蔵はひどく驚いた顔で、
「へぇ」
目を屡叩かせた。
源三郎は、先ほど氷垂が走り去った方角をチラリと見て、
「あれは、それほど不届きか?」
口元に微苦笑を浮かべている。
「不届きでございます。若殿様の前であんな口のききようをするのは、不届き者の他の何者でもありやせん。とんでもない乱暴者だ」
自分の語る言葉で、大蔵は怒りが掻き立てられたらしい。
「第一、百姓の女子が若殿様の前で頭を持ち上げて、糅てて加えてお顔を拝したりするだけでも、そりゃへぇ、無礼でござんしょう」
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
龍蝨―りゅうのしらみ―
神光寺かをり
歴史・時代
年の暮れも押し迫ってきたその日、
甲州・躑躅ヶ崎館内の真田源五郎の元に、
二つの知らせが届けられた。
一つは「親しい友」との別れ。
もう一つは、新しい命の誕生。
『せめて来年の間は、何事も起きなければ良いな』
微笑む源五郎は、年が明ければは十八歳となる。
これは、ツンデレな兵部と、わがままな源太郎とに振り回される、源五郎の話――。
※この作品は「作者個人サイト【お姫様倶楽部Petit】」「pixiv」「カクヨム」「小説家になろう」でも公開しています。
吼えよ! 権六
林 本丸
歴史・時代
時の関白豊臣秀吉を嫌う茶々姫はあるとき秀吉のいやがらせのため自身の養父・故柴田勝家の過去を探ることを思い立つ。主人公の木下半介は、茶々の命を受け、嫌々ながら柴田勝家の過去を探るのだが、その時々で秀吉からの妨害に見舞われる。はたして半介は茶々の命を完遂できるのか? やがて柴田勝家の過去を探る旅の過程でこれに関わる人々の気持ちも変化して……。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
鉄と草の血脈――天神編
藍染 迅
歴史・時代
日本史上最大の怨霊と恐れられた菅原道真。
何故それほどに恐れられ、天神として祀られたのか?
その活躍の陰には、「鉄と草」をアイデンティティとする一族の暗躍があった。
二人の酔っぱらいが安酒を呷りながら、歴史と伝説に隠された謎に迫る。
吞むほどに謎は深まる——。
三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地~ 家族愛の三国志大河
墨笑
歴史・時代
『家族愛と人の心』『個性と社会性』をテーマにした三国志の大河小説です。
三国志を知らない方も楽しんでいただけるよう意識して書きました。
全体の文量はかなり多いのですが、半分以上は様々な人物を中心にした短編・中編の集まりです。
本編がちょっと長いので、お試しで読まれる方は後ろの方の短編・中編から読んでいただいても良いと思います。
おすすめは『小覇王の暗殺者(ep.216)』『呂布の娘の嫁入り噺(ep.239)』『段煨(ep.285)』あたりです。
本編では蜀において諸葛亮孔明に次ぐ官職を務めた許靖という人物を取り上げています。
戦乱に翻弄され、中国各地を放浪する波乱万丈の人生を送りました。
歴史ものとはいえ軽めに書いていますので、歴史が苦手、三国志を知らないという方でもぜひお気軽にお読みください。
※人名が分かりづらくなるのを避けるため、アザナは一切使わないことにしました。ご了承ください。
※切りのいい時には完結設定になっていますが、三国志小説の執筆は私のライフワークです。生きている限り話を追加し続けていくつもりですので、ブックマークしておいていただけると幸いです。
毛利隆元 ~総領の甚六~
秋山風介
歴史・時代
えー、名将・毛利元就の目下の悩みは、イマイチしまりのない長男・隆元クンでございました──。
父や弟へのコンプレックスにまみれた男が、いかにして自分の才覚を知り、毛利家の命運をかけた『厳島の戦い』を主導するに至ったのかを描く意欲作。
史実を捨てたり拾ったりしながら、なるべくポップに書いておりますので、歴史苦手だなーって方も読んでいただけると嬉しいです。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる