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一
有難い言葉
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大蔵は胸を反らして、
「分てものは、ちゃんとわきまえなきゃなんねぇ」
眉間に深い皺を寄せた。
この真面目な馬丁の言い分は、もっとものことである。
人にはそれぞれの領分というものがあるのが、この世の常識だ。
下人は下人らしく地に伏せ、殿様は殿様らしく胸を張らねばならない。
それなのに、先ほどの女衆――大蔵はその顔を今日初めて見たし、名前も知らない――は、あろうことか若殿様に意見をしたり、あるいは不機嫌な顔を見せたりした。相手が短気な殿様であれば、手討ちになっていてもおかしくはない。
源三郎は大蔵の不満顔を見て、薄く微笑した。
「だが私には、あの女衆が伝えてくれた言葉が有難かった有難かった。あの女衆の働きが嬉しかったのだよ」
「へぇ?」
「私はな、大蔵……。
私は、私の所に大切な話を持ってきてくれる者であれば、誰の事でもありがたいと思うている。
私を助けてくれる者、導いてくれる者、嗜めてくれる者、そういう人々は、誰であろうとも尊い。
農婦でも、足軽でも、馬丁でも、忍者でも、侍でも、公家でも、下人でも、子供でも、老人でも、譜代の家来でも敵の落人でも、私を助けてくれる人ならば、誰であれ手を合わせて拝みたくなる」
「へ……へぇ」
若殿様が尊いと言った人間の中に馬丁が含まれていることが、大蔵には大層な驚きであった。そして嬉しかった。にやけそうになったが、主人の前でヘラヘラと笑うのは良くないと考えて、なるのをどうにか堪えた。堪えたがために、引き攣れたような顔になっている。
その大蔵へ、源三郎は馬上から、
「それでな、大蔵。お前は私の組下になってからまだ日が浅いから知らなんだろうが、あの女衆はな……」
言いつつ、指で大蔵に近くへ寄るように示した。
恐る恐る立ち上がった大蔵が、恐る恐る主人の近くに寄ると、源三郎は身をかがめて大蔵の耳の近くまで口を寄せて囁いた。
「あの女衆は、私の奥方様なのだよ。つまり、私はあれの尻の下の敷物なのだ」
大蔵は目玉が落ちそうなほどに目を丸くした。源三郎は楽しげに高笑した。
満面笑み崩したまま、
「さて、砥石城へ行こうか。今日は忙しくなる」
真田源三郎信幸は、手綱を繰って馬首を北に向けた。
「分てものは、ちゃんとわきまえなきゃなんねぇ」
眉間に深い皺を寄せた。
この真面目な馬丁の言い分は、もっとものことである。
人にはそれぞれの領分というものがあるのが、この世の常識だ。
下人は下人らしく地に伏せ、殿様は殿様らしく胸を張らねばならない。
それなのに、先ほどの女衆――大蔵はその顔を今日初めて見たし、名前も知らない――は、あろうことか若殿様に意見をしたり、あるいは不機嫌な顔を見せたりした。相手が短気な殿様であれば、手討ちになっていてもおかしくはない。
源三郎は大蔵の不満顔を見て、薄く微笑した。
「だが私には、あの女衆が伝えてくれた言葉が有難かった有難かった。あの女衆の働きが嬉しかったのだよ」
「へぇ?」
「私はな、大蔵……。
私は、私の所に大切な話を持ってきてくれる者であれば、誰の事でもありがたいと思うている。
私を助けてくれる者、導いてくれる者、嗜めてくれる者、そういう人々は、誰であろうとも尊い。
農婦でも、足軽でも、馬丁でも、忍者でも、侍でも、公家でも、下人でも、子供でも、老人でも、譜代の家来でも敵の落人でも、私を助けてくれる人ならば、誰であれ手を合わせて拝みたくなる」
「へ……へぇ」
若殿様が尊いと言った人間の中に馬丁が含まれていることが、大蔵には大層な驚きであった。そして嬉しかった。にやけそうになったが、主人の前でヘラヘラと笑うのは良くないと考えて、なるのをどうにか堪えた。堪えたがために、引き攣れたような顔になっている。
その大蔵へ、源三郎は馬上から、
「それでな、大蔵。お前は私の組下になってからまだ日が浅いから知らなんだろうが、あの女衆はな……」
言いつつ、指で大蔵に近くへ寄るように示した。
恐る恐る立ち上がった大蔵が、恐る恐る主人の近くに寄ると、源三郎は身をかがめて大蔵の耳の近くまで口を寄せて囁いた。
「あの女衆は、私の奥方様なのだよ。つまり、私はあれの尻の下の敷物なのだ」
大蔵は目玉が落ちそうなほどに目を丸くした。源三郎は楽しげに高笑した。
満面笑み崩したまま、
「さて、砥石城へ行こうか。今日は忙しくなる」
真田源三郎信幸は、手綱を繰って馬首を北に向けた。
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